第26話:差別と黒い髪
次の日、先生が泉で沐浴をしようと誘ってくれた。どうやらこの世界には入浴の文化はないらしく、定期的に川や泉で沐浴する程度しか体を綺麗にする方法がなさそうだった。
朝の冷えた空気の中、森の中で二人裸になる。これ自体も寒い上に、まぁまぁな羞恥プレイなのだが……想像通りというか、先生は何も気にせず裸になっては冷たい泉にざぶざぶと入っていく。私も気合を入れて先生の後ろをついていく。
「つ、冷たい!」
朝の冷え切った空気でさえも寒いのに、更に凍てつくような冷たさの水に全身に鳥肌が走る。
それでも息を止めて先生の後ろをついていった。
「そんなに冷たいか?」
一方の先生といえば何食わぬ顔をして髪を洗っている。泉の水を汚さないために外の沐浴では石鹸を使うのはエルフの文化的には駄目らしく、水の中で髪を梳かして汚れを丁寧に洗い流していた。
こんな冷たい水の中でも優雅に沐浴を楽しむ姿を見て少し恨めしく思う。
現代人の私としては温かいお湯に、シャンプー、トリートメント、洗顔に、パック……をしたいところだけど、今はこの冷水の中で、必死に体を洗うしかない!
私は息を止めて水の中に潜ると無我夢中で髪を洗い始めた。
毎日お風呂に入れる訳ではないから髪は痛むし、使えるのも石鹸だけだから髪が軋む……。
しかも今回は冷水のみ!これじゃあ綺麗な髪を維持するのは至難の技だ……。
水から顔を出すと必死に髪を梳かし、水だけで何度も顔や体を洗った。
これだけで汚れが落ちているのかなぁ……私臭くないだろうか……。そんなことを不安に思っていると沐浴を済ませた先生は岸に上がり、タオルで髪を拭っていた。
先生の髪は絹の白糸のように美しく、しなやかで、とても水と石鹸だけで洗っているとは思えない程の艶と柔らかさがあった。
エルフ特有の美しさなのか、それとも美しさの秘訣があるのか……。
うう、それにしても私ももう限界だ!
急いで水から上がるとタオルで全身を素早く拭き髪をタオルで縛り上げた。その間に先生から借りたローブを着る。今日まで着ていた服は一度洗濯をしてから干す予定だ。
真冬の水風呂くらい冷たかったな……。
手足はすっかり赤くなりかじかんで若干の痛みを伴っていた。昔の人ってこうやって体を洗っていたのだろうか……先人たちの生活に思いを馳せると現代の有り難みが身に染みた。
元の世界には戻りたいとは思えないけど、あの文明には恋しさが募る。
食事もこちらは味気のないものばかりだし……娯楽は……まぁネイルの研究があるから困らないけど。
今まで恵まれた環境にいたのかもしれないなとふと思った。
温かいベッド、快適な空調、食べたいものがいつでも手に入って、夜中まで作業ができる明かりがあって……失ってから初めて気づいたけど、私の周りには沢山のもので溢れていたんだなと改めて感じた。
次に私はローブを着た状態で洗濯板を使い、自分の服を洗い始めた。うわぁ……びっくりするほど汚れが浮いてくる。こんなに汚れていたんだと青ざめる。ここでは毎日着替える服なんてないし、洗濯機もない。
服ひとつ洗うだけでも指先が痛く、こんなに苦労するんだなぁ。日本にいたらずっと気付かなかっただろうな。
水を探す大変さ、食べ物の心配、火をつけることの苦労、夜を越すことの怖さ、修行の辛さ……どれも普通にネイリストの生活をしていたら気付かなかったと思う。
それをこの新しい世界で私は沢山学ぶことができた。素敵なお師匠様に出会えて私の人生は大きく変わった。
大変なことも多いけど“生きている”って感じられる毎日と、“生きていく”という強い目標を抱けていることが私は何よりも嬉しかった。
『明日なんてこなければいいのに』
そう感じていた現代での毎日。
『このまま目が覚めなければいいのに』
そう願って泣きながら眠れない夜を過ごしていた日々。
今はその全てが今の私の生きる力になってくれている。
あの辛かった日々も、ここでの日常に比べたら大したことはない。命の危機を感じることも、食べ物の心配をすることもなかったけれど、私はこの世界の生活が好きだ。
そんなことを考えながら洗濯に勤しんでいると先生が自分のローブを泉に投げた。
先生が手をかざした場所がまるで洗濯機のように水がぐるぐると回り、魔法を使って服を洗っているようだった。
「先生、その魔法はなんですか?」
「精霊の力を借りて服の汚れを洗い流しているんだ。便利だぞ。」
「すごい!私にもできますか?」
「水の精霊とは対話をしていたからできるかもしれないな。やってみるか?」
「はい!やります!」
「やり方は簡単だ、エレメンタル・グレイスを使う。泉の中にいる精霊に声をかけて水を操って貰う様にお願いをするだけだ。」
「わかりました。」
簡単に言ってくれるけど精霊を感じ取るのも難しいのになぁと私は一人不安げに思いつつも泉に服を投げた。
(精霊さん、どうか私に力を貸してください。水の力でこの服の汚れを洗い流してください……。)
両手を結んで必死に願う。そして同時に自然への感謝と、沐浴をさせていただいた感謝の気持ちを強く念じた。すると、泉の水がぐるぐると回り私の服も洗濯機のように洗われ始めた。
「やった!できた!」
「上出来だな。水の精霊とはうまくやっているようだ。」
「はい、エレメンタル・グレイスは習得できたかもしれません。」
「水の、はな。他にも火、風、大地、闇、光、生命、精神……それぞれの八大元素の精霊達と共鳴することで初めて習得したと言える。」
「なるほど……先生は全てのエレメンタル・グレイスを習得しているのですか?」
「いや、私は火の精霊とは共鳴をしていない。エルフ族は森に住む一族で、火の魔法は我々エルフの中では禁じられているんだ。森を失うかもしれないからな。だからエルフはほとんど火を扱うことはしない。私も普段、自分で薪を燃やして火を使っているだろう?」
「確かに……魔法陣で火を起こすこともできるのに火の魔法は使われていませんよね。毎度火打石で火を起こしているし……」
「そういう種族間での文化的違いがあるんだ。逆にドワーフやインフェルナの文化は火に頼りっきりだしな。」
「面白いですね。ドワーフはなんとなく本で読んだことはありますがインフェルナって?」
「……インフェルナは火の魔法に長けた一族だ。感情が昂ると人体発火を起こし周りを火の海にしてしまう。故に他の種族……とくにエルフからは毛嫌いされている。エルフの森にインフェルナが立ち入ることは固く禁じられているし、他の種族からも差別や迫害を受けている種族だな。」
「どうしてそんなに嫌われているんですか?」
「インフェルナという名前自体が“火の悪魔”という意味を持つ。また彼らは自分の火の魔法をコントロールできないんだ。自分達の村々まで焼き尽くしてしまう……その恐ろしさから様々な種族から忌み嫌われている。まぁ、最も嫌われている“アスパーニア”に比べたら差別は薄い方だが……。」
「以前仰っていた“魔法に愛されなかった子供達”……魔法を使えない人たちのことですよね。」
「そうだな。ほとんどの種族が魔法を使え、魔法と共に生きるこの世界において魔法を使えないとは生きる術を知らないのと変わらないからな。特にエルフ族に魔法を使えないものはまずいない。人間には魔法の適性がある者とそうでない者が疎らに存在するが……そんな中でもドワーフとクロックスミスだけは魔法が全く使えない種族なんだ。彼らへの差別は特に酷い。」
「そうなんですね……。」
差別かぁ。日本にいた頃に海外旅行を行った時、私自身も人種差別を受けたことがある。あれは結構ショックな体験だった。
それ以外にも肌の色が違うだけで差別されることもある。
だけどこの世界では魔法が使えない、魔法がコントロールできない……そういった内容が差別に繋がっているのか。この差別はさらに根深いものだろうな。
「先生、種族間での差別を無くすことってできないんですか?」
「どうだろうな……とても難しいだろう。特に魔法に長けたエルフ族が実質この差別の根本的な原因でもあるしな。更に我々は長寿だ。この世界の差別の歴史も何千年、何百年と続いている。それに……」
先生はどこか言いにくそうに重たい口を開いた。
「お前には言っていなかったがお前自身も差別の対象となり得る。」
突然の言葉に驚いて先生を見る。
「私が……ですか?」
先生はどこか悲しげな顔をしながら小さく頷くと私が差別の対象になるであろう理由を話してくれた。
「この世界では黒い髪を持つ者は滅多にいないんだ。かつてルミナスリアには、強大な力を持つ魔女が存在した。その魔女は長く黒い髪を持ち、強力な魔法を操ることで恐怖と破壊をもたらした。その影響で黒髪は不吉な象徴となり、魔女が倒された後、その血統は根絶やしにされた。それ以来、災いの象徴とされ、黒髪を持つ者は『魔女』として蔑まれ、恐れられている。災いを呼ぶ存在として避けられ、黒髪の者が現れると、災難が降りかかると信じられており、彼らは厄災の元凶として黒髪を酷く嫌っている。」
「……」
私は唖然とした。私も魔法が使えないアスパーニアとして迫害を受けるのだろうかという心配はしていたが、それ以前にこの黒い髪が災いを呼ぶ厄災の象徴とされているなんて……。
私への差別はもしかしたら、想像もしない程もっと酷いものになるかもしれない……。
落ち込む私に先生が近づくと私の頭を撫でてくれた。
「私は最初お前を見た時、お前がその“災厄をもたらす黒の魔女”ではないかと疑い、監視の意味を込めて私の家に招いたんだ。でもお前は厄災をもたらすことはない。世界に平和をもたらす存在だと私は信じているよ。そして黒髪には特別な力が宿ると言われている。」
「特別な力……?」
私は自分の髪を見つめていたが先生の言葉に顔をあげる。不安そうな私の顔を覗きこみ、いつも氷の様な冷たい表情をしている先生が優しく微笑みながら話を続ける。
「黒髪は呪いではなく、祝福だ。我々エルフの伝承によれば、黒髪を持つ者は特別な魔力を秘めていると言われている。お前がその力を受け入れれば、他の誰にもできないことができるはずだ。お前にはネイル以外にも才能があるんだよ。」
「……!」
私はその言葉に堪えていた涙が溢れ出した。
私にはネイルの才能しかなかった。どんなに大会でトロフィーを持ち帰ってきても、どんなにたくさんのコンテストで優勝しても周りは結局優勝した時だけもてはやし、それ以外のことには目もくれなかった。
優勝するまでの影の努力や、上達するまでの地道な努力は誰も見てくれない。
ネイルだけじゃないと証明したかったから料理も頑張ったし、色んなジャンルの勉強もした。やったことないサバイバルで生き残れたのも、沢山の本を読んで勉強をしてきた成果だ。
この世界でも魔法の力はネイルを介してでしか使えないけれど、それでも私には特別なネイルを作る力がある。これで誰かの役に立てる。それだけでも嬉しかったのに……。
先生は、私のネイルの才能以外も、沢山認めてくれて、受け入れてくれた。
差別されるべき事実も教えてくれた上で、本当の私を見つめてくれた。
それが嬉しくて嬉しくて、やっと認めてもらえた気がして。
この世界にやっと私の居場所を見つけた様な気がしてボロボロと泣いてしまった。
先生は何も言わず私のそばに立ち、頭を優しく撫でてくれた。冷たいその手が髪を撫でる。
忌み嫌われ、不吉の予兆とされるその髪に触れて、撫でてくれた。それだけで嬉しかった。
「さて、服も洗い終わったし……そろそろ私たちも帰るか。アリス、忘れるな。森を出たらきっと心無い言葉や差別がお前を襲い、傷つけてくるだろう。でも、お前は魔法に愛されている。お前には世界を救う力がある。お前なら大丈夫だ。」
「ふ、ひっく……はい。」
私は涙を両手で拭いながら返事をした。その様子をみて先生は優しく微笑んでいた。
「さて、我らが隣人……風の妖精、ウィンディーよ。どうか君たちの力を貸してほしい。私たちの水を払い、風で包んでくれないか。」
先生がそう告げるとくすくすと小さな笑い声がいくつも聞こえ、花吹雪のようなものがどこからともなく現れた。先生は私たちの衣服を泉から魔法で宙へあげるとその服を花吹雪が包む。水を吸って重たさを感じていた服は風に舞い軽やかに私たちの手元へと戻ってきた。
「すごい、乾いてる!」
「アリス、目を閉じていろ。」
私は妖精の力に驚く間もなく目を閉じた。自分達の周りも風が包み、濡れた体や髪が綺麗に乾いていく。乾いた黒髪を撫でるとふわふわとして完全に水分が飛びきっていた。
「ありがとう、我らが友よ。」
ふふ、くすくすと沢山の笑い声と花吹雪が遠のいていくと先生は洗い立ての服に着替え始めた。私もそれを見て洗ったばかりの服に袖を通す。気持ちいい…!本当に干したばかりの服の様に綺麗に乾いており、生地もごわつきがなくふわふわに仕上がっていた。先生のように妖精の力も借りて魔法が使えたらきっと色んなことができるのになぁ……。
「じゃあアリス、帰るぞ。帰る道中、ネイルの素材を採取しながら家まで向かおう。帰ったら新しいネイルの開発をしようか。」
「はい……!」
涙も風で乾き、私は晴れやかな気持ちで先生の後ろを歩いた。さわやかな風が私の背中を押すように優しく吹き抜けていった。




