第51話:ネイリスト、救世主になる!
深夜0時を回った頃、教会の周囲が不気味にざわめき始めた。低く響く呻き声、ガラスや扉を叩く音が徐々に教会内に響き渡る。低く響く呻き声、ガラスに爪を立てる音が、教会内に染み渡る。まるで地の底から這い上がってきた怨念が、生者の領域に侵入しようとするかのようだ。
「なんの音だ……?」カイルが不安げに呟き、彼の手が剣の柄に触れた。彼の心臓が早鐘のように打つのを感じた。
皆が不安げに立ち上がり、辺りの様子を伺いながらも、恐怖が広がるのを感じていた。
「アンデットたちだよ。」とオーリンが低い声で言う。
彼の声に隠された恐怖が、空気をさらに冷たくした。
彼は階段を降りながら窓の外を指差した。
「深夜になると毎晩、こうしてアンデッドたちが救済を求めて教会に入ろうとするんだ。この教会には結界が張られているから、彼らは中に入ってこれないけど……」
ハッターは冷静な表情で周囲を見渡し、天井に目を向けた後、顎に手を添えて考え込んだ。
「これは確かに退魔用の結界が張られているようですね。効果は薄いので私には効きませんが、あの程度のアンデッドの侵入を防ぐには十分なもののようです。」
「本当?その結界壊れたりしない?」
アリスが不安げに尋ねると、ハッターは即座に答えた。
「ご安心を、我が君。結界はまだしっかりしています。」
「ア、アリスさん……?」
祭壇に祀られたように設置されている棺からアリスが顔を出すと、オーリンはその光景に驚き、持っていた蝋燭を危うく落としそうになる。
「これは……ハッターが用意してくれたベッドなの」
「新品未使用品ですからご安心を!」
ハッターは自信満々に胸を張った。周囲の者たちは、やれやれといった表情を浮かべながらも、これが彼らの日常だと納得していた。
「そういう問題なのかな……」
流石のオーリンも驚きを隠せない様子だった。
しかし、オーリンは窓の外を見ながら眉をひそめ、「でも、こんなにアンデッドが集まるのは初めてだ……普段はせいぜい二、三体だけなのに、どうして……?」と疑問を口にした。
「人間の生気に引き寄せられているのかもしれないわ。」エレオノールが言った。「これだけの人がいれば、正気を奪おうと集まっても不思議じゃないわ」
カイルが窓を睨んだ。「数が多すぎる……これじゃ眠れない。どうする?」
アリスも扉の方に歩み寄る。するとより一層扉を叩く音が激しくなった。その時、アリスはふと短剣、ルナリスの微かな輝きを感じた。そして、禁忌の森で亡者の魂を解放した記憶が蘇る。
「もしかしたら……私に救済を求めているのかも。」
その言葉に全員がアリスの方を振り返った。カイルが戸惑いながら尋ねる。
「お前に?どういうことだ?」
「前に亡者の魂を解放したことがあるの。もしかしたら、それを頼って集まってきてるんじゃないかな。」
「でも、この数のアンデッドを解放するには相当な魔力が必要です。それはアリス様自身を危険に晒す事になります。魔力が枯渇すれば命の危険が……」
ハッターが不安げに言った。
アリスは少し考えた後、決意を固めた。「まずは準備しよう。ハッター、外のアンデッドの数を確認してきてくれる?」
「かしこまりました。」
ハッターは左手を前にして腹部に当て右手は後ろに回し一礼すると、霧のように消え、壁をすり抜けて外へ向かった。その動きは人間離れしており、教会内に一瞬の冷気が漂った。
オーリンが近づき、不安げに言った。
「アリス、さ……アリス、何をするつもりなの?」
「ただ静かに眠れる準備をするだけだよ。」
アリスはネイルバッグから道具を取り出し、素早く準備を始めた。氷魔法でムーンリリーネイルを固めると準備が整った。
しばらくして、ハッターが窓をすり抜けるようにして戻ってきた。
「確認したところ、アンデッドの数はおよそ180体。これは想定外の数です。」
「やれるだけやってみよう。」
アリスは静かに言った。
「オーリン、一緒に祈ってくれる?」
「ぼ、僕が……?」
オーリンは少し怯えた様子で尋ねるが、アリスの決意を見て頷いた。
「わかった、やってみよう。」
「カイルとハッターは私が祈っている間、周囲を援護して欲しい。」
「それなら私が結界魔法をかけるからそこで祈るといいわ。」
エレオノールが申し出た。
「祈りが終わるまでお前を守ればいいんだな?任せろ。」
カイルも剣を構えて立ち上がる。ハッターはしばし考えた後に真剣な面持ちで手を挙げた。
その時、ハッターが真剣な表情で声を上げた。
「お待ちください、皆様。彼らは私と同じ死せる魂、そしてここに縛られた亡霊です。同じ亡霊である私の言葉であれば交渉に応じてくださるかもしれません。どうかここはひとつ、私にお任せ願えませんか?」
全員が顔を見合わせる。アリスはその言葉に頷き、「わかった、ハッターに任せるね」と答えた。
ハッターは再び霧のように消え、アンデッドたちの前に現れた。扉を開けると、アンデッドたちが現れ、その姿は崩れた肉体と空虚な眼窩が浮かぶ骸骨で構成されていた。彼らの骨ばった指が扉を叩く音は、まるで絶望の叫びのようだった。扉越しに見えるアンデッドたちの顔は、空虚な眼窩がぽっかりと開いたまま、瞳のない目でアリスを見つめている。彼らの動きは鈍重でありながらも、怨念が凝縮されたような凄みを帯びている。
「聞け、我が同胞よ!」
ハッターの声が夜の静寂を切り裂いた。
「ここに集うは、我が主アリス様のご加護を受けた者なり。汝らの苦しみを解き放ち、安らぎの地へと導かれたければ、その耳を傾けよ!」
アンデットたちは一瞬静まり返ったように見えたが、その後に一斉に悲鳴と呻き声が上がった。
「助けてくれ……」
「ここで殺された……」
「苦しい、救ってくれ……」
ハッターは彼らの声に耳を傾け、深く息をついた。
「何があったのか、教えてください。私たちはあなたたちを助けたい」
一体のアンデッドが前に進み出て、震える声で語り始めた。
「我々はかつてこの町の住民だった。しかし、聖ベリアルス教団によって異端者として処刑され、ここに閉じ込められた。我々はただ平和に暮らしたかっただけなのに……」
「私の娘は聖女を宿す生贄として神に捧げられた……」
「我々はベリアリス様の救済を求めていたのに救われなかった……」
「助けてくれ……ベリアリス様は我々をお救いにならなかった……」
他のアンデットたちも次々と自分たちの悲惨な運命を語り始めた。
「ここで家族を失った……」
「信じていた者たちに裏切られた……」
「絶望の中で死んだ……」
「私は子供を奪われた……」
アンデッドたちの悲痛な声が次々と響き渡り、教会の中はまるで彼らの怨念と苦しみに包まれるかのようだった。ハッターはその言葉に胸を痛めつつも、彼らの苦しみを深く心に刻んだ。そして、アリスの元に戻り、報告を始める。
「我が君、彼らは聖ベリアルス教団によって処刑された住民たちです。彼らの多くは拷問され、生贄にされたようです。彼らは救いを求めています。」
アリスはその光景を前にして、込み上げる感情を抑えきれなかった。胸の奥から溢れ出す同情と、彼らを救いたいという強い意志が彼女の心を支配していた。しかし、同時に彼女は自問する。
『本当に私に彼らを救うことができるのだろうか……?』
アリスは深く息を吸い、内なる葛藤と向き合った。彼女は何度も自問した。
『本当にこれでいいのか?』
しかし、目の前にいるアンデッドたちの切なる願いを無視することはできなかった。彼らの痛みと絶望が彼女の心に深く突き刺さり、彼女は静かに決意を固めた。
「私たちの力で彼らを救済しよう。彼らが安らかに眠れるように」
アリスは膝をつき、祈りを捧げ始めた。オーリンも隣にひざまずき、共に祈りを捧げる。アリスの言葉には、彼女の心からの願いが込められていた。
「あなたたちの苦しみを終わらせるために、私たちがここにいます。どうか、安らかに眠ってください。」
アリスとオーリンが祈りを捧げると、光の魔法がアンデッドたちを包み込み、その凍えるような苦しみを少しずつ癒していった。光が柔らかく広がり、アンデッドたちの苦悩が少しずつ解けていくのがわかった。
しかし、その中で一部のアンデッドたちは、消えずに止まっている。
その様子を見て不思議そうにするアリスの前に一人のアンデットが前へと歩み出た。
「ああ、黒髪の女神様。私たちはあなたを新たなる神として崇めます。この地をあなたの拠点とし、あなた様にお仕えいたします。」
アンデッドたちは一斉に跪き、深い敬意と忠誠をアリスに誓った。
彼らの声には感謝と信仰が込められており、アリスはその熱意に圧倒されて立ち尽くした。
「わ、私は神なんかじゃないです。ただ、皆さんを助けたかっただけなんです……」
彼女は戸惑いながらも必死に否定したが、アンデッドたちはその言葉に微笑み、再び静かに頭を垂れた。
「それでも、あなたは我々にとって救い主です。我々はあなた様のために尽くし、この身を捧げます。どうぞ我らの忠義をお受け取りください。」
カイルはその光景に唖然としながらも口を開いた。
「おいおい幽霊の次はアンデットの軍勢を率いるってか?ますます魔女として怪しまれるだろうが!」
ハッターは興奮気味に声を上げる。
「さすが我が君!これだけの数のアンデットを従えるなどと、一端の人間風情にはとてもできない芸当です!」
ハッターは空中を舞い踊り、まさに心から歓喜している様子だった。
その様子に不安げにオーリンは質問する。
「あ、アリス……この数のアンデットを本当に従えるの……?」
「ど、どうしよう。」
アリスは困惑していた。救済された恩義があまりに強く、アンデッドたちは一人として顔を上げない。
その中で過去を語ってきたアンデットの一人が口を開いた。
「我々はベリアルス様を信仰し、そして裏切られました。我々は死してなお、ベリアルス様に魂を蹂躙され続けこの地に縛り付けられていたのです。我々の肉体は死に、その忠誠心もまた死にました。我々には新たなる神が必要なのです。それは、我々をこの地獄から救ってくださったアリス様以外に他なりません。」
その言葉に、ハッターは鼻息荒く答える。
「そうでしょうとも!アリス様こそ敬愛されるべき我が主人にして、まさに神です!!」
アンデッドたちは次々と歓喜の声をあげた。
アリスは慌ててハッターを制止しようとした。
「は、ハッター!お願いだから煽らないで!私、神なんて存在じゃ……」
しかしハッターは満足げに宙を舞いながら、「ご謙遜を。またまたご謙遜を。これだけの魂を救済し、神を名乗らない方が無理があるというものです!」と答えた。
アリスは困惑し、再び自問する。『本当に私が神として崇められるべきなのだろうか……?』彼女の心は葛藤で揺れていた。
その様子を見たオーリンはアリスの肩にそっと手を置く。
「か、彼らも……何か縋るものが欲しいんじゃないかな。感謝だけじゃなくて、アリスさんのために尽くしたいのかも。そうすることが彼らの救いになるなら、アリスさんが神になるのも一つの救済だと僕は思うよ。」
「そ…そうかな。」
アリスは少し戸惑いながらも、皆を救いたい、しかしそのために自分が神と呼ばれることを受け入れるのか。この重圧に一瞬戸惑いながらも、目の前のアンデッドたちの切なる願いに、深く息を吸い込み、静かに決意を固めた。彼女は深く息を吸い込んだ。
「わ、わかりました。皆さんがそれでいいなら……」
アリスの声は震えていたが、その中には確かな決意が込められていた。
アンデッドたちから歓声が上がり、「おお〜!!黒髪の女神様!」「アリス様!」「我らが救世主様!!」という声がこだました。
ハッターは胸を張り、鼻息荒く自慢げに頷いた。
エレオノールはその光景を見てさらに頭を抱え、「アリス……あなたそんな易々と引き受けていいの?神として信仰されるなんて普通じゃないわよ……」と心配そうに言った。
アリスは困惑しながらも答える。「でも、どうしたらいいか分からないし……」
ハッターはアンデッドたちと共に、「アリス様は神と崇められるだけの才をお持ちの素晴らしいお方です!その御身にひれ伏し従うのであれば相手がアンデットであれど問題はないでしょう!それにアリス様の素晴らしさがわかるとはなかなか見どころがあるもの達です。さすが我が同胞!」と賛成の意を示した。
ハッターはアンデットと一緒になってアリスが神として崇められることに全力で賛成のようだった。エレオノールだけは一人真剣に頭を抱えている。
「まあ、どのみち今の状況なら私たちはどうせ魔女として見なされるんだろうし……それでも、少しずつでも理解してもらえるように頑張るしかないよね。」
アリスは困惑しながらも、彼らの決意に応えるため、神として受け入れることを決意した。彼女の周囲には、新たな仲間が集まり、これから始まる新しい生活が彼女を待っていた。




