第56話:それぞれの想い
翌朝、アリスは教会の外に出た。あれだけ荒れ放題だった墓地が綺麗に整備され、余分だった墓石は塀の一部へと加工され、再利用されていた。アンデットたちのおかげで教会もかつての美しさを取り戻しつつあった。
エレオノールがアリスの隣に立ち、微笑んだ。
「ねぇ、すごいでしょ?」
アリスも感動を隠せず、目を輝かせた。
「本当ですね。私たちがいなかった間にこんなに綺麗になって……」
エレオノールは同意し、教会の方を見つめた。
「本当よね、これがあの荒れ果ててアンデットたちの溜まり場だったなんて思えないわ。」
教会の中も同様に美しく整えられていた。
壁の汚れは洗い流され、床は磨かれ、破損していた窓は修復されていた。アリスはその光景に目を奪われたまま、ゆっくりと教会内を歩いた。
その頃、カイルは教会の井戸でバケツに水を汲んでいた。彼の表情には決意と苦悩が交錯していた。カイルは、バケツに水を汲みながら、自分が引き起こした炎の記憶が鮮明に蘇っていた。森が燃え上がる様子、破壊された命――それらの光景が彼の胸に深い痛みを刻み込んでいた。彼は何度も自問自答した。『本当に俺がこんなことをしてしまったのか?』と。
その度に、胸が締め付けられるような後悔と罪悪感が押し寄せた。だが、ただ悔やむだけでは何も変わらない。カイルはその痛みを糧に、今度こそ自分の手で何かを成し遂げたいと強く思った。それは、失われた森を再生し、自分自身を赦すための唯一の道だと信じたからだ。
井戸から森への道のりは険しく、彼の体力を削ったが、それ以上に彼の心には強い決意が宿っていた。
「これで少しでも償えるなら、どれだけでも水を運ぶさ……」
カイルの額から汗が滴り落ちる度に、彼の心の中で何かが少しずつ癒されていくのを感じた。バケツを両手に持つと、重い足取りでロゼリアの元へと向かった。
ロゼリアは焼け落ちた森の一部で、静かに座っていた。カイルが近づくと、彼女は驚きと警戒の目で彼を見つめた。カイルはその目に胸が締め付けられる思いだったが、何も言わずにバケツの水を彼女の前に差し出した。そこでやっと口を開いた。
「こんなことで自分のしたことが許されるわけじゃないが、あんたを弱らせた責任は俺にもある。だからこれくらいしかできねぇけど……今俺にできることをさせてくれ。」
ロゼリアは一瞬躊躇ったが、カイルの真剣な表情に心を動かされ、バケツの水を受け取った。
「ありがとう、カイルさん……」
カイルは静かに立ち上がり、再び井戸に戻って水を汲み始めた。彼の背中には、過去の過ちを償おうとする強い意志が感じられた。
森から井戸までは何キロもある。その道のりをカイルは汗を垂れ流しながら何度も往復し、森へ水を撒いて、時にはロゼリアにも水をかけた。
ここのところの水不足で衰退していた森だったが、少しずつ力を取り戻していくのをロゼリアは密かに感じていた。カイルは、自分の行動が森を救う助けになると信じ、何度も井戸と森を往復した。
アリスとエレオノールはその様子を教会の窓から見守っていた。
エレオノールは、カイルが一心不乱に水を運ぶ姿を見て、胸に複雑な感情が渦巻くのを感じた。かつて森を焼いた男が、今はその森の再生に全力を注いでいる。その変化は、彼女にとって驚きでもあり、喜びでもあった。しかし、彼の過去の行動を完全に許すことはまだできなかった。
『彼は本当に変わったのだろうか……?』
エレオノールの心には、疑念と希望が入り混じっていた。だが、彼が見せる献身的な姿勢は、少しずつ彼女の中に信頼の芽を生み出していた。
「彼もまた、自分の過ちと向き合っているのね……」
エレオノールはそう思うと、少しだけ心が軽くなるのを感じた。
アリスは頷き、微笑んだ。
「はい、カイルは本当に変わろうとしています。出会った時からずっと努力してる。ううん、出会う前から彼は自分の力をなんとかしようともがいていました。今、彼は自分の力で変わろうとしているんです。」
教会は新たな朝を迎え、アリスたちはそれぞれの使命を胸に、森の再生と共に前へ進む決意を新たにした。カイルの献身と努力が、やがて森とロゼリアの回復をもたらし、新たな希望の光を導くであろう。
一方でハッターの指示のもと、畑の準備は着々と進んでいた。アンデットたちは焼け落ちた木々を集め、それを燃料や資材として再利用していた。木炭を作り、堆肥を施して土壌を改良し、畑を作るための土地が整備されていた。
ハッターは黒板の前で、アンデットたちに具体的な指示を出していた。
「このエリアを優先的に耕し、土壌の状態を確認して必要な肥料を施します。次に、成長が早い野菜と果物を植えます。レタシュ、キャベット、レッドルビー、エルダーベリーが最初の作物です。」
アンデットたちは黙々と作業に取り組み、畑は日々その形を整えていった。ハッターの冷静な指示のもと、効率的かつ迅速に進められるその様子は、まるで精密な機械のようであった。
オーリンは作業の手を一度止め、遠くで水を運ぶカイルとそれを見守るアリスの姿を見つめた。彼の心には複雑な感情が渦巻いていた。アリスの優しさと強さ、そして彼女の持つ強い意志に次第に目を奪われることが多くなっていった。
『アリスは本当に特別な人だ……こんな状況でも皆を導いて、希望を与えている。僕も彼女の力になりたい、もっと近くで支えたい……。』
オーリンのその願いは日々強くなっていった。
その日、オーリンは作業の合間にアリスに話しかける機会を見つけた。
「アリス、少しお話ししてもいいですか?」
アリスは優しい笑顔で頷いた。
「もちろん、オーリン。どうしたの?」
オーリンは少し緊張しながらも、勇気を出して話し始めた。
「アリスさん、あなたがこうして皆をまとめている姿を見て、本当に素晴らしいと思いました。あなたのリーダーシップと優しさに、僕も感動しています。」
アリスは照れたように微笑んだ。
「ありがとう、オーリン。でも、皆が協力してくれるからこそ、ここまで来ることができたんだよ。それに私……リーダーとかそんなのには向いてないし……どちらかと言えば誰にも会わずに一人で本を読んでいる方が好きだから。」
オーリンはその言葉にはっと驚いた。
「あ、あの、僕もその……読書が大好きでその……」
アリスはその言葉に嬉しそうに笑顔を浮かべる。
「オーリン、あなたもなの?私も読書が大好きなの。本当は町の図書館でたくさんの本を読みたいんだけれど……」
オーリンは少し考えるとアリスに提案をした。
「あ、アリス……着いてきてくれますか?」
その言葉にアリスは不思議そうに思いながらもオーリンの後について教会内に入っていった。二人は教会の地下に向かうとオーリンが一つの部屋の扉を開けた。そこは小さな図書室のような場所で、アンデットたちのおかげか掃除もされて綺麗な状態になっていた。オーリンがいくつもの並べられた本を指差し、アリスに振り返る。
「ここに沢山の本があるんだ。僕もここでよく読書をしていてね……それに、町の図書館よりずっと多くの本が残されてる。この本、良かったら好きなだけ読んで。」
アリスは、オーリンに案内された教会の図書室に足を踏み入れると、目を輝かせて本棚を見つめた。無数の本が並ぶ光景に、彼女の胸はときめいた。
「すごい、これ全部本なのね!」
アリスは小さな図書室いっぱいの本棚に目を奪われた。神話、伝承、民俗学などセシルの部屋では見なかった本ばかりだった。セシルの部屋にあった本は全て古代エルフ語で書かれたものばかりだったが、ここにはルミナス語で書かれた本だけが置かれているようだった。読み慣れないルミナス語に苦戦するアリス。その様子を見てオーリンが声をかける。
「もしかして……読めないの?」
「ううん、少しはわかるよ。でも私、古代エルフ語ばかり読んでいたからルミナス語があまりわからないの。」
「はは、逆にすごいね!古代エルフ語は“失われた言語”とも呼ばれていて、今ではエルフでさえ読めないのに……あ、あの、良かったら僕が読み書きを教えようか?」
「本当に?すごく嬉しい!助かるよ!」
アリスは満面の笑みを浮かべて本を手に取った。彼女が手に取った一冊は、ある物語が書かれた本だった。ページをめくるたびに、美しい挿絵がアリスを新しい物語の世界へと誘っていった。
「それは有名な物語の本だね。異国の王子様が呪いで恐ろしい怪物の姿に変えられてしまう物語なんだ。これを最初に読んでみようか?」
「すごく面白そう。うん、読み方を教えて!」
「最初は読める?」
「えっと……遠い国の……二人の……」
「一人の。」
「ああ、そっか……一人の……」
オーリンが優しく隣で読み方を教えてくれる中、彼女はその声に耳を傾けながら、物語の中に自分を重ねていた。
「こんな風に、一人の王子様が呪いを解くために奮闘するなんて……私たちも、森を救うために戦っているんだよね……。」
オーリンはアリスの表情をそっと見守りながら、彼女が持つ豊かな想像力に魅力を感じていた。
彼女と一緒に、もっと多くの物語を分かち合いたい……。オーリンはそう思い、アリスに寄り添い続けることを心に決めた。彼女の笑顔が、彼の心に新たな希望を灯してくれたのだ。
『アリスとなら、どんな困難でも乗り越えられる……』その思いが、二人の絆をさらに深めていった。




