その男は迷う
ある程度の情報はもらった。
警察の調べによると、22時頃に主だって行動するらしく、基本的には不意打ちで終わらせるらしい。
正体は不明だが、同時に悪魔の組織、悪魔の秩序の動向が活発化していることから、おそらくは悪魔だろうとのこと。
安直な結びつけだと思うが、調査しているのが警察だしなぁ。
八田月の見立てでは、犯人は人間の可能性が高いそうだ。
階級赤や黒の連中が、抵抗もなくやられているのだから、悪魔だとしたら相当な練度だろうとのこと。
上級悪魔の中でも特別強くないと無理だと考えている。
時間帯的に無警戒に出歩くやつはいないし、警戒しているのは赤や黒の能力者だ、そう簡単に不意などつけない。
悪魔だったらの話だが。
人というだけで警戒心が一段階下がる。
それでも警戒はしているだろう。
だが、要求される実力は、悪魔ほどまで高くはない。
人が起こした事件だと報じたくないから、警察はそういう見解にしているのだろう。
犯人が分かれば捕まえて、カバーストーリーを流す。
責任は悪魔に転嫁して、よくあることだ。
しかし、すこぶる強い悪魔の仕業の可能性も拭えない。
俺が現場を見ていれば、魔力の残滓で、悪魔か人間か判断できたんだがな。
まあどちらにせよ俺が適任だな。
「派世、俺はこの後寄るところがあるから、準備は勝手に進めてくれ。21時頃に集まろう」
日溜にそう言われて、すぐに日溜のルーティーンを思い出す。
寄るところとは、病院のことだな。
日溜はいつもこういう時に欠かさず行くんだ。
「俺も行くよ。今回は挨拶しておくべきだと思う」
「そうか」
日溜の思いつきってだけなら行こうとは思わなかっただろう。
今回はフィリアのこともあるし、八田月にも任されているから、日溜の命は俺が預かるって伝えておくべきだろう。
事情を知ってる夢花は、特になにも詮索することもなく帰ろうとする。
日溜の様子の変化を察して、フィリアが何かを言おうとしたが、夢花がその手を引っ張って、教室から連れ出した。
「お前たち、また何かするつもりか?」
俺たちの話を聞いていたらしい中木が、気になったのか質問してくる。
「まさかとは思うが、通り魔退治じゃあるまいな?」
日溜がしんみりしてるから、分かりやすいといえば分かりやすいが。
それだけで気付けるのは大したものだ。
「お前も来てくれないか?お前がいれば百人力ってもんよ」
「すまないが、おれはこれから勉強をしなければならない」
テストは再来週だ、勉強熱心な中木は、先々週から勉強に励んでいた。
しかしこういう時、どんな理由があれど中木は手伝うと言ってくれるのだがな。
俺たち二人の顔を見てジトっと目を細めるから、何を言いたいか察する。
こいつ、過剰戦力だと思っているな。
まあ、通常の相手ならそうなんだが。
ともあれ、中木は結構連携が取りづらい部類の力を有しているからな。
「何だ?俺に勝ちたくてまた勉強をしてるのか?学年二位」
そんな風に日溜が茶化す。
日溜としては、中木に来てほしいのか。
ともあれ、中木の力は自分たちにも刺さることを理解しているか、日溜はそこで引く。
「うるさいぞ、学年一位」
しかし、学年順位中の下くらいの俺じゃ混ざれない言い争いだな。
「一応心配しといてやる。感謝しろよ」
「はいはいサンキューな」
中木が荷物を持って、手をひらひらさせながら扉をくぐる。
その後で、一年の女子生徒が顔を出す。
「あの、この子が日溜先輩に話があって来たんですけど……この後って空いてますか?」
2人組の女子生徒。
十中八九告白だろう。
日溜は女子生徒から人気だからな。
しかし、タイミングが悪かった。
「悪い。俺はこの後用事があるんだ」
「そうですか。ではまた後日に「ダメだよ!」
告白しに来たらしい女の子が諦めようとすると、もう1人の子が割って入る。
なんだか面倒くさそうな子だな。
「先輩は、そうやって逃げるつもりですよね?」
「先輩は忙しいって言ってるんだから、私はいつでもいいから……」
「良くないよ。だって、勇気を出してここまで来たんだよ?引っ込み思案な美穂が、付き添い付きでもしようって決めたんだよ?そんなの………適当な理由で逃げられたんじゃ、アタシ、我慢できない!」
日溜がすごいお困り顔だ。
こんな日溜は初めて見るな。
しかし困るのも分かる。
この後って空いていますかって自分から訊いておきながら、空いてないって言ったら「逃げるんですか?」って、自分にとって都合が良すぎないか?
「先輩!この子の話を聞いてください!」
「さっきも断っただろ?この場で話せない内容なら、後日にしてほしい」
「どうしてですか!」
友達思いの子なんだろうか?
しかし、そんなことはこちらには関係なく、今の日溜にとっては迷惑でしかない。
やりとりはお前一人だけで成り立つものじゃない。
ましてやお前はガヤでしかない。
そして、他人がそんな介入をするのなら、俺が介入しても文句は言えない。
俺は大きめの溜息を吐きながら、女の子と日溜の間に入る。
「こいつはこれから病院だ」
「そんなとってつけたような理由で、アタシが納得すると思いますか?それに、あなたに関係ないですよね」
「バカな。俺が関係ないだって?当事者じゃないくせしてお前はよくて俺はダメ?意味がわからない。俺とお前にいったいどんな差があるんだ?それに、わざわざこの後空いてますか、と質問して、空いてないと言われれば納得できない。お前は聞いてほしいと言うのに、相手の言葉は聞かないのか?」
かなり強めな言い方だが、こういう手合いには人前での理詰めが最も効果的だ。
「それでも、この子の話を聞いてほしいんです!」
「もういいって言ってるのに……」
「友人のためではないな。自分のためにそうしているようにしか見えない。なんと自分勝手な」
俺はその友達を言葉の圧力で押し込めて、日溜が用があるという少女と話せるように場所を空ける。
本当に聞き分けがなければ殺気で黙らせてやるくらいするのだが、多分そんなことをされればこの子は学校に来れなくなるだろうし、日溜が二人で解決してくれればそれが一番いい。
「ごめん美穂ちゃん。どうしても行っておかないといけないから」
「いえいえ!気にしないでください!」
「お前も、あまり人を困らせるなよ。度を越した親切は迷惑でしかないんだから」
眉間にシワを寄せて睨む後輩の横を、日溜は優しく言って通り過ぎる。
慣れてるなー。
飄々としていて中々に掴み所がない。
日溜が普段からそんな態度だから、いざって時に真面目な話を信じてもらえないんだ。
ともあれ、それは別に日溜が悪いというわけでもないが。
優しすぎるんだよ、誰に対しても。
俺にも少し思うところがあり、日溜から目を逸らす。
そして俺も二人のことなど歯牙にもかけず日溜についていく。
「珍しいな、お前がついてくるって言い出すの」
病院の受付で手続きを慣れた手つきで済ませた日溜と一緒にエレベーターで階を上がる途中、そんなことを日溜に訊ねられる。
「まあな。今回は俺が命を預かるし」
「俺が発案者で俺がリーダーだぜ?」
「八田月からも頼まれてるんだよ。それに、気になることもあるしな」
フィリアの情報を伏せている都合上、滅多なことは言えない。
空気を読んで日溜は聞かずにいてくれる。
そうこう話していると、日溜がとある部屋の前で足を止める。
メームプレートには、日溜春の文字が。
久しぶりだな、ここに来るのは。
日溜はドアをノックして、静かに部屋へと入っていく。
広い1人部屋。
ベッドの上には、虚ろな目をした女性が1人。
「おかん、会いに来たで。今度は友達も一緒や。何度か会うたことあるやろ?派世や」
その女性は答えない。
心が死んでいた。
体の機能は生きているが、意識を持たない状態にある。
俺と奏未も一度診たが、どうすることもできなかった。
俺たちで治せないのだから、意識の回復の見込みは限りなくゼロに近い。
それでも、日溜は戻ってくると信じている。
精神になにかしらの大きな衝撃が加われば或いは、とは思うが、そのすべがない。
いや、俺ならできないこともないが、博打も博打、大博打だから、してやるつもりはない。
今度こそ本当に死んでしまうリスクがある。
「俺な、ようけ頑張っとるよ。ばあちゃんと妹、ちゃんと守っとるよ。今日もまた、せやからおかん、俺を見守っててくれ」
日溜の家庭事情は、一言で言えば悲惨だ。
父は他界し母はこんな有様だ。
親戚のほとんどから見放され、唯一頼れる祖母は車椅子で介護が必要。
そして日溜は、妹を養っていかなければならない。
日溜は普段、楽しんでいるように見えるが、そうでもしてないとやってられないのだろう。
普段は日溜の突飛な思いつきに巻き込まれていただけだから、挨拶に来ることはなかったが、やはりこうして向き合うと、思うところがある。
お袋さんを安心させてやりたい。
「何があっても、あなたの息子は守る。だから、心配しないでほしい」
日溜が春さんの手を優しく包み、己の胸元に寄せる。
俺がいては邪魔だろうな。
俺はいつものようにというほどここに来てはいないのだが、ここに来たときに常にそうしているように、音を立てないように退出する。
暗技で中の様子が勝手に分かってしまうので、それも今は止めておく。
日溜、俺のことは気にするな。
毎度のことだが、俺たちが向かう場所はいつ死んだっておかしくない場所だ。
いつ会えなくなるか分からないんだから、思う存分言葉を重ねるといい。
とはいえ、いつものように会っていれば、重ねる言葉も尽きるものだろう。
俺は同じ階の休憩スペースで飲み物を自販機で購入すると、椅子に腰を下ろして行儀良く日溜が出てくるのを待つ。
しばらくして扉が開くと、日溜が俺を探して休憩スペースへと向かって来る。
俺も椅子から立ち上がると、俺の方からも向かって日溜に必要ないと分かっていながらも訊ねる。
「いいのか?」
「大丈夫だ。さあ、いこうぜ」
「見つけたよ」
さすがは奏未だ。
日溜は今回の件をかなり軽く捉えている節がある。
だから、フィリアとの交流もかねて一緒にと誘ってしまったのだ。
確かに奏未がいれば負けることも死ぬこともそうそうない。
とはいえだ。
「それじゃあ、みんなを繋ぐぜ」
日溜が俺たちの腕に触れる。
日溜の能力の特殊形態、同調によってさまざまなことを共有できる。
俺たちの腕から透明な(繋がれている者には見える)鎖が伸びる。
それらは全て、日溜と繋がっている。
続いて夢花がみんなに触れる。
『おーい、みんな聞こえてるか?』
『聞こえてるぞ』
『私も聞こえてる』
『あたしは聞こえなーい』
『よし、全員繋がってるな』
夢花の能力でお互いの心の声が聞こえるようになる。
奏未が戦闘用の力を宿すと、日溜の能力でそれが俺たち全員に流れこんでくる。
みんなが耐えられるようにと、力を抑えているな。
奏未の力に耐性がある俺は、大した恩恵を受けれない。
とはいえ、この程度の出力なら、奏未一人で戦ってもらった方がマシだ。
さては日溜、奏未の力の万能感に浸りたいだけだな?
ともあれ、夢花のような本来戦闘に向かない者も戦場に引っ張り出せるのはメリットではあるが。
とはいえ、奏未が本来の実力を発揮できないのは考えものだ。
『あまり足しにならないと思うけど、一応使っておくわ』
フィリアも能力を使う。
フィリアって、能力あったんだな。
視界に映る景色がゆっくりになっていく。
これはなかなか便利だな。
『いや、助かるぜ。誰かさんなんて、力の恩恵にあずかるだけだからな』
『俺のことを言っているな?』
『おう!お前は何にもしてくれないからな!』
『ヒロ君はいるだけでいいんだよー』
「お兄ちゃんをバカにするなんて、よっぽど早死にしたいらしいね」
ゆらりと日溜の背後に現れた奏未のハイライトがオフになっていた。
あーあ、あいつ死んだな。
無言で手を合わせ目を瞑る。
「ふざけてないで止めてくれええぇぇ!!!」
叫び出しやがった。
本気でやばいと思ったか。
奏未が光の槍を振り回し、日溜はそれをなんとか躱している。
「奏未、落ち着け」
止まる気配無しか。
俺は奏未に後ろから抱きつき、かわいいお耳に息を吹きかける。
「ひゃうっ!?な、何するんですか!って、広人さんですか」
「素が出てるぞー」
久しぶりに奏未の素が見られたな。
奏未は巫女として育てられてきたから、もともとは丁寧な口調だった。
実家では今の口調だし、俺のことは広人さんと呼ぶのだが、俺が行きたがらないからほとんど聞く機会はない。
しかし、やはりこっちの奏未に話しかけられるとドキドキするな。
口調を変えたのにも訳があるんだが、長くなるので割愛。
「むぅぅ」
咄嗟に出てしまった素の姿に、恥ずかしげに唸る奏未。
かわいい。
っと、相手は妹相手は妹、そうして自分に言い聞かせる。
「見つめ合ったまま固まるな!そろそろ行くぞ。ちなみに、心の声ダダ漏れだから」
日溜に呼ばれ、気を取り直す。
仕方ないな、奏未が可愛すぎるのだから。
奏未がかわいいというのは普遍の真理だ。
「ヒロ君のバーカ」
夢花が耳元でぼそっと呟く。
当然夢花やフィリアにも聞こえていたわけで、夢花は複雑そうにそう言って、フィリアからは非難するような視線を向けられる。
夢花にバカと言われた、のか……
俺の最も信頼する幼馴染のそれは破壊力が強く、俺はしばらく立ちすくみ動けなくなる。
その間に4人は、奏未先導の元で、俺を置いて奏未の見つけた場所へと駆けていく。
おいおい今回はマジでシャレにならないって!
俺は慌てて走り出して、すぐに4人に追いかけるのだった。
連日現れているから今日も現れる。
俺のその予想は見事に当たった。
闇に紛れる黒い服に身を包んだ、少し長めの髪の男。
その男はすぐに俺たちの存在に気付いたようだが、なにをするわけでもなくそこに佇んでいる。
そして男は沈黙し続ける。
そいつが件の通り魔だと、俺たちは否応にも理解させられる。
その男の腕は、1人の男の胸を貫いている。
貫かれている彼は、抵抗をしなかったのか、あまりにも綺麗に殺されている。
理由は分かる。
襲撃者たる彼は、人間だった。
八田月が人だと予想した理由が分かった。
あまりにもあっさり過ぎる。
そしておそらく、毎度のことなのだろう。
この時間帯に出歩いているのに、人が警戒しないはずがない。
人間だから警戒の外にいた。
だから簡単に殺せた。
しかし、単に人間だからってだけでこれほど綺麗には殺せない。
おそらくこの様子なら、死体はそのまま放置して帰っているはずだ。
周囲に悪魔の気配はなく、高位能力者を殺すことを目的としているように見える。
それなら、悪魔が犯人であるという線での調査はナンセンスなのだ。
つまり、警察は犯人の素性を隠したいということだ。
その結果として悪魔が犯人であるという情報の流布、そしてそうすることで、人間に対しての警戒が薄くなってしまうという最悪のトリレンマに陥っている。
なぜ隠したいのか。
その理由は決まっている。
全身がひりつくようなこの感覚、こいつの力は本物だ。
こいつ自身が最高位の能力者である。
この結論を導き出すには十分すぎる情報だった。
警察は分かっていて隠してやがったな。
その男は腕を引き抜き、俺たちへと向き直る。
「君たちは?」
男は何食わぬ顔でそう訊ねる。
日溜はこいつの異様なまでの支配力に気付いていない。
奏未の力の影響を受けている弊害だな。
その万能感によって、危機感が失われてしまっている。
「何だろうな?」
日溜が挑発気味に返す。
『日溜、こいつはまずい!』
『逃げるべきよ』
フィリアの咄嗟の判断は正しい。
日溜はそれを聞いて少し冷静になったようで、奏未の力を用いて相手を分析してみる。
万能感さえ克服できれば、鋭敏になった感覚ですぐに気付けることだ。
『……確かに、冷静になるとやばいな、あれ。なぁお前ら、あいつから逃げられると思うか?』
返事をする者はいない。
向こうの存在感が強すぎて、圧倒されてしまっている。
空気が重い。
風が痛い。
これはあの男が、ここらの空間を支配しているからだ。
空間の支配なんて、相当の手練れが相手でなければ起こらない。
能力は現実に干渉できなければなにも起こせない。
空間の支配というものは、空気や流れといったものを、自分に有利なように働かせることができる。
そもそも階級が低ければ、能力の発動さえできない。
俺と奏未とで押し返そうとしているが、やつの支配が揺らぐことはない。
くっ、せめて奏未の力を共有していなければ、奏未が全力さえ出せればここまで圧倒されることもなかっただろうに……
流れが読めない。
あいつが歪んでいるようにさえ見えるのは、圧倒され空気に飲まれているからだろう。
『奏未と俺で残って足止めすれば、この場をやり過ごすことは可能だろう。だが、あいつが高位能力者を狙っている以上、どのみち戦闘は避けられない』
日溜の質問に答えながら、どうするかを明確に示す。
とはいえ、現状不利なのは間違いない。
俺と奏未だけなら、問題ないわけではないが、やりようはあったのだが。
『だな。……一瞬でケリをつける。できなかったらその時考える』
隠している関係上そのことは言えない。
だから大人しく日溜の合図で動く。
「あまり殺したくはないんだけどね」
男が言葉を言い終えると、日溜からGOの合図。
まず突っ込んでいったのは奏未。
この力の本来の持ち主だから、当然最も深く知り、扱いに最も長けている。
こちらの最大戦力である奏未の攻撃だったが、しかし男は人間離れした動きであっさりと受け流す。
続けて体術が割と得意な夢花と、速さだけなら奏未に並ぶフィリアが挑むが、男の方が何枚も上手だ。
いなし、躱し、カウンターを叩き込む。
弾かれた2人の間から俺が攻めるも、ひらりと躱され拳をもらう。
ただもらいっぱなし癪なので、男の力を利用し、地面を蹴り、顎下から狩り込むように蹴り入れる。
しかしそれも受け止められる。
完全に意表を突いたはずだが、これに対応するとは。
おそらく奏未の全速力と同等の速さを出せるのだろう。
速さで勝てないのであれば、こいつから逃げ切ることは不可能だ。
撃退を念頭において戦うべきだ。
奏未の力で得た神性、それがあっても鈍い痛みが残っている。
蹴りを受け止められたせいで体勢が崩れているところを、男が追撃を入れようとする。
そこに奏未が突っ込んで来て、男の注意が逸れた。
地面に手をつき体をピンと張って、反動の勢いを殺し体を捻って反対の足で蹴り入れる。
体勢が体勢だったので、かかとから叩き込む。
予想だにしていなかったようで、男は防ぐことなく吹っ飛ばされる。
自ら後ろに跳んで威力を減らした、ということもない。
奏未の力で強化されている蹴りだ、並の人間では死確実だ。
それを頭に直撃を食らって、無事でいられるはずがない。
しかし男は立ち上がる。
『どうだ、はたから見てて。あれの能力は分かったか?』
『全く分からん。ただ確実なのは、全く勝ち目が見えねーってことだな』
だよな。
『だが、こいつを退けられなければ、どこかでお前や奏未が狙われることになる。狙われる側に回ったらこっちの疲弊が先だ。ここで可能な限りあいつの力を解明するぞ』
今度は日溜と俺とで攻め立てるも、やはりまるで勝てるビジョンが見えない。
フィリアと夢花も攻撃に混ざるが、苛烈な男の攻撃に弾かれる。
「やべっ!!!」
男の攻撃が夢花に入りそうになったが、すんでのところで日溜が鎖を引き、夢花を離れさせた。
やはりこのまま戦うのは難しい。
日溜だって本領を発揮できないし、本当は奏未に全力を出してもらうのが最も望ましいのだが……
『夢花とフィリアは待機!日溜、2人との同調を解除してくれ!』
日溜に2人を解除させ、鎖の空きを作る。
2本分、必要最低限だな。
同時に展開できる鎖は4本、これで日溜の本領が発揮される。
『奏未、少し出力を上げてくれ。耐性を共有しておいたから大丈夫だ』
夢花とフィリアが同調から外れたタイミングで、夢花が俺だけにフィリアに声が聞こえないようにしたと言ってきた。
二人を同調から外したことで、俺が何かをすると夢花が判断してくれた。
やっぱ夢花がいると動きやすさが違うな。
まさしく俺のしてほしかったことだ。
俺はここぞとばかりに術式を編む。
そして奏未もまた術式を編み、その手に槍を作り出して音すら置き去りにして動き回る。
男は少し驚いた様子を見せたが、その速さにすぐに対応する。
音速を超えた奏未の、死角からの一撃。
しかし槍は見えない壁に阻まれ、そのまま男が槍を握り潰す。
「うそ……グングニルが……」
とても握り潰せるものではないし、触れるだけで激痛が走るはずなのだが、どうなっている?
槍を潰されて術式崩壊後の硬直に陥る奏未の腹に、男の蹴りがめり込む。
奏未の体が嫌な音を上げて、何度も地面に体を打ちつけながら飛ばされる。
通常この力を使っている時、奏未は痛みを感じないが今は出力を抑えている。
多少なりとも痛みはあるはずだ。
奏未が心配だが、そんな俺の心情を読んだ奏未が、心の声で無事を報告してくる。
抑えているとはいえ、能力を使った奏未をこうも圧倒するとはな。
奏未の能力神権は、神の力を降ろす能力。
今はオーディンの力を使っている。
それでこのザマか。
男は意識を俺たちに向ける。
日溜の準備も整ったようだ。
『突っ込め派世ぇ!』
男の背後の地面からちゃんと視認できる鎖が飛び出し、男の注意が逸れる。
奏未の力を借りれば、俺にもこいつが使えるはずだ!
術式展開!
いつもなら予め準備してこなければ使えず、戦闘で使うことは稀だが、術式だけは完璧に覚えている。
両の手にバチバチとまばゆい光を散らしながら、素早く静かに気配を殺して、鋭い一撃を叩き込む。
食らいやがれ、力気千羽!!!
男は腕を交差させ防ごうとするが、その程度で防げる技ではない。
男の腕が砕けひしゃげ捻れ潰れ弾け、肉片を撒き散らす。
そのままの勢いで頭蓋を焼き切ろうとするも、腕を何かに掴まれ、逆に粉砕された。
しかし、腕は潰した。
成果としては上々。
そう思って男と距離を取る。
母方の秘術だが、まさかこんな防がれ方をするとはな。
いったいなにに掴まれたんだと思い、すぐに男の周囲を解析し始める。
しかしどこにもおかしなところはない。
男は両手を手持ち無沙汰にぷらぷらとさせて俺を見ている。
あれ?なぜ両腕が残っている?
男は俺への興味を失って、立ち上がった奏未の方へとゆっくりと歩み寄る。
『奏未、逃げろ!そいつの力はお前でも死ぬぞ!』
『それは分かるんだけど、体が思うように動かなくて』
どういうことだ?
この男、何をした?
とにかく、奏未のもとへ………くそッ!
俺も体が動かねぇ。
俺に干渉してやがるのかッ!
能力が常時発動しているせいで、能力の発動タイミングが分からず、どんな能力か判別がつかない。
だから、受けるなら俺じゃなければならない。
ここまで干渉する力が強いならなおさらだ。
「日溜、俺を奏未の前に投げ入れろ!」
無理やり動こうと思えば動ける。
しかし、そうすべきではないと判断した。
「お前は馬鹿か!そんなことをしたらお前が!」
「俺はどうなってもいい!」
「良くない!」
俺は死なない。
だからいいんだ。
『頼む』
頼む日溜、俺に奏未を守らせてくれ。
心の中で頼み込む。
『………………分かった』
奏未は俺を知っているから止めない。
フィリアと夢花はどうしていいのか分からないのだろう、一切の声を上げない。
観念した日溜が、鎖を操り俺の体に巻きつけ、俺の体をぶん投げる。
鎖は透明なままだが、実体はある。
声は聞こえているはずだ。
こっちに注意を向けさせるためにわざわざ声にしたんだから。
しかし男は俺の行動を把握しておきながら、奏未の方ばかりを見ていて、そのまま俺を無視して掌底を繰り出した。
それはちょうど間に割り込んだ俺の心臓を、身に巻きつけられた鎖ごと穿ち、背中を突き破り貫通する。
喉の奥から熱いものが込み上げ、咳とともに体外へと排出される。
奏未は俺から噴き出した血液で、全身を赤く染めていた。
「……どうして、庇ったんだい?」
戦闘開始時には殺気が感じられなかったが、先ほどの一撃は間違いなく殺す気だった。
殺すことに消極的だったこいつだから、誰か一人見せしめに殺せば、今後邪魔しないだろうと考えてくれないかななんて希望的観測をしながら、俺は俺の情報を極力与えないように答える。
「兄は、妹を守るものだろ?」
血反吐を吐きながら適当に取り繕った理由を述べると、男は殺気を引っ込めた。
「君たちはどうして、ここに来たんだい?どうして、僕と戦ったんだい?」
どうしてそんなことを聞くのだろうか?
理由は考えるまでもない。
こんなことをしていながらも彼の感情は、未だに人間の禁忌に縛られている。
こんなことをしなければと言外に語る男に、俺は笑いかけて答える。
「お前、高位能力者を、殺して回っているだろ……?見ての通り、俺たちは高位能力者が多いんだ。だから、誰かが殺される前に、お前を倒さないといけない」
分かるだろ?と男に同意を求めると、男はなぜだか憔悴しきった表情で、下唇を強く噛む。
「お、お兄ちゃん!」
俺を呼んだ奏未の双眸からは、大粒の涙がとめどなくこぼれ落ちて、顔に飛び立った血痕を洗い流すかのように流れていく。
男は俺の胸から腕を引き抜き、自分でしておいて言葉をかけるわけにもいかず、何か言いたそうだったがやっぱりなにも言わずに、申し訳なさそうに飛び去っていく。
それを俺は倒れながら見送ると、その男がどこで見ているとも限らないので、死にかけの演技を続ける。
「広人!!!」
髪を真っ紅に輝かせたフィリアが、俺の体を受け止める。
フィリアがその目にいっぱいの涙を浮かべ、俺の名前を連呼する。
地面に寝かせて、膝枕して俺の顔を覗き込みながら、大粒の涙を降らせている。
奏未と夢花もずっと悲しげな表情で、俺を覆い隠すようにして地面に膝をつき、体に抱きつき咽び泣いていた。
しばらくして。
夢花の能力の有効時間が過ぎて、心の声が聞こえなくなった。
「お兄ちゃん、あいつは完全に遠くに行ったみたいだよ。だからもう大丈夫」
泣き腫らしたフィリアが、その言葉に疑問を抱いたのか、奏未に訝しむような目を向ける。
そして実は全く泣いていなかった夢花が顔をあげて、奏未は涙を払うとすんとどこか怒ったようにも感じさせる顔で、俺に向かってそう告げた。
「そうか。それなら良かった」
「え?」
俺はフィリアの支えなしに立ち上がり、胸の傷を確かめる。
「ぽっかり空いてんなー。治るまでどれくらいかかるんだろ?」
「え?」
「どうした?そんな疑問符ばかり浮かべて」
レッドゾーンでも見ただろ。
なんなら出会った時に見ただろ。
こいつ演技うまいなーって感心してたが、本当に死んだと思ってたのかよ。
まあ、あの時はここまで露骨ではなかったが。
「フィリアさんは、どうしてお前は生きてるんだ?って言いたいんだよ」
つい先ほどまで顔面蒼白で本当に死んでしまうんじゃないかと心配してたくせに、どうしてこうあっけらかんとした態度にすぐに切り替えられるのか。
日溜は知らないはずなんだけどなぁ……
ともあれ、日溜がフィリアの疑問を丁寧に説明するが、そんなことは分かってんだよ。
いや、むしろこれはあれか、フィリアの疑問のようにして自分が知らない俺の秘密を聞き出そうとしているのか。
「俺も疑問に思ってたし、教えてくれよ」
やっぱりと思いつつも、俺はだんまりを決め込む。
日溜に言ったら盾にされそうだから嫌なんだよなぁ。
「こういうのは無理に訊くべきじゃないよー。日溜君だって聞かれたくないことあるでしょ?」
その通りだ。
よく言ったぞ夢花よ。
全く、これだから日溜は。
ちなみに、夢花が言うから日溜には効果が絶大だったりする。
それは日溜が夢花のことを好きとか、そういうことではなくて、まあ込み入った事情があるわけだが。
「……佐鳥さん、派世について何か知ってるな?」
日溜のやつ、渋い面しながらもよく聞けたな?
たしかに夢花には教えたが、それを答える夢花ではない。
そんな日溜を他所に、俺の無事を確認して安心したフィリアが、これまでの会話を聞いていなかったかのように日溜の質問に割り込んだ。
「広人、無事なら無事って早く言ってよ」
フィリアがまた泣き出しそうな表情をしている。
「悪い。俺はこの通り無事……とは言いがたいが、生きてはいる。安心しろ」
「安心できないわよ、馬鹿!」
また泣き出した。
怒りながら泣く、器用なことだ。
友人が死に急ぐようなことをすれば、怒るのは当然、そして心配もする。
俺だって、フィリアがたとえ死ななかったとして、同じようなことをすれば、怒るし悲しいだろう。
どうしていいのか分からず、とりあえず頭を撫でておく。
「私も泣いておけば良かったかなー?」
「あたしも撫でてほしいー!」
「派世ぇ、俺も〜」
「お前だけには絶対しねーよ」
泣きはしていないが、こいつらも相当心配してくれたようだ。
だが、悪いことをしたとは思わない。
あれしか選択肢がなかったんだ。
「とりあえず、日溜は反省しろ」
「やっぱり許されないよな」
「当たり前だ。行動が逐一軽率すぎる。なにをそんなに焦っていたのか」
「だって」
「だってじゃない」
たしか日溜は妹も高位能力者だったか……
妹が狙われるかも、そう思って気持ちがはやっていたのだろうな。
ともあれ、軽率だったのは変わらない。
お前が死んだらどうとか、そんな誰もが知っていることをいちいち言ったりはしない。
ただ、最良の結果を得るために、もう少し慎重になれとだけ言っておく。
日溜は俺に申し訳なさそうに、小さく返事を返した。
彼は、妹を守ろうとしていただけだった。
彼は友人たちを守りたかっただけだった。
そんな彼を、僕は、僕は……
殺した相手と初めて対話した。
今までの彼らは咽び泣くばかりで会話などできなかった。
しかし彼は痛みを感じさせないほどに気丈に振る舞っていた。
全身から噴き出していた大量の脂汗を見れば、彼が想像を絶する痛みを堪えて、僕と向き合っていたことは明白だ。
人の敵である僕に、自分を殺した僕に、あろうことか笑いかけた。
彼はなんて残酷なことをするんだと今は思う。
僕は彼に痛感させられてしまったんだ。
僕が人を殺すことに、全く向き合えていなかったことを。
決して軽く考えていたつもりはない。
ないけど…………
……苦しい。
「無事依頼をこなしてくれたようだな」
僕は自分のためにこうしなければならなかった。
でも、彼らのことは依頼にはなかった。
戦わなくても良かったのに、僕は、僕は彼を………
それに、殺す必要もなかった。
向こうが戦うつもりでいたとしても、僕なら逃げることは可能だった。
殺したのは僕の意思。
そうして考えれば考えるほど、思い詰めていく。
「いつまで塞ぎ込んでいるつもりだ?」
こうも思い悩んでいるというのに、まだ殺さなければならない。
「そんなに殺したくないなら、殺さなくて良い仕事を与えよう」
僕は悪魔に目だけを向ける。
この感情は期待ではない。
これまで散々やってきた殺し、その殺しの代わりの仕事なんてものも、やはりロクでもないことは明白である。
「この写真の女を、生け捕りにしろ」
輝く赤い髪の少女。
ついさっき戦った少女と同じ、赤い髪の少女。
ごめん。
ごめんよ。
心の中で何度も彼に謝る。
「今度は君の友人を僕は……」
僕が殺してしまった彼に………