3-2 ルシアン国王
ぱっとまず視界に入るのは燃えるような赤い髪だった。短すぎず程よく伸ばされた髪は、ストレートで、額や耳周りにかからないように流されているため、清潔感がある。体格はしっかりとした厚さがあり、シャープで引き締まった印象を受ける。こちらを見つめる瞳は鮮やかな新緑色の瞳は鋭く、驚くほどに揺るがない。
「バルドリック様」
それは、あの日もサフィーを出迎えてくれた騎士だった。サフィーは、ドレスの裾を摘み頭を下げた。
「先日のご助力、心より感謝いたしますと同時にあの子を巻き込んでしまい申し訳ありません。あの子は――ゲイルは、変わりないですか」
その様子に、バルドリックは数度目を瞬かせた。そして少しの間を持って答えた。
「はい。特に問題はありませんでした」
それにサフィーはほっと肩を撫でおろした。
馬と言うのは敏感な生き物だ。無理なことに付き合わせてしまったと内心サフィーは思っていたものの、ゲイルという馬は思っている以上に強い馬だったようだ。
すると、グレイモントはルナスに視線をやり、眉間にしわをつくった。
あ、とサフィーが思ったと同時。
「失礼いたしました。私、ルナスと申します。本日、サフィーリア様のお付きを命じられました。何か不都合がございましたら、どうぞ遠慮なく申し上げくださいませ」
そう言ってルナスは優雅な動作で一歩下がると左手を軽く腰の横に添えながら、深くお辞儀をした。その姿勢は優雅そのものであり、言えば隙がなかった。
グレイモントはもちろん、サフィーですら面を食らった。そんな2人を気に留めるでもなく、ルナスは顔を上げる。その仏頂面さえ除けば、王宮勤めをしていても違和感のない身のこなしだった。
先に口を開いたのは、バルドリックだった。彼は「あ、ああ」と頷いた後、サフィーに改めて視線を戻した。
「グレイモント殿下の元へご案内します」
「お手間をおかけしますが、よろしくお願いします」
バルドリックは、他の使用人たちとは異なり特段怯えた様子はない。だが、どこか険しい顔立ちなのは、サフィーでも見て取れた。
宮殿内は、落ち着いた外装とは異なり壮大なものとなっていた。全体は白の石材が多く使われているものの、たまに覗く赤い石材のコントラストはあまりにも美しい。大理石が太陽の光を反射することで、宮殿内は厳かな空気で満たされている。
しかし、そんな美しい宮殿を前にしながらも、サフィーの心は違うほうに傾いていた。ルナスの事である。
前々から不思議ではあった。彼の立ち振る舞いは、決して低い身分の者が見よう見まねで習得できるものではない。だが、身分が高い者だったとしたら、どうしてこの土地をまたぐようなことをしたのか、皆目見当がつかないのである。彼が仮に身分の高い者であれば、自分よりも身分が低いものにその役を命じたほうが圧倒的に自分の身は安全だ。更に言えば、ルナスの性格上、身分の低い者たちを危険に晒すまいと、率先して名乗りを上げるようには思えない。
(いいえ、いいえ、サフィー。今は、考えるべきことが違うわ)
そうサフィーは己に言い聞かせた。今、1番重要なのは、今日をどうやり過ごすかということだ。ルナスとグレイモントを相見えさせて、ただで終わるわけがない。なんとかして、ルナスと無事に家に帰ること。それが、最優先だ。
「サフィー、こちらに」
すると、突然ルナスがサフィーの手を引いた。ぎょっと、サフィーが目を丸めたのもつかの間、ルナスはサフィーを壁際に誘導した。何事かと、サフィーがルナスの視線の先を辿れば、そこにはきっちりとした制服をまとった数人の男性の集団だった。その制服に見覚えはあった。護衛騎士の制服だ。そして、その中央の人物を見つけた途端、サフィーはすべてを理解した。
ルシアン国王だ。
護衛騎士の中央、そこに彼はいた。ハーベリス王国の象徴であるまだ若い小麦の色の外套を纏い、ゆっくりとこちらに歩いてくる。短く整えられたまだハリのある白髪は後ろに流されており、落ち着いた印象である。外套と同じ色の瞳の目じりは少し下がり気味なものの、綺麗に整えられた太めの眉とひげは厳格さを持たせており貧弱には見えず、また厳格にも見えない出で立ちだった。
サフィーは慌てて頭を下げた。この城に数度出入りしたことがあるものの、こうしてルシアン国王と城内で出くわすのははじめてだった。
とはいえ、厳密に言うとルシアン国王と会ったのは、これが最初ではない。
星聖女の星典式、そのときに1度だけ顔を会わせ、声をかけられたことがある。
それは、この宮殿から少し離れた聖堂で儀式を行ったときだのことだった。しかし、サフィーはその時のことをよくは覚えていない。
呼吸、あるいは鼓動さえも罪に問われそうな静けさでは、あらゆるひとつひとつの動作さえも気が気ではなかった。生とは切り離された、あの環境下でかけられた言葉などサフィーの頭の片隅には残念ながら微塵も残らなかったのだ。
あの儀式で残った記憶と言えば、心臓はあそこまで大きく音を鳴らせるのかという衝撃と、身動き1つすら億劫になるほどの緊張感によって蓄積された疲労感だけだった。そのこともあり、サフィーの中ではこれがルシアン国王とのはじめての邂逅のように思えた。
護衛騎士たちの重い鎧の金属音が、静寂に近い周辺によく響く。すると、がちゃがちゃしたその音がサフィーたちの前で止まった。複数のつま先が見える。何事もなく過ぎ去ってくれと、心の底から願う。
「サフィーリアじゃないか。顔を上げなさい」
かけられたのは心底穏やかな声だった。それに、少し呼吸を吐き出すと、サフィーはゆっくり顔を上げた。
「国王陛下、お久しぶりです」
震えない声で話すのが精いっぱいだった。
しかし、緊張しきったサフィーと異なり、ルシアンの表情は穏やかなものだった。
「君にまさか会えるとは、星々の導きに感謝せねばなるまいね。今日は、グレイモントとの面会か」
それにサフィーが「はい」と頷くと、ルシアンは困ったように笑った。
「あの騒動のことは部下から聞いたよ。ずいぶんな苦労をかけてしまったようだ。国境近くで捕まえた龍人の話は聞いていたとはいえ、私も思慮が浅かった。あの時点で、アルテリオに戻すように明言するべきだった。帝国の対応に感けていた私の落ち度だ。グレイモントには、私から言っておいたよ」
サフィーはほっと肩を撫でおろしたが、それは決してグレイモントとの関係の改善の希望を見出したことからくる安堵ではなかった。ルシアン国王が、サフィーの思っていた通りアルテリア王国との関係の悪化を望んではいなかったことに対しての安堵である。
先日のルナスの話を聞く限り、アルテリオ王国も動く可能性があるといえる。そのため、ルシアンの発言はサフィーにとって心強いものであった。
すると、穏やかな声でルシアンは告げた。
「真面目過ぎて、頑固な子だが、どうか見限らないでやってほしい」
サフィーはそこで、ふっとルシアンの柔らかい緑の瞳の奥、穏やかな動きに気が付いた。ああ、そうかと、サフィーは思う。
ルシアンもまた国王でありながら、父なのだ。次期国王として接しながらも、彼の息子であることは変わらないのだ。
真面目過ぎて、頑固。確かにその通りだとサフィーは思う。数回の面会を通して、サフィーもそれはよく知っていた。
ルナスを処刑しようとしたのも、民を安心させるためには一番の方法ではあったのかもしれない。
国境を龍が跨いだ。その事実ができてしまった以上、2度と龍は国境を踏まないなどという安易な発言はできなくなった。そうなれば、民はいつ来るかも分からない龍の襲来に怯えることとなる。龍は狡猾で、凶悪だ。何をされるか分かったものではない。それ故の、処刑と言う見せしめの方法だった。この方法は、龍がハーベリスの境界を踏めば首を落とすというアルテリオへの警告ともなるため、決して安直とも言い難かった。
ただ、ハーベリス王国の軍事力が弱いことと、相手が龍であることをもう少し考慮すべきだとサフィーは思ってしまう。
とはいえ、人と龍が争ったのは、500年前。凄惨たる地獄とも表現しがたい光景だったであろうことは想像できるものの、実際に知る者は誰1人としていない。それどころか、その戦争以降、龍が人の前に姿を現したことなどなかった。そのため、現代において龍の存在にも懐疑的な者も少なくはなかった。
ルナスが、現れるまでは。
しかし、ルナスもまだずっと人の姿のままだ。その巨大な体躯と、鋭い爪に固い鱗で覆われた姿になったことはないし、それどころかサフィーですらルナスがまともに魔法を使ったところを見たためしはない。 以前、「燭台に火をつけてみてほしい」と言ってみたことがあったが、「魔法には適性があって自分は火を操れない」と言われたため、ルナスの魔法は謎のままなのだ。
龍の強さの理由は、その強靭な体躯にあるが、魔法にもある。
つまりは、サフィーですら龍の強さの本質をほとんど知らない。その本質を更に人に伝えるなど不可能である。
すべては、遠い昔の話だ。時間というのは、出来事を劣化させる。そして、出来事が劣化する代わりに、文明は進んだ。500年前の人間よりも、強い武器も、知識も得た。そうなれば、龍と言う存在を軽視する者が多いというのも仕方はないことだ。龍のそれらを誇張され過ぎたものと言う人間がいても何らおかしくはない。
むしろサフィーの方が、昔の話を盲信する古臭い臆病な人間のようにすら見える。
(ただ、ルナスを見ているとそうも言っていられないような気がするのよね)
具体的に、と聞かれればサフィーは困る。ただ、彼の言動はその昔話が事実であることを確信させるような、そんな何かがあった。
すると、ルシアンが次に目を向けたのは、ルナスだった。当然と言えば当然である。むしろ、気づかないわけがなかった。人間にはないはずの角に、大きな尻尾。そんなものを持った相手をいないとすることの方が難しい。
(しまった)




