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偽物聖女と毒吐きの龍  作者: 綴藤風花
4章 蠢く影
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4-3 目を逸らしてきたこと

「星聖女を守るどころか、自分自身すら守れない。そんな男が近衛兵? 騎士?」


 すると、そんなバルドリックを見つめていた龍から、まるで紐が解かれた帳のように、あるいは息を吹きかけられた蝋燭の火のようにすっと笑顔が抜け落ちた。そして、龍の口元からこぼれたのは、その儚い容姿からは想像もつかない地を這うほどの低い声だった。


「冗談にしても笑えないな」


 ルナスの瞳孔が、開く。それにぞわりと鳥肌が立つのをバルドリックは感じた。


「あの男も、お前も、世襲制という制度の上で生きてきた」


 あの男――それがおそらくはグレイモントであることをバルドリックはすぐさま理解した。

 バルドリックは頭に血が上るような感覚を覚えた。


「違う、努力をして――」

「努力? 努力! その結果がこれか。これだよ」


 かと思えばルナスは、龍人は笑った。からからと笑った。

 そして、龍人はバルドリックを地面に叩きつけるように、頭を掴んでいた手を離す。刹那、視界に入ったのはバルドリックたちを襲ってきた騎士たちだった。

 ここに倒れている騎士は、すべてこの龍人が倒した。そこにバルドリックの功績はない。そう、何もないのだ。


 本来それを担うべきは、誰だったのか。


 バルドリックは、溜まらず項垂れた。すると、龍人は興が削がれたと言わんばかりに、無表情に戻り溜息をおおげさについた。


「した気になるのは簡単だ。だが、言い換えるなら、お前がしたと言い切った。それがお前の限界だ」


 淀み、歪みなどない、鋭利な剣の切っ先を喉元に向けられているような、そんな感覚だった。その状況下で、あがきなど、抵抗など意味はない。する気も起きなかった。したところで、この龍に鼻で笑われるであろうことは明白だった。


 それと同時に、バルドリックの中でふと疑問が浮かぶ。


(こいつは、何者だ)


 思い出すのは、この龍を最初に見た時のこと。

 国境で倒れているところを地元の人間が発見し捕獲され、王都へ送られて来た時――最初にバルドリックがこの龍に抱いた感想は「龍と言えどこんなものか」だった。

 石畳の上に倒れ込み、ふざけた兵士が怒鳴り声を上げれば怯えた様子を見せた。


 龍とは恐ろしい生き物で、数千万の人間を殺した種族。しかし、捕らえられた龍は、そんな威厳すら感じさせない。そんな龍だった。

 そして、目の前にいるこの龍は、その怯え切っていた龍のはずで――違和感。嫌な感覚。

 あり得ないと思った。だが、そのあり得ないことをこの龍はやる。何故かそんな予感が、確信がバルドリックの喉元を掴んで離さなかった。


(だが――だとしたら、なぜ)


 次にバルドリックが顔を上げた頃には、目の前の龍は憑き物が落ちたように無感情なルナスに戻っていた。


「貴方に吹きかけたのは、サフィーから吸い上げたリュシオラの花粉です。あの布に塗りたくっていたのでしょうね。おまけに、リュシオラを模した香水まで振りかけてるときた。鼻が曲がる」

「リュシオラ――」


 バルドリックは、ルナスの言葉に顔を歪めた。


 それは、この場に転がる騎士たちが紛れもないインダロス帝国の使いであることを決定づけていた。

 毒花のリュシオラ――インダロス帝国最高峰の兵器。そのリュシオラを繁殖させるためのレシピは、インダロス帝国以外は持ってはいない。

 

 つまり、つまりだ。

『今の私たちが目を向けるのは国境付近に迷い込んだ龍ではなく、我が国の恵まれた土壌を狙うインダロス帝国ではないのでしょうか』


 あの時、彼女が龍人の処刑に割って入った時、口にしたその場しのぎのような話は、決して間違いではなかったのだ。クルトも、この国の平和はあと少ししかないと言っていた。そして何よりも彼らはこの国の平和の象徴「星聖女」を狙った。

 バルドリックははっとする。


(そうか、そういうことか――)


 平和の象徴である星聖女を攫い人質に取れば、ハーベリス王国は確実に揺らぐ。それが、たとえ偽物聖女だと言われるサフィーだったとしても、だ。

 インダロス帝国側からすれば、自分たちの影が忍び寄っているぞと知らしめる――それの見せしめなだけで、偽物だとかはどうでもいい。ただ、何にせよ一般市民を攫うよりも、彼女を攫ったほうが最初のトリガーとしてはちょうどいいし、劇的だ。

 また、彼女を人質に国土を半分要求すれば、インダロス帝国側は軍事力を削らずに国土を得ることができる。あるいはそれに似たようなことを考えていたのかもしれない。


 つまりは、その水面下で確実にインダロス帝国は動き始めていたのだ。


「う――」


 呻き。バルドリックは、我に返る。そして、ルナスの腕の中の少女を見た。

 ルナスの腕の中できつく目を閉じた彼女は、先ほどとは打って変わり呼吸も荒くなっている。


「彼女は、大丈夫なのか――」


 その言葉にルナスは、ゆっくりと数度、瞬きをした。そして、ゆるく首を横に振る。


「いいえ、いいえ。大丈夫ではありません。毒を吸い込んだのです。しかも、致死量です。サフィーの体にあの量は多すぎる」


 無表情でそう言ってのけるルナスにバルドリックは目を剥いた。


「お前が、さっき吸いだしたんじゃないのか」


 先ほどバルドリックに吐きかけたあの芳香をルナスは「サフィーから吸い上げた」と言ったはずだ。

 そして、バルドリックは気づく。つまるところ、この男は躊躇いもなくその毒をバルドリックに吹きかけたということだ。あの時、咄嗟に呼吸を止めたバルドリックの判断は間違いではなかった。なんという男だ。暴言を吐きたくなるのを、バルドリックはぐっと抑え込んだ。

 すると、少しの間を持ってルナスは頷いた。

 

「はい。ですが、吸い上げただけです。吸い込んでしまったことに変わりはない。

 これからサフィーの身体は毒を殺そうとして発熱します。そればかりは、私もどうすることはできません」


 なるほど、とバルドリックは思った。一度、危険信号が出された以上、その危険信号を消すことはできないということだろう。ルナスは腕の中で苦しそうに唸る少女に視線を落とす。


「あとはどれだけ彼女が持ちこたえるか――それはサフィーの体力次第です。ただ、見込みとしては半々といったところでしょうか」


 サフィーという少女にずいぶん情があるのかと思えば、その回答は淡々としていると思った。

 バルドリックは思わず眉間に皺を刻む。

 体調がずっと悪いであろうながら、顔色は変わらない少女を見つめ、バルドリックは尋ねた。


「それは、その顔色と関係あるのか」


 ルナスはその問いに黙り込んだ。黙り込んだ、というよりはおそらく無言の肯定だろう。

 

(いやになるな)


 顔色を隠すためだろう。化粧を厚く塗っていることに、今更になってから気が付いた。

 高熱は確かに命取りだ。しかし、子供ならまだしも、彼女は成人の女性だ。高熱で命を落とすことはない年頃のはずだ。だが、半々とルナスが口にしたことが妙だと思った。そして、普段から彼女が弱っているとしたら、そのルナスの発言にも変わらない顔色にも納得がいった。


「いつからだ」

「さあ、私が来るよりもずっと前からじゃないですかね。それなりに目をかけてきたつもりですが、保護されているだけの使用人である私ができる範囲など限られています」


 まだ、この少女は十八だ。それなのに厚化粧で顔色を隠す必要があった事実に、思わず顔を歪めた。

 渡された情報を見た時、父親を数ヶ月前に亡くしていたことが書かれていた。そして、その仕事をすべて背負い込んでいることを想像するのは難くなかったはずだった。

 それでいて星聖女の肩書を背負い、国の平穏のためにと身を呈して処刑を止めたのにもかかわらず、民から後ろ指を指された。ましてや本来彼女の味方に付くべきはずの自分や、婚約者となるグレイモントにも。


 自分の目で見たものだけを信じてきたつもりだった。

 騎士とは、国の正義の象徴だ。父からも「自分の目で物事の真偽を確かめられるようになりなさい」と教わった。ゆえにバルドリックは、世間の目ではなく自分で善悪を見抜いてきたつもりだった。そう、つもりだったのだ。

 ただ現実は真偽すら分からない星聖女の噂に流され、彼女のことを何一つ見てはいなかった。それは紛れもない事実だ。何せ、目の前の彼女の顔色がひとつ変化しないことに何ら違和感を覚えなかったのだから。


 馬車の中で対話したサフィーのことを思い出す。どこか憂うような表情だった彼女は、高慢と自称した彼女は、ただ物事を俯瞰的に観察しながらも平和を望む少女だった。その姿勢は、この国で語られてきた理想の星聖女ともいえた。

 そんなことに、今更気づいた。今更だ、あまりにも今更だ。

 なんという鈍感、なんという愚行。何が真偽だ。何が正義だ。


 震えた溜息が零れる。額を手で押さえたバルドリックは、少しして呟いた。


「もういい。行け。あとは俺が処理する」

「では、お願いします」


 ルナスは、バルドリックの言葉に顔色ひとつ変えることはなく頷いた。そして、彼の足元が黒く淀んだ。

 魔法。バルドリックはそう直感した。


 ルナスは、目を細める。


「ああ、そうだ。この件については、お好きに処理してください。どうでもいいので」


 ずるりと、その黒は広がる。彼方へと続く深い深い黒になったかと思えば、その中にルナスとサフィーはすとんと落ちていくようにして消えた。


 バルドリックは周囲を見渡す。そこには、気を失ったこの国の民ではない騎士が幾人も転がっている。たまらず、バルドリックは失笑した。


「この有様を自分の手柄として進言する気は、毛頭起きないな」



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