1-2 星の石の噂
使者の言う通り、先代の訃報はサフィーたちの耳にも届いていた。
それ以前から、彼女は数年前から病気に伏せていたことも、ここ数カ月でその病が悪化したということも、ちゃんとサフィーの耳に届いていた。
問題なのは、その先。先代の星聖女の空白の席にサフィーが選ばれたということだ。
頭が真っ白になった。なぜ、どうして、こんな時に。いや、そもそもどうして自分なのか。そう混乱するサフィーだったが、ふっと気づく。
(そうよ、私は――18歳になったのよ)
星聖女、というのは18歳になった少女の中から選ばれるしきたりがある。
それは星の石をハーベリス王国に収めた少女が18歳だったことから由来しているいうことは、サフィーも知っていた。
しかし、その話を知っていても思う。あまりにも唐突過ぎやしないだろうか。
呆然とするサフィーを気遣うわけでもなく、遠方から訪れた使者はそれだけのお告げを残すと、ぞろぞろと来た道を引き返した。あまりにもあっけない。
だが、だからといって何を言えるでもなく、サフィーは彼らの背を静かに見送ることしかできなかった。
選ばれた以上、サフィーには拒否するという手段は残されていない。何せ、星の石の選定は絶対なのだから。
それからというもの、サフィーとアリシアは星聖女の就任式の支度に追われることとなった。何せ星聖女の就任式は、1カ月後であったためだ。
1カ月。なぜ1カ月。もう少し余裕を持たせてくれたっていいじゃない。そう癇癪を起しそうになったサフィーだが、冷静に考えると余裕を持たせることは星聖女の席がそれだけ空白になるということだ。
星聖女は、平和の象徴である。星聖女の空白は、平和の空白。
そう考えて見ると、急ぎ足で支度が行われるのも仕方がないような気がした。とはいえ、忙しないことには変わりなかったが、そう思うことでサフィーは腹の虫を奥へと押し込んでいた。
しかし、そんな生活を数日送った夜、サフィーはあることに気き、この状況に感謝してしまった。
なぜなら、朝に目が覚めて支度をし、昼には諸々の勉強やら衣装の調整やらに追われ、手続きの書類を進める。そうして、夜になるころにはへとへとになって床につくのだ。考えることも億劫になって、目を閉じる。
だから、父がいなくなったことへの悲観も、空虚さも何も考えずに済んだ。
父の幻影にすがり、泣く。そんな時間を、この状況はサフィーに与えなかった。
惨めなサフィーにはならない。そのことに、サフィーは安堵していた。
日々が足早だった。目まぐるしかった。父がいなくても、サフィーには明日が来る。当然だ、生きているのだ。そんな悲しくも当たり前な現実を、サフィーは理解し始めていた。
その最中だった。
星の石が、普段とは異なる光り方をした――という話がサフィーの耳に届いたのは。
光り方? 最初、サフィーはその単語にぴんとはこなかった。そんな話は今まで一度も聞いたことがない。そのため、星聖女の歴史の本を片っ端から読み漁った。
そして、分かったこと。まず、星聖女の選定は国が認めた星占術師によって行われる。
最初に、今年18歳になる少女たちの名前をすべて書き出した大きな紙が用意され、それが終わると今度は星占術師が1人1人の名前の上に星の石を滑らせていくのだ。これが、選定の儀である。
その間、星の石は大半の時間を沈黙で貫くが、星聖女となる少女の名前の上ではぼんやりと光るのだ。そう、ぼんやりと。
だが、サフィーの時の光は違った。
サフィーの名前の上をなぞった刹那、星の石は爆ぜた。
ばちん、ばちん――まさに烈火。星の石の光りが、激しく、強く、点滅した。それは、さながら雷の如く。
星の石を動かしていた星占者はその光に驚きひっくり返った。そして、その場にいた星占者たちは慄いた。
――今まで、このような光は記録にも残っていないと。
念のため、星の石を他の少女の名前の上に滑らせてみたものの、サフィー以外の名の上ではしん、と口を閉ざしただの石と化す。かと思えば、サフィーの名の上になるとまた同じようにかっと強い光を放った。
それを見たある星占者は言った。「これはきっとハーベリス王国に災厄を連れて来る星聖女だ」と。
別の者は言った。「いや違う、これはもっと人類史の終焉を告げる星聖女だ」と。
更に今度は違うものが言った。「恐らくは、この星聖女と共に我々は見放されるのだろう」と。
そして、彼らの見解はたちまち広がった。やがてその見解は、噂というものは人から人へと、またいでいくうちに姿を変えていく。背びれや、尾びれを付けて。
そうして、最終的に定着したのは「今度の聖女は聖女の皮を被った魔女」であるという、そんな噂だった。
「何が魔女ですか。お嬢様ほどお優しい方が魔女だというのなら、そんな根も葉もない噂をまき散らす人々はなんだというのです」
顔を歪めるアリシアにサフィーは目を細めた。そう憤慨するアリシアがいてくれるだけでサフィーは充分なような気がする。
「いいのよ、元より万人から好ましく思われる人間などいやしないわ。私は、アリシアがいてくれるだけで足りているの。関わらない人からの非難などに、心を痛めている時間などないわよ」
「ですが」
「グレイモント殿下の元へと嫁ぐ身なのだから、あまり悲しみに暮れている余裕はないわ」
ハーベリス王国、第一王子であるグレイモントに嫁ぐ。口にしてはみるが、当人であるサフィーもまるで他人事のように感じた。
クシスタリス家は「子爵」などという爵位こそあれど、持つのは辺境の小さな領地だけだ。さらに言えば、王族とのつながりなど希薄な家柄に等しかった。
ただ、何度か父親の後についていった王宮主催の夜会でグレイモントを含めた王族を見かけたことはある。
だが、遠目で見ただけで、会話の1つも交わさなかった。その時も、グレイモントに対しては端正な顔の王子だとは思ったものの、感想と言えばそれくらいのものだ。
王族と結婚なんてありえない――などという考えすら湧いてこず、それどころか、結婚のけの字ですら頭によぎらなかった。
その時のサフィーが考えていたことといえば、クリスタス家の名にいかに泥を塗らないように立ち振る舞うかということであった。
僻地の決して裕福ではない子爵の家の娘が王子に嫁ぐというのは、夢のある話なのかもしれない。
現に、灰かぶりの庶民の娘が王子と結ばれる――なんて物語はよくある。サフィーも幼少期はそれらの物語に目を輝かせていたわけだが、憧れはやはり憧れなのかもしれない。
当事者にいざなってみれば、あまりにも突飛すぎる話は実感が湧かない。
(でも、まあ――)
サフィーは、小さく笑った。
「別に悪いことばかりじゃないわ。星聖女は王宮でそれなりの地位を持っているのよ。この国のことに口を挟める権利があるもの」