第33話:ネイリスト、旅立つ!
一ヶ月後、私はついに旅立ちの日を迎えることになった。
「アリス、お前に渡すものがある。」
早朝から私は先生に呼び出され、先生の部屋へ向かった。
「私からお前への贈り物だ。道中、きっと役に立つだろう。使うといい。」
先生の机には革製のネイルバッグ、何本かの筆と羽ペン、ランタン、そして高級そうなブラウンのローブが置かれていた。
「これって……私のために?」
「ああ、そうだ。お前のあの荷物袋は随分ぼろぼろだったからな。グリフォンの革で私が作ってやった。ちゃんと呪い(まじない)をかけて作ったから丈夫だし、エルフの伝統的な模様も彫ってやったぞ。綺麗だろう。」
革のバッグには草花のレリーフが施され、実に長い時間をかけて丁寧に作られたのが分かる。丈夫で軽く、艶のある素材で私の普段着にもバッチリ合いそうだ。
「先生……こんな大層なものを、ありがとうございます。」
「さぁ、それに荷物を詰めなおせ。あんな布切れじゃ街どころか部屋から出たら弾けるぞ。」
「あはは……。」
ナイロン製のネイルバッグはこの世界に来てから随分と使い倒したため、もうボロ雑巾のようになっていた。
荷物入れとしての容量も少なく困っていたので、この鞄をいただけるのは本当にありがたかった。
今までのネイルバッグからネイル道具とこれまで作った魔法のネイルを詰め替えると、見た目の大きさは両方とも同じなのに、随分と多くの道具が入ることに気がついた。
「あれ?このバッグ、大きさは同じなのにたくさん入る……。」
「それは空間拡張の魔法をかけてあるんだ。見た目よりも広く使えるし、いろんなものが入る。そこに入れているものは劣化せず腐ることもない。だから道中で果実などを見つけたときはそのバッグに入れておくといい。」
「すごい!先生、本当にありがとうございます!」
これは本当に重宝しそうだ!森の中でのたった三日のサバイバルでも食料の確保と保存には困っていた。食べ物が劣化したり腐らないなら、肉や魚も保存ができる。道中がどれだけ長い旅路になるか分からない私にとって、このバッグは本当にありがたい代物だった。
用意していた大量の食料、採取してストックしてあった素材、ノートやペン、先生から譲り受けた薬草学の本、魔物加工の本など……そのすべてが綺麗に収まった。
それでも重さは革のバッグ分程度しか感じないのでとても楽だ。最後にランタンをしまい、ほぼ手ぶらで出発する準備が整った。
「よし……これでいよいよ出発できますね。」
「ああ、そうだな。」
先生と共に家を出る。これが最後になると思うと胸に込み上げてくるものがあった。それをぐっと堪えながら振り返る。
「先生、長い間、本当にお世話になりました。何も知らない私にこの世界のこと……生きる術を教えてくれて……本当にどうもありがとうございました!」
私は先生に向き直ると涙を堪えながら頭を深々と下げる。その様子に先生は微笑みながら私の黒髪を撫でてくれた。
「ああ、こちらこそ。私もお前から多くを学んだよ。道中、厳しいこともあるだろう。時に辛く挫けそうな時もある。その時は私を思い出すといい。いつでも帰ってきていい。ここはお前の家だ。」
「……っ!」
その言葉に我慢していたものが込み上げてきて、泣き出しそうになる。それを必死に喉の奥で殺し、俯いて耐える。
先生は何も言わず私にブラウンのローブをかけてくれた。
「きっと差別や偏見の眼差しを向けられ、心無い言葉を言われることもあるだろう。人目に触れる時はなるべく髪を隠しておきなさい。それから……」
先生は自分の首にかかっていたネックレスを取り外し、私の首にかけてくれた。初めて見た時から目を奪われたあの美しいクリスタルのネックレスだ。
「これは……」
首にかけられたネックレスにそっと触れる。
「それは“魂の羅針盤”という神話級の秘宝だ。古代エルフ族に伝わる古の秘宝でな。お前が心から願うもの、望むものを示してくれる。道に迷った時、また選択に迷った時はその羅針盤に問うといい。強く本心から念じれば答えを導き出してくれる。でも、間違ったり、迷いがある時、お前の心に嘘がある時それは答えてくれない。これからのお前の旅で助けになるだろう。上手に使いなさい。」
「ありがとうございます……でも、こんな貴重なものを頂いてもいいんですか?」
「ああ。私にもう迷いはないからな。」
先生はどこか遠くを見ながらそう告げた。その目にはどこか憂いが帯びていたが、確かな決心と満足げな笑顔も浮かんでいた。
私は先生に深々と頭を下げ、後ろ髪を引かれる思いで森の中を歩き始めた。
時々振り返ると、先生は私の後ろ姿を遠くから見守っていた。
小さく手を振ると、先生は片手を挙げて応えてくれた。その姿を目に焼き付け、私は森の中を進み始めた。
もう振り返らない。
私は森を抜けるために真っ直ぐに歩き始めた。
「Vána ve alya……(ヴァーナ・ヴェ・アリャ)《旅の無事を祈っている……》」
アリスの耳にセシルの祈りの言葉は届かなかったが、彼女の姿が見えなくなるまで、セシルはその背中をずっと見送り続けていた。
アリスの旅にどんな苦難が待ち受けていようと、彼女なら乗り越えられるとそう信じてセシルは愛弟子の背中を見送った。




