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優日と広人(4)

「どうした?浮かない顔して?」

 浮かない顔、か。

 俺は派世の言葉に、何も返すことができない。

 派世と会話するな、ね……

 昨晩送られてきたメール、そこにはそう書かれていた。

 昨晩祖母には秋が友人の家に泊まると嘘をついた。

 祖母はそれを信じてくれたが、派世は鋭いから嘘は通じないだろう。

 いざって時ごまかしが効かない以上、やはりだんまりが一番迷惑をかけないだろう。

 大曽根の指示のこともあるしな。

 なぜだか分からないが、派世には話した方がいい気がするが、今の俺は話すなと言われている。

 俺が黙っていたことで、派世が離れていくが、その目が心配するように俺を追っていた。

 なぜだか全てが見透かされているような気がした。

 大曽根に視線を移すと、満足そうなニヤニヤ笑いを浮かべている。

 クソッ……俺は派世の味方のはずなのに……

 なんでこんなことをしなくちゃいけないんだ……

 悔しさに歯噛みする。


「ほら、従ったぞ。秋を、妹を返してくれ……」

 校舎裏、そこで大曽根に頼み込む。

 しかし首を縦に振るつもりはないようだ。

「まだだ……まだまだ足りない!テメェは俺の受けた屈辱がどれほどのものなのか、何も分かっちゃいない!」

 格下が格上を倒す、それは階級が一つ離れただけならよく起こることだ。

 しかし、階級が二つ以上離れていて起こることは滅多にない。

 それを成し遂げた格下が祝福されるのがほとんどだが、格上は格上で、たったその一度の敗北で自尊心を破壊され自殺する例も、割合で見るとかなり多い。

 大曽根を倒したのは派世だ。

 黒が紫に負けるなんて異例も異例、常識的に考えるなら、天地がひっくり返っても起こり得ない。

 そんな敗北では、壊れるのは自尊心だけじゃ済まないだろう。

 それまで積み上げてきた全てが壊れたっておかしくない。

 それに大曽根は多分、俺のように青から階級を上げていったわけではないだろう。

 それで負けてもそれはそれで苦しいものがあるが、自然と強い能力を得たものは、自尊心や自信で溢れているものが非常に多い。

 それを一瞬にして奪っていったのが派世。

「とにかく、妹を無事返して欲しければ、おとなしく俺に従うことだな」

「……ああ」

 従うことしかできない苦痛、しかし秋は、もっと苦しい思いをしている。

 俺が踏ん張らないでどうする!

「あまり変なことを考えない方がいい。妹を助けたいならな……」

 クッ……お見通しだってか?

 バカにするなよ!

 俺はなんとしてでも、秋を取り戻してやる!


 学校が終わり俺はさっさと一人で帰る。

 シャワーを浴びて服を着替えて、スマホを確認して大曽根からなにも送られてきていないことを確認する。

 よし、探そう。

 スマホを充電器につなぎ、置いて出て行く。

 俺はフードを目深に被って、鎖のローラースケートで走って街の中で不審な点を探す。

 それさえ見つければ、おそらくそこから秋を見つけることができる。

 人通りの多い道は、ガードレールを鎖で挟み、タイヤを回転させて進む。

 嫌な音が鳴り響くが、そんなことは気にしてられない。

 急いで見つけないと。

 街の中にいるかは分からないが、昨日は大曽根と一緒にいたのだけは間違いない。

 中学校の学区内に住んでいるのだから、絶対にこの辺に住んでるはずなんだ!

 商店街で見かけたことはないので、商店街側ではないだろう。

 秋が攫われたのは、おそらく学校から家に帰る間だ。

 その周辺に住む人なら、何か目撃しているかもしれない。

 いや、だが迂闊にそんなことをして大丈夫なのか?

 地域社会とは情報が広がりやすい傾向にある。

 もし俺が探している情報が大曽根のやつに伝わったら……

 考えただけで背筋が凍る。

 派世を頼るか……?

 なんとなくそうした方がいい気はするが、これは俺の問題だ。

 大丈夫だ、俺はこんなでも一応赤なんだ、きっと見つけられる。

 通学路を調べてみたが、残念ながら一切の痕跡を見つけることができなかった。

 大曽根は別の小学校出身だ。

 だから、大曽根の出身区の方がいる可能性は高いか。

 たしかあいつの出身は、派世の家よりさらに向こう側だったはずだ。

 ここからなら真っ直ぐ派世の家の前を通って行くのが早いか。

 俺はそう決めるとすぐに行動する。

 時間をかけるわけにはいかない。

 1日に秋を探せる時間は限られている。

 祖母が家にいる。

 今は秋は友達の家に泊まっているということにしてあるが、そんな何日も泊まり続ける非常識な人はそうはいない。

 祖母が心配し出す前に、見つけて取り戻す必要がある。

 クソッ!

 常識が許す範囲ってどこだ⁉︎

 せめて一週間、もってくれればいいが、そんなに探すのに手間取れば、今度は秋の方が心配だ。

 理由なんて考えるだけ無駄か。

 ただ見つけて取り戻す、それを目的に探すだけ。

 しなければならないからする、それだけだ。


「はぁ……はぁ……」

 疲れすぎて呼吸がうまくできない。

 日没、時間切れだ。

 祖母が待つ家に一度帰らなければいけない。

「なんで、こんなにうまくいかないんだよ……」

 悔しい思いが溢れ出す。

 俺ってなんて無力なんだろう……

 悲観的になって、脱力して、苦しくて、苦しくて……それでも諦めてはいけないと、無力な自分を奮い立たせて、しっかりとした足取りで道を行く。

「優日」

 俺の名を呼ぶ声に呼び止められ、振り向くとそこには不安そうな表情をする派世がいた。

 いつの間にか派世の家の前まで来ていたのか。

「お前、様子が変だぞ?大丈夫なのか?」

 俺の変化に気づいていたようだな。

 まあ、これまで絶対にしてこなかった無視なんてしてたんだから、変だと思ってもおかしくはないか。

「なんだか、苦しそうに見えるぞ?」

 話してしまいたい、というより、なんとなく話した方がいい気がする。

 しかし俺は話さない、話せない、話したくない。

 矛盾した気持ち。

 話したいけど話したくない、それはつまるところ、派世を俺たち兄妹の問題に巻き込みたくないということ。

「いや、なんでもない」

 派世は優しい、がその優しさは、今の俺には鋭いナイフのように俺の身体を傷つける。

 罪悪感が増すばかりで、それは俺を救うには繋がらない。

「そうか。何か困ったことがあったら頼ってくれていいぞ。あまり力になれないかもしれないが、それでも一人で抱え込むよりはマシだ」

 俺は返答に困る。

 見透かされているような気がした。

 派世の言葉は、一人で抱え込んでいる俺に、派世を関わらせようとしない俺に、自分を巻き込めと言っているように感じた。

 しかし俺は頑なに、派世に話そうとしない。

 俺が何かを抱えていることは、多分派世には分かってる。

 だが、それでも俺は隠し通そうとする。

「別に無理して言えってわけじゃない。お前が言いたくないなら、言う必要はないよ」

 なんでこうも優しいんだろうな、派世は……

「なんで……?」

 俯きそう訊く俺に、派世はなんでもないようなことのように、いや、実際なんでもないことなんだろうな、派世はその理由を語る。

「話す話さないはそいつに決定権がある。自分の意思で決められてしかるべきだろ?」

 相手の意思を尊重する、ということか。

「まあ、話すように誘導はするし、必要になれば拷問だってするだろうけどな。そうする必要があるなら、だが」

 ……まさかとは思うけど、派世が俺に優しくしたのって俺が自分から話すようにとの誘導だったのか?

 そうする必要があると思っているのか……

 それほど状況が深刻に見えていたのか。

「ありがとな。だが、これは俺の問題だ。お前が心配することはねーぜ」

「そうか。それなら、吉報を待ってるよ」

「はは……」

 吉報を待ってる、か……

 厳しいだろうな、それは。

 俺にはそれの手がかりさえ掴んでいないんだから。

 だが、できれば吉報を届けたい。

 待ってろ、派世。

 待ってろ、秋。


 くっ……今日も見つからなかったか……どれだけ探しても見つかる気配のない秋、もしかしたら、もうこの街にはいないのかもしれない。

「探し物は見つかったか?」

 背後から声をかけられて、それが俺のよく知る声で驚き、振り向くと同時に疲れためで睨む。

「大曽根ぇ……!」

「居なくなってからずっと探していたようだな。だが見つからないだろ。見つかるわけない。聞き込みはできないからな。俺にバレたら何されるか分からねーからなぁ。テメェは初めから詰んでたんだよ」

 詰んでた……そうだ、分かってた。

 俺にできることは初めから限られていて、俺じゃあ妹一人救えない。

「頼む……頼むよ……たった一人の家族なんだ……頼む、返してくれ……」

 無理だ……俺には助ける手段がない……

 俺は大曽根に秋の解放を頼み込む。

 しかし大曽根が首を縦に振ることはない。

「まだだ。俺は分からせてやらなきゃいけないんだよ」

 分からせる?誰に?何を?

「あの腐れ紫に、自分の立場ってのを分からせてやるんだよ。安心しろ。あの紫野郎以外には危害は加えない」

「なんでそこまで広人に拘るんだ……?」

 ずっと気にしていたこと。

 大曽根はずっと派を意識していた。

 なぜかは知らないが執拗なほどに意識していた。

 派世が机を隠された時、他者に自分の力を示すため、そしていじめの事実を隠蔽するために暴れていた派世を、呼び止め結局一切の危害を加えずにいた。

 なんのために?

「なんでだろうな?まあ、愚民であるテメェには分からねぇかもな」

 答える気はない、か。

 日がついに頭をしまおうとしたので、俺はさっさと帰ろうとする。

「返してほしいのなら、俺に従い続けるこだ」

 屈辱だ。

 屈辱だが……従うしか俺に道はない。

 おそらく危害を加えることはない、そう思っていても、もしもを考えてしまうのが人間だ。

 派世なら、ここで大胆に立ち回るんだろうな。

「分かった。だがその代わり、絶対に妹に手を出すな」

「ああ。約束しよう。絶対に手を出さないし出させない」

 その真摯な目を見て、俺の中でどこかが引っかかった。

 しかしそんなことを不安が、すぐに忘れさせてしまった。


 今日命令されたのは、派世を無視し続けることと、派世と佐鳥さんがイチャつき出したとき舌打ちをして大き目の音立てて立ち去れという、一見妬みにしか聞こえないような命令だ。

 こんなことをしても派世は折れないというのに、何の意味があってこれを。

 不思議なことに派世はなかなか佐鳥さんとイチャつくことがなかった。

 というより、派世が登校してからずっと寝てた。

 いつも夜遅くまで何かしてるらしいからな、眠たくなるのも仕方ないと思うが、しかしこうも眠られると、大曽根の命令を遂行できない。

 まあ、俺としてはその方がありがたいが。

「ヒロ君、起きて」

 佐鳥さんが派世を起こしに来た。

 昼食の時間だからか。

 俺は弁当を取り出して、それを開けて手を合わせる。

「ほらヒロ君?ご飯の時間だよ?」

「うーん……ふあ〜」

 大きくあくびをして、まだ眠たそうな目で佐鳥さんを眺める派世。

 しばらくぼんやりと眺めてから、佐鳥さんが広げた弁当をつまんでいる。

「今日も美味しいよ」

「ありがとー」

 いつも通りの二人のやりとり。

 クラスから嫌そうな目が集中する。

 俺は大曽根をチラリと見て、その目が俺を捉えていたので、仕方なく俺は舌打ちを派世に聞こえるくらいのサイズでする。

 派世が少し気にした様子を見せたことで、俺が舌打ちをしたことが大曽根に伝わったようで、大曽根は満足そうに口角を上げる。

 まさか、一生イチャついてろとか思っていた俺が、二人を不快にさせるようなことをすることになるなんてな……

 俺は居心地が悪くなり、計らずともガタンと音を立て、椅子から立ち上がり教室を去る。

 なぜだろう、派世は去る俺に心配そうな目を向けていた。


 派世と話すことを禁止されている俺は、誰と話すこともなく、休み時間は予習で時間を潰し、いつもより長い休み時間を過ごす。

 あれ?学校ってこんなに退屈な場所だったっけ?

 ふとそんな疑問が頭に過ぎる。

 友達と話して笑って、それが学校だろ?

 そんな学校の一側面を取り上げるも、それは虚しく宙をなぞるだけ。

 何を願おうとも、俺にはどれも過ぎた願いなんだ。

 授業の内容がほとんど頭に入ってこない。

 先生の声は教室に響くだけでまるで意識に入ってこない。

 届くのは、カチッカチッと秒を刻む時計の針の音だけだ。

 意識がそちらにばかり向く。

 シャーペンを握る手は震え、ノートにはその先で突っついた凹みが増えていく。

「ーーまり。日溜!」

 先生が呼んでいたことに気付き、慌てて立ち上がる。

「は、はい!」

「ここの問題、解いてみなさい」

 俺は揺れ続け定まらない焦点のせいで、なかなか問題を確認することができない。

「あ、えと、それはですね……」

「もういい。それじゃあ派世、答えなさい」

 俺は脱力して椅子に倒れ込むように腰を落とす。

 教室では何がどうなっているんだ?

 意識がはっきりしない。

 見上げれば、天井のシミが俺を笑っているように目に映る。

 しかしそれは笑ってなんていない。

 そもそも顔なんかじゃない、ただのシミだ。

 なのになんで……

 俺はどこからか視線が向けられているような気がした。

 どこからかじゃないな。

 どこからも、俺は監視されている。

 上から下から前から後ろから右から左から、外側から内側から。

 苦しい、それ以上に気持ち悪い。

 ぐるぐる目を回し、自分の体が自分のものじゃないような錯覚を覚え吐き気を催し、授業中でも関係なく、教室を飛び出しトイレで吐き出す。

 秋に会いたい。

 会いたい会いたい会いたい!

 誰が見てもくたびれているように見えるだろう俺は、しかし自分ではそれに気付かず、俺は自分は大丈夫だと、そう本気で信じ込んでいた。


 大曽根に付き添われ保健室に運ばれた俺。

 自分一人では足取りも覚束ない。

 大曽根に支えられてようやく着いた保健室にはいつもいるはずの養護教諭がいない。

「テメェよぉ……何やってんの?」

 ふらふらする体でソファーを手探りに見つけ、そこに頭から倒れ込む。

 何も見たくなくて、汚いもので溢れている現実から、視界を塞いで目を逸らす。

 もう嫌だ。

 もう何も見たくない。

 だからやめてくれ……!

 俺に声をかけないでくれ…!

 俺を現実に連れ戻さないでくれ!

 そんなことを心で叫んでも、口に出さなければ伝わることはない。

「そんなことをしてもムダだ。妹が大切ならすぐに起き上がることだな」

 秋を人質にとられている以上、俺は大曽根に逆らえない。

 俺は結局、現実に縛られたままなんだ。

 俺には現実から逃げることもできない。

 そんな選択ができないほどに弱く、そんな選択をしたくなるほどに、脆い。

 まさしく脆弱だな……はは……

「次は物を隠すんだ」

 顔を上げる。

 大曽根は少し離れた椅子に座って、いたって真面目な表情でそんなことを言う。

「……なんでそんなに広人に拘るんだ?」

 以前もした質問だ、やはり大曽根は答えないのだろうな。

「答えないと分かっている質問を繰り返すか。やはりテメェも愚民だってことか」

「なぁ、なんでこんな小さいことばかりさせるんだ?お前のしたいことが分からねーよ」

 大曽根の行動は、思えば疑問ばかりだ。

 なぜ派世に拘るのか、なぜ俺を利用したのか、なぜ俺にさせていることがこんなにも地味なことなのか。

 挙げればキリがない。

 そんな無数に存在する疑問は、訊ねたところで答えないと知っている。

 俺は疑問だらけのまま、ただいいように使われるだけの奴隷になり下がる。

 絶対見つけ出して、取り戻す!

 でもって大曽根のバカをぶっ飛ばす!

 秋、待っててくれ!

 すぐに俺が見つけてやるからな!


 大曽根の命令をこなしてなんとか1日を終える。

 俺はすぐに家に荷物を置くと、すぐまた外へと走り出す。

 なんとしてでも見つけるんだと、ローラースケートなんかよりもっと速い移動手段に変える。

 鎖でバイクを形作り、それで車道を走り探して回る。

 なりふり構っていられない、聞き込みでもなんでもして探し出す!

 もう大曽根にはバレてるんだ!

 渋る必要なんてない!

「おい!この顔を見たことはないか!」

「こいつを見たことはないか?」

「この顔に見覚えはないか?」

「こいつにーー」

「こいつをーー」

「この顔をーー」

「なんでもいい、この少女を探してるんだ、頼む!なんでもいい、知ってることがあれば教えてくれ……」

 誰も知らない分からない、秋が連れさらわれた日から、ほんの数日でも忘れられてしまうほどに日が経ってしまっていた。

 途切れ途切れの呼吸、肩からだらんと腕が下がる。

 見つからない……!

 疲れて今度は膝が笑い出し、立っていられず固い地面に尻もちをつく。

 今にも太陽が沈もうという時間だろうか、しかしどんより曇り空には、太陽は影も見えない。

 いや、どれだけ必死になって探しても、太陽に影なんてできないんだ。

 見つからないならただ見つからないだけ。

 明日からしばらくは雨だという予報を今朝聞いていた。

 最近雨多いなぁなんて思いながら、雲の隙間に光を求める。

 妹一人守れない、そんな俺に、生きている意味なんてあるのか……?

 そんな疑問に答えがほしくて、力の入らない体を起き上がらせる。

 失ってたまるか……!

 俺が大曽根に縋りつけば、秋はまだ生きていけるんだ……!

 それならやってやるよ!

 俺がなんとかしてやるからな、秋!


 今日はこの後雨が降るらしく、俺は天気も重なって、さらに重い足取りで学校を目指した。

 傘を持つ手からは力が抜けていて、軽くぶつかられただけでも傘を落としてしまいそうだった。

 睡眠不足、家族を攫われた生活、派世への裏切り、派世を地道に追い詰めて、大曽根は追い詰められているようで、派世も追い詰められているようで、しかし最も追い詰められているのは、多分俺自身だと。

 焦り、それはどこまでも俺を責め立てた。

 家族と友人、どちらも失おうとしている俺は、その両者を天秤にかけることを強要されているのだから、焦って当然、追い詰められていて当然。

 しかしこの時の俺は、そんなことにさえ気付けずにいた。

 派世は紫だから何もできないだろうと、一緒に探そうにもそんな時間を有していないだろうと、そんなことを頼んでは巻き込んでしまうだけで迷惑だろうと、派世に伝えないことを、いつしか正当化するようになっていた。

 言わないことで余計に苦しんで、自分の無力を噛みしめるだけの俺には、こんな無様な姿がお似合いだろう。

 はっきりしない意識の中、俺は着信音を聞いた。

 メールを開くとそこには、ぼやけていた意識を覚醒させるには十分すぎることが書かれていた。

 差出人は不明、しかしそれが大曽根からのものだとすぐに分かった。

 俺の精神の摩耗を待っていた、そうとしか思えないほどにタイミングよく送られてきたそれは、俺を利用した派世を追い詰める策が書かれていた。


 最悪の作戦。

 それに従う俺もまた最低のクズだ。

 しかし俺はそれも妹のためだと、正当化してしまう。

 俺が派世にしようとしているのは、おんなじことなんじゃないのか?

 それでも俺は、友より家族を選ぶ。

 八百屋のおっちゃんに言われていたのにな、守れなくなっちまったよ……

 あーあ、俺、なんでこんなに中途半端なんだろ……

 中途半端な俺だけど、でも、妹を守ることただ一点においては、半端になる気はない。

 できれば、派世も捨てたくはなかった。

 派世たちが登校していないか、先に教室の様子を見る。

 来るな、今日は学校に、来ないでくれ……!

 そう祈りながら、しかしメールを送ることはない。

 来てほしい、来てほしくない、二つの間で揺れている。

 メールに書かれていた一文。

『これが最後の命令だ。これを果たせたのなら、テメェの妹は解放してやるよ、愚民』

 明らかに大曽根の口調なその一文は、俺がずっと望んでいた、秋の解放が書かれていた。

 秋が返ってくる、その一文は、擦り減らした俺の神経には麻薬に等しい。

(たとえ秋に軽蔑されようと構わない!俺は秋が無事ならそれでいいんだ!)

 心の中だけで叫ぶ。

 しかしその時、脳裏に派世と佐鳥さん、二人の姿が過ぎる。

 俺は振り払おうとして首を振って、忘れようとして必死に頭を動かす。

 しかし忘れようとすればするほど、二人の姿がより濃く鮮明に浮かび上がってくる。

 俺の中の二人は、決して俺を責めることはしない。

 それが余計に、俺の心を蝕んでいる。

 自分の作り出した幻影に惑い、一度決めたはずなのに迷う。

 その時になってみれば勢いでなんとかできるかもしれない、だが、人間それまで何度も考えてしまうもので、考えたって苦しいだけなのに、それなのにまた考えている。

 しかし何度考えたって変わらない。

 どちらもほしいというジレンマに、俺がハマることはない。

 俺は何より秋を優先する。

 まだ登校していない二人を、昇降口でじっくり待つ。

 大曽根が学校に来ていないのはなぜかは分からないが、俺はただ命令に忠実に従うのみ。

(ごめんな、広人……俺、お前の味方じゃ、いられなかった。だがな、俺のしていることが例え悪だったとしても、俺はこのやり方を変えることはない。俺にも、譲れないものがあるんだ!)

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