第36話:ネイリスト、幽霊執事と出会う!
翌朝、顔にぽつぽつと何か冷たいものが落ちてくる感覚で目が覚めた。アリスは目を開くと曇天の空が自分たちを見下ろし、今にも雨が降り注ぎそうなほど薄暗く湿った空気を帯びているのを感じた。
アリスは慌ててカイルを揺り起こす。
「カイル!起きて!雨が降り出しそう……雨が降る前に出発しよう!」
「んぁ……雨ぇ?」
寝ぼけ眼でカイルが空を見上げる。するとぽつ……ぽつ……ざざーーーー!!と勢いよく雨が降り始めた。
アリスとカイルは慌てて荷物を片付け、急いで森の中へと走り始めた。
「すごい大雨だね……これじゃあ、サンクトリアへの道は森の中を進んで迂回するしかなさそう。」
「そうだな、開けた道は雨に降られちまうし……それに俺は雨の中だと力があまり出ないんだ。」
カイルは少し疲れている様子で自分の手元を見つめた。いつものように燃え盛るような魔力を感じない。雨に火の魔法の力が奪われている。
「そうなんだ……だったらどこかで野宿をして雨を凌げるといいのかな……。」
「どの道こんな森の中じゃ雨風を凌げる場所を探すのも難しいだろ……。とりあえず、歩くか。」
「うん、どこか雨宿りできる場所を探そう。」
アリスとカイルは雨を避けるために森の中を歩き続けた。しばらく進むと、薄暗い森の奥に古びた洋館が姿を現した。その洋館は時の流れに取り残されたかのように、荒れ果てていたが、雨風を凌ぐには十分な避難場所に見えた。
「あれを見て!雨宿りにちょうど良さそう。」
「確かにあそこなら雨を避けられそうだけどよ……。」
「行こう!」
二人は洋館に向かって足を速めた。カイルはどこか乗り気ではない様子だったが、アリスはとにかく雨が凌げるならと、ためらいもせずに扉を開けて中に入った。内部は薄暗く、埃が積もっていたが、雨を凌ぐには十分だった。
「誰も住んでいないみたいだね。」
「そりゃあそうだろ……これって廃墟ってやつじゃないか?誰も人がいなくなって何百年も経ってそうだ。……ゴーストやアンデッドが出るんじゃないか……?」
カイルはどこか怯えた様子で辺りを見回した。絢爛豪華な調度品も埃を被ってしまっている。過去の栄光の証だろうか、肖像画がいくつも飾られこの辺りの有名な貴族か何かが住んでいたような痕跡が残されていた。
洋館の中を探索し落ち着ける場所を探すうちに、一つの部屋に行き当たった。
その部屋には、暗がりの中で何かが動く気配があった。アリスとカイルは警戒しながら近づくと、そこに一人の男が立っていた。
立っていたと言うより男は透き通っており、足はなくその場にゆらめいていた……というのが正しいだろう。彼はゆっくり振り返ると、まるで二人を待っていたかのように微笑み胸に手を当て深くお辞儀をした。
「ようこそ、お客様。私はヴィクター・ホロウ。この洋館の執事長をしております。……ああ、お客様なんて実に何百年ぶりだろうか!是非おもてなしさせてください!」
ヴィクターと名乗るその幽霊は、黒髪に白髪の混じった珍しい髪色をしており、ボロボロの燕尾服をきちんと着こなしていた。相当久しぶりの客人に興奮が冷めやまない様子のヴィクター。アリスたちの周りを消えては現れと繰り返しながら、空中にティーセットを並べていく。
「執事長さん?こんな廃れた洋館に?」
「ええ……ここはかつて、私のご主人様がご家族でお住まいになられていた場所でございます。今はもう私一人しか残っていませんが……。」
アリスはヴィクターの話に耳を傾けながら、彼の正体について興味が湧いてきた。カイルは浮かぶティーカップに怯えた様子でアリスの後ろに下がっている。
「さぁ、お客様!どうぞお寛ぎください!あいにくメイドもコックも皆死んでしまいお手伝いできるのは私だけですが!まずはお茶を……」
ヴィクターは嬉々としお客人を出迎えることを楽しんでいる様子だった。アリスはどうすべきか悩みつつも浮かぶティーセットを手にしておもてなしを受けることにした。
「ヴィクターさんありがとう。私たち雨に降られて困っていたの。おもてなししていただけてとても助かるわ。」
「とんでもない。お客様をお迎えできることは私にとって最高の誇り、最大の喜びです。雨に降られてしまっていたんですね、それならお荷物をお預かりいたしましょう。」
そういうと荷物やローブが空中に浮き、アリスのローブとカイルのマントは丁寧にポールハンガーにかけられた。
次に椅子が二人に迫り半ば強引に腰掛けさせられると暖炉の前までずずーっと一人でに移動しだし、ヴィクターが指を鳴らすと暖炉の火が灯った。
「さぁ、火のそばで暖まって。美味しいお紅茶をご用意しましょう。どうぞお寛ぎください。」
暖炉の火が揺らめく中、アリスとカイルはようやく落ち着きを取り戻し、ヴィクターと対話を始める。
「ヴィクターさん、この洋館に一人でお住まいなんですか?」
「はい、そうです。我が主人、エドガー様とそのご家族が亡くなった後も、このお屋敷を守り続けています。私はここに縛られていますが、それでもお客様を迎えることができるのは大変な喜びです。」
「どうしてここに縛られているんだ?」
ヴィクターの顔が一瞬曇る。
「私は主人エドガー様に強い忠誠心を抱いていました。彼が亡くなったとき、私もまた生きる希望を失いました。しかし、その無念が私をこの世に留まらせ、ゴーストとしてここに縛り付けたのです。」
アリスはヴィクターの話を聞きながら、彼が一人この屋敷で暮らしていることに一つの疑問を投げかけた。
「ヴィクターさん、寂しくはないのですか?」
ヴィクターはその言葉にはっとする。そしてかつて活気で溢れ、数々のメイドと執事仲間を従え屋敷に尽くしていた日々を思い出した。その光景が幻のように目の前で広がり、かつての充実していた毎日を思い出し、ヴィクターは固まった。
「ヴィクターさん……?」
「ああ、すみません。昔のことを思い出しておりました。そうですね……寂しいかと問われればそれは寂しいです。ここにはもうご主人様も奥方様も、お嬢様もいらっしゃらない。他の仲間たちも皆この世を去り、私だけがゴーストとしてこの屋敷に縛られています。私の魂がここに縛られているのは、エドガー様とそのご家族を守りきれなかった無念が原因です。彼らへの忠誠心が消えることなく永遠に続いているからなのです。」
アリスはヴィクターのあまりにも強い忠誠心と後悔の念に胸が酷く傷んだ。死後もこの場所を一人で守っているヴィクター。孤独の中で、帰らぬ主人を待つ毎日。それはどれだけ辛いことだったろうか。アリスには想像もつかない。
その時、外から不気味な唸り声が聞こえてきた。アリスとカイルは身構え、ヴィクターも緊張した表情を浮かべる。
「どうやら、お客様の安寧を脅かす存在が近づいているようです。お二人とも、どうかご注意ください。」
アリスとカイルは武器を構え、洋館の外へと出ようとするが、ヴィクターが制止する。
「ここは私にお任せください。お客様を危険にさらさせるわけにはいきません。」
アリスとカイルが驚く中、ヴィクターは冷静に玄関へと向かう。
玄関の前の森の中には不気味に漂う黒い靄のようなものが唸り声を上げていた。
ヴィクターが指を鳴らし、周囲に漂う黒い霧を払いのける。するとそこにはシャドウハウンドが待ち構えていた。
「シャドウハウンドか…。このお屋敷を守るため、何度も対峙してきた相手です。」
ヴィクターは幽霊としての力を使い、闇の中で自在に動き回りながら、シャドウハウンドに近づいていく。シャドウハウンドは唸り声を上げヴィクターたちを威嚇した。きっと雨の中、人間の匂いを頼りにこの館にたどり着いたのだろう。
「礼儀のなっていない駄犬ですね。きっちり躾しなければ。」
ヴィクターは燕尾服の襟を整え、手袋をしっかりと嵌め直す。幽体のヴィクターは雨の中でも濡れることなく玄関前に佇んで、シャドウハウンドと対峙している。
「銀食器の狂乱!」
ヴィクターがそう呟くと無数の銀のフォークが目の前に現れ、それらが高速で敵に向かって飛んでいく。フォークは霊体化して敵を貫き、精神的なダメージを与えつつ肉体を引き裂いた。
「キャウン!!」
いくつものフォークが突き刺さりダメージを受けたシャドウハウンドは悲痛な叫びをあげる。シャドウハウンドは猛然とヴィクターに襲いかかるが、ヴィクターは軽やかにかわしながら、次々とナイフを投げつける。その動きはまるでダンスのように優雅でありながら、確実にシャドウハウンドを追い詰めていった。
「さて、お客様の目の前です。一曲踊っていただけますか?」
ヴィクターは地面に降り立つと両手の指にナイフを構え、さらに空中に浮かぶ銀のナイフを優雅に操り始める。
「銀食器の乱舞」
そう呟くと一斉にナイフを投げつけ、空中を漂っていたナイフも一斉にシャドウハウンドに切り掛かる。無数のナイフに傷つけられ、さすがに勝てないと悟ったのか、シャドウハウンドは悲鳴をあげながら慌てて森の中へと消えていった。
「すごい……ヴィクターさん、こんなに強いなんて……」
「さてお客様。お騒がせして申し訳ございませんでした。どうぞご無礼をお許しください。」
何事もなかったように振り返るヴィクター。アリスはその圧倒的な強さと優雅な立ち振る舞いに驚きつつも心からの感謝を伝えた。
「ありがとう、ヴィクターさん。あなたのお陰で助かりました。」
「本当に助かったよ、ヴィクター。サンキュな。」
ヴィクターは微笑みながら、二人に向けてダンスの終わりの様にお辞儀をする。
「お役に立てて光栄です。これからも、どんなことでもお手伝いさせていただきます。さあ、お茶の続きをどうぞ。」
三人で屋敷に戻ると暖炉のあるリビングルームへと戻ってきた。暖炉の火が揺らめき、部屋の中に温かい光を放っていた。アリスとカイルは椅子に座り、ヴィクターが再び用意したお茶を楽しんだ。
「ヴィクターさん、本当に素晴らしい力をお持ちですね。どうしてそんなに強いんですか?」
「私のご主人様とそのご家族を守るために、死してなおこの地に留まり続けています。長い年月の間に、私も少しばかりの力を身につけたのです。」
アリスはその言葉に感動し、カイルもまたヴィクターの忠誠心と力強さに敬意を抱いた。
三人はしばらくの間、暖かな火のそばで語り合い、次第に心を通わせていった。




