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偽物聖女と毒吐きの龍  作者: 綴藤風花
5章 崩れゆく平和
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5-5 先にあるもの

 それからサフィーは忙しかった。当然のことだが、インダロス帝国が攻めてくるまで7日しかないのだ。

 多くの国民がインダロス帝国の進軍を恐れ、国には活気というものがなくなっていた。特に、クリスタリス家が納めるマインヴィーニの空気は特に重かった。何せ星聖女であるサフィーは戦地に向かうのだ。それは、死を意味するそのもので、サフィーを幼少よりかわいがってくれていた村の人の多くは、サフィーに会うたび涙した。死にに行くわけではない。そう伝えても、ただの強がりに見えてしまう。そのため、サフィーはただ村の人たちに慰めの言葉をかけることしかできなかった。

 この期間、マインヴィーニに滞在できたのはルシアンの計らいであった。あの状況下では気も休まらないだろうと、サフィーには来る日に備えて休むようにと言われた。


 一方、ルナスは今回の戦いの要であるため、宮殿に滞在することとなった。さらに言えば、どこからか情報が洩れるか分からない以上、ルナスが参戦することは伏せられており、ルナスの姿が見えなくなったことに違和感を覚える村人は少なくなかった。中には、ルナスのことを腰抜けという者もおり、その度にサフィーは口を閉じた。


「あの男は、そんな器じゃないな」


 その言葉に、サフィーは顔を上げた。普段は鉄を熱し叩いているグリフだが、今日は珍しく机へと向かっていた。アリシアの買い物についてきたサフィーであったが、村の人間の憐みの目も、悲壮の目も耐え切れず、サフィーが逃げ込んだのはグリフの家だった。彼はこんなときでも変わらない。それが、サフィーを安心させた。よくよく目を凝らせば、彼の手元には金色の石が見える。

 月彩晶だと、サフィーはすぐに分かった。


「月彩晶を加工しているのね、珍しい」

「月彩晶を要望する客が来た」


 それに、サフィーは目を瞬かせた。珍しいどころではなかった。月彩晶には宝石としての価値はない。しかし、それでいて加工に技術がいるため、技術費は異様に高い。故にわざわざ要望する客など稀有以外の何物でもないのだ。その依頼主はよっぽどのもの好きらしい。


「おまけにかなり細かい指定をしてきた」

「よく引き受けたわね」

「引き受けたくなんぞなかったさ。月彩晶を諦めて他の石にすればもっと腕の立つ職人が加工してくれるとは言ったんだが、引かなかった。それどころか、こちらが見積もった倍の金額を支払うと前払いしてきたもんだ。とんでもねえ客だ」


 確かに、とんでもない客だとサフィーは呆気に取られた。それでいて不思議でしかなかった。

 話を聞いている限りでも、見積もりの時点で普段よりもずっと高い額なのだろう。そんな額を、ましてや倍の金額をぽんと渡せる富豪がこんな辺鄙な土地の加工職人のところに赴いて、価値のない石の加工をお願いしたというのだ。

 グリフは確かに職人気質で腕はたつが、知名度があるわけではない。いったい、彼のことをどこで知ったのだろうか。しかも、そんな富豪であれば、来た時に村人が噂をしていてもおかしくはないはずだ。考えれば考えるほど不思議である。

 机には加工に失敗したであろう月彩晶が転がっている。割れていたり、ひびが入っており、作業は難航しているようだった。

 しかし、それはこの戦火の直前であるにもかかわらず、グリフの日々は変わっていないということだった。それに、改めてサフィーは幸いと胸をなでおろした。


 アリシアと共に買い出しを終えて、家に戻ってきた。当然と言えば当然だが、買いだせた食料の量は少なかった。ハーベリス王国国内は混乱が続き商いも機能していない場所も少なくはない。サフィーが幼少に見たあの恐ろしい街に、少しずつこの国が近づいていっているような気がした。そう考えると、とても怖い。それと同時に、ルナスがいないということが更にサフィーの恐怖感を煽った。

 サフィーの表情が強張っていたせいだろう。アリシアが気を利かせて蜂蜜の入ったミルクティーを作ってくれた。アリシアにお礼を言い、口を付けたサフィーだったが味はよくわからなかった。


 たった7日、けれど7日。眠るのさえ恐ろしかった。しかし、時間は容赦なく一定に歩を進めていく。

 その日は、必然と、残酷に、規則正しいままやってくる。


 サフィーが宮殿に向かったのは、宣戦布告で予定された日より3日前のことだった。


 そこで、ルナスと久しぶりに顔を合わせた。数日ぶりではあるものの、数週間ぶりどころか、数か月ぶりのようにさえ感じた。ただ、ルナスとの再会に喜び、安堵するより先に彼の髪の毛に目がついた。


(やっぱり、跳ねてる)


 案の定、彼は髪の毛の手入れをしていなかったらしい。出会った頃よりはいくらかましだとは言えるが、それでもよく跳ねていた。ここから、彼の髪を今までの状態まで鎮圧させるのは数日ほど時間がかかる。だが、仕方ない。ルナスの髪は、そんな単純じゃないのだ。その髪によく似て、ルナスも単純ではない。


 しかし、さすがのルナスも鬱陶しかったのだろう。髪の毛はひとつに後ろで束ねていた。とはいえ、あんまりにも乱雑にまとめている。おそらく、彼の性格上最低限、形になっていれば問題ないのであろう。ただ、重要なのはルナスにとっての最低限である。

 そんな彼にやや呆れつつ、サフィーは一番近い控室で彼の髪を結いなおしてやることにした。この頃になると、ルナスはすっかり大人しく髪を結われるようになっていた。


「変わりなかった?」

「どうでしょうか。居心地は決して良くはなかったです」


 サフィーの問いかけにルナスは、平然と答えた。

 目前へと迫る開戦に怯えるサフィーと違い、ルナスはいつも通りのようだ。

 しかし、たしかに宮殿は居心地が悪い。サフィーも寝泊まりをしたことはあるが、彼の言う通り居心地は良くない。寝台の布団は柔らかいし、食事も豪華なものだが、それ以上に疲れる。移動も大変だが、すれ違う人すれ違う人誰もが位の高い者たちで、気が休まらないのだ。ルナスとなれば、龍人という稀有な目に晒される。居心地が悪いと感じるのは、サフィーよりもなおのことだろう。

 このあとまた会議に呼び出されているとルナスは言っていたので、あまり長く彼の髪に構ってやることはできない。特に絡まりがひどい髪の毛をいくつか解いてやって、きつくならないように髪の毛を束ねた。


「サフィー、ちゃんと眠りました?」


 サフィーは少し目を伏せて、首を緩く横に振った。


「食事は?」

「あんまり摂ってないわね。味も、分からなくて」


 こういうときの、ルナスに嘘は通じない。それを知っていたサフィーは、素直に答えた。


「ルナス、できたわよ」


 そう声をかけるとルナスは、顔を上げた。


「ちゃんと食べて、寝てくださいって言っても、できないんでしょうね」


 それにサフィーは答えなかった。代わりに返せたことと言ったら、苦笑いひとつ。ただそれだけだった。

 だが、ルナス相手には十分とも言えた。


「ねえ、サフィー」


 立ち上がったルナスは、サフィーの前に立った。相も変わらず、ルナスは無表情だったがその瞳の色が陽だまりのように柔らかであることを、サフィーは良く知っている。彼は、腕を伸ばすと指の背でサフィーの頬をくすぐった。こういうとき、サフィーの胸はきゅっとなる。


「大丈夫ですよ。あなたの大事な日々はすぐそこにちゃんとありますから」


 そこに、ちゃんとルナスはいるの。そう聞こうとして、サフィーは黙った。答えなど、聞かずとも分かるような気がしたためだ。

 サフィーはそうして淡い紫色の髪を揺らしたルナスの背を見送った。



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