対となる者
家に着いて一息つく。
要所は傷が治りやすく、胸の穴はすでに塞がっている。
というか、要所以外もほぼほぼ治っているのだが。
「お兄ちゃん、体の調子はどう?」
「大丈夫だ。一時はどうなるかと思ったがな」
あの男の攻撃を受けてからしばらくは、体が再生をしなかった。
干渉されていた感覚がある。
再生が止まっていたのは、あれの能力のせい。
しかし、移動の高速化や、触れただけで相手を破壊する一撃、再生不可にする干渉力……
攻撃に違和感を感じてはいたが、正体は掴めず仕舞いか。
干渉中に強引に再生することもできたが、とりあえず干渉が消えてからした。
これで彼は俺が死んだと思っているはずだ。
俺は胸元に大きな穴の空いた服をゴミ箱へ放り込み、浴室へと向かう。
全身血まみれで気持ちが悪かった。
鬼門を使った後と違って体は普通に動かせる。
こういう時の気持ちのリフレッシュわ家を汚さないために、予約で風呂自動をオンにしていた浴槽はお湯でいっぱいにしてある。
さらに脱衣所には、こういう事態を想定して着替えを用意してある。
備えは完璧だ。
「先に風呂入るぞ」
断っておくのは大事だ。
奏未が風呂に突貫してこないとも限らないからな。
シャワーで丁寧に血を落とす。
ふと自分の手へと視線を落とす。
この手にこべりつく血は、どんなに水で洗ったとしても、落ちることはない。
血を落としていると思い出す、両腕にこべりついた拭えない血。
何度だってあの時の光景がフラッシュバックする。
はぁ、溜め息がごぼれるのは俺がそうなることを必要なことだと受け入れてしまっているからか。
本当に出発前に予約で風呂を沸かしといてよかった。
憂鬱な感情まで全てリセットできる。
湯船に肩まで浸かる。
しっかし、、強かったなぁ……
倒せないことはない。
俺が隠している力を使えば、問題なく倒せるだろう。
しかし、できれば力は使いたくないな。
正直フィリアに知られるのはよろしくない。
鬼門と暗技でなんとかしたいが……
鬼門、二段階入れれば倒せるか?
三段階は入れたことがないからどうなるか分からんし、二段階までで抑えたい。
まあ、死ぬことはないのだが。
もともとあっちの力に頼りきりだったツケが回ってきたか。
もっと鬼門を使っていればと思わないでもないが、やっぱりダメージがでかいので、使わなくてよかったとすぐに考えを改める。
「お兄ちゃん、湯加減はどう?」
「少し冷めてるが、今の俺にはちょうどいいよ」
普段なら熱めが好きだが、ひどい傷を負った後は少しぬるいくらいがちょうどいい。
「そっかー」
ガラリと扉が開き、奏未が入ってくる。
そっかーじゃないが!?
「それじゃあ、一緒に入ろ♪」
一緒に入らないが!?
「何でだ!」
「お兄ちゃんだって嬉しいくせに〜」
せめて建前ぐらい言えよ!
いや、嬉しいんだけども……!
「入り口を塞ぐな」
「だってこうしないとお兄ちゃん逃げるでしょ?」
当たり前だ!
妹の裸で興奮するわけにはいかんだろうが!
「お前と風呂に入ったら俺がもたん!」
「あたしは大歓迎だよ?」
「俺がダメなの!」
てか、前隠せよ!
完全に全裸、水着を着てるとか、タオルを巻いてるとか、そういうこともない。
真っ裸で見せつけるように入り口で仁王立ち。
お前さぁ、元々はもっと恥じらいを持っていただろうが。
取り戻せよ恥じらいを!
残念ながら義妹でもない妹は、その発展途上のお胸をツンと上に向けて、俺を決して逃がさない構え。
意思は固そうだ。
心配をかけたからなぁ。
奏未もあいつと戦って、実際にあいつの能力を受けて、思い知ったはずなんだ。
あいつが奏未の能力に干渉し、あまつさえ奏未の能力より優先された。
そりゃあ心配にもなるか。
もし俺があいつの干渉力によって確実な死を迎えてしまったらと、気が気でなかっただろう。
その反面、俺を信じてもいた。
だからこそあの場面であれだけの、本音と建前が混ざった演技が見せられたわけだから。
死んでしまっていたかもしれない俺、だからたくさんスキンシップをとっていたい、それはとても理解できる思考回路だ。
俺だって、もし奏未が明日死ぬとしたら、きっとたくさん抱きしめるし一日中放してやるつもりはない。
仕方ない。
俺はつくづく自分に呆れて、はぁと重たい溜め息をこぼした。
そうは言っても俺たちは兄妹なんだ。
一緒に入浴なんてのはありえない。
暗技流水制・流潜!
奏未の流れに潜り、注意の外を移動する。
勢いよく立ち上がり奏未の注意がその場に釘付けになった瞬間に、下腹部を隠して小ジャンプし水を跳ね上げる。
跳び上がったと脳に思い込ませ、注意を上に逸らす。
俺は身を低くして、奏未の横を通り抜ける。
全く、奏未にも困ったものだな。
だが、気は紛れた。
不毛なことばかり考え込み過ぎていたから。
体を拭いて服を着る。
奏未の用意していた着替えは、ご丁寧に俺に見せつけるようにパンツを一番上にしている。
気にしないようにしていたんだが、裸を見せられた後だと、これもわざとに思えてきた。
風呂場を出てから気を紛らわせようと意識をあちらこちらへと移していると、スマホの着信音がけたたましく鳴り出した。
誰からの電話かはすぐに分かる。
他と着信音を変えているからな。
重要な連絡が多いから特別扱いしているその人からの着信をとる。
「もしもし」
「八田月だ」
今日のことで何か掴めたようだな。
移動中に報告しておいたが、八田月は八田月で調べてくれていたっぽいし、情報の照会も速い。
本当によく働いてくれる。
「明日は早くに来てくれ。他の連中にも俺から伝えておく」
「待て。日溜と夢花は戦いを降りる」
「そうなのか?」
「というか降ろす」
「そうか。ならフィリアには伝えていんだな?」
すんなりと頷いたな。
これは八田月が俺の見解に近い答えを導き出したと示している。
俺のはほぼ確信だけどな。
「ああ。もし悪魔が関わっているなら、あいつが狙われるかもしれないしな」
「そうだな……」
それを否定しないところを見るに、八田月もなんらかの根拠を持っていそうだ。
やることは大体決まったかな。
話は終わりだろうか?
終わりかどうか言ってくれないと、電話越しに暗技で読み解けるほど熟達してないので、切っていいのか分からない。
お互いに口を開かず、数秒の間が生まれる。
「広人、その、なんだ………気を付けろよ」
「何を心配してるんだ?」
「お前は戦うんだよな?」
「そうだな」
じゃなきゃ情報なんか求めちゃいない。
「だから心配してんだよ」
「俺に心配は無用だ。俺は死なないからな」
「そうだ。お前は死なない。だが、痛みはある」
痛みには慣れてる、なんて言うのは、八田月には酷か。
俺は喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
「俺は……そうだな。善処する」
便利な言葉で通話を終える。
つくづく自分が嫌いになるな。
こんな言葉しか言ってやれない。
ぼろぼろになることは確定していて、それはきっと八田月だって分かっている。
全てを話せたら楽になるのだろう。
だが、理性も感情も、話すべきではないと訴えている。
臆病な自分にほとほと呆れてしまう。
ふと俺は脱衣所兼洗面所の扉が開いていることに気がつく。
そこでは奏未が、扉の陰から俺を見守っていた。
心配させてしまっていたか。
「悪いな。心配かけた。さあ、遅いけどご飯にしよう」
「なんのこと?あたしはただ、お兄ちゃんとお風呂に入りたかっただけだよ」
本音半分か。
「だが、あれはやめろよ。もし俺が自暴自棄だったら、襲われていたかもしれないんだから」
「そっか……じゃあお兄ちゃん、なろっか、自暴自棄」
そういえばこいつはこういうやつだった。
無責任じゃないと兄妹では成り立たないもんな。
だが、魅力的な誘いではあるが今の俺は極めて理性的である。
「なるわけあるか!」
自暴自棄なんてものは、なりたくてなるものじゃないんだよ!
最愛の妹にそうツッコミを入れて、晩御飯の準備を一緒に始めた。
結局奏未もそこで踏み込みきれないから、いつもこんななあなあな関係で止まる。
ともあれ今はそれが最善なんだと、それまで頭を悩ませていたことをすっかり忘れて、一時のまどろみにひたるのだ。
清々しい朝だ。
夢花には先に行くとメールを入れておいた。
奏未には八田月の話を聞かせるために、一緒に登校してもらっている。
「あれ?派世、今日は随分とお早い登校だな」
まだちらほらとしか学生が歩いていない通学路、日溜が向かいから歩いてくる。
八田月は日溜を呼んでないはずなんだが。
「お前こそ早いな」
「話す前に、奏未ちゃんをどうにかしてくんね?」
奏未を?
奏未に視線を下ろすと、日溜に鋭い眼光を向ける奏未。
「ふむ」
「ふむじゃなくて!」
「奏未に睨まれるなんて、一部の人からしたらご褒美だぞ?」
「俺にはご褒美じゃねーの!つか、なんで俺はこんなにも敵視されてんだよ!俺何かした覚えねーぜ?」
俺に聞かれてもなぁ。
「だって日溜さん、お兄ちゃんを狙ってるでしょ?」
奏未は何を言ってるんだ?
「なぜ俺は奏未ちゃんにこんな風に思われてるんだ!」
俺が知るかっての。
いや、心当たりはある。
おそらく昨日の考えなしの行動が、奏未を怒らせているんだろう。
だが、いつものことと言えばいつものことだ。
いつも通りと言って差し支えないか分からないが、いつも通り日溜を目の敵にする奏未に、落ち着きを取り戻してもらうために、後頭部までかわいい奏未に優しくチョップして先を促す。
「ここじゃ暑いだろ。さっさと行くぞ」
「あれ?奏未ちゃんも?」
「八田月に用があってな」
俺が昨日のことで八田月に相談に来たことは、日溜なら想像がつくだろう。
しかし、こいつはどんな用事でこんな早くから来たんだ?
暑さにうなだれながら歩き、ようやく校舎の中へと入る。
日差しがなくなるだけで随分と涼しく感じるものだな。
「失礼しまーす」
教師の返事を待たずに、気軽な感じで扉を開けて職員室へと踏み入る。
「お、来たか。日溜も一緒か」
校長とお話中だったか。
「君はたしか……派世広人くん、だったね」
「うわぁ、知られてるよ」
この校長好きじゃないんだよなぁ。
集会のときに話が長いとか、そんなことはない。
ごく普通の人だ。
しかしーー
「派世、失礼だろ」
「いいんだよ。こいつから嫌な流れを感じるしな」
「嫌な流れ?」
日溜が感じとれない類いの流れだ。
奏未もそういったものに敏感だ。
おそらく意図的に、嫌そうな表情を校長に向けている。
俺たちがそんなやりとりを交わしていると、扉がノックされて失礼しますの一言の後に、フィリアが入室する。
フィリアは校長を見てすぐに剣を抜いた。
拳を握りしめる俺や神を降ろした奏未と同じといえば同じ反応か。
「僕は生徒から嫌われているみたいだね」
俺とフィリアが特別警戒してるだけで、他の生徒からは嫌われてはいないと思うがな。
日溜が良い例だ。
フィリアが抜刀しているにも関わらず、他の教員は書類整理なんかをしている。
誰もが気にも止めない。
「こいつら物騒だな。先生、頼んでいたものをさっさと渡してほしいぜ」
おいおい、他の教師がなんでもないことのように過ごしていることの方が異常だろ。
職員室で抜刀だぞ、それを気にしない?
あり得るかよ。
校長に視線を向けると、俺の視線に気付いて笑いかけてくる。
やっぱりこいつがなにかしてるな。
「そうだったな」
ともあれ、頼んでいたものとは気になるな。
後で日溜に訊けばいいか。
八田月が数枚の書類を日溜に渡すと、日溜は俺たちをそそくさと職員室を退室する。
さてと……
「フィリア、剣を納めろ」
俺に言われて、とても不服そうに剣を納めるフィリア。
「賢明な判断だ」
殺気をびんびん発している俺たち三人に、八田月は呆れたように溜め息をもらした。
まあ、全くもって無駄なことだからな。
校長、空斬小金。
たしか、40歳ぐらいだったか。
何をすればここまで異質な流れを放てるのか、俺が今まで会った中で、最も危機感を覚える流れ。
全くの、未知。
「僕がここにいると話ができないだろう。僕はもう行くよ」
「そうしてくれ。俺もあなたといると、胃が保たない」
動物的本能が強い八田月も、やはり苦手意識を持っているようだな。
俺たち同様に何かを感じとっていた八田月は、シッシと手で追っ払っている。
校長が退室すると、ようやく落ち着ける。
俺の後ろに隠れてた奏未も、俺の横に並び立つ。
「よし、場所を移すぞ」
八田月はノートパソコンを持って応接室へと入る。
俺たちもそれに続いた。
「正体は掴めた。組織との関係も裏が取れた」
さすが八田月だ。
隠密行動はお手の物だな。
いや、調べたのは八田月じゃないのか?
「それで、あいつは何者なんだ?」
パソコンに悪魔から渡されたUSBを差し込み、データを表示する。
大量のファイルデータの中から悪魔の秩序のファイルを開き、その名簿から、とある名前を選択する。
黒白凰帝
21歳 階級〈白〉の13位
人間、男性、これくらいの情報しか持ち帰れなかったが、そもそも奏未より強くなくてはならないのなら、人間の中でもかなり絞られるのだ。
それが悪魔に加担している人間なんて注釈がつけば、さらにそこから絞り込められるわけだ。
しかしこの量のデータを漁っていたのか。
八田月の苦労が窺い知れる。
「奏未よりも順位高いな」
「奏未ちゃんも白なんだ」
ある程度予想はしてたって感じだな。
「あたしは14位だよ」
「そんなに強かったの!?」
「あれはみんなの体が耐えられるように、奏未が調整していたんだ。あれっぽっちの実力じゃないぞ」
順位が出るのは白のみだ。
上位12人は新たなる可能性と呼ばれ、能力を超えた能力を使うと言われている。
相手が13位だから、まだマシだと考えるべきか。
「しかし、どうりで俺たちが負ける訳だ」
「負けた訳ではないだろ。お前たちのおかげで情報は得れたし、お前たちも全員無事だ」
俺の尊い犠牲の上での生還だけどな。
ともあれ、その視点から見れば、確かに負けではない。
むしろ、情報を持って帰ってきた以上(まともな情報は得られなかったが)、俺たちの勝ちとも取れる。
だが戦闘だけを見れば、俺たちの負けは明らかだ。
奏未の力を使ってあそこまで一方的にやられた、だから奏未では勝てない。
有用な情報はほとんどないが、そのおかげで八田月の情報整理が順調に進んだ可能性もあるわけだが。
俺たちは資料を覗き込みながら、彼の情報を余すとこなく確認していく。
「こいつ、妹がいるのか」
「らしいな」
だからあの時、俺の返事に揺らいでいたのか。
だからあの時帰っていったのか。
それなら、俺の言葉で少しでも心を痛めてくれていたらいいんだが。
「こいつが殺しのリストだ」
こんなものがあるなら、こいつらの犯行で確定か?
「こいつが厄介なことに、複数の組織に跨って共有されていた情報なんだ。だが、実行犯がわかれば、実際に動いていた組織か否かわかる」
なるほど、つまりは能力者の情報だけは持っていて、なにもせずに傍観していただけの組織もあるわけだ。
「さて、いったいどうしてこんなものを活用し出したのか、わかるな?」
「背後にある巨大組織が、フィリアを安全に確保するため、か?或いは、何かしら起こそうとしている」
「俺も同じ意見だ。この情報をくれたやつも、同様だ」
俺はそれについて思案するのをやめて、今最優先で考えるべきことに意識を向ける。
ふむ、斜線が引いてあるのは既に殺された者か。
名前だけだが、ふむ、日溜兄妹の名前もある。
奏未はさすがにないか。
「ちなみに、こいつが昨日殺された者だ」
まあ知らない人物だな。
知った顔なら昨日見た時にピンと来ているだろうとは思ったが、やはり全く知らない人物だったか。
俺の胸中を不安が満たしていく。
きっと普通の感性なら、知ってる人じゃなかったことに安心するのだろうな。
俺は異常な感性の持ち主なので、殺された人物の素性を暴こうとする。
階級は黒か。
「こいつの詳細は?」
「大した情報はなかった。本当になにもない。一般人だな。優日のような経歴もなければ、尖りまくってグレるようなこともない。高位能力者で天狗になっていただけの、至極普通の学生だ」
なにも情報は得られないか。
「今まで殺された人物一覧だ」
やはりまとめてくれているか。
仕事が速い。
このリストには赤と黒の者しか載っていない。
殺された者たちの情報もそれぞれ記載があったが、見事にどれもごくありふれた一般人たちだ。
「全くなんの参考にもならない情報をありがとう。少なくとも、狙う順番などは特に決めてないようだということが分かっただけでも暁光だな」
「ちなみに昨夜スパイから情報が入ってな、こいつらは狙われない」
じゃあなぜ見せたし。
「今はこいつだ」
そうして見せられたリストにはフィリアの名前だけが記されている。
「それでやはり、こいつを捕らえるのが仕事だそうだ」
やはりフィリア狙いか。
しかし、このタイミングで狙いを変えるなんて、よっぽど焦っているらしいな。
まあ、悪魔王が動いたんだから、焦るのも無理はないか。
しかし、悪魔王が動いたにしても、その悪魔王が失敗したんだから、やめておくべきだと思わなかったのか?
まあいいさ。
そのおかげで防衛も楽になる。
しかしどうして狙いの変更まで分かっているのか。
もうさ、俺たち戦う必要なかったよな?
いや、勝手に戦ったのは俺たちだけどさ。
そのスパイっての、有能すぎないか?
犯人も組織もはじめから分かっていたわけか。
無駄骨?
いや、直接会っていなければ、相手の実力を軽んじていた可能性がある。
触れられるだけで干渉され身動きがとれなくなる、実体験したことで得られた情報だが、あるのとないのとでは戦い方が変わる。
まともな情報得られなかったと思っていたが、そう思うと実際に戦った経験は、様々な面で補足してくれるだろう。
「狙いは分かったけど、対策はどうするの?」
ごもっともな意見だ。
奏未でも勝てない相手にどう挑むか。
「広人、何かないのか?」
「そのさ、とりあえず俺に丸投げするのやめろよ」
「そうだよ。みんなお兄ちゃんに頼り過ぎだよ!」
奏未は俺を気遣ってくれる。
いい子だなぁ。
「お兄ちゃんが戦いに行くと、あたしとお兄ちゃんの2人きりの時間が減っちゃうの!」
そ、そうだな。
家族水入らずの時間は必要だ……
……いや絶対そんな考えで言ってない。
俺のためではなく奏未自身の欲望のために言っていたんだなと思うとなぜか寂しく、、あれ、寂しくないぞ?
ああそうか、奏未の欲望が俺を想うがあまり出てきたものだからか。
「ともあれ、お前でも勝てない相手となると、俺がやるしかないな?」
つい先程まで同意見だった奏未を、諦めている俺は説得するように話す。
「そうだけどさあ」
「それに、俺は胸をぶち抜かれた。あれの被害者だ。そのお礼をしてやんないとな」
死ななくても痛みはあるからな。
それに、誰かが戦わないといつまでたっても解決しない。
俺の後輩や親友が殺されるかもしれない。
そしてフィリアが、今現在狙われている。
「広人、ありがとう。それと、ごめん。また私のせいで戦うことになって」
何をバカなことを。
少なくとも、フィリアの責任ではない。
「お前が狙われてなくても、日溜やティナが狙われるんだ。俺はどっちにしろ戦ってた。お前が気負う必要はない」
フィリアはすぐに自分の責任に感じるな。
新人類を狙った事件があったせいで、そうなってしまったのか。
フィリアは失うことをひどく恐れている。
自分の抱える問題で誰かが傷つくのを、ひどく恐れている。
俺のことなど気にしなくていいのに、と言っても、フィリアの性格上それは止められないのだろうな。
まあ、かくいう俺も、フィリアを失うとなると、やはり恐ろしく感じるものではあるが。
そして、本来なら昨日今日知り合った間柄の人物がどうにかなったところで、俺は仕方がなかったと割り切れてしまうのだが、俺の性質上、フィリアは見捨てられない。
可哀想だからとかではない。
友人が理不尽に曝されているなら、俺は決して見過ごすわけにはいかない。
「広人がこう言ってるんだから、心配するこたねえって」
「でも、、そうね……」
「それで?敵の狙いは分かったが、具体的な対処法はないのか?」
「ない。これが黒白凰帝の情報なんだが、対処法なんてあると思うか?」
黒白凰帝の画面に戻す。
黒白凰帝、時間遊戯とも呼ばれる。
その能力は、自分及び触れている者の時間を操る。
だから再生が止まっていたのか。
動けなくなったのもそういうことか。
触れられたら負け、そう考えておいた方がいいな。
とはいえ、もしもの時に対する対応策を用意しておかなければならないわけで。
「どうだ?」
「能力が分かれば対処の仕様もある、と思っていたが、インチキ能力にも程があんだろ。無理ゲー。中木に任せた方がいい」
しかし、方法がないわけではない。
運要素増し増しにはなるが。
他者に干渉する能力にはさまざまなタイプがあり、それらの強制力はそれぞれ異なる。
厳しい条件下の元で発動する能力なら、その効果は絶大だ。
だが、干渉が主でない能力なら、外部及び干渉されている当人の力で、振り解くことができる。
あの男の能力が力尽くで振り解けるなら、どうにかできるはずだ。
「どうにかなりそうって顔だな」
「最悪の場合には、俺のあらゆる力を使うつもりだったが、多少可能性が見えてきた。一応勝てるかも?かなりキツそうだが」
「後処理は任せておけ」
傍観宣言か。
まあいいけどさ。
八田月には事後処理での根回しにこそ尽力してもらいたいし。
さて、俺は時計に目を向ける。
「奏未、お前はそろそろ学校に行け。早く行かないと遅刻になるぞ」
奏未は授業免除されているから、どれだけ遅れても遅刻にはならないけどな。
これは奏未が高位能力者だからではなく、中学校の修了課程を全て履修済みだからだ。
すでにテストを受けて満点を叩き出している。
なんならうちの高校のテストでも満点をとるし、模試を受けても東京大学C判定だったりする。
いわゆるお勉強は、よくできる方なのだ。
しかし学校生活を大切にしている奏未は、それでも授業に出席したがる。
なので、俺の誘導に流されるままに先に退出する。
他で決まったことがあったら、また後で共有すればいいのだから。
「広人、敵はいつ襲ってくるか分からない」
「そうだな」
「しばらくフィリアと過ごせ」
「え?」
フィリアは予想していなかったようだ。
八田月が言わなければ俺から言おうと思っていた。
「え?じゃない。お前は敵に狙われている。広人のいないところで襲われたりしたら、助けようがないだろ」
家だってバレてるだろうし、安全面を考慮するならしばらく俺と暮らすべきだ。
こうなることが分かってたから、奏未を先に退出させたわけだし。
奏未がいたらもめそうだからな。
「よし、決定だ。さ、お前らも教室に戻れ」
その指示に従い、2人で教室へ戻る。
フィリアはいささか不服そうに見えたが、そりゃあ気になるよなぁ。
出会って間もない男と一つ屋根の下ってなると。
いやまあ、奏未がいるからなにも起こらないんだけども。
「遅かったな、派世。昨晩のことか?」
「まあな」
「それで?なぜ俺が呼ばれなかったんだ?」
俺の意向を察してか、少しお怒りだな。
「次会う時は奏未が盛大に暴れ回るかもしれない。そうなったら、お前と夢花はいない方がいい。力の共有をしていると、奏未が全力を出せないからな」
「ぐっ……それはたしかに俺はいない方がいいな。あいつめちゃくちゃ強かったし、奏未ちゃんの全力じゃないといけないってのも納得だぜ」
よかった、日溜には納得してもらえたようだ。
そういえば、日溜は八田月から何か受け取っていたな。
そのせいで鉢合わせたわけだが。
「そういえば、お前の用事は何だったんだ?」
「俺の用事?ああ、これのことだな」
日溜に用紙を渡される。
ユニット申請書、か。
「へー、お前もついにユニットを組むのか」
ユニット、ゲームや漫画風に表現するならば、冒険者パーティーという表現が近いだろうか?
ユニットのメリットとしては、本来悪魔退治を生業とする狩人が請け負っている仕事を、一部でも受けることができるということ。
その資金は個人とユニットの共有財産とで分配されるが、共有財産の利用方法はユニットに所属する者同士で決めてしまえるから、自由に引き出せる口座が一つ増えるようなものだ。
それに、イベントで事あるごとにユニット対抗が行われるから、そういった意味でも非常に有用だ。
「それで、誰と組むんだ?」
「メンバーを見ろ。書いといたぜ」
ふむ、リーダーは日溜。
その他メンバーは、夢花、フィリア、奏未そして俺。
「ユニット名は新世界だ」
「痛たたたたたたたた」
「急にどうした⁉︎大丈夫か⁉︎」
「いやー、あまりにもユニット名がイタくて」
「そんなにイタいか⁉︎」
聞こえていたのか、中木が机に突っ伏してバンバン机を叩いている。
笑いを堪えきれなかったか。
「み、みんなを笑顔にできるユニット名だから」
とってつけたような命名理由に、ついに中木が声をあげて笑い出した。
中木の大爆笑が響いてるな。
日溜は正当化に必死だ。
「それで、なぜ俺達が入っているんだ?」
名前を書いた覚えはないが。
「昨晩分かっただろ?俺達の相性は最高だ」
ぼろ負けだったんだがな。
それに、相性がいいとはとても思えないが。
奏未全力出せないし。
日溜自身も全力出せんかったやろがいっつって。
「これはもう組むしかない!」
「組むなら組むで先に言ってくれよ」
「お前ら兄妹以外には伝えたぜ」
俺らにも話せよ。
「まあいいさ」
「奏未ちゃんも?」
「俺が許可する」
日溜は一度言い出すと止まらないからな。
「お前の方はどうにかなりそうか?奏未ちゃんでも勝てないんだろ?」
やっぱり分かっていたか。
「どうにかするさ。俺を誰だと思ってる」
「そうだな。お前は騎士、だったな」
「あ、それはこういう場面で使う言葉じゃないから」
「そ、そうなのか。なにも考えずに言ってたわけじゃないんだな」
ちゃんと意味があって、自分を騎士と形容しているんだ、そんないわゆる騎士のような気安く使っていい名前ではないよ。
ともあれ、
「お前もしばらくは警戒しとけ。何があるか分かったもんじゃない」
「俺は常に警戒してる」
「何かあったらすぐに暴れろ。奏未がすぐに救援に向かう」
「りょーかい」
こんなにも連日高位能力者が殺害される事件が続いているというのに、学校は不思議と通常運用。
週に一度の戦闘訓練の授業は、暑い中外で行われる。
「派世ぇ、俺とやろうぜ」
いつもは夢花と組手をするのだが、これからに備えて技術を盗むべきだな。
「委員長、手合わせ願おう」
「いいだろう。相手してやる」
委員長こと逆見蓮葉は、このクラスの中で唯一、俺の動きに対応できる。
教科書に載ったCQCを極めた日溜や中木でも、俺にはついてこられない。
委員長の使うのは、戦闘技術、暗技の対として存在する闘技。
暗技が裏なら闘技は表。
本当は両方裏だが、ともあれ。
本来闘技とは暗技とは真逆の性質を持っていて、暗技使いが戦闘に組み込むには難しいのだが、それを差し置いても今はなるべく技がほしい。
委員長は構えるが、暗技に正しい構えはない。
相手の動きを静観する。
暗技は暗殺技術である。
つまりこのように相対してしまえば、暗技では部が悪い。
それが通説。
どこの通説だと思わないではないが、一応そういう風になっている。
委員長が拳を繰り出す。
その技はもう盗めてる。
委員長の拳に拳を打ち付け、その反動に任せて腕を引く。
腕を引くことで、もう一方の腕は反対に加速し射出される。
そうして射出された拳同士がぶつかる。
また反動で腕を引き、もう一方の拳を射出。
俺と委員長の拳が何度もぶつかり合い、その度に空気の破裂音が響く。
これでは埒があかないと、委員長が距離を取る。
暗技は技術を盗む。
闘技とは戦い方が違うのは間違いないが、暗技は何者にもなれる技術、暗技使いは闘技使いにもなれる。
逃がすまいと距離を詰め、低い姿勢から腹をめがけて掌底を打ち込もうとし、慌てて身体を逸らす。
目の前を足が通り過ぎ、額に影がかかる。
空中でくるりと一回転して勢い付いた委員長の踵が、俺の頭部へ振り下ろされる。
横転して躱すが、巻き起こった土煙で視界を奪われる。
空気の流れから居場所を特定し攻撃を躱す。
煙が邪魔だな。
暗技流水制・響体!
筋肉を震わせて、体全体から衝撃波を発生させる。
土煙が散り、委員長の姿が露わになる。
その構えを一目見て、ダメなやつだと分かる。
委員長の拳が俺の頰を掠める。
その腕が俺の首を抱え、空いている手を固めて腹に一撃、腕が解かれ足払いされて倒れる。
倒れた俺の腹、丁度一撃もらったあたりに膝が落とされる。
逃げを封じられた。
次でエンドか。
委員長が拳を振り下ろす。
暗技流水制・俄砲!
「ウラアアア!!!」
音を砲撃の如く飛ばす暗技。
ノーモーションでできるので便利だが、これ単体では相手を倒せない。
委員長の体が音に弾かれ、俺から引き剥がされる。
俺はすぐさま起き上がり、体勢を立て直す。
威力は抑えたが、至近距離での俄砲だからな、耳がろくに聞こえないだろう。
委員長が構えを解く。
戦闘終了の合図だ。
俺はついつい俄砲を使ってしまったことを申し訳なく思いながら、自分の耳を指差して委員長に確認する。
委員長は首を横に振って否定する。
やはり聞こえないようだ。
隣の中学校からはどんどんと派手な爆発音が聞こえてくる。
結構激しく、俺たちの中でもかなりの人数がその音にびくりと体を震わせた。
しかし委員長は全く気付いていない様子。
ふむ……ところで、あの戦闘を繰り広げているのは奏未だろうか?
だとすると、呼んで治してもらうことはできそうにないか。
委員長の耳を治してもらいたかったが……仕方ない、なんとかするか。
俄砲を受けると耳の中で音が反響し続け、他の音が入らなくなる。
ちょっとやそっとのことでは治せない。
さて、どうしたらいいんだ?
奏未ならどうとでもできるんだがな。
えっと、波長を計算して音の波が逆になるようにすればいいのか?
うん、そうだとして無理。
「派世、どうしたんだ?」
委員長の様子に違和感を覚えたらしい日溜が、駆け足で寄ってきた。
「大丈夫だ。なんともなくはないが、なんとかなる」
「そうか、それなら…って、なんかあったのかよ!」
「お前、俺達の戦い観てただろ」
「動きが速くてよく分からなかったぜ」
たしかにハイテンポだったな。
それに、暗技は暗技を知らない者が見ても、なにが起こっているのか分からないものだ。
俺はなんとかするための準備を始める。
地面に大きめの円を描き、そこに模様を刻む。
アルファベットや何かしらの絵を組み入れ、術式を作る。
フィリアにバレたらどう説明しよう?
そんなことを考えながら、描いた陣の中央に委員長を立たせて、日溜を離れさせる。
大きく深呼吸。
「我が血を以て力と為す。我が力を以て形と為す。安らぎの旋律よ、数多の波紋を打ち消す希望となれ!」
即興で組んだ術式だがその効果はすぐに現れる。
怪しげな光が線を引きながら委員長の周りを回る。
そしてそれはすぐに収束し、何事もなかったかのように描いた陣ごと消滅する。
「聞こえてるか?」
「大丈夫だ。聞こえる。ありがとう、派世広人」
血がごっそり持ってかれたせいでふらつくな。
一応魔法陣を描いて補強したんだけどな。
「派世、何したんだ?」
魔法使ったなんてとても正直には話せない。
「なんだろうな」
日溜に言ったら魔法について根掘り葉掘り訊かれるだろうしな。
まあ日溜は吹聴するようなタイプではないが、どこから情報が漏れるか分からないし、できればこの技術は秘匿していたい。
まあ使い方を知ったところで、誰も使いこなすことはできないだろうけど。
「そういえば、派世広人、今日一日何かを気にしていたみたいだが、大丈夫か?私は力になれただろうか?」
委員長は鋭いな。
隠し事には自信があったんだが、まさかバレていたとは、少し悔しい。
その気遣いは嬉しいけどな。
「言ってくれれば力を貸すぞ?」
髪の隙間から深緑の瞳が覗く。
白目黒目の境のない、宝石のような美しい瞳が。
「俺がどうにもできなかったら借りるかもしれないな。その時は頼む」
街中で使うには危険過ぎるからな、しばらく借りることはなさそうだ。
それは委員長も分かっているようで、委員長が少し残念そうに全く力を借りようとしない俺に思わず委員長の小言が漏れる。
「しばらく貸すことはなさそうだな」
借りたことないし、借りるにしても、運用がかなり難しい力だからなぁ。
自覚しているからだろうか、それとも俺が自分を頼ってくれないからだろうか、もどかしそうにする委員長に、俺は苦笑を返すことしかできない。
さて、気分を改めて、貧血も治ったことだし、次は誰とやろうか……
「よし、派世ぇ、俺と組手しようぜ!」
そうだな、と言いかけたところで、俺へと近づいてくる何者かの存在に気付く。
「悪いな。お前の相手はできないらしい」
それが誰かはすぐにわかったので、受け入れる準備のために日溜の誘いを断った。
その何者かは上空から俺に勢いそのままで飛びついてくる。
中学校から真っ赤な翼を広げて飛んできたその少女は、俺に飛びつくと首筋に噛みつき吸血し出す。
少女をバッチリ受け止めた俺は、赤翼金髪吸血少女ティナの勢いを殺すために、ティナの体をしっかりと抱き止めて、自分の立つ位置を中心にしてコンパスのようにくるくる回る。
「奏未の相手をしてたのか?」
頷くとティナは噛みついたまま頷く。
噛みついたまま動かれるとくすぐったいな。
奏未とティナの戦闘が終わったというのに、また中学校から爆発音が響き始めたということは、奏未が誰かと戦い始めたということだろう。
よく奏未と戦える者がそんな何人もいるものだ。
一人だけでも奇跡だろうに。
それにしても暑い。
ティナを抱き上げ日陰へと移動する。
「お前さ、ティナちゃんに甘すぎじゃね?」
「俺は割と誰にでも甘いぞ?」
日溜を訓練に戻れと手で追っ払って、訓練が一望できる校庭端の木陰に到着する。
木にもたれ腰を下ろして、ティナの頭を撫でながら、みんなの様子を観察する。
フィリアは夢花と組んでいるが、夢花に冷静に対処されてうまく攻撃が入らずにいる。
夢花の相手は普段俺がしているからな、簡単に倒されたりしない。
俺とできなかったからか、日溜は能力を使って中木と対峙するが、日溜の出した鎖が急に形を保てなくなり、霧散する。
中木相手だもんなぁ。
結局能力なしで戦うことになってる。
中学の頃は2クラス合同とかで、別の学年と戦闘訓練する機会も多かったが、うちの高校は戦闘訓練に力を入れていない。
だからこんな適当にペア作って組み手なんて雑な指示しかなく、奏未やティナのような強すぎて相手がいない自由メンバーたちがよく遊びにくるのだ。
そして、そんな訓練だからこそ、慣れ親しんだ相手とばかり繰り返し、技術の向上には繋がらない。
実力の拮抗した妥当な相手とできない。
ほぼほぼ形骸化したといえる戦闘訓練だが、うちのクラスだけは少し例外的。
自由にしているのは、俺が普段一緒にいるメンツだけだったりする。
八田月の方針だったりする。
まあ、俺たちは普通に訓練するんじゃあ全くためにならないからな。
他の生徒たちと実力がかけ離れていると判断されているからだ。
そして俺がそうして免除されていることを知って、秒で遊びに来たのがティナだ。
それから奏未が遊びに来るようになり、訓練の日が重なるとどちらか、或いは両方が遊びに来るのだ。
今日はティナだけだな。
ティナはなにかにつけて俺にくっつきたがるので、俺は無理矢理離さず、少し涼しくする魔法だけ、血を消費してこっそり発動する。
そうして俺たちが傍観を初めてしばらくして、夢花とフィリアが戦い疲れたのか暑いからなのか、こっちへと歩いてくる。
「お疲れー」
「ヒロ君こそお疲れー」
「あんなに激しい組手は初めて見たわ」
見られていたのは気付いていたが、終わった後の魔法を使ったところまで見られていないだろうな?
「俺も委員長も紫だからな。基本戦術が拳なんだよ。だから、あれくらいはできないとな」
「日本ではこれが普通なのね。夢花もそこらの悪魔程度なら素手で倒せるぐらいには強いし」
いやいや、夢花はかなり動ける方だぞ?
俺と訓練していた夢花はかなり特殊な例だ。
たしかに初級にも満たないはぐれの悪魔なら倒せるだろうが、そんな人がいったいどれくらいこの国にいるだろうか?
実際他のペアを見てもらえれば分かると思うんだがな。
一部いい線いきそうくらいの実力があるやつはいるが、それでもはぐれ程度を相手取るのがせいぜい、それもほんの一握り。
ともあれ、間違った認識を訂正しない俺と夢花。
ティナは日英ハーフで日本に来たのは五年前だが、そうかもしれないと頷いている。
日溜と中木も教本の動きは極めてるからな、そこいらの悪魔なら軽く倒せるし、このクラスの一部は平均より武に長けてるから、参考にすべきではないんだがな。
適当に頷いたティナの頭にチョップをくらわせながら、そろそろ口を離せと声をかける。
「ティナ、そろそろ満足しただろ?」
ただ口をつけてるだけで血を吸ってない。
ティナの体を軽く押すとあっさりと離れる。
妙に静かだと思ったら、こいつ寝てやがったよ。
頷いたんじゃなくて、ただ船を漕いでいただけかい。
「その子は?」
そういえばフィリアは初対面だったか。
「こいつはティナ。一応吸血鬼だ」
ティナは普段から吸血鬼であることを隠さないし、たまに授業中にも俺にくっついて吸血しているから、周知の事実となっている。
本人に言っていいとは言われてないが、まあ構わないだろう。
「いいの?私に言って」
「自己紹介のたびにそう言ってるからいいんじゃないか?」
「そうだねー。ティナちゃんが吸血鬼なのはティナちゃんを知ってる人なら大体知ってるからねー」
「随分と素直な子なのね」
「そうだなっと、寝ちゃったか。校舎に連れて行くよ」
俺は授業中だというのにティナを抱き上げて、校舎の中へと運ぶ。
ティナは暑いところが苦手だから、気遣っているように見せかけて。
フィリアに魔法を使っていたところを見られたかもしれないが、誤魔化すには何事もなかったかのように振る舞うのが一番だろうから、そうしてティナを甘やかすのが生きがいとなりつつある俺は、演技か本気か分からない態度で昇降口を潜った。
もうじきに6限の戦闘訓練が終わる。
ティナが普段昼間に寝ているのは、吸血鬼の血が色濃く出ているからだが、吸血鬼の血が色濃く出ているということは、吸血衝動も強いということだ。
飲まなくても生きていけるらしいが、半月も飲まずに過ごせば、知能が著しく低下する。
その時のティナが可愛い過ぎて、奏未も俺も他のことが手につかなくなったほどだ。
「しばらく血を吸っていないティナには、近づかない方がいいぞ。悩殺されるから」
俺が戻って行くのを流れで見送ったフィリアだったが、その後追いかけてきて昇降口で靴を履き替えている時に合流したので、寝ているティナの説明をしていた。
「え?どういうこと?」
見ればわかる。
「お前ら、戻ってくるの早えよ」
このくそ暑い中、生徒達が戦闘訓練に励んでいるというのに、ずっと涼しい教室で休んでた八田月に出迎えられる。
「仕方ねぇ」
八田月は窓を開けて生徒達を呼び戻す。
八田月はダンボールで購入していたスポーツドリンクを取り出し、生徒全員に配りだす。
すごいよな、あれ、自腹なんだぜ?
八田月、あんな適当風でも、ちゃんと先生なんだなぁと感心しながら、俺は椅子に腰をかけて、ティナを膝に乗せて眠るティナを後ろから抱きしめるのだった。
蒸し暑い。
太陽はいつまで働くつもりだよ。もっと早く帰ってもいいんだぞ。定時退社しろこの野郎、などと文句をこぼしながらフィリアの家に向かう。
「うぅぅぅ」
「いつまで唸ってんだよ」
「お兄ちゃんとの愛の巣がぁ」
奏未はやはり、フィリアをしばらく泊めることに不満があるようだが、先に取り付けた約束はないがしろにできない性格のおかげもあって、文句を言ったりはしない。
しかし、この程度で収まっているのは予想外だ。
きっとあの戦闘訓練、ストレス発散も兼ねていたんだろう。
思い返せば今日は一段と激しかったような気がするしな。
「ねぇ、広人。なんだかこの辺、嗅ぎ慣れた匂いがするんだけど」
「俺もだ。一つ向こうの通りか?」
人通りの少ない狭い道へと進む。
だんだんと匂いは強くなっていく。
フィリアが嗅ぎ慣れた匂い。
俺も嗅ぎ慣れた匂い。
匂いというかなんというか、実際は俺は匂いを感じ取っているわけではないのだが。
一種の比喩表現のようなものだ。
それは感覚として、戦場でよく感じ取るような、少しひりついた空気感。
俺は触覚でそれを感じていた。
そして……
そこには一体の悪魔が倒れていた。
ぼろぼろの今にも死んでしまいそうな悪魔が。




