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エンカウント率0%の世界で、モンスターを寄せ付ける俺1人だけが強くなる  作者: 如何屋サイと
第1章

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9/10

勝利と誤算

 目下で起きる異常事態にアドは動けなかった。膨張を続けるスライムが木箱を押しのけ始めると、アドは我に返る。

 足場が崩れ始めた。

 アドは後退(あとずさ)り。だが、スライムから決して目を離さない。

 膨張した末に破裂するなんていう楽観的な考えがよぎらないほど、スライムの体は黒々と(にご)りを腹に溜めながら、順調に育っている。


「水が弱点じゃなかったのか?」


 勇者が最初に覚えた魔法が水の魔法だったから、最初に魔法で倒されたモンスターであるスライムの弱点が水だったと考えたのは早とちりだ。なぜなら最初に覚えた魔法を使ったとは一度も言われていない。おとぎ話となるほど過去の物語というあやふやな予備知識に頼ったのが間違いだった。

 見るべきは目の前の敵。あれだけ観察していても、そもそも自分の視点がズレていることを見落としてしまう。アドは悔しさに下唇を噛んだ。唇から血が滴って、スライムの頭に垂れる。

 ふたたびの奇声。

 スライムはアドのいる木箱めがけて体を押し付けてきた。


「ちぃっ」


 舌打ちしながらアドは奥の木箱へ飛び移る。

 スライムの圧で先ほどまでいた木箱の山が崩れ去る。落下し、板が弾け、中に保管されていた瓶が飛び出した。地面にぶつかり割れるものもあれば、瓶同士がぶつかって粉々に砕けて中身を飛び散らせるものもあった。

 強い臭気がアドとスライムの間に立ち上り、アドはとっさに鼻を覆った。


「この匂い……。アルコールか?」


 間違いなく酒の匂いだ。喉まで達するキツいそれは芳醇(ほうじゅん)葡萄(ぶどう)の香りだ。しかし、葡萄だと思わなければ塗料の匂いにも感じられる。

 スライムに鼻はない。ひるんだアドに付け入るスキは充分にあったはずだ。なのに巨大化したモンスターに攻撃的な動きはみられない。それどころかアドから離れようとしているようにさえ見える。

 予想だにしない動きはアドになにかを気づかせた。


「地面に滴る俺の血を吸収するために動くのなら、テントに忍び込んだ時に流した俺の血をなぜ無視したんだ? いや、無視したんじゃないよな。たどり着けなかったんだ。木箱の下に流れていたアルコールのせいで」


 アドがルキに切った指を手当してもらうまでに流した血とスライムがいた天幕の中央の間で、アドは濡れたガラス片を拾った。ガラス片は瓶の破片で、濡れていたのは中のアルコールが付着していたからだった。


「つまりお前はアルコールを苦手にしている。その理由は……」


 アドは木箱から飛び降りて、中央の柱に掛かった燭台を手にとった。


「火が弱点だからなんじゃないのか!?」


 ボゥ、と炎がゆらめく。スライムの巨体が怯えるようにねじれた。


「ここにある木箱。お前の巨体よりは高く積み上がっているが、この上を俺が歩いてもびくともしなかった。それほど大量の酒瓶が入っているに違いない。なら、これに火を引火させればお前を殺せるかもしれないな」


 アドはスライムに言い聞かせる。

 もちろんモンスターが人語をわかるはずもないが、こころなしか体液がそこかしこから漏れ出ている様子が、冷や汗に見える。

 そしてアドもひどく汗をかいていた。


「ルキ! どこだ!? 返事をしろ!」


 そう。スライムが巨大化してから彼女の姿が見当たらないのだ。最後に見たのはスライムから離れるように指示をした時。


「ルキ!!」


 大声を上げると声がした。だが、女性の声ではないし、一人だけではないようだ。

 アドはスライムを燭台の火で天幕の奥に押し込め、燭台を持ったまま天幕の出入り口へと走った。

 そこには群衆が何事かと押し寄せていた。主にスラム街や闇市、賭場の連中なのでほとんど貧困層の男たちだ。弱い雨が群衆の男たちをうっすら濡らし、汚れが浮かび上がっていた。中でも小奇麗な格好の酒場の主人は目立つ。


「やあ、アドの旦那。何かあったのか?」


 天幕の向こうにモンスターがいることなどつゆ知らず、のんきな調子で金歯の口元に笑みを浮かべて尋ねた。


「ルキだ。ルキを見なかったか!?」


 一方のアドは燭台を片手に必死の形相だ。


「どっ、どうしたい、旦那。ルキちゃんなら見てないがね……」


 酒場の親父は目を見開き、すぐさま腕でゴシゴシとこすった。


「なあ……、おいらの見間違いじゃあなきゃ……、あれは何だい?」


 アドの背後に指をさす。

 振り返れば巨大化したスライムが天幕の天井を突き破る姿があった。雨の降りしきる夜にうごめく黒き影。闇そのものと言える存在は人々の恐怖を駆り立てた。

 だが、足はすくんで動かない。濡れた紙が背中に張り付いているような気味の悪さが男たちを震え上がらせていた。

 燭台の炎が雨水を浴びてジュウと音を立てる。

 酒場の親父が口を開いた。喉を震わせず、呼気に声を忍ばせるようにこそこそと問う。


「アドの旦那! 何だいあれは!」


 その問いを背中に受けたアドは振り返らずに答える。


「スライムだ」


 静寂が訪れ、雨音が天幕を打つ音だけが聞こえた。誰かが「これが……?」とアドの言葉を疑う。勇者の物語は人々に浸透しているから、スライムがモンスターであることくらいは貧困層でも分かるのだ。だが、それがこんな闇そのものだとは思わなかったに違いない。

 男たちは困惑していた。おとぎ話が現実に現れたからだ。ある者は「スライムは人と同じサイズだって聞いたぞ」と巨大さを疑い、またある者は「勇者がモンスターをすべて倒したんじゃなかったのか?」とおとぎ話を(いぶか)しんだ。他には年老いた声で「100年ぶりにスライムが出た」と驚きを口にする者もいた。

 先頭に立つアドはスライムを凝視している。いや、スライムの体に目を凝らし、そこに居てはならない者を見つけようとしていた。


「どこへ行ったんだ……、ルキッ!」


 見つからない。もどかしさにアドは自分の太ももを拳で殴りつけた。

 それがきっかけでアドの指から血が流れる。包帯代わりにルキが巻いた布がほどけてしまったのだ。

 呼応するようにスライムが体をひねる。天幕の支柱が乾麺(かんめん)のように折れた。

 男たちはどよめく。


「おいおいおい! あいつ俺たちの街に来るつもりなんじゃ!?」


 酒場の親父が叫んだ。

 スライムはその大声を目印に体液をまみれの木材を体内から噴く。


「危ねえッ」


 アドが間一髪でそれを弾く。アドは小刀を鞘ごと突き出し、木材から親父を守ったようだ。

 明確な敵対行動が親父に火を付けた。


「アドの旦那! あいつ何とかできねえのかい!?」


 太い腕にすがりつく。スラム街でも居場所は居場所だ。それが壊滅したとあれば彼らが生きていく道は険しくなるだろう。最低限の生活を守るため、戦うべき時が来たのだ。

 そんな事情はアドに無い。いつも妙な余裕を持った男だが、今ばかりは真剣な面持ちをしている。大事にすると誓ったルキがいないのだ。頭はルキを探すことでいっぱいだったのだろうか、彼はぶつぶつとスライムの弱点をしゃべる。


「スライムは火を付ければいい。ここの木箱はすべて酒だから……」


 だが、そんなことを言うべきではなかった。

 男たちは親父の一声で、一気呵成に木箱の山へ押し寄せた。スライム中にはめがけて酒瓶を放り投げる者もいる。彼らは団結し、スライムをアルコールまみれにしようとしているのだ。

 アドはその光景を見てハッとする。


「や、やめろ……! まだどこかにルキがいるかもしれないんだ!」


 男たちに走り出す。酒場の親父が「アドの旦那!」と呼んだので、その方を見た時、アドの手から酒場の親父へと燭台が受け渡される。

 アドはあわてて親父にすがりつく。


「どうしたんだい!?」


「ダメだ! 火をつけるのはルキを助けてからだ!」


 親父は身をよじってアドを振り払おうとする。その横をスライムが放ったガラスの破片が飛んだ。

 スライムはいよいよ天幕を飲み込んで、その体長はスラム街へ繋がる高台をしのぐほどとなる。体にはいくつも木箱がめり込んでいた。体中に突き刺さった酒瓶から、どくどくと血のように酒を垂れ流している。


「アドの旦那っ……」


 親父が身じろぎを止める。


「分かってくれたか……?」


 アドが恐る恐る手を離す。


「悪い!」


 酒場の親父は渾身の力で燭台をスライムに投げつける。

 アドは息を呑む。

 重たい燭台はスライムには届かず、手前の木箱の山に落ちた。

 炎は一瞬の沈黙を破り、またたく間に燃え広がった。青色の炎はスライムの体へ引火すると、やがて真っ赤に燃えて巨大な火柱となった。

 男たちはすばやく退いて遠巻きにそれを眺める。それに逆行する男が一人いた。足取りはおぼつかない。炎に手を伸ばしたところを酒場の親父に引き止められる。


「アドの旦那!」


 それはアドだった。筋肉質の体が一気にやつれたように見え、まったく別人にさえ思わせた。

 アドはその場に膝をつき、燃え盛る炎を前にルキの名を叫ぶ。

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