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弱い彼の夢の原点

 捕まったのか?この僕が?

「ようやく目を覚ましやがったか!」

 警察に捕まった。

 腕につけられた腕輪のせいで、能力が使えない。

 そして牢屋にぶち込まれる。

 その日僕の人生は終了した。



 不味い食事だ。

 あの狸野郎が何度か面会に来て、色々外の様子は聞いているが、聞けば聞くほど出たいと思う。

 あと二年、できればもっと早く出たいものだが、そうもいかないだろう。

 そんな中、狸の友人らしい獣女の報告を受ける。

「で?それを僕に伝えて、どうしたい?」

「何かしてほしいなんて思っちゃいない。この報告は俺が勝手にしただけだからな」

「いまさら、どうだっていい」

 面会室から退室して、俺は独房に戻る。

「…………」

 この独房は階級上位の者用に作られたもので、そこにいる限り能力は使えない。

 能力を司る脳器官がマヒさせられるらしい。

 今はめている腕輪もそうだ。

 白、たかが刑務官じゃあ取り押さえることはできないから、これだけの警戒も頷ける。

 俺はこのいるだけで頭痛のしてくる独房で、固いベッドに寝転び壁を向く。

 なぜ僕がこんなことに……!

 この僕が!エリートのはずのこの僕が!

「吊橋。来い。面会だ」

 またか。

 今度はいったい誰だ。

 さっきは獣女が来たから、今度は狸野郎か?

 痛む頭を押さえながら部屋を出て、乱暴に連れて行かれる。

 面会室に押し込まれ、そして刑務官は部屋の隅の椅子に腰を下ろす。

 アクリル板の前の椅子に腰を下ろして、その少女に対して冷ややかな視線を向ける。

「あの狸に何か言われたのか?」

 あれと仲のいいこいつも、どうせあれの息がかかっている。

 今回の面会は、きっと彼の陰謀だ。

「僕はね、早く出所して金を集める必要があるんだ。そのためにも、馬鹿なことにうつつを抜かしている暇はないんだ。分かるだろ?」

 何を考えているのか全く分からないおっとり笑顔を絶やさない佐鳥は、獣女が持ってくるのを忘れたと言っていたそれを見せてくる。

「必要最低金額は一億円で、猶予は一年しかないんだよー?」

「そうだとして、僕に何ができるというんだい?」

「何ができるんだろうねー」

「くだらない。話は終わりだ」

「資料はいらないー?」

「いらん」

 刑務官に扉を開けてもらい、再び切り上げる。

 僕を社会的に殺した彼らは、なぜこうも気にかけるのか。

 彼らはどこで僕の事情を知って、加害者である僕との和解を図るのか。


 房に戻った僕はまた、壁を向いて寝転ぶ。

 世間から隔絶された世界。

 一応テレビを見ることはできるが基本的には自由がなく、社会のルールから外れたからとそこを治すために拘束される。

 病院と似た役割を果たすこの刑務所という機関は、しかしこんなことをしても更生というのは難しいだろうと思う。

 何せそれは、人に問題があるという独善的な判断によるものに過ぎないから。

 こうして閉じ込められていると、退屈を感じずにはいられない。

 檻の外から僕を眺めていた刑務官が、呼びかけて房に入ってくる。

「腕輪を取り替える。腕を出せ」

 僕は考えていた。

 見せられた資料のことを、佐鳥の言ったことを、これから僕自身がどうするべきかを。

 刑務所の役割は犯罪者の更生、しかしこの国で一度犯罪者になれば、服役後も犯罪者だからと社会的弱者に追し込まれる。

 更生しても平等には扱われない。

 この僕が弱者?

 いや、弱者か。

 始めから弱者になることは決定していたんだ。

 母子家庭で育って、ずっと困窮の中で過ごしていた。

 しかし僕には、客観的価値のある、能力と学があった。

 テストでいい点をとれれば、それだけでも自分の地位を向上させられる。

 実際はそんなことで、頭はよくならないんだけどな。

 それでも周りは天才だと、そう褒めてやまなかった。

 母さんは僕に苦しい生活を送らせまいと、無理して働き続けて、そうして体を壊してしまった。

 いつも笑顔で俺を褒めてくれた母さん。

 大学まで僕を入れてくれた母さん。

 僕が努力をしたのは母さんに当たり前の生活をさせてあげたかったから。

 また二人で、一緒の食卓を囲いたい、ただそれだけのために、いや、僕にとっては、それが全てだった。

 それが最大で絶対に達成すべき最終目標だった。

 母さんが体を壊して、その手術にはアメリカで臓器移植をする必要があり、その後の経過観察も含めれば、一億は下らないと言われた。

 その額をなんとしてでも稼ぐ必要があった。

 だから急いだ、無茶をした。

 その結果、母さんとは別の収容施設へと入っている。

「あと一年……」

「ほら、腕を出せ」

 僕が体を起こして腕を差し出すと、そいつは腕輪の鍵を外して取り外し、電池の入れ替えられた腕輪を取り出す。

 覚悟を、決めないと。

 腕輪がはめられるその時に、咄嗟に腕を引っ込めて、反対の手でその腕輪をはたき落とす。

 予想外の行動に腰の警棒に手をかけるも、それよりも拳の方が速い。

 床に転がった警棒を拾ってそれで頭を殴りつけて気絶させると、僕はその服を剥ぎ囚人服から着替える。

 インカムは壊れてしまっているな。

 声が丸聞こえだったら、脱獄の難易度もかなり下がっただろうに。

 この階級上位者への特殊収容房フロアには、僕以外に誰もいない。

 僕を見ているのは監視カメラだけだが、この場を離れさえすればその情報も無意味なものになる。

 空いている格子を抜けて、外側から鍵を締めていく。

 警棒と鍵を腰につけていざ出発だ。


 エレベーターを起動して上に行くようにしておいて、僕は階段を上がっていく。

 もし情報が行き渡っているなら、登った先が監視されている可能性がある。

 僕がいるのが一階、刑務所から出ることはできるが、正面入り口を通るまで能力が使用できないから、銃で狙われればそれで僕は終わりだ。

 だから上階のコントロールルームを目指す。

 能力さえ使えるようになれば、僕を止められる人はいないはずだから。

 非常階段を静かに登っていると、カツンカツンと足音が聞こえてくる。

 誰か来たな。

 これは……上からだな。

 幸い明かりが少なく薄暗い。

 これなら見つからずに済むかもしれない。

 そう思い、手すりを乗り越えてほとんど見えないように、手すりの下の方を掴み、体は宙に預ける。

 後は息を殺して気付かれないことを祈るのみ。

 カツン、カツン。

 その音に恐怖を感じる日がくるなんて、これまで想像したことさえない。

 通り過ぎて行くのを待つ。

 通り過ぎたら今度は登る。

 折り返して振り向く前に、音を立てずに階段に戻る。

 手すりを乗り越えて内側に、そしてゆっくりと体を下ろしていき、その後に体を静かに壁に寄せる。

 足音が遠ざかっていく。

 扉が開く音、その様子を見守る。

 扉が閉まる少し前に、通信機を手にしているのが見えた。

 階段にいないことの報告か、それとも実は僕に気付いていて、包囲を築くために応援を呼んでいるのか。

 静かに素早く階段を上り、ゆっくり扉を開いて外を見る。

 廊下には誰もいない。

 僕は慌てた様子を隠し、普通の通行人を装って歩く。

 二階には収容房はない。

 この建物自体が高位能力者に向けて建てられたものなのか。

 全体見取り図を確認すると、この棟にはこの棟のコントロールルームがあり、全体のジャミング波を止めるには中央管制室に行かないとならないようだ。

 残念だがここから遠い。

 窓から外の様子を見ると、この建物の周囲に結構な人がいることに気付く。

 脱獄の情報は行き届いているな。

 さて、どうしたら……

 遠くないコントロールルームに向かい、その扉の前に着くと、扉に耳を当てて中の音を聞く。

 無音、人がいないのかこの扉が音を通さないのか。

 入るか。

 無用心なことに、施錠されてはいなかった。

 たくさんのモニター、監視カメラの映像が流れている。

 能力のジャミング装置が分からないので、置いてあったインカムを装着して部屋を出る。


 この包囲、どうやって突破しようか……

「なぜ外ばかり見ている?」

 窓の外を見て悩む僕に、突然背後から声をかけられる。

 顔を見せるわけにいかない僕は、外を見たまま返す。

「インカムの音割れがすごくてな。さっき交換したんだが、その間の通信が分からないから状況を分析していたんだ」

「そうか。さっき下った指示は、施設の出入り口を固めろという指示だ。だがこれは、吊橋の管理の刑務官と中央棟で取り掛かるから、持ち場が違うなら行かなくていい」

「教えてくれたこと感謝する」

 そいつは情報を渡して、コントロールルームに入っていく。

 中央棟と僕が収監されていた特別棟の距離が遠いことも考慮に入れて屋上に行く。

 身を低くして、じっくりと地上を眺める。

 出口は西棟東棟の間の給食棟の正面、そこまで気付かれずにいくのは不可能だ。

 ならあの有刺鉄線付きの塀を越える?

 まだそっちの方が可能性は高い。

 しかしここからでは、この棟と塀とはおそらく20mはある。

 屋上から飛んで届く距離じゃない。

 どこか出られそうな場所は、と探していると、気になる謎のオブジェを見つける。

 刑務所のすぐそばにあんな()のオブジェなんかあったか?

 ……!

 見つけた!

 あれは日溜優日だ!

 佐鳥や獣女が来ていたが、脱獄を促した佐鳥はしっかりとその時に備えて、その手段を確保してくれていたんだ。

 誰の指示かは知らないが、利用する他にない。

 ジャミング装置の停止プランから変更だ。

『ジャミング装置が止められています!』

『そうか、やつの狙いはジャミング装置の停止か。コントロールルームに急げ!やつが目指すのはそこだ!』

 インカムから聞こえてきたそれに、自分のとった行動のおかげで混乱してくれていることを知る。

 オブジェは伸びだすと同時に色を薄くしていく。

 完全に色がなくなり不安になるが、待っていると屋上の端で小さな音がして、そこから手探りに鎖を探す。

 それに触れると体に巻きついてきて、そのまま引き寄せられていく。

 脱出のために思考を巡らせていたが、あっさりと塀を越えてしまって、能力の偉大さを実感する。

 サイレンが鳴り響く。

 僕が脱獄したことを知らせているが、ここまで来ればもう問題はない。

「俺が脱獄に加担かぁ……」

「なぜ僕を助けた?」

「なぜって、そりゃお前あれだろ。母親に合わせるためだろ」

「どうして協力するんだ?」

「俺のお袋も似たようなものだったからな。少し状況は違うけど」

「いたぞ!」「吊橋だ!」

 もう見つかったのか。

 インカムを投げ捨て触手を展開する。

 それで自分と日溜を包み込み、追いつかれる前に移動を開始する。

「き、消えた!」「くっそぉ……やろうどこいった!」

 姿を隠す触手。

 一度能力を使えるようになったなら、もう僕を捕まえることはできない。

 しばらく使っていなかったせいか、消耗が激しいのはいただけないが。

「このまま病院に向かおう。俺が案内するぜ」

「病院の場所くらい知っている。僕をバカにしてるのか?この僕を?」

「ここからの道知ってるのか。なら、勝手に行けばいいぜ。別に、俺に手伝ってやる義理はないわけだしな」

 触手から外に出すと、鎖の車を作りだして甲高い音を立てながら走り去っていく。

 なんだあれは?

 あんなものがあるなら乗せてもらえばよかった。

 たしかこの刑務所が千葉市のものだったはず……

 無一文だから移動に苦労しそうだ。

 能力に体が追いついてきていないし、休み休み向かわないと。

 はぁ……なんで僕がこんなことになってるんだか……


 公園で時間を確認すると、まだ11時だ。

 体を休めるためにベンチに腰かけ能力を解いていると、パトカーが走っているのを見かける。

 車を停め、下りてきた警官は、電柱に張り紙を貼り付ける。

 僕の顔写真が載せられた指名手配の写真。

 すぐに身を隠し、静かに呼吸を整える。

 落ち着け……冷静に行動すれば気付かれることはない。

 今を凌げば時効まで逃げ切れる。

 おそらく僕を脱獄させたのは、派世広人、彼の指示だ。

 彼にさえ合流すれば、何か……いや、脱獄した僕を再び捕まえることで社会的地位を向上させようという魂胆かも……

 母さんに会いに行くべきではないかもしれない。

 しかし……

 会いたい!母さんに会いたい!

 もう会えなくなってしまうかもしれないんだ!今行かないでどうする!

 休んでいる場合じゃない!

 触手で地面を蹴って走る。

 触手で身を包んだから風圧は受けないが、その加速の速さに引っ張られるのはどうしようもできず少し酔う。

 どこもかしこも張り紙だらけ、逃走中の脱獄犯に休むなんて贅沢はないということか。

 母さんを助けてくれると言うのなら、すぐに自首してやるんだけどな。

 たった一人を救うために資金を捻出するなんてこと、国にできるはずがないんだ。

 そんなことをしては、ひっきりなしに自分を救えと声が上がることになる。

 人通りの多い道を、触手で姿を見えなくさせて、人に接触しないように進んでいくと、ようやく見知った建物が見える。

 後は真っ直ぐ病院に向かうだけだ。


 誰かにつけられている?

 そんなバカな、だって僕は、視界に映らないんだぞ⁉︎

 このまま病院に行くのは危険か。

 戦っても問題なさそうな場所に行こう。

 この辺りだと河川敷だな。

 僕が急に目的地を変えてもしっかりと追ってくる何者かは、一瞬だが建物の陰から腕がみえた。

 どうやら生身の人間らしい。

 つまり40から60kmを維持している僕に生身で着いてこれる、そんな移動方法をもち、なおかつ視覚情報を得られない僕を追跡できる能力であるということ。

 或いはあの獣女か派世である可能性。

 どちらにしろ隠れる場所のない場所に行けば、正体はすぐに判明する。

 河川敷に着くと、すぐにそいつは正体を現した。

 僕にギラギラとした目を向ける男性。

 薄い布地の長袖シャツに、動きやすく人混みで浮くこともないジーンズ、最悪、人混みに紛れて逃げることも想定しているか。

「なぜ僕をつける?」

「なぜ?そんなのは、テメェが脱獄犯だからに決まってるだろ?」

 流暢な日本語だが母語話者ではなさそうだ。

 放たれる殺気は間違いなくその筋のものだ。

「おそらくだが、中国系のマフィアか。だがなぜ、日本の脱獄犯を追っているんだ?勧誘しにきた、という様子でもないようだしな」

「当然。俺がテメェを追ったのは、テメェが罪人だからだ」

 だからそれがなぜかを訊いているんだが?

「さて、会話は終わりにしよう。俺はテメェを斬りたくないが、罪を重ねているテメェはそれを償う義務がある。それをわからせてやる」

「なるほどね。正義感が強いタイプか。それはそれは……僕が一番嫌いなタイプだよ」

 相手を悪だと決めつけて、正義という大義の下に武力をもって制圧する。

 まあ、客観的に見れば僕は悪になるわけだが。

「さて、どういたぶってやろうかなあ?」

「この僕に、本気で勝てると思っているのか?言っておくが、これでも僕は白だ。半端な能力じゃ死ぬよ?」

「最後まで足掻こうって?いいなあ!おい!テメェはやっぱ罪人だな!反省の色が見えねえ!」

 反省?それがなんだと言うんだ……?

 男は興奮した様子で歩み寄ってくる。

「バカなやつだ。無防備に近づいてくるなんてな」

 無数の触手を差し向けると、まるで動きを知っているかのように、無駄のない動きで躱しながら接近してくる。

「は?」

 しなる触手を躱して躱して躱し続ける。

「チェック」

 目の前まで接近したそいつの手には、いつの間にかナイフが握られていた。

 振られたナイフは触手の鎧を斬り裂けず、表面を滑って宙へと流れていく。

 その隙を狙い触手を下がりながら向けるが、男は宙へと流れたナイフの勢いを殺さず一回転して、向けた触手を斬り裂く。

 威力が、上がった?

「隙を装って隙を誘うなんて、その戦いぶり、どうかしてるぞ?」

「今の一瞬でオレの意図を読み解くとはな」

「バカ装って油断を誘う、つまらない戦い方だな?僕のような強者相手じゃあ通じないよ?」

「間一髪だったやつが何を言ったところで説得力はない」

「しかし躱した。そしてその本性を理解した。もう僕に、負ける要素はないんだよねえ!」

 ゴム質の触手を束ねて捻り鋭くして、その弾力を利用して射出する。

 肉眼ではとても反応できるようなものじゃないが、それでもそいつは反応する。

「そんな……⁉︎」

「暗技に、そんな見え見えの攻撃が通じるわけねぇだろ」

 暗技?この男の能力か?

 何のことだかさっぱりだが、事実そいつは躱している。

 攻撃用の硬い触手が斬り裂かれた。

 それでいて攻撃は当たらない。

 たとえそいつの戦い方を理解したとしても、勝てる要素はない。

 派世と相対している気分だ。

 あの時も同様に、一切の希望が見出せなかった。

 しかし僕は……

「僕は63位だ!人間70億人の中で63番目に優れているんだ!その僕に、楯突くんじゃない!」

 地中、空中、前後左右、全てを触手で覆い尽くし、それらを中心に一斉に突き出す。

 明確に感じ取った。

 僕の、この僕の渾身の一撃が……たやすく、打ち砕かれた……!

 バラバラになって消えていく触手。

 自分の姿を隠す力を維持できなくなる。

「それがテメェの面か」

 疲れ果てている僕の髪を引っ張り、顔を上に向かされる。

 まるで勝てる気のしないそいつに、精一杯の抵抗と睨むも、それにはまるで興味は示さず不思議そうに顔を見ている。

「な、なんだ……?」

 何をするつもりかは知らないが、そうまじまじと見られると気持ち悪い。

 そいつは髪を引っ張られ抵抗する力を出せずにいる僕の顔、その顎の下を軽く爪で引っ掻き、皮をめくるように上へと引っ張っていく。

 より強く髪を引っ張り抵抗できなくした上で、それを顔から引き剥がし終えて、そいつは再び僕の顔を見る。

「これが本当の顔か」

 病院が特注した俺の顔。

 火傷痕を覆い隠すパック。

「ここまでされて懲りないとか、正気か?」

 派世に焼かれた顔は、今でも時々うずき出す。

 あの後僕は病院に搬送され、腹に3針、顔は砕けた鼻の骨を摘出し、しばらくは詰め物で対処という形をとられた。

 火傷には皮膚が膿んでくるのを防いだだけで、後はパックで隠すなんていう処置。

 爪痕は生々しく残っている。

 この傷には、懲りるとか懲りないとかそういうことじゃない。

「復讐か?これをした相手への復讐心がそうさせるのか?」

「脱獄の理由か?それなら、答えてやるつもりはないなあ!」

 髪を引っ張られる痛みに耐えて振り上げた足は、しかし止められて逆に膝蹴りをもらう。

 胃の中のものが逆流してくる。

 髪を放して顎を蹴り上げられて、伸びた草の上に頭が落ちる。

「理由なんてどうでもいいことだった。テメェが脱獄犯だってことさえ分かっていれば、ワケなんて聞く必要はねぇんだ」

 再びナイフを取り出した男。

 いよいよ殺されるか、そう思って目を瞑ると、それと同時に電話の着信音が響く。

 男はそれに迷わず出る。

 僕から目は離さずにいるが、神経自体は電話に向けている。

 逃げるなら今だが、能力を使用した疲労と先程の攻撃で動けない。

「何?こっちに警察が向かってる?いったいどうして?」

 日本語で話しているから聞き取れる。

 中国系のマフィアかと思っていたが、日本のヤクザだったか?

「刑務官の服?ああ、着ているが……なるほど、それに発信器が取り付けられていたのか」

 この服に発信器か。

 警察も逃げられたら手も足も出せないような無能ではないってことか。

 このままでは、家に寄ることも病院に行くこともできない。

 まあ、この顔になった以上母さんに会うことはできないが。

 いや、それは能力で補完すればいいか。

「ならば、警察が来るより先に倒すだけだ」

 電話を切ってしまった男は、再びナイフを構えて今度は素早く僕の首筋を狙う。

 しかしそいつはなぜか攻撃を止めて、街の方へと歩き去ってしまう。

 何がしたかったんだ……?

 ……そうだ、僕も早く移動しなければ。

 服を脱ぎ捨て橋の下に隠れる。

 す、少し……休もう。


 騒がしくて目が覚める。

「……クソ。どうして気づかれたんだ……!」「困りましたね。どうします?」「この血……まだ近くにいるやもしれん。近辺を探すぞ。まずは血の解析だ!」

 警察が来たのか。

 まだかなり日差しが強いようで、警官たちのうんざりするような声が聞こえてくる。

 時間はあまり経ってないか。

 少し体力の回復した僕は、触手で姿を見えなくして、そこから静かに歩き去る。

 なんだって僕がこんな目に……

 人は僕に自業自得だと言うだろう。

 僕の自業自得?違うだろ?

 悪いのは社会だ!世界だ!

 僕は悪くない!

 たしかに非人道的なことをした。

 しかし、非人道的な生活を送ってらせたのは社会だ!

 そうだ、僕は悪くないんだ……

 川に飛び込み泳いで移動する。

 幸い泳ぐに邪魔な服は捨ててきた。

 触手を使って水をかき、幅の広い川を流れに逆らって進む。

 警察犬が見えたから、これが一番逃げるにいい。

 川に沿って進めば街に出る。

 そこの服屋で服を盗み、そのまま病院に向かおう。

 そう計画立てると、それをすぐに行動に移して、川の深い場所を触手を使って高速で進んでいく。

 しかし計画通りにはいかず、やはり体力が限界で、一度姿を消したまま陸に上がることに。

 ここは……かつて働いていた学校にほど近い場所か。

 ほとんど変わっていない街の様子のおかげで、自分の現在地が割り出せた。

 そういえば、少し進んだところに大型スーパーがあったんだっけか。

 そこに服屋も入っていたはずだ。

 まず先にすぐ近くのコンビニに入って、触手の力の透明化で下着と弁当とお茶を透明にして堂々とレジ前を通って万引きする。

 生きるためには仕方ない。

 暗い路地で下着を着替えて、冷たい弁当を口の中に書き込む。

 温めることができないのはまだいいとして、箸がないのは食べづらくて困る。

 パンにしておけばよかったと今更ながらに思うが、開けてしまった以上残さず食わなければ。

 残りを触手で口の中にかきこみお茶で流し込む。

 少し休んで体力を回復したら、再び移動を開始する。

 スーパー、人の多いここで透明になっているとはいえ、下着でいるのは不快だ。

 さっさと服を着よう。

 そう思って適当に服を手に取り触手で覆うと、すぐさまそれを着て、タグは全部取り、透明な触手でタグをゴミ箱に入れると、最後まで油断することなく透明なままで店を出る。

 さて、次は病院だな。

 防犯カメラの位置を確認してからトイレに入ると、さっき見かけた男性店員の姿を思い出して、触手で自分の姿を変える。

 鏡で自分の姿を確認してから、防犯カメラには偽りの映像が映るように触手で誰もいない売り場の映像を流す。

 この程度、僕の百貌の触手にかかれば大した障害にもならない。

 完全に他人に扮した僕は、店を出て再び歩みを進める。

 巡回中のパトカーも横を素通りしていくほどに完璧に化けたいる。

 交番の前も問題なく通過して、背の高い病院が見える場所まで来た。

 後少しのように見えて遠い。

 電車で一駅の距離だが、体力を温存していく必要のある僕にとってはそれが遠い。

 休み休み歩いているが、あの男との戦いでごっそりと体力を持っていかれて、その後に川で体を冷やしたのが響いているな。

 ああ、そういえば、僕が住んでいたのはこの辺りだったな。

 角を曲がって住宅街の方へと入る。

 二階建ての一戸建てが多く並ぶ中、二階建てのボロくて小汚いアパートが、そこの角を曲がれば見える。

 見える……あれ?

 曲がる場所を間違えたのかな?

 来た道を確認して、再び角まで来てアパートがあるはずのそこを見る。

 無い。

「また間違えたのか……?」

 そこは空き地になっていた。

 住宅街の中に空き地がポツンとある光景というのも珍しい。

 もう一度確認の意を込めてその道を歩いて、角を曲がれば空き地が視界に飛び込んでくる。

「なんで……何もないんだ?」

 僕が育ったそのアパートが、なぜここにないんだ?

 平らな屋根のボロいアパート、階段を上って手前から2つ目の扉、そこが僕の、僕らの家。

 無い。

 アパートが、無い。

 階段が、無い。

 手前から2つ目の扉が、無い。

 僕の思い出の場所が、無い。

 無い無い無い。

「なんで……なんでだよ……なんで僕がいない間に、勝手になくなってるんだよ!僕の、母さんの、帰る場所なんだぞ⁉︎なんでだよ……ありえないだろ……僕の思い出の…なんで……母さんと僕の……なんで?僕と母さんの食卓が……父さんの写真が……僕の夢が……無い、無いんだよぉ……」

 膝が崩れて地面につく。

「たった1年なのに、なんでだよぅ……」

 目が熱い。

 視界が揺れている。

 自分を形成したものの喪失が、僕自身さえも破壊していく。

「母さん、ごめん。僕が、僕が愚かなことをしたばかりに……こんな大切なことも知らずに……母さんに何も話せずに……ごめん。ごめんねぇ……」

 能力が勝手に解ける。

 しかしそんな大事なことにさえ、僕は気付けず泣き続けた。

 今まで出したことのないような大きな声でむせび泣く。

 苦しい悔しい、自分の居場所さえ守れなかった。

 今更になって知って泣くことしかできない自分の無力が嘆かわしい。

 ああ、僕は……弱かったんだなぁ……

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