5-4 正義という名の過ち
卓上の燭台の蠟が静かに揺れていた。夜は深く、燭台の灯だけが頼りだった。
散らばった書類は、星聖女についてのものが多い。珍しいと、バルドリックは思った。グレイモントは星聖女に関心が薄いとばかり思っていたためだ。何をいまさら調べているのかとバルドリックはその様子をソファーに座り、観察していた。
すると、ぼそりとグレイモントが呟いた。
「あの龍、何を考えている」
あの龍、というのは星聖女のところにいるルナスと呼ばれる龍であることは簡単に想像がついた。
ルナスが戦争に赴くとグレイモントの口から聞いたときは、少し驚きはしたものの、納得もした。そして、誰も殺さないと宣言したということを聞いて、再び驚いたものの「まあ、あやるだろうな」とも思った。とはいえ、ルナスからの申し出はこちら側としてはありがたい以上の何物でもない。
書類を見つめ、眉間にしわを作るグレイモントを横目で見ながら、バルドリックは静かにうなずく。
「目的は見えないな」
グレイモントの言う通り、ルナスと言う龍の目的は依然見えない。おそらく一緒にいる星聖女でさえ、あの龍のことは分かっていない部分が多いとバルドリックは感じていた。
しかし、それでいて彼女はあの龍と共にいるのだ。すべての龍があのルナスと言う男のようなのかは定かではないが、本質の掴めない龍の隣で過ごすということは一般の人間であれば精神をすり減らすに違いない。だが、彼女は気丈として変わらないし、むしろルナスが来てから少しばかり明るくなったような気さえする。それが本当であれば、肝が据わっているとしか言えない。
「とはいえ、あの龍の目的がどうであれ、誰も死なない戦など不可能だ」
「――ああ」
どうだろうか。表面上は頷いてみせたバルドリックだが、心から賛同することはできなかった。
あの龍がサフィーリアと言う少女を大切にしているのは、バルドリックの目から見れば明白だった。それ故に、その場しのぎの方便を使うとは到底思えない。絶望へ落ちた人間に言葉だけの希望を見せるということがどれだけ惨い行為か、あの龍であれば知っているはずだ。あの龍は馬鹿ではない。
すると、グレイモントが1枚の紙を手に取り、じっと眺めているのが視界の端に見えた。
「それは、なんだ」
確かあの卓上には星聖女についての資料が散らばっていたはずだが、「今更そんなにもじっくり見るものなどあっただろうか」とバルドリックは首を傾げた。グレイモントはバルドリックの言葉にアイスブルーの視線を向けた。
グレイモントはバルドリックにその紙を差し出した。見せてくれるのか、とバルドリックはソファーに沈んでいた体を起こし、紙を受け取った。
堅苦しい文章がつらつらと並べられていたが、ことを理解したバルドリックが今度は眉間にしわを作る。その様を見た、グレイモントは窓の外に視線を投げる。暗闇の奥、ずっとずっと奥、そこにはちらちらとこちらを眺める星々が散らばっている。
「俺は、古い形だけの習わしに付き合っていられるような寛大な人間ではない」
「だが、これは」
「――ここは王宮だ。バルド。人々の様々な思惑が蠢く王宮だ」
その言葉に、バルドリックは口を結んだ。ここは王宮。華やかな見た目からは想像もできないほど、思惑、欲が蠢く場所である。そうなれば必然と食うもの、食われる者がでてくるわけだ。それはバルドリックとて、承知だった。承知のつもりだった。
バルドリックは口を開いて、閉じた。
「分かっているだろう、お前は。きれいごとで飯は食えん、民は救えない」
グレイモントはそういうと席から立ち上がり、バルドリックの横へ並ぶと肩に手を置き、彼の手から紙を抜き取った。
「――念押しだが、言うなよ」
そう言うと、グレイモントは肩から手を離し、執務室を出ていった。
しんとした静寂。ぽつんとバルドリックだけが残された。虚空、虚無、空虚。ぽっかりと何かが抜け落ちたような気がした。
ああ、わかった。たったその二言。それが出なかった。幸いしてそれにグレイモントが違和感を抱くことはなかったようだが、それも何かバルドリックの心に虚しさを生んだ。
グレイモントの言うことは、間違ってはいないのであろう。それはバルドリックにもよく分かっていた。
(だが、だからといって)
あれを、黙って見守れというのか。その行為を、正しさと呼ぶのだろうか。
バルドリックが生まれ育ったブレイブン家は由緒正しき騎士の家系だ。それが、バルドリックにとっては誇りだった。なぜなら、幼少からのバルドリックにとっては騎士とは正義の象徴だったためである。騎士となるのは家の意向でもあったが、それ以上にバルドリックの意志でもあった。
騎士の育成学校に入学し卒業するまで、バルドリックは学園の中でも指折りの優秀な騎士だった。自分は模範の騎士だった。いわば、それは自分が正しい騎士であることの証明であった。グレイモントもまたバルドリックほどは、多少劣るとはいえ学園の中でも優秀なことは同じだったため、2人は学園でもよく一緒にいた。
(ああ、そうだ)
だから、バルドリックはグレイモントの元で仕えることを選んだのだ。
同じ釜の飯を食い、同じ正しさを分け合えた相手だった。だから、グレイモントの目指すものを支える騎士として隣にいようと思ったのだ。
バルドリックは不思議と重くなった足をずるずると引きずり、ソファーに腰を下ろした。ぼすりと、身体が埋もれていく。このまま、沈み切ってしまえば少しは楽なのだろうかと思った。
ただ暗闇の中を少しして泡のようにふわりと思い浮かんだのは、ルナスのことであった。邪悪な龍、狡猾な龍、そのはずだ。そのはずなのだ。バルドリックは己に何度も言い聞かせた。あいつらは人間の敵だと。
だが、それでも考えてしまう。あの龍は、本当に悪なのだろうか。あれが何を目的としているかは、分からない。利益もないのに力を貸すような相手かと聞かれれば、おそらくは「いいえ」である。少ししかルナスと対話したことがないバルドリックですらそう感じていた。
ただ、だとしても、ルナスがこちら側の戦力として名乗り出てくれたことで、この国の置かれた状況が良くなったことは間違いがなかった。
だからこそ、思うのだ。正義とは、なんだ。
ルナスという龍が通説の通り悪だとしたら、グレイモントがしようとしていることは、すべて正義となるのか。そして、それを黙って見届ける自分は本当に正しいのか。騎士の行いとして胸を張れるか。過ちはないのか。
(過ち――いや、違う)
もう既に、自分は1度間違えている。自分が間違えないなどという確証はもはやない。
サフィーリアが偽物の星聖女であるという大衆の根も葉もない噂を鵜呑みにしたのだ。彼女と対面で話してみて分かった。彼女は、間違いなく星聖女だ。平和を慈しみ、守ろうとする、その姿は星聖女そのものだ。
そして、それはあのルナスにも同じことが言えるのではないだろうか。バルドリックは、大きく息を吸った。
人は、間違える。過ちを犯す。それが、庶民だろうが、偉人だろうが。人が人である限り、過ちは必ず隣にある。
であれば、正しさとは何なのだろうか。
バルドリックは卓上に広がったままの書類を見た。




