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偽物聖女と毒吐きの龍  作者: 綴藤風花
1章 偽物聖女、龍を拾う。
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1-4 魔法

 石畳にガガガと振動が伝わりそうな音が響きわたる。ゲイルはサフィーが思う以上に早い馬だった。疾風とは名の如し。サフィーの身体を容赦ないごうごうという風が襲う。捕まっているのがやっとなほどだった。

 その速度といえば、ゲイルの意思関係なく、下手をすれば途中で投げ出されるかもしれない。そんな思考がサフィーの頭によぎったほどだ。


 幸いにも街は人が少なかった。おそらく見世物のある広場に人が集中しているのだろう。とはいえ、馬で街中を駆け巡るなど、危険以外の何物でもない。馬の脚力で人は簡単に宙に飛ぶ。特にこのゲイルは牡馬で、かつ体躯もほかの牡馬よりも大きい。蹴とばされたら、ひとたまりもない。


 通りすがる人が皆、悲鳴を上げ、道を開ける。ごめんなさい、ごめんなさい。サフィーは、悲鳴を上げ道を開ける人々に心の内で謝罪しながらも、速度を緩める気はなかった。

 ぎゅっと、手綱を握る手に汗が籠る。それは、落ちないために必死に手綱を握っているせいでもあったし、この豪風がいつか鉄の混じった香を運んでくるか気が気ではなかったためでもある。

 

 城内から、目的の広場までは、馬にまたがればそう時間はかからない。ましてや、ゲイルは他の馬より明らかに早い。ならば、他の馬よりも時間はかからないはずだが、やけにサフィーにとっては長い時間のように感じられた。


(間に合って、間に合ってください。ああ、星の神々よ。見つめているのなら、名も知らぬ龍の命をせめてお守りください。私に、時間をください)


 そのたったわずかな時間、サフィーはひたすらに祈った。祈ることしかできなかった。

 そうして、風に耐え、血の匂いに怯えて、どのくらい経っただろうか。


 視界が開けるのが見えた。道が、開ける。

 サフィーは、馬の手綱を強く引いた。ゲイルは賢い。その手綱に応え、咄嗟に走る速度を緩め、コツコツと立ち止まった。

 しかし、ゲイルが立ち止まるよりも早く、サフィーは降りようとして、バランスを崩し地面に転がった。その勢いで地面に膝を擦ったが、痛みに悶えている時間すら惜しかった。驚いたようにサフィーを見つめ、鼻を鳴らすゲイルの頭を撫でる。


「ありがとう、ゲイル。賢い子ね。少しここで大人しく待っていて」


 サフィーはゲイルに笑いかけたあと、人ごみの中に駆けだした。

 

 間違いなく、ここだ。ここに、グレイモントが、龍人が、いる。


 サフィーは人波の中を無理に入り、隙間を縫う。

 元より肉つきもなく小柄な体が功を奏しているような気がした。「ごめんなさい、先に行かせてください」そう、懇願し人の間を潜り抜けていく。


 最初、迷惑そうに彼女を見た人は、サフィーの形相に驚いたのかそろってぎょっとし道を開けた。

 そうして、サフィーが中ごろまで進んだ時だ。高らかな金管楽器の音が響いた。それを合図として、喧騒が一気に失せる。


 はじまった。サフィーは息を止めた。


「今を遡ること500年、我ら人間と龍との間大戦が勃発した」


 聞き覚えのある声、グレイモントだ。数は少ないとはいえ、言葉を交わしたことがあるため間違いない。


(――時間がない)


 サフィーは、また必死になって人波をかきはじめた。


「この戦乱において、100万の人間が命を落とした。龍――それは古いの時代より恐怖と凶悪をもたらす存在である。この悪しき毒牙に再びかかることがないよう我らは自らの手で、龍を滅ぼさねばならない。今日、この瞬間をその一歩としよう」


(あと少し、あと少しよサフィー)


 それと同時に一気に歓声が上がる。その熱がサフィーの行く手を阻む。剣が抜かれたのだ。


 おそらく、あと数歩。でも、その数歩が届かない。サフィーが、うんと手を伸ばすとその視界の先、不思議なものが見えた。黒くて装甲を被った蛇のような何か。それがわずかにゆらゆらと揺れている。間違いなく人のものではなかった。


(もしかして――)


 サフィーは、ぐっと息を呑んだ。人の身体を、うんと力任せにくぐる。その尾が動いているということは、サフィーの描く最悪の展開がまだ起きていないという意味でもあった。

 間もなくして、鎖に繋がれた手がちらりと覗いた。あの尾の持ち主の手だろうと、サフィーは考えた。

 

 と、瞬間、ほんの一瞬。ちり、と紫色の光がその鎖に繋がれた手へ宿った。

 それは例えば、人間がぎりぎりのところで切断をまぬがれた自分の手の存在を確かめるような、隙を見て逃げ出そうとする囚人が足の具合を確認するような――そんな動きとよく似ている。

 しかし、しかしだ。そもそも、人間はあのような光を操ることはできない。つまりは――。


(あれが――魔法)


 おそらくは、魔法を使えるかの具合を確認しているのだろう。

 その瞬間、サフィーの描いていた可能性が、確信に変わる。


「お待ちください、グレイモント殿下!」


 気づけば、サフィーは声を張り上げていた。その声に周辺の人々が驚いた様子で、サフィーを見る。そして、彼女を避けるように壁が動いた。

 唐突に支えを失ったことで、転がり込むように、サフィーは広場の中心に割り込んだ。

 人々の視線が肌に刺さるのを感じながら、サフィーはとある人物へと顔を向ける。

 

 銀色の癖のない髪はきれいに切りそろえられ、アイスブルーの瞳は切れ長。顔のパーツはここ、という場所にはめ込まれていて、彼を見かけた女性たちが黄色い悲鳴をあげるのも納得がいく容姿だった。


 グレイモントは、サフィーを見て先の大衆と同様にぎょっとした表情を浮かべていた。

 そこでサフィーははじめて自分の格好を理解した。新しく仕立てた星聖女のドレスは、あちこちが土埃で茶色に汚れている。それどころか、シフォン生地は小石たちの突起に引き裂かれ穴が開いていた。

 自分では確認しようもないが、アリシアが朝から結ってくれた髪の毛もきっとあちこちから、束がはみ出しているのだろう。


 サフィーは人だかりに割って入った際、なぜ人々が道を開けてくれたのか。その理由を理解した。おそらく、人々にはサフィーのこの薄汚れた容姿、そして形相も相まって、それこそ魔女そのもののように見えたのだろう。


 みっともない。こんな姿で大衆の面前に立つなど。だが、みっともないことに違いなくとも、恥じる余裕などサフィーは寸分も持ち合わせていなかった。

 グレイモントはわずかに狼狽した様子で尋ねる。


「サフィーリア嬢、なぜここに。いや、その姿はいったい」


 その言葉に、大衆がざわめいた。やれ、あれが偽物聖女か、やれ、あんな女が婚約者になったグレイモント殿下がかわいそうだの。


 しかし、そんな諸刃の言葉も、今のサフィーの耳には届かなかった

 今のサフィーにとって重要なのは、この龍人の処刑を止めること。


 サフィーは少し背後に視線を投げる。

 そこには、兵に取り押さえられた青年がひとり転がっていた。


 髪の毛は、淡い紫でずいぶんと長い。その髪の毛で顔立ちは見えないものの、骨格からみるにこの龍人が男性であることは間違いなかった。尾てい骨辺りには、先ほど見えた大きな尻尾。頭には、黒い双角が左右に生えている。人ではないのは、明らかだった。


 しかし、不思議な髪色に、尻尾と角――それらを除けば、本当に人と寸分違いない。これらが、500年前に多くの人々の命を脅かした者と言われても、サフィーはいささか信じがたかった。

 サフィーは龍人の姿を確認した後、グレイモントに向き直り、頭をたれた。


「グレイモント殿下、早急にこの者の処刑をお止めください」


 その言葉に、先ほどまでは動揺の色が滲んでいたグレイモントの表情が強張る。


「何」


 今までに聞いたことのない低い声だった。

 グレイモントと話したのは、会合の時だけ。愛想のない人だった。しかし、それでもこのようなグレイモントの唸るような声を、サフィーが聞いたことはなかった。

 が、サフィーは臆する様子なく続ける。


「お言葉ですが、殿下。この龍が人を傷つけたのでしょうか」


 サフィーの言葉に、グレイモントはわずかに目を見開いた。


「確かに、この龍は許可なく越境したのでしょう。しかし、私たちの国、ハーベリス王国は未だ隣国であるインダロス帝国との静かな睨み合いが続いており、現在もルシアン国王殿下はそのインダロス帝国からの使者の対応に追われています。

 そのような状況下で、今の私たちが目を向けるのは国境付近に迷い込んだ龍ではなく、我が国の恵まれた土壌を狙うインダロス帝国ではないのでしょうか」


 グレイモントは忌々しげに眉をひそめ、吐き捨てるように答えた

 

「龍は、狡猾なものたちだ。何かを企んで、この国境を跨いだ。だったら、その何かをこいつが起こす前に防ぐ――当たり前だろう」


 そう、龍は狡猾な生き物だ。確かに、グレイモントの考えはあながち間違っていない。しかし、サフィーは口ごもることもなく応える。


「何かが形を成していない以上、手を下すべきではないと思います」

「起きてからでは遅いだろう」


 サフィーは、少し唇をかみしめた。起きてからでは、遅い。それは間違いない。だが、そうではない。そうではないのだ。


 そこで、サフィーは気づいた。そうだ、そうだ。多くの命を奪ってきた龍。その龍が大人しく縄にかかっていることが、まずおかしいのだ。

 しかし、その妙な違和感にグレイモントは気づいていないのだろう。とはいえ、龍人がいる目の前でこのことを口にするわけにもいかず、サフィーは心の底でグレイモントに「わからずや!」と叫んだ。

 しかし、腹を立てたところで状況は進展しない。そのため、サフィーは必死に頭を回転させた。どうすれば、止められる。どうすれば、阻止できる。


 穏やかな日和だった。多くの人々が、ことの行く末を息を呑んで見つめていた。


 深呼吸。サフィーは、肩を1つ上下させた。そして、蒼石と見間違いそうな瞳でグレイモントを見つめる。


「分かりました。それならば――彼の首をはねる前に、先に私の首をはねてください」

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