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古事記 〜神々の物語〜  作者: 野月 静
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【閑話】姉弟の時間

完全創作の話です。

「さてと……。タカギ、少し席を離してくださる?」


 それは、スサノヲの突然の来訪があった日のことだ。


 スサノヲから、高天ヶ原を追放されてからの話や結婚の報告聞き、草薙の(つるぎ)を献上された。スサノヲを迎え入れていた客間には穏やかな空気が流れ、そろそろお開きかと思われていたところだ。


 アマテラスはニコリと微笑み、自分の後ろに控えているタカギを振り返ってそう言った。主の言葉に、タカギは珍しく隠しもせずに嫌な顔になる。


 まあ、当然といえば当然だ。タカギにとってスサノヲは未だ悪ガキのままである。田畑を荒らし、挙句の果てに人の命を奪ったような野郎を、実の姉弟とはいえ、アマテラスと二人きりにはさせたくないものだ。


 そのようなことは当然わかっていて、しかし彼女は笑みを深めるだけで何も言わない。


 世間一般の評価とは異なり、このお方はかなり幼くていらっしゃる。常に側にいるタカギは、こうなってはもう他人の意見など聞き入れない事を当然知っている。


「頑固者……」

「何ですって?」


 気付くと口からポロリと出ていたようだ。アマテラスの笑みに怒りが含まれている。ここはさっさと撤退しよう。


「いえ、失礼致します」


 会釈をしたタカギは、命令通り部屋を後にし、扉の側に控えた。



   ***



 二人きりになった空間に沈黙が流れる……と思いきや、バタンと音を立てて扉が閉まるのを確認するや否や、アマテラスは目を今までにないくらい輝かせて、身を乗り出してきた。


「さあ、スサノヲ。お姉様であるわたくしに、クシナダについて洗いざらい話しなさい!」


 アマテラスの目的がわかって、スサノヲはげんなりした。


 どうしてこうも女性の言うのは恋愛話が好きなのだろうか。他人の恋愛事情を知ってどうする。


 と、思ったところで実際に言えないのが弟というものである。姉は強くて怖い。


「話せって言われても、さっき話したのが全てだ」


 姉弟だけの空間ということで、お互いに気を緩め、砕けた物言いと態度で会話をする。


「あれで全てって、出会いから結婚までしか聞いてないわ」

「はあ!? それで十二分(じゅうにぶん)だろう!」


 思わず大声を出したスサノヲにアマテラスは慌てて人差し指を口に当て、「静かに」の指示を出す。


「タカギはすぐそこにいるわ。あまり大きな声を出していると、あんた摘み出されるわよ?」


 この嫌な質問を受けるくらいならそれもアリだ、とは何となく言い難い。今日のこの時間が終われば、もうここに来れないことくらい何となく察しがつく。そしてそれはつまり、もう実の姉に会えないことと同義だ。


「ほらほら、クシナダはどんな女性なのかしら?」


 スサノヲとは対照的に、アマテラスは非常に上機嫌である。


「どうって……家族思いで優しい女だ」

「そう。それで?」

「それで……? あー、っと……」


 言い淀むスサノヲに、アマテラスは少し寂しさを孕んだ笑みを向けた。


「ごめんね。スサノヲがこの手の話が苦手だろうってことは、なんとなく察しがついていたんだけど……。ほら、わたしの立場上、そう簡単に人を呼び出すわけにもいかないでしょう?」


 そこでハッとした。アマテラスは弟の嫁を簡単な気持ちで呼び出すわけにも、ましてや自分自身が葦原の中つ国に降りて会いに行くわけにもいかない。それが「最高神」というものである。


 嫁についてあれやこれや知ろうとしていた理由が今、スサノヲにはわかった。


「いいよ……。俺も知り合って長いわけではないから、何でもは話せないかもしれないけど」


 スサノヲがそう言うと、アマテラスは嬉しそうに笑った。そしてーー


「そうだわ! それならツクヨミも呼びましょう!」

「……はぁ!?」

「まだしばらく夜は来ないし……。タカギー!」


 姉の大声応えて、タカギがスッと扉を開き入ってくる。


「突然で悪いけれど、ツクヨミを呼んでくださる?」


 本当に突然で突拍子もない申し出に、タカギは一瞬固まったが、すぐに「かしこまりました」と言って再び客間を後にした。


「オネエサマよ、ちょっとタカギの扱いが雑すぎねぇか? あと、側仕え呼ぶ時は大声じゃなくて……」

「机上の鐘で、でしょう? もう、どうして実の弟にまでタカギと同じ事を言われないといけないのかしら」


 非常に不服そうに頬を膨らますアマテラスだが、それは最高神らしからぬ彼女の行動や言動のせいでしかないだろう。


 ブツブツと溢れる彼女の不満やタカギへの軽い愚痴を聞きながら、スサノヲはお茶を飲む。そろそろ茶が不味くなってきたなと思っているとスルッと扉が開いた。


 アマテラスの視線がそちらに向き、スサノヲもまた腰をひねらせて扉の方を見る。


 そこには、先程遣わされたタカギが立っていた。そしてその後ろに、よく眠っていたのところを叩き起こされたのだろうか。不機嫌が滲んだ表情のツクヨミがいる。もちろん、さらに彼の後ろには沢山のツクヨミの側近が控えている。


「お呼びでしょうか、アマテラス様」


 一歩前に出たツクヨミは、深く礼をして言う。

 突然の呼び出しに対する不満を軽く表した態度は、アマテラスが最高神とは言え実の姉で、かつこの空間がかなり緩いものであると即座に判断したからだろう。

 そして、互いの側近がいるからと、口調だけは丁寧にしたツクヨミの気遣いを真正面から破壊するようにアマテラスは大きな笑みを浮かべて言う。


「あら、お久しぶりね、ツクヨミ。そんなに畏まらないでちょうだいな。この世で唯一のわたくし達姉弟三人の時間を過ごそうと思っただけよ」


 言外に側近は不要と告げるアマテラスには、穏やかながらも強さを感じる。


「皆この部屋から退室せよ」

「タカギもご苦労だったわね」


 二人の言葉に従いそれぞれ部屋を後にし、再び客間は姉弟のものとなった。


「ほら、ツクヨミもこちらにいらっしゃい」


 変な空気が流れ、変わらず入口付近に立っているツクヨミを呼びながら、アマテラスはお茶とお菓子を用意している。最高神がすることではないが、あまりそれを周りが指摘しすぎると、アマテラスは不機嫌になってしまうのだから難しい。


「姉上、なぜ貴女はいつもいつも突然呼びつけるのですか。それも決まって睡眠中です」

「仕方ないじゃないの。貴方とわたくしでは一日の流れが違うでしょう」

「いつも直感で動いているようなものだし、計画的にというのは姉上には難しいんだろう」


 ごく自然に会話に入ってきたスサノヲを、ツクヨミは冷たい目で見る。

 それは、もう反射的なものだった。

 いくらか時間が経ったものの、スサノヲのあの行いはまだ記憶に新しい。加えてツクヨミからすれば実の兄弟だ。昔から、真面目で大人しいツクヨミには理解できない行動をスサノヲはしてきた。姉が最高神として君臨してからは、実弟として恥じぬよう更なる努力を重ね、できる範囲で姉を支えてきたつもりだ。


 しかし、スサノヲはどうだろう。

 アマテラスは高天ヶ原を。ツクヨミは、夜の世界を。スサノヲは海原を、それぞれ治めなさい。

 父であるイザナギの指示を受けて、それから言われた通りに統治しているのは、アマテラスとツクヨミだけだ。

 スサノヲは海を荒らし、高天ヶ原を荒らし、終いには最高神直々に追放された。


 さらにも関わらず、さも当然のように再び高天ヶ原に表れ、ツクヨミと同じような待遇を受けている。


 はじめからスサノヲとツクヨミでは馬が合わなかったが、これではさすがにツクヨミの矜持も傷を負う。


ーースサノヲと実の兄弟と思われたくない。


 それが、ツクヨミが長年思っていたことだ。


「それで、其方は何故ここにいるのだ。高天ヶ原を姉上からーー最高神から追放された身であろう?」


 ツクヨミは意図せず語気が強くなり、スサノヲを睨みつけていることに言ってから気がつく。それでも、それを改善しようなど全く思えない。もう、言わないと気が済まない。


 晴天だった空が紅く染まる。アマテラスの時間にツクヨミの力が強まり、昼と夜が(せめ)ぎ合っている。


「其方は父上の指示も守らず、好き放題した。姉上が献身的に統治するこの高天ヶ原を荒らしに荒らし、追放されてもこれだ。どうせ最高神の実弟だからという対応であろう? いい事であるな、何もしていないが名だけは有名だ」

「ツクヨ……」


 あまりの物言いに、さすがに諭そうとしたアマテラスをスサノヲがスッと止める。


「二人にはずっと迷惑をかけ続けて、本当に申し訳なかった。皆、私のことはどうとでもできただろうに……私はずっと甘やかされてきたし、それに気付きもしなかった。今更だが……本当にすまなかった。そして、ありがとう」


 腰をほぼ直角に曲げて、謝罪と感謝をツクヨミに述べるスサノヲの様子を、姉は静かに見ていた。


 姉として、最高神として、できたことは沢山あった。何度も判断を誤って、タカギから何度も叱られた。


 アマテラス自身、スサノヲにはかなり迷惑を被ったと思っていたが、ツクヨミの方が余程苦しかったに違いない。


 彼の語らない今までを想像して、アマテラスは自分の未熟さを実感する。


「私は、やはり其方のことは許すことはできない」


 しばらくして、ツクヨミはそう言った。


 一言二言の謝罪では今までの分は清算などできない。そう言うように、スッとツクヨミの視線がスサノヲから外され、空も青みが増す。その様子はもう、スサノヲのことなど諦めた事を表しているようで、自業自得ながらスサノヲは心が痛むのを感じた。


「ねえ、ツクヨミ」


 重苦しい空気の中、今まで黙っていたアマテラスが呼びかける。


「スサノヲは、もう世界を統治するようなことは、きっとないわ」


 イザナギの子として生まれ、三人で世を治めよと言われたが、スサノヲだけはそれをしなかった。葦原の中つ国も高天ヶ原も荒らしに荒らし、死者も出した。実姉であり最高神であるアマテラスには永久追放された。


 並べれば並べるほど、人として足りない部分がよくわかる彼を、誰がそこここの長にしよう。


「だからね、今後こそ私たち二人でこの世を治めていくことになるし、二人の絆が試されることになるわ」


 ツクヨミは何が言いたいのかわからないと言うように、アマテラスを見る。


「冷たい事を言うと、スサノヲを無理に受け入れる必要なんて、ないんじゃないかしら」


 笑顔で放たれた彼女の言葉は、ツクヨミをハッとさせ、スサノヲの心にグサッと刺さった。


「ぐっ……いや、まあ、その……おっしゃる通りで」


 スサノヲが苦しげに言う。


「俺が言うことでもねぇが、ツクヨミとは……もう会うことないだろうからさ……せめてそうやって、嫌な印象だとしても覚えててもらえるのなら、許してくれなくていいや」

「わたくしとはまだ会えると思っているのねぇ……」

「え、いや! 姉さんとも最後かもって思っているけどさ!」

「言っておくけど、わたしはもう前みたいに甘くないわよ?」

「あ、はい……」

「誰が忘れられようか」


 細かいところをついてきたアマテラスとの言い合いに、ぼそりを低い声が混じる。


「兄弟だとか、許す許さないだとか関係なく、其方を忘れられる者は随分と良い作りをしているだろうな」

「うぐっ」


 こちらもまた痛いとこをついてくる。


「正直、私にも至らなかったところがあると思う。ずっと意地を張っていないで、それこそ兄弟として、歩み寄ることができていれば、何か変わっていたのかもしれないな……と、最近は考えてしまうのだ」


 想定外の言葉にスサノヲは目を見開く。


「兄として、謝罪しよう。スサノヲ、すまなかった」

「兄さん……」


 ずっとツクヨミは、アマテラスの弟とは言っても、スサノヲの兄であるとは言ってこなかった。それはまるで、自身の汚点と感じているように、側から見ててもわかって、スサノヲはどこか心が痛むのを自覚していた。


 だから、何気ない兄弟の会話の一部ようであるさっきの言葉も、スサノヲには、いや、この三姉弟には大きな一歩となるのだ。


「私は、其方の今後の人生を、この高天ヶ原から見守っていよう」


 そう言ったツクヨミの顔は今までで一番慈愛に満ちていた。



   ***



「申し上げますと、私も彼のことは許してはいませんからね」


 スサノヲが葦原の中つ国に(くだ)り、ツクヨミが家に戻ると、もう日常に戻ってしまった。


 二人を見送った後、茶器などを片付ける側仕えたちを見ながら、タカギはアマテラスにそう言った。


「それは私に対しても、でしょう?」


 やや得意気な笑顔を浮かべ、後ろに立つタカギを見るアマテラスに、彼は疲れを感じる。


「これでもちゃんと、反省しているの」そういうアマテラスをあれから何度か見ているが、本当かどうかは、失礼ながらわからないでいる。


 それでも今日、どこか明るく清々しい表情をしているのはーー


「いい結果に終わったようで」


 アマテラスはずっと、ツクヨミとスサノヲの関係を案じていた。殿方同士、理解し合え、支え合える関係であって欲しいと言っているのを、そばにいたタカギはよく聞いていた。


 だからこそ、主のそのような表情が見られて、嬉しくなってしまうのだ。


「さあ、心残りなことも無くなったことですし、今日からお仕事も頑張れそうですね」

「ええ、そう……今日?」

「はい、今日から」

「もうそろそろツクヨミの時間ですけれど……」

「ですが、今日中に処理していただきたいことが何件かございます。それに、本日ツクヨミ様を呼び立てたのはアマテラス様ですよね? もう少しツクヨミ様にはお休みいただきませんか?」


 疑問形にはなっているものの、こちらに拒否権など最初から存在していない。


 返事に困っている間もタカギの笑みは深まっていく。


「……わかったわよ!! 可愛い弟達のためにも頑張りますよ……!」


 バサリと出された書類の束を抱えながら、アマテラスはタカギを連れて執務室へと向かった。

これで、彼女たちのお話は一旦終わりです。

次から新しい神様が主役のお話が始まります。

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