エンカウント率0%の非日常
序章のみの登場人物
アレク(13)茶髪。煙突掃除夫をしている。
グレタ(15)金髪。帽子屋の娘。
「煙突掃除~、煙突掃除はいかがですか~?」
赤レンガの街に少年の声がこだまする。
声の主は10代半ばほど。貧相な身なりは煤でよごれて、おまけに前歯が一本欠けている。だが、恵まれない彼にもつかの間の安らぎがあった。
少年は帽子屋の前で足を止める。両手をズボンでぬぐい、手のひらにツバを付けて髪を整えると、
「おはよう、グレタ! 元気かい?」
店番の少女に屈託のない笑顔を見せた。
少女はカウンターに頬杖を付いたまま目線だけよこす。
「おはよ、アレク。私は元気よ。あなたは、今日も元気そうね」
猫みたいにそっけない態度だ。カウンターに置いた手はコインをいじっている。
「もちろんさ。君に会えるからね!」
コインが店先側の床に落ち、乾いた音が鳴った。
すかさずアレクがかがむ。キラリと陳列台の間に入った硬貨が輝く。
「拾ってあげようと思ったけど、ちょっとなあ」
あきらめて頭を上げかけたところ、
「拾って。お願いよ」
わがままに付き合わされるのだった。もちろんアレクは引き受けた。
どうやら彼には運がない。ささいな頼みを断ってさえいれば、グレタの耳まで真っ赤な恥じらい顔を見れたというのに。
アレクはコインを拾ってグレタに手渡す。
「ありがと。お仕事、今日も気をつけて」
グレタの頬はすっかり熱が引き、代わりに微笑みが浮かぶ。
それだけでアレクはグレタの何倍も頬を赤くした。
名残惜しそうに店を出るが、すぐさま踵を返し、グレタに尋ねる。
「おかしなことを訊くけど、君んちって煮こごりみたいな帽子も扱うのかい?」
グレタは小首をかしげた。
「扱ってないわ」
「でも」
指さした先に人の頭ほどの大きさで、液状の球体が転がっていた。肉や魚のゼラチンを塊にしたような物体は板張りの上を這いずっている。這いずる音は咀嚼音にも似ている。
得体の知れない恐怖が二人の首を締め付けた。
はじめに息をついたのはアレクだ。
「グレタ! 逃げよう」
アレクはグレタの右手を取り、帽子屋を飛び出した。
しかし、そこに広がっていたのは赤レンガの街ではない。いや、赤レンガの街に似た地獄だった。
平和な都市をおぞましい化物たちが闊歩する。首のない騎士が壁をすり抜けて街頭を横切り、水路からは帽子屋の中にも居たゼラチンの塊がうようよと這い出てくる。空にはコウモリのような羽根を生やした浅黒い胎児が飛んでいた。
連鎖する悲鳴、飛び交う怒号、老若男女が恐怖する。
アレクは一人うなずく。人々は街の中心へ逃げている。わけがわからないし笑えないこの事態、頼みの綱は寺院だ。高い鐘楼を目印にアレクも飛び出す。
「いくよ、グレタ! 寺院だ。寺院に行こう!」
石畳を駆ける。
化物の餌食になるのは足の悪い老人、歩幅の小さい子供、赤ん坊を抱いた女。誰よりも早く走る必要はなかった。他の者より少し早く走ればいいだけだから。
アレクは息が上がって肩で息をしている。それから自分に言い聞かせるように、
「あの時……、君の手を取って良かった……。だからっ、……この手を離さないでくれよ! 二人でっ、寺院に行って、僕らは助かるんだっ……。そうだろ、」
言葉を紡いで振り向いた。
「グレ……、タ……?」
アレクは足を止め、グレタの手を確かめた。
帽子屋で握ったグレタの右手だ。つい数分前まで頬杖を付いていた右手だ。
ただ、握っていたのは右手だけだった。
「う、嘘だ……、そんな、グレタは……」
遠くから化物たちが迫り来る。悪夢のような光景が広がっていた。
やはり彼には運がない。振り向きさえしなければ、足を止めずに済んだのに。
「はは……。思い出したぞ……。あれはモンスターって奴だ……。おとぎ話に出てくる化物なんか、おんなじおとぎ話に出てくる勇者しか倒せないんだ……」
青ざめた唇からよだれが垂れた。崩れるようにひざをつく。
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