3ー3 思い過ごし
サフィーは自分のことで精一杯で、ルナスのことなど頭からすっかり抜け落ちていた。ただこうなった以上、ルナスの対応に賭けるしかない。
「君が噂の龍人か」
ルナスは深く頭を垂れ、その言葉に肩を震わせることもない。ルシアンの表情は決してサフィーに向けたものと同様に穏やかなものではなかったが、かといって決して険しいものでもなかった。
「顔を上げなさい」
その声に、ルナスはゆっくり顔を上げた。ルシアン国王がわずかに目を見開く。
ルナスの様相というのは、人を食らう美しさだ。伏せられていたまつ毛がわずかに開き、その瞼の奥に押し込められていた黄金の瞳が光を掬い上げていく様など、一つ一つの動きが目に焼き付くのだ。サフィーですら、見慣れているはずの彼の姿に視線を奪われることは珍しくなかった。龍人の特徴ともいえる、角と巨大な尾さえなければ、彼は本当に星の使徒として崇め祀られていたのではないかと思う。
ふっと、国王は我に返ったように眉根を少しぴくり、と動かした。
「君は、どこかで――」
その言葉に、サフィーはこてんと首を傾げた。ルナスもサフィーと同じ心境だったのだろう。少し訝しげといったように、一度だけ大きく尻尾を振るった。
「お言葉ですが、私がこの国の土地を踏んだのはこれが初めてです。ましてや、陛下の住むこの城を訪れたのは今日が最初となります」
ルシアン国王は顎に手を当てて、何か考え込んでいる様子だったが、やがて顔をあげた。
「そうか、そうだな――ああ、すまない。人違いだったのかもしれない。そもそも、私に龍の知り合いなどはいないのに妙な話だ。
名前は」
「ルナスと申します。本日はサフィーリア様のお付きを命じられました。殿下にお目通り叶いましたこと、嬉しく思います」
ルシアン国王は、その言葉にうなずいた。
「ルナス、グレイモントが君に無礼を働いたことを詫びよう」
「かえってご配慮を賜り、ありがとうございます」
ルナスは、頭を下げた。
その様子を見たルシアン国王の目尻の皺が増えたことに、サフィーはほっと肩を撫でおろした。
「それでは、これで失礼するよ」
そう言って、グレイモント国王は若い緑色の外套を翻して、騎士たちを引き連れていった。その際、近衛兵の一人がバルドリックに対し「運が良かったな」と小さく吐き捨てた。それはほんの小声だったものの、バルドリックの隣に立つサフィーにはかすかに聞こえた。
偶然とはいえ、バルドリックは龍人という、世間から危険視されている生物を国王と引き合わせてしまったのだ。それに対しては、さすがのサフィーも申し訳ない気持ちになったが、国王の動向など客人の一人であるサフィーが知るはずもなく、ただ眉を下げることしかできなかった。バルドリックはわずかに顔をしかめてはいたが、その表情を隠すかのように背を向けた。
「殿下、いかがなされましたか」
「いや、気にしないでくれ」
ルシアンは騎士に声をかけられると、無意識に顎に当てていた手を外し、笑顔を取り繕ったものの、視線はあの龍の後ろ姿へと向いた。
ハーベリス王国の国境に迷い込んだ龍。息の根を殺す美しさを持つ者だった。金色という言葉だけでは足りない複雑な色の瞳、そして朝焼けの紫苑に似た髪色。そうだ。あの色は、確か――。
「リュシオラ色、だったか」
その言葉に、ルシアンは引っかかりを覚えた。そして、すぐにある可能性へと行き着いた。
しかし、もしその可能性が事実だったとしたら――とんでもないことである。いや、とんでもないどころじゃない。
ルシアンは首を横に振るった。
「まさかな」
事実はどこにあるか分からない。ただ、ルシアンにできたことと言えば、その可能性が思い過ごしであることを願うだけだった。
ルシアンは、ともに立ち止まっていた近衛兵たちに「すまない」と告げると、ゆっくりと歩き出した。




