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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

魔道具の三日月堂シリーズ

恋の成就は、幸福を約束するものではありません。

作者: 内田縫



ざまぁです。血が出ますので苦手な方はご注意ください。



扉がゆっくりと開いていく。

その奥の薄暗い空間から、女の声が響いてくる。


――魔道具の三日月堂へようこそ。私は店主のクロエです。


当店は絶大な力を持った魔道具を数多く取り揃えています。

あらゆる願いを叶えることから、私のことを『三日月の魔女』クロエ・アナと呼ぶ方もいらっしゃるそうで。


例えばどんな魔道具があるのかって?


それでは、今回はこちらの魔道具をご紹介しましょう。


……愛情とは、思い通りにならないもの。

自分が好きだから相手も好きになってくれるとは限りませんし、その逆もまた然り。


ですが、自分への愛を自由に奪ったり与えたりできる魔法の道具があったとしたら?


あなたなら、一体どのような選択をするでしょうか……?



**********



伯爵令息ジェラルドの前に差し出されたのは、たった1枚の紙切れだった。


「これが……僕の願いを叶える魔道具だって…………?」


長机を挟んでジェラルドの向かいに座る女は不気味な笑みを浮かべる。


「そうです。こちらが、愛情取引契約書。私の自信作のひとつですよ」


「これで、僕はあのエリザベートから解放されて、愛しのエルミーヌと結ばれるということか……?」


「ええ。あなたが本当に、エリザベートさんから愛されているのでしたら」


「それは間違いない。エリザベートは確実に僕を愛している(・・・・・・・・・・)


女は「ならば良いのです」とうなずき、その紙切れに指を()わせる。


「まず一番上にある(こう)の欄にあなたの名前を書く。そしてこちらの(おつ)の欄に、あなたへの愛情を捨てて欲しい人の名前を書く。さらにその下の(へい)の欄に、あなたへの愛情を感じて欲しい人の名前を書く。そうすれば、この契約書の内容は必ず実現されます」


紙切れにはジェラルドにも読める言語で、こう記されている。


1)乙は甲への愛情を捨てる。

2)丙は乙が捨てたものと同量の愛情を甲に抱くものとする。


「要するに、縁切りと縁結びの両方を1枚で叶える優れモノの魔道具なのです」


女はそう言ってから、「まあ、私の魔道具は自信作で優れモノばかりですが」と付け加えて含み笑いをする。


「……ただの紙切れにしか見えんがな」


ジェラルドが思わずそうつぶやくと、女はギリギリと拳を握りしめながらドス黒い魔力を放ち始める。


「この三日月堂の魔道具を疑うのですか……?」


「い、いや! すまない、口をついて出ただけだ! 忘れてくれ!」


ジェラルドは額に脂汗を流しながら前言を撤回した。


三日月堂と屋号を名乗った目の前の女が本当に(ちまた)で『三日月の魔女』と呼ばれているクロエ・アナ本人なのかどうか、ジェラルドは今ひとつ信用しきれていなかったが(彼女は魔女と呼ばれるにはあまりに若く、黒髪の美しい少女にしか見えなかった)彼女の魔力を肌で感じたことでその疑念は消し飛んだ。


――その気になれば、国ひとつ滅ぼせるほどの魔力量だ。


そんなことを思いながら脂汗を()くジェラルドに、三日月の魔女ことクロエはにっこりと笑いかける。


「わかってくだされば良いのです。それと、注意書きはよく読んでくださいね」


そう言われてジェラルドが紙切れ――愛情取引契約書に視線を落とすと、本文や記名欄の下にいくつかの文言が並んでいる。


「対象者の記名は、必ず相手の顔を見た直後に行ってください……?」


「ええ。そうでなければ効力は発揮されません」


「なるほど……それと……対象者の記名は、必ず本名で行ってください……」


「ええ。それも、正しく本名でないと効力を失います」


「それから……移行する愛情が著しく不足している場合は、本契約書の効力は発動しません……」


「ええ。ないものは移せませんからね。乙欄には、きちんとあなたを愛している人の名前を書く必要があります」


そこまではジェラルドも、うなずきながら注意書きを確認していくだけだった。

しかし、次の文言を目にしてジェラルドは息を()む。


「なお、愛情不足により発動が失敗した場合は、相応の不幸が甲に訪れます……?」


「ええ。乙欄に書かれた人があなたのことを全然愛していなかった場合は、あなたに不幸が起こります。不幸の形がどのようなものかはわかりません。滑って転ぶ程度かもしれませんし、お金なんかを失うことになるかも。もしかしたら、体の一部を失ってしまう場合も」


「じょ、冗談じゃないぞッ! そんな恐ろしいこと!」


「でも、エリザベートさんは確実にあなたのことを愛しているのでしょう?」


「……あ、ああ。彼女は僕を愛している。それはもう、過剰なくらいに」


「ならば、問題ありませんよ」


ゴクリとつばを飲み込み、ジェラルドは「そうだ、エリザベートは僕を愛している。だから何も問題はない……」とつぶやく。


「ええ。それではお代も頂きましたし、商談は以上ということで」


ジェラルドの財産の半分ほどになる大量の金貨が入った箱に手を置いて、クロエ・アナは満足そうな笑顔を見せる。


「あ、ああ……いや、ちょっと待てよ?」


愛情取引契約書を懐に仕舞おうと手に取ったジェラルドは、注意書きの最後の一文が気にかかってそれを読み上げる。


「恋の成就は、幸福を約束するものではありません……?」


クロエ・アナは何でもないことのように軽くうなずいて言葉を返す。


「それは、単なる世の中の真理ですよ」



**********



「いけませんわ……ジェラルド様……」


「どうしてだい? 僕と2人きりで話すのが恥ずかしいのかい……んん?」


そこは王立学園の中庭。


校舎の壁を背にする男爵令嬢エルミーヌを逃がすまいと、伯爵令息ジェラルドは壁に手を置いて退路をふさいでいる。


「い、いえ、そういうことではございませんわ……」


「なら、あれか? 貧乏な子爵家の、なんて言ったっけ……ジャンとかいう男のことか? あいつなら来月から辺境騎士団に行くことになったらしいぜ?」


「え……! ジャン様が、どうして……!」


「さあねェ~~~……僕にはよくわからないけど、戦況が(かんば)しくないから、学徒出陣ってやつなんじゃないのかなァ~~~~。ジャンは貧乏くさいけど剣の腕だけは悪くないみたいだし。心配なら騎士団長と懇意にしている僕の父上に聞いてみてもいいけど、どうかなァ~~、聞いたところで辺境に行くことは変わらないだろうしなァ~~~~」


「そ、そんな、まさか……ジェラルド様が、ジャン様を」


「おォ~~っとォ~~~~! もしかしてこの僕を疑ってるのかい? 僕がツテを使ってジャンのやつを辺境送りにしたって! ヒドいじゃないかァ~~エルミーヌぅ~~~」


ジェラルドはそう言いながら、息がかかるほどエルミーヌに顔を近づけていく。

エルミーヌはジェラルドの生臭い吐息から逃れるように顔を背ける。


「う、疑ってなど……ちょ、おやめください…………ッ!」


「どうしてやめなきゃいけないんだい? 君は幼馴染のジャンとはまだ婚約しているわけじゃないんだろう? ならキスくらいいいだろう? ジャンなんか辺境騎士団からいつ帰ってこれるかわからない、それどころか生きて帰ってこれるかもわからないんだから! 僕と君との仲を邪魔するものは何もないんだからァ~~~~ッ!」


「そ、そんな……! はッ、エリザベート様ッ!」


「何ッ!?」


ジェラルドが振り向くと、その先には木陰から二人をじっと見つめるエリザベートの姿があった。

エリザベートの頬は痩せこけ、目は落ちくぼんでいる。

ブツブツと何かつぶやきながら湿った視線を送るエリザベートは、さながら亡霊のようであった。


「ジェラルド様から離れて、わたくしのジェラルド様から離れて、泥棒猫のエルミーヌめ、ジェラルド様から離れて、泥棒猫のエルミーヌめ、今すぐ離れて、わたくしのジェラルド様からさっさと離れろって言ってるのよォ~~~~ッ! この薄汚い泥棒猫がァ~~~~ッ!!」


つぶやきを次第に大きくし最後には絶叫したエリザベートに、ジェラルドもエルミーヌも「ひぃッ!」と身を固くする。


「ジェラルド様には、わたくしという婚約者がいるんですからねェ~~~~ッ!」


叫び声を上げながらエリザベートは木陰から出て2人の方へ大股で踏み出していく。

貴族令嬢にあるまじき仕草だが、それ以前にエリザベートは頭をかきむしり髪をふりみだし、もはやマナーなど気にするような段階ではなかった。


かつては王国でも指折りの美女と名高いエリザベートだったが、ジェラルドの浮気のせいで完全に心を病んでしまっていたのだった。


大股でズンズンと進みながら、エリザベートはその手になぜか豚足を持っている。

短剣ならわかる。刺し違えるということだろう。


だが豚足。


これはもう、まったくもって意味がわからない。

わからないが、狂気の沙汰であることだけは間違いない。


「と、止まれッ! エリザベートッ!」


「そんな泥棒猫を抱きかかえながら、どうして愛しの婚約者であるこの私を制止するのですかァ~~! ジェラルド様ァ~~~~ッ!」


「な、何が愛しの婚約者だッ! 僕はお前のことなんか嫌いなんだッ!」


ジェラルドにそう言い切られて、エリザベートはハッとしてその場に立ち尽くす。


「き、嫌い……? ジェラルド様は、わたくしのことが、嫌い……?」


「いつも言っているだろう! 僕はお前のことなんか好きじゃないとッ! いくら親同士が決めた婚約だろうと! いくら領地が隣り合う伯爵家同士だろうと! 僕はお前のような気持ち悪い女なんかと結婚するつもりは一切ないぞッ!」


ジェラルドにまくし立てられ、エリザベートは身を震わせながら「ふ、ふふふ……」と笑い声を漏らす。


「ええ、わかっていますよ……」


「な……わかってくれたのか……?」


「もちろんですとも……思春期の殿方は意中の女性につい悪態をついてしまうもの。婆やが言っていましたわ……殿方の嫌いは好きの裏返しって……だから、わたくしに見せつけるようにエルミーヌ嬢とキスなんかしようとしていたんでしょう? それに婆やは、恋は押してダメなら全力で押せって……」


「ど、どういう教育を受けているんだ君はッ!」


うろたえながらもジェラルドは懐から1枚の紙切れを取り出して叫ぶ。


「だがそれもこれで終わりだッ! 僕は今ここで君の名前を書くッ!」


ジェラルドが愛情取引契約書にペンを走らせる。


――乙は甲への愛情を捨てる。


その乙の欄に、エリザベート・フォン・アングラードの名前を書きつける。


「うぐッ!」


エリザベートの体が稲妻に打たれたように跳ね上がる。


「え……わたくし、どうして豚足なんか手に持って……」


「エリザベート……?」


「あ……ジェラルド・オルベージュ、様……?」


エリザベートは「え、いや、ええ……?」とつぶやいて(かぶり)を振り、ふいに爽やかな笑顔を見せて後ずさりを始めた。


「ええと、わたくし、急用を思い出してしまいまして! これにて失礼させて頂きますわ!」


それだけ言い残すと、エリザベートは足早にその場を去っていった。

自分の手に握りしめられた豚足を不思議そうに見ては首をかしげながら。


「あ、あのエリザベートが僕とエルミーヌを置いて先に帰るだと……? こ、これは本物だ……! 愛情取引契約書……! これは本物だぞッ!」



**********



「それがどうしてこうなるんだッ! おかしいだろうッ!」


ジェラルドは長机に愛情取引契約書を叩きつけた。

向かいにいるのは魔道具の三日月堂を営むクロエ・アナだ。


「おかしい、と言われましても」


「確かにエリザベートは僕への愛情を捨てた! そして愛しのエルミーヌも僕に振り向くことになった! 今までいくら口説いてもジャンのことばかり気にしてうわの空だったエルミーヌがだッ!」


「へぇ〜〜、大成功じゃないですかァ〜〜〜」


興味なさそうにあくびをするクロエに、ジェラルドは目を血走らせて叫ぶ。


「どこがだッ! エルミーヌと結ばれたはいいものの、エリザベートを傷つけたとのことでアングラード伯爵家から多額の賠償金を請求されるし、親が決めた婚約を勝手に破棄したことで父上にもこっぴどく叱られるし! おまけにエリザベートは僕から離れた途端に憑き物が落ちたように美人になって、縁談がひっきりなしに来ているらしいッ!」


「あらまあ、エリザベートさんもあなたの浮気でだいぶ病んでいたんでしょうねえ。でも、みんな丸く収まって良かったじゃないですか」


「丸く収まってなどいないッ! 僕は来月から辺境騎士団に行くことになってしまったんだぞ! 本当ならジャンのやつが行くはずだったのに! 父上は僕に『お前のようなバカこそ辺境で性根を鍛え直してもらってくるべきだな』と言った! 意味がわからないッ! 父上に叱られたことなんか今まで一度もなかったのに! 父上は最愛の息子である僕にどうしてこんな仕打ちをッ!」


目に涙を浮かべて長机を拳で叩くジェラルドを見て、クロエは鼻で笑う。


「それでも、恋は成就したんでしょう?」


「そ、それは、そうだが……!」


「ならば、それで良しとして頂くしかありませんね。恋が成就すれば立場が変わることもあるでしょう。その変化までは、愛情取引契約書はコントロールできませんから」


ジェラルドは歯ぎしりをしながら「グギギ……」とうめき声を漏らす。


それからジェラルドは両手で顔を覆い「どうしたらいいどうしたらいいどうしたらいい……」と、うわ言のように繰り返し、ふいにジェラルドは顔を上げる。


「そうか……! 僕が王族になればいいんだ…………!」


クロエはもはやジェラルドの方を見てさえもいない。

長机の向こうで、新しい魔道具でも作っているのか、何か作業に没頭している。


ジェラルドだけが一人、満面の笑みで立ち上がる。


「そうだッ! 僕はこの愛情取引契約書を使って、王女の心を射止めてやるッ! エルミーヌと結ばれてから、この契約書の記名欄はまた空白になった! つまり、また別の契約を結べるということだろうッ! ……おいッ! 聞いているのか! 三日月の魔女!」


急に通り名を呼ばれて、クロエは作業の手を止めて振り返る。


「え? まあ、確かに愛情取引契約書は、いったん契約締結してしまえば何度でも再利用が可能ですよ。でも、エルミーヌさんのことはもう良いのですか? せっかく心を射止めた彼女をさっさと捨てて、王女様に乗り換えると?」


「いいや……エルミーヌは僕のものだ。あんないい女、まだしばらく手放すもんか」


「ならば、どうされるおつもりで?」


ジェラルドは「くくく……」と笑い声を漏らしてから低い声で言った。


「これから僕が辺境に赴く旨を、国王陛下に報告しに行くことになっているんだ……。そこですべて見せてやるよ……! お前にもついてきてもらうぞ……! 三日月の魔女、クロエ・アナ……!」


クロエはあからさまに面倒くさそうな顔をしたが、すぐに気が変わり同行を決意した。

試作品の魔道具をテストできるいい機会かもしれないと思い至ったためだ。



**********



「膠着している辺境の最前線に学生の身分でありながら自ら志願するとは、わしも国王として誇りに思うぞ。オルベージュ伯爵家の長男、ジェラルドよ」


「……はっ! ありがたき幸せに存じます!」


王宮の謁見の間。


玉座の国王の前にジェラルドがひざまずいている。

国王のまわりには大臣たちだけでなく、ジェラルドの目当ての王女もいる。

ジェラルドの後ろにはジェラルドの両親に弟、そして愛情取引契約書の効力により片時も離れたくないといった様子になっている男爵令嬢エルミーヌの姿もある。


三日月の魔女クロエ・アナは壁際で、その光景を遠巻きに見ている。


「ではジェラルドよ、来月より辺境に赴き、辺境騎士団の一員として命をかけて戦うことをここに誓うが良い」


国王にそう言われたものの、ジェラルドは返答をしない。


「どうした、ジェラルド。怖気づいたか」


国王に促されて、ジェラルドは「ふぅうぅぅぅぅぅ~~~~ッ」と大きく息を吐く。


「申し訳ございません……国王陛下の御前で緊張のあまり、頭が真っ白になってしまいまして……誓いの言葉を懐に用意しており……しょ、少々、お待ちください…………」


ジェラルドはそう言いながら、懐から取り出した紙に素早くペンを走らせる。


「何をしておるのだ?」


「い、いえ、事前に書いた文面に、誤りがあり修正を……すぐ、終わりますゆえ」


「……?」


国王だけでなく大臣たちや衛兵たちも怪訝(けげん)な顔をしている。

書き終えたようで、ジェラルドは顔を上げて話し始める。


「先ほど国王陛下が仰せの通り、私は辺境行きを志願したのですが……実はそちらの第一王女カトリーヌ様から『行かないで欲しい』と懇願されておりまして……」


ニヤリと笑うジェラルド。困惑する国王。


「……どういうことだ」


国王は眉間にシワを寄せて第一王女に視線を向ける。

第一王女はきょとんとした顔で国王に視線を返す。


「ねえ、そうでしょう? カトリーヌ様……僕が辺境に行って会えなくなったら、寂しいですよねぇ~~~~……?」


ジェラルドがなぜそんなことを言っているのか意味がわからない様子で、国王は王女カトリーヌを再び見やる。


カトリーヌは目を見開いたまま何も応えない。


「そうですよねぇ~~、カトリーヌ様……僕のことが好きで好きで仕方なくて、もうどこにも行って欲しくないって感じですよねぇ~~~~…………」


ジェラルドが粘りつくような口調でそう言うと、国王は戸惑いをさらに深めた。

国王の視線がジェラルドとカトリーヌの間を行ったり来たりしている。


「な、何を言っておるのだ、お主は……? カトリーヌ、お前はこの者のこと……」


国王に気持ちを問われたカトリーヌに、その場にいる全員の視線が集まる。

ジェラルドは勝利を確信し、愛情取引契約書の記名欄をちらりと見る。


(乙欄に父上の名前、丙欄に王女カトリーヌの名前。これで父上から僕への愛情が、カトリーヌから僕への愛情に移行する。これで僕は王族の仲間入りだ。僕を叱るような父上なんてもう必要ない……)


そんな中、カトリーヌは小首をかしげてつぶやく。


「別に、ちっとも好きじゃないですけど……」


その場にいるほとんどの者が「そうだよね」以上でも以下でもない表情でうなずく。

そんな中でジェラルドが突然、


「なんでだァ~~~~~~~~ッ!!!」


と叫んで立ち上がる。


「どうしてッ! ここに、乙の欄に父上の名前を書いて、丙の欄に王女の名前を書いたじゃないかッ! 父上から僕への愛情が、王女から僕への愛情に移り変わるんじゃないのかァ~~~~ッ! 一体どうなってんだよ、説明しろ三日月の魔女ォ~~~~ッ!!」


カツカツ、と靴音を響かせながらクロエ・アナはジェラルドの前まで歩いていく。

ジェラルドは記名済みの愛情取引契約書をクロエに突きつけて叫ぶ。


「ほら見ろ! ちゃんと間違いなく書いてあるじゃないか! 父上と王女の名前が! スペルだって1文字たりとも間違ってないぞ! お前の魔道具は不良品じゃないのかッ!」


ジェラルドの言葉を聞いて、クロエは左の眉をピクリと上げる。

するとクロエの体から凶悪な魔力が解き放たれ、その場の空気をビリビリと震わせる。


「この三日月堂の魔道具が、不良品ですって…………!?」


「だ、だだ、だって! ちゃんと父上と王女の名前を書いたのに、何も起きないから! 僕は間違ってないぞ! だったら間違ってるのはお前の魔道具だろうッ!」


クロエは怒りの魔力を放ちながら、愛情取引契約書を指さして静かにつぶやく。


「注意書きですよ、忘れたのですか……?」


「え? え!?」


「ちゃんと書いてあるでしょう……『移行する愛情が著しく不足している場合は、本契約書の効力は発動しません』……あなた、父上から愛されていなかったんじゃないですか?」


クロエにそう言われて、ジェラルドは「へ?」と間の抜けた表情を浮かべる。


「う、ウソだ……そんなはずないでしょ……父上…………」


ジェラルドは震えながら父であるオルベージュ伯爵を見る。

クロエが「どうなんですか?」と伯爵に尋ねると、伯爵は苦笑いしながら応える。


「どうって……このバカ息子を愛しているかって……? いやあ……コイツは学業の成績も悪いし根本的に頭が悪いし、無駄にプライドばかり高いし……とりあえずエリザベート嬢と結婚して領地経営の足しになってくれるなら何も言うまいと放置していたのだが、わけのわからん男爵令嬢なんかと一緒になるなどと言い出すし……もう、我が家には次男のヴィクトールさえいればそれで良いわけであってだな……」


ジェラルドは鼻水を垂らしながら、父にすがりつくようにすり寄る。


「え、じゃあ……父上は、最初から僕を愛していなかったってこと……?」


ひきつった笑顔で伯爵は応える。


「そもそも愛していたら辺境送りになんかしないだろう……は、ははは……」


ジェラルドは顔面蒼白になって絶句する。

その顔をのぞき込んでクロエが告げる。怒りの魔力は(まと)ったままだ。


「もうひとつの注意書きも、忘れないでくださいね?」


「注意書き……もうひとつの……?」


「ええ。愛情不足により発動が失敗した場合は、相応の不幸が甲に訪れます」


クロエがそう言い終わった瞬間、ジェラルドの左脚が付け根からグシャリと千切れる。


「うわぁあぁぁあぁァァああァあァァァァぁッ!!!」


ジェラルドの悲鳴が響く中、その場にいる者たちの何人かが「ひっ!」と短い悲鳴を上げた。

衛兵たちも身構えてはいるものの、クロエの魔力に圧倒されて身動きができない。


「ぼ、僕の脚ィ~~ッ! 僕の脚がァ~~~~~~ッ!」


「ふふふ、左脚1本で済んで良かったですねえ」


「ジェラルド様ッ!」


千切れた脚の付け根から血を噴き出して床を転がるジェラルドのもとに、男爵令嬢エルミーヌが駆け寄る。

エリザベートからエルミーヌに移った愛情はまだ有効で、それはジェラルドに向けられているということだ。


「大丈夫ですかッ! ジェラルド様!」


「大丈夫なわけないだろうッ! 見てわからないのか間抜けな女めッ!」


駆け寄ったエルミーヌの頬をジェラルドが殴る。

エルミーヌは「ああっ!」と声を上げて弾き飛ばされる。


「お前はもう用済みなんだよエルミーヌ! そしてクロエ・アナ! 今度はお前が僕のモノになるんだッ!」


ジェラルドは床に這いつくばって愛情取引契約書にペンを走らせる。

乙欄にエルミーヌのフルネーム、丙欄にクロエのフルネームを書き込む。


「ははははあッ! これで三日月の魔女は僕の下僕だ! この強大な魔力の持ち主が、僕の意のままに動くんだぞッ! ポンコツ魔道具だって使い放題だ!」


クロエはうつむいたまま「ポンコツですって……?」と低くつぶやく。

先ほどまでよりさらに激しい魔力がクロエの体から噴き出している。


「最初の商談ではただの紙切れと……そしてさっきは不良品……今度はとうとうポンコツと……三度もこの三日月堂の魔道具を愚弄するとは…………!」


「え? え?」


「もう許しませんよ……!」


「え……だってクロエ・アナ、お前はこの愛情取引契約書で」


クロエはジェラルドが顔の横で開いている愛情取引契約書の書面を指さす。


「本当に物覚えが悪いですね……注意書きですよ……対象者の記名は、必ず本名で行ってください……」


「いや、ちゃんと書いたよ! クロエ・アナって! 間違いなく!」


「間違ってますね」


クロエはジェラルドを見下しながら言う。


「私の本名は、黒江(クロエ) ハナ。クロエ・アナではありません。ハ行を発音しないこの国の人たちが私の名前を広めたので、私は『ハナ』ではなく『アナ』と呼ばれているだけです」


「は!? そ、そそ、そんな! ズルいッ! ズルいよ、それは! それじゃ詐欺じゃないかッ!」


「あなたの言葉は、もう聞きたくありませんね」


クロエはどこからともなく漆黒の大きな布切れを取り出すと、ふわりとジェラルドに覆いかぶせた。


布切れをクロエが拾い上げると、ジェラルドの姿がない。


「試作は成功のようですね。次元転送マント……まあ、現状では次元の狭間に飛んでしまうせいで肉体は原子レベルで分解されてしまうのが難点ですが」


クロエが次元転送マントと呼んだ魔道具を仕舞いながら「いいサンプルにはなりましたね……」とつぶやいた声は、その場にいる誰の耳にも届かなかった。



**********



後日、問題を起こしたジェラルドに対する管理不行き届きの罪で、オルベージュ伯爵は爵位を剥奪されることになった。


オルベージュ伯爵家の領地だった土地は、隣接するアングラード伯爵家(エリザベートの実家)が管理することになった。


クロエの魔道具によって心を奪われていたエルミーヌはジェラルドの消失により解放され、想い人だったジャンと結ばれて仲睦まじく暮らした。



**********



クロエ・アナが、薄暗い店内で佇んでいる。


――今回ご紹介した魔道具は、いかがでしたでしょうか。


人の心の中は、誰にもわからない。

もしかしたら、当人でさえも。


そんな謙虚さを忘れた時にこそ、悲劇は始まるのかもしれませんね……。


当店では、他にも様々な魔道具をご用意しています。


ですが、あいにく本日はそろそろ閉店のお時間。この他の商品のご紹介は、もし次の機会があればということで。


それでは、またのご来店を心よりお待ちしています……。




読んで頂きありがとうございます。


ジャンルをまたいで、いくつか短編を投稿しています。

タイトルの上にある「魔道具の三日月堂シリーズ」をクリックすれば他の作品を見ることができます。


皆様がどんな作品を好きなのか教えて頂きたいので、もしお気に召しましたら下の★から評価や感想を頂ければ幸いです。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] クロエさんへの罰が無い所 [一言] 最終的にハッピーエンドです!って言われても、悪人にヤバイ物売ったせいでキモ男に侍らされたり辺境に飛ばされかけた人達が居た訳で・・・ キモ男の機転で…
[一言] 面白かったですが、ジェラルドが気持ち悪すぎ。
[一言] 大昔にジャンプでやってたアウターゾーンって漫画を思い出したわ
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