第6話:ネイリスト、異世界グルメを作る!
食事を終えるとセシルさんは私を連れて森の中に出る。片手には何かの本を持っているようだった。
セシルさんはとあるページを開き私に見せるとひとつの木の前で止まった。
「この森で生き抜くための知識を身につけてもらう。まず、大事なのは食事だ。これは食べられる木の実だ。毒性のあるものも多いから見分けるのは実践で覚えてもらう。特にこの森が禁忌の森と呼ばれる所以は動植物の危険性の高さからも言える。中には人を襲う植物もあるし猛毒を持つものもある。普通の森とは違うからこそ用心を忘れるな。一歩間違えれば死だ。だから解毒の方法も教える。しっかり覚えておけ。」
セシルさんの言葉に緊張が走る。彼女の厳しさと真剣さが伝わってくる。
「は、はい!」
私は緊張しながらも、セシルさんの指導に従った。
「これはエルダーベリー。この黒く熟したものが食べ頃だ。風邪や感染症などの予防にも効く。」
「あ、私これを食べて過ごしました。これと水しか食べるものがなかったですけど……」
「そうか、これが食べられることはわかったのか。」
「はい、何かの動物がこれの黒い実を食べていたのを見て、私でも食べられるかと思って……」
「なるほど、何も知識がない中ではいい判断だったな。だがここに住む魔物の中には毒物のあるものをあえて食べて毒を体に蓄えるものもいる。今後はその判断は捨てるべきだな。」
「そうなんですね……わかりました。魔物って……そういう生き物がいるのですか?」
「そうか、お前はこの世界の根本や基礎基本がわからないのか……そこから教える必要もありそうだが……。
セシルさんは若干頭が痛そうな顔をして項垂れた。私の無知さはかつて類を見ないほどだったのだろう。
自分でもそれは自覚があるが、知らないものは仕方ない。だって異世界だもの!私にとっては何もかもが知らない世界なんだからそれは仕方がない!
「とりあえず、このエルダーベリーが食べられるとわかっているならもう一つ教えておくことがある。」
「はい、なんでしょうか?」
「これだ。エルダーベリーに良く似ているが茎を見れば違いが分かる。これはノクタールベリーといって赤い間は食べられるが黒く熟れてしまうと強い眠気や錯乱を起こし、最後には昏睡状態に陥る危険な木の実だ。茎に細かい棘のようなものがついてる方がノクタールベリー、こちらを食べる時は赤い時のみと覚えるんだ、いいな?」
「は、はい。わかりました。」
食べられる木の実一つとっても見分ける力が必要なんだと改めて知る。この森で昏睡状態に陥ればあの狼に食べてくださいと言っているようなものだ。しっかり覚えないと……。
セシルさんは他にも森の中で生きていくのに必要なスキルを教えてくれた。
火の起こし方、安全な食料の見分け方、簡易的なシェルターの作り方など。
森の中にある素材を使って十分に生きていけるだけのスキルを身につけるのはまだ難しいが、昨日の私より確実に生存率が上がったことに私は喜びを感じていた。
「そろそろ昼飯時だな、先ほど教えたものを採取してそれを昼食にしよう。アリス、お前がとってこい。私がチェックしてやる。」
「わかりました。」
こんなに丁寧に物事を教えてくれたのはセシルさんが初めてだった。
大体なんでも自分で調べて独学で学んできた私には、人から教えてもらうことの新鮮さが楽しくて食料の採取もあっという間に終えた。
セシルさんに渡された籠いっぱいに木の実やハーブ、食べられる野草など覚えたての知識をフル回転させて籠いっぱいに収穫した食べ物を詰め込むと、笑顔でセシルさんの元に戻っていった。
「終わりました!」
「これはまたすごい量だな……ただ、アリス。必要以上に森からいただいてはいけない。この森には私たちだけではなくさまざまな生き物が暮らしている。奪い過ぎれば森は痩せ細り、恵みを与えてくれなくなる。我々エルフは森との共存をとても大切にしているゆえ、その時必要な分の恵みだけをいただくことを大事にしているんだ。お前にエルフの文化を押し付けるつもりはないが、必要なものを必要なだけいただくという気持ちを忘れるな。」
「わ、わかりました。すみません、採取できるのが楽しくてつい獲りすぎてしまいました……。そうですよね、私たちだけの食べ物じゃないんだ……。」
当たり前だが、森の食べ物を私たちは分けていただく身なのだ。独占するのは良くない。この食べ物を大切に頂かないと……。
セシルさんはそんな基本的なエルフのあり方まで教えてくれた。私はセシルさんの考えや教育方針に尊敬の念を抱き始めていた。
「さて、では昼食にするとして……これだけの食材、どう使おうか……。」
「あの、もしよければキッチンをお借りできませんか?何かこれで私、作れるかもしれません。」
「ああ、構わないぞ。でも念の為使い方を教える為にも私のそばでやってもらおう。」
「はい、わかりました。」
一度セシルさんの家に戻ると私はセシルさんの家のキッチンへと立った。
木の根を利用して作られた棚や作業台が並び、自然の食材を使った料理ができる設備が整っている。調理器具はすべて手作りのようで、エルフの伝統的なものだろうか?使い古された道具が多い。
「調味料はどういったものがありますか?」
「調味料か……岩塩と、あとミルメルエキスとハーブ類が少しあるな。」
「ミルメルエキス?」
「ああ、これだ。ミルメルという花の中に住む妖精がいてな。私の隣人だよ。彼らは花の甘い蜜を集めてエキスを作ってくれるんだ。それを分けてもらっている。薬を飲むのにも苦味を和らげる為に使ったりする。昨日の薬にもいれてやったんだぞ。」
「ええ!?」
あんなに苦くて飲みにくかったのにそんな貴重そうなエキスを使ってくれていたの?
使った上であれだけの不味さになるって……そう考えると背筋がぞっとした。
呆然とする私にその瓶を渡してくれるセシルさん。よく見るととろっとした粘性があり、蜂蜜のようなものだろうか。これがあればもしかしたら……。
「このシロップとエルダーベリーを使ってもよろしいですか?」
「うん?構わないが何をするんだ?」
「ジャムを作ろうと思いまして。」
「じゃむ……?」
「えっと、パンにつけて食べられる保存食のようなものです。今日はたくさん獲りすぎてしまったので……これで保存食にすれば残しておけると思ったんです。」
「保存食か……まぁ、このままだと駄目になってしまうだろうからな。しかし新鮮な木の実を調理するとは初めて聞く。」
「なら楽しみに待っていてください。セシルさんはその間にパンを用意していただけますか?」
「ああ、わかった。」
よし、とりあえず作れるかどうかはわからないけれどなるべく近づけられるようにやってみよう!
エルダーベリージャムの作り方。
材料はエルダーベリー: 500g。ミルメルエキス: 250g。水: 100ml。レモンに似た味がする小さい黄色い果実のスイレンベリーの汁を大さじ2。
正確な測り機はないので、この木の尺のようなものを使って大体の量を計算してやってみよう。
道具は木の尺以外に大きな鍋、木べら、ジャムをつめる瓶、ふきん。
1.まずエルダーベリーをよく洗い、水気を切る。エルダーベリーの茎や葉を取り除き、実だけにする。
2. 大きな鍋にエルダーベリーと水を入れ、火にかける。薪のコンロなんて使ったことはないけど料理の仕方はガスコンロと変わりはしないだろう。火加減には注意が必要だが試してみる。
3. 時々かき混ぜながら、エルダーベリーが柔らかくなるまで10分ほど煮る。
4. エルダーベリーが柔らかくなったら、ミルメルエキスとスイレンベリーの汁を加える。全体がよく混ざるまでかき混ぜる。
5. 火を弱くしたら、ジャムの粘度が出るまで煮詰める。時々かき混ぜて、鍋の底が焦げないように注意する。
6. ジャムが煮詰まる間に出てくるアクを丁寧に取り除く。ジャムに粘度がついたら火を止める。
7. その間に沸かしたお湯でジャムの瓶を煮沸消毒する。火傷しないように慎重に取り出して、熱いうちに滅菌済みのジャム瓶に詰める。
9. ふきんで瓶の口をきれいに拭き、蓋をしっかりと閉める。
10. ジャム瓶を冷暗所で冷やし、固まるのを待つ。
完全に冷えたら、ミルメルエキスとエルダーベリーのジャムの完成!
このジャムはパンに塗ったり、デザートのトッピングとして使うことができるし、料理の隠し味としても重宝しそうだ。味気のない食事ばかりだと心も参ってしまうからこういうものも必要だよね!
「パンが焼けたぞ。」
「はい、こちらもジャムができました!」
「随分と時間がかかっていたようだが……できたのはこの瓶一つ分だけなのか?」
「はい、煮詰めるとそれだけ水分も飛んで容量も少なくなってしまうんです。でもこれで保存することもできますし、あのベリーを全て使うこともできたので。」
「あれだけのベリーを使ってこの程度しか残らないのか。実にもったいない料理じゃないか。」
「えへへ……でも、まずは食べてみてください。」
食べ方がわからないであろうセシルさんの前でパンをちぎってジャムを乗せて食べてみせる。
う〜ん!これは美味しい!!
程よい酸味に濃厚な甘味。ブルーベリーとラズベリージャムの間みたいな味だなぁ。これなら料理のレパートリーも広がるかもしれない!
何せ私は貧乏学生&ネイリストだったものだから食事は100%自炊。それも小さい頃から料理をしていたものだから実は私は料理が得意なのだ!初めて包丁を握ったのは小学3年生の時のこと。弟にオムライスを強請られウィンナーだけの入ったチャーハンもどきのオムライスを出したっけ……。
そんな思い出に耽っていると険しい顔をしながらも、セシルさんも私を真似てパンにジャムを乗せて一口食べる。
「!!??」
その時セシルに衝撃が走った。
「う……」
「う?」
「美味い!!なんだこれは!美味すぎる!!こんな美味いもの今まで食べたことがないぞ!!」
「あはは、大袈裟ですよ。ただベリーを煮込んで作っただけのジャムです。」
「果実は生のまま食すのが一番美味しいと思っていたがこんな食べ方があったなんて……しかも保存もできるというのだろう!?すごい発明だ!王都で売れば一儲けも夢じゃないぞ!!」
「王都?この世界には街もあるのですか?」
私の質問に対しジャムを食べるのに必死なセシルさんは返事をしてくれない。そんなに気に入ってくれたなら作ったものとして作り甲斐もあるというものだ。私も嬉しくなってジャムを乗せたパンを食べる。
「こんなに美味いのならパンをもっと焼いておけばよかった……!!」
「まぁ、これはたくさんベリーを獲ればいくらでも作れますから。あ、でもエルフの考えとして必要以上に森から採取してはいけないんでしたね。そうなるとジャムを作るのはあまりよくないのかな……。」
「ぐっ……!」
セシルは先ほど自分で述べたエルフの自然論を激しく後悔した。こんなに美味しいものが作れるのならどれだけ採取したって構わないじゃないかとさえ思い始めていた。
「ま、まぁ……これは保存食になるしな。食材を駄目にするわけじゃないのだから沢山採取しても問題はないだろう。」
「そうなんですか?よかった。ならまたジャムを作りましょう!」
「おお、また作ってくれるのか!有り難い!」
「そんなに喜んでくださって私も嬉しいです。作り方も簡単ですから今度は一緒に作りましょう。」
「ああ、そうしよう!」
こうして、二日目のお昼にして私たちは少し打ち解けることができた。最初出会った時のセシルさんは私に対して警戒心も強かったが何より心を閉ざしているようにも思えた。
きっとセシルさんにも何か事情があるのだろう。私は自分が痛い思いをすることが多かったからこそ、人の痛みや闇に敏感な方だ。セシルさんがいつか自分から話してくれるまではあえて多くは詮索しないことにした。
それに今はジャムを目の前にして無邪気な笑顔を浮かべながら美味しそうにパンに齧り付いてるセシルさんに、どこか人間味を感じて私は嬉しく思っていた。
「ふう……いやー、久しぶりにこんなに美味いものを食べた……。」
「そんなに喜んで頂けて私も嬉しいです。」
「エルフは文化的に火を嫌う。あまり食材を加熱して食べることをしないんだ。」
「そうなんですね。でも食材は火を通した方がレパートリーも増えるし、いろんな食べ方ができるから調理するのもたまにはいいですよ。」
「そうだな……たまにはこういうものも悪くはない。火を悪とばかりしているのも良くないな。」
「そうですね。暖を取るのにも火は必要ですし……確かに怖い一面もありますが、食材に火を通すことは悪いことではないと思いますよ。」
「教える立場の私がお前から教わることになるとはな。」
「はは、そんな……」
「良い師とは良い弟子から学ぶものなのだ。謙遜することではない。」
「ありがとうございます。」
「ところで……お前はこの世界の何も知らないのだな?」
「はい、ここがどんな世界でどんなものがあるかも良くわかりません。」
「そうか、ならばまずこの世界を知るところから始めないといけないな。よし、まずはこの世界について教えてやろう。まずエルフやルミナスリアについては知っているか?」
「エルフ?ルミナスリア?……エルフは本で読んだことがあるくらいで……あとは本当に何も知らないんです。」
セシルさんはため息をつきながら、私の無知を理解し、決意したように語り始めた。
「ルミナスリアはこの世界の名前だ。この世界は古くから多くの種族が共存しているが、その中でもエルフは特に長寿で知恵に富んだ種族だ。」
私はセシルさんの話に耳を傾けながら、驚きと興味が入り混じった表情をした。セシルさんは続けた。
「ルミナスリアにはいくつかの主要な国が存在している。まずはハーランド王国、これは人間の国だ。お前が住んでいた世界に似ているかもしれないが、魔法が日常的に使われている。もう一つはエルフが住むエルフィア王国だ。ここは森と密接な関係を持ち、自然の力を借りて生活している。」
「エルフィア……。セシルさんもその国の出身なんですか?」
セシルさんは静かに頷いた。
「そうだ。私たちエルフは自然との調和を重んじ、森を守りながら生きている。しかし、すべてのエルフが森に留まっているわけではない。中には旅をし、他の種族と交流する者もいる。ただ、エルフは石の壁や鉄の檻の中では生きられない。基本的には森に住むことが多いな。」
私は更に興味深げにセシルさんの話を聞き続けた。
「ルミナスリアには他にも様々な種族がいる。ドワーフは鉱山での採掘や鍛冶が得意な種族だ。クロックスミスは機械の技術に長けているが、彼らは魔法が使えない。これはお前が驚くかもしれないが、ルミナスリア全体において特異なことだ。人間であっても、大体の種族が魔法を使える中、完全に魔法を使えない種族がクロックスミスだ。魔法を使えない故に機械技術に頼っているが……我々のように自然を寵愛し、森の加護を受けている種族からは毛嫌いされている。私たちは火や鉄が苦手だしな。そして魔法を使えないものは迫害を受けかねない。魔法を使えない種族たちは『アスパーニア』と呼ばれている。古代エルフ語で“魔法に愛されなかった子供達”という意味をもつ。ただしこれは差別用語だから決して口にしてはならないぞ。」
「魔法が使えないとそんな差別を受けるんですね……。それは大変そう……。」
「そうだな、彼らはその技術力で魔法による力の不足を補っている。さて、禁忌の森についても知っておかねばならない。この森は非常に危険な場所で、魔物や毒性の植物が多く存在している。そのため、人間やエルフを含め、誰もが立ち入りを避ける場所だ。お前がここにいること自体が非常に危険なんだ。」
私は森の危険性について考え、身震いをした。
「そしてこの世界の生き物の中に魔法を使う魔物というものがいる。お前が昨夜遭遇したのはシャドウウルフと呼ばれていて闇の魔法を操り、影の中を移動し音もなく忍び寄ってくる為とても危険な魔物だ。他にも危険な魔物は沢山いる。特に夜の森は非常に危険だ。私でもあまり出歩くことはない。」
「そうだったんですね……。」
セシルさんは頷いた。
「そうだ。ルミナスリアでは、魔法が生活の一部となっている。だからこそ、魔物たちとの共存や対立が避けられない。」
私は興味深く聞きながら頷き返した。
「さて、ここで覚えておいて欲しいことがある。ルミナスリアの魔物たちは、それぞれ特有の性質や能力を持っている。危険な魔物もいれば、逆に役立つ魔物や植物もいる。例えば、ルミナスフラワーという植物は、夜になると光り、食べると少し体力が回復する。」
「あの綺麗な光る花の名前ですか?植物にもいろいろあるんですね。」
「そうだ。ただし注意が必要だ。デスベインやノクタールベリーのように、非常に危険な毒物もある。これらは絶対に避けなければならない。」
「わ、わかりました。気をつけます!」
私は背筋を伸ばして勢いよく返事をした。その姿をみてセシルさんは小さく微笑んだ。
「お前にはこれから、この森で生き延びるための基本的な知識を教えよう。それと同時に、お前の魔法の才能にも目を向けるつもりだ。」
私は驚きと期待を込めてセシルさんを見つめた。
「魔法の才能……。本当に私にそんなものがあるんですか?」
「それはこれからのお前の努力次第だが、お前からは不思議な魔力を感じる。だがそれよりもまずは、この森での生存方法を学ぶことから始めよう。お前が生き延びるためには、それが最も重要だからな。」
私は深く頷き、セシルさんの教えに従う決意を固めた。