2-3 散策
かんかんと照る太陽にサフィーは目を細めた。風がサフィーのロングスカートを揺らした。やはり、着なれた服というのは過ごしやすい。
袖が七分丈ほどのすこしボリュームをもったシャツに、黒い牛皮のコルセット。スカートは深い青色で裾に銀色の糸で蔦の刺繡が施されているシンプルなものだったが、動きやすいためサフィーのお気に入りだった。
ルナスの服は結局あれから新しいものを仕立てさせることになった。一応は使用人という名目でここにいるというのも理由のうちだったが、やはり彼の尾が人間の服では窮屈そうだったので、村の仕立て屋に頼んで服を繕ってもらうしかなかった。
ルナスの服はしゃきとしたシャツに、黒の厚手のベスト。装飾はほとんどないものの、ルナス自体の見目のこともあり逆にその簡素さが彼の容姿を際立たせている。日差しが強いこともあり、ルナスはシャツの袖を捲し上げており、太くはないものの程よい筋肉のついた白い腕が覗いている。
2人は、ぶどう畑の間を掘ったような石造りの小道を歩んでいく。ぶどうの木には、小粒でぎゅっとなった緑の宝石たちが並んでいる。この小さな宝石たちが、もう少し時期が過ぎれば赤紫色に熟す。これが、ヴィーン村にとっての大切な収入源となるのだ。とはいえここから加工と熟成を加えるため、完成して商品として売るためには幾つかの季節をまたぐことになる。
サフィーは隣を歩くルナスを見上げた。
「ルナスは、ぶどう酒用のぶどうって食べたことある?」
「いいえ」
「そう、じゃあ熟したら1房分けてもらいましょう。ぶどう酒用のぶどうって、実はとっても甘いのよ」
ぶどう酒のためのぶどうは、味を濃く引き出すために作られているため、市場で出回るぶどうよりも1粒は小さいものの味は凝縮されている。ただ、無論食用として栽培しているわけではないため、市場に出回ることはない。あの味の濃いぶどうを食べられるのは、ぶどう酒を作る村の特権とも言えた。そして、それをルナスにも堪能してほしくなったのだ。
しかし、そこではたとサフィーは気づく。
(そういえば、ルナスはずっとここにいるわけではないのよね)
彼が、帰りたくなったら帰る。その約束だ。だが、ルナスがまるで当たり前かのようにサフィーの隣にいるため、サフィーもまたこうして後先考えずにまだ先のことの約束をしてしまうことが、最近稀にあった。
ルナスの気分を害していないか不安になり、視線だけをルナスに向ける。
「はい」
ただ、彼はそれだけを言った。表情は無、である。だが、彼の大きな尻尾が一度緩やかに大きく動いた。
ルナスは髪を乾かそうとするとき、勢いよく尾を一度横に振る。それが嫌の合図である。しかし、今の動きはそうでない。何を考えているかは定かではないが、嫌ではないということだ。それに、サフィーはほっと肩を撫でおろした。
ぶどう畑を抜けると、そこには幾つかの民家が連なっている。外壁はどの民家も白い石灰で統一されており、屋根は明るい赤色の粘土瓦だ。辺鄙な場所に位置するヴィーン村だが、決して偏屈と言うわけではなく、春の日差しのような朗らかさを持つ村だった。
サフィーが中ごろまで差し掛かると、ちょうど民家の1つから恰幅のいい女性が現れた。腕には食べ物が入った篭をぶら下げている。彼女は、サフィーとルナスを見るなりおやと目を丸めた。
「こんにちは、2人とも、買い物かい?」
「ええ、塩漬け肉が切れてしまったの」
サフィーの言葉を聞いた女性は、にたりと笑った。サフィーはしまった、と思う。
「そうかい、そうかい。ついでに、うちの野菜もどうだい!」
こういったことは珍しくない。
ヴィーン村に住む男性は口数が少ない。仕事に黙々と取り組む。そのうえどれだけいい野菜を作っても、黙って近隣の村人に野菜を配ってしまうため、商売っ気がない。だが、お金がなければ生活は成り立たない。そのため、必然と女性が野菜を売り込むようになるのだ。
とはいっても、サフィーもこういった経験ははじめてでない。頬に手を当てたサフィーは考えるように、口を開いた。
「どうしましょう。先にグリフさんのところへ向かおうと思っていたから、買い出しは後にする予定だったのよ」
「おや、グリフさんのところにかい。大変だねえ」
女性はしんみりとした様子で答えた。サフィーは目を丸める。
「大変じゃないわ。みんなとお話しできるの嬉しいのよ。でも、そうなると野菜はまた今度かしら。旦那さんに届けものでしょう」
そう言って、サフィーは女性の太い腕にぶら下がる籠を見た。
「あら、そうだ。まったく、あの人、昼食を置いて畑に向かってしまったんだよ」
「ご苦労様。残念だけど、野菜は今度買いに来るわ」
「今回はうまくかわされちまったね。次もよろしく頼むよ」
そう言っておばさんはからからと豪快に笑い、畑の方へと向かっていく。その後ろ姿をサフィーは穏やかな顔で見送った。
ルナスを連れて歩くようになってから、こうして村人と前のように話せるまでは幾らか時間を要した。サフィーにとってこの村の人々は家族同然だったが、だからといって物事はそう簡単には運ばなかった。
しかし、それは最初から分かっていたことだ。何せ、ルナスは龍人だ。本来であれば人々から怯えられている存在なのである。怖がるな、というほうが無茶な話だ。
だが、それ故にとでもいうべきか。サフィーはルナスを隠すような真似はしなかった。
王都での噂は、辺鄙な場所にあろうがいずれヴィーン村にまでたどり着く。きっと、立派な背びれと尾びれをつけて。噂とはそういうものだ。更に隠していたとすれば、やましいことがあると疑われかねない。そして、そうなってから、無実を訴え隠すのを止めたところで手遅れになりかねないことをサフィーは分かっていた。だから、サフィーにできたことと言えば堂々と、大人しくついてくるルナスを見せつけることだけだった。
そして、そのサフィーの行動は、確実に実を結び始めていた。
何せ、こうして、ヴィーン村の人々はルナスを大人しい龍人として受け入れ始めてくれていたのだ。
すると、今まで口を開かなかったルナスが、サフィーの方を見て尋ねた。
「グリフさん、というのは?」
「鍛冶屋さんよ。独り身だから、たまに顔を出すようにしているの」
予定にないところへ赴こうとしているのを疑問に思ったのだろうルナスは、サフィーの返答を聞くと口を結んだ。
ルナスに言ったことは、あながち嘘ではない。ただ、今回はそれ以上の目的が1つある。
しかし、あえて口にしないサフィーは民家の並びの先へと向かっていった。




