騎士
普通に走ってちゃ間に合わないかもしれない。
そう思った俺は足に力をいっぱい込めて飛び上がり、電柱や壁を駆け上がり、民家の屋根の上を走る。
仕方ない。
今は緊急時だ。
これを見られれば、フィリアには隠せなくなってしまうが、そんなことを言っている場合じゃない。
まあ、こっちの秘密がバレたところで、他がバレなければ、さして問題はないか。
そして俺は一段階目の扉を開く。
開くぜ!初段開門!!!
鬼門、それは人の身で鬼に近づく技。
その四段階ある内の最初の段階。
時間制限つきだし、時間経過による代償も大きい。
そんな技だが、背に腹はかえられないからフルタイムで使うことになるだろう。
身体能力が格段に上がり、何倍にも膨れ上がった力で屋根を蹴る。
暗技を利用して屋根への力を分散させると、家屋の屋根を傷つけずに飛び去ることに成功する。
そして次の家屋への着地も、暗技でうまく力を散らして綺麗な着地を決める。
俺は同じ要領を繰り返しながら、一直線にレッドゾーンへと向かった。
工場の扉を蹴破って、その中へと入っていく。
フィリアの流れは読みやすいから、暗技で流れを読み、ここまではスムーズに来られた。
しかし、スムーズに来られたとはいえ、もう時間的猶予はあまり残されてはいない。
鬼門が解ければ代償を払わなければならないが、その状態ではまともに戦うことはできない。
「一人で乗り込んでくるとはいい度胸じゃねえか!」
そう言って、体の大きな悪魔が、掴みかかってくる。
邪魔だ。
暗技を使うまでもなく悪魔の額に拳を打ち付ける。
力任せに振るった拳は、悪魔を壁に叩きつける。
むしろ暗技を使わなくてよかったまであるか。
ド派手な登場で注意を引く方が大切だ。
「広人!どうして……⁉︎」
「遅くなったな。しかしなお前、この程度のやつらに捕まってんじゃねーよ」
ここには大した力の悪魔はいない。
一番強いやつも初級悪魔、フィリアが負けるとは思えないが……
人質でも取られたのだろうか?
しかし、あの悪魔、俺ならすぐに狙いが読めるとか言っていたが、全く分からんぞ。
どうして初級悪魔がこんなことを任されたのだろうか?
誰の差し金かも分からないが、とりあえずはフィリアを生かして捉える必要があったことだけはたしかだな。
小さい工場の奥、フィリアは柱に鎖で縛り付けられている。
床には大きな描きかけ魔法陣か描かれている。
転送魔法陣か。
数多の小道具を用いて可能な限り必要魔力量を減らしているようだが、そんなことをしているから救援が間に合ってしまうんだ。
一人くらい魔力量が潤沢にある中級ないしは上級悪魔を置いておけばよかったのに。
いや、その場合はゼラが何かしら手を打っているか。
ゼラを刺激することを嫌ったが故の采配と見るべきだろうな。
「お前馬鹿だろ?ここに1人で来るなんて、よっぽど死にたいらしいな」
数が多いだけだな。
十数体の初級悪魔に囲まれる。
魔法陣を描いていた女悪魔が起き上がり、右手を銃の形にして、俺に照準を合わせる。
腕に模様を入れているな。
魔法式の羅列か。
あの並びだと、おそらくは熱線を放つ式だ。
避けることもできるが、相手を絶望させるなら、あれを食らう方がいいな。
「テメェ、何のつもりだ?」
女悪魔が口を開く。
他の悪魔に動く気はないようだ。
俺の答え次第では見逃そうと思っているのか?
随分と甘い悪魔たちだな。
この戦闘が避けられるとでも?
「そいつを返してもらうつもりだ」
「今なら見逃してやるぜ?」
まあ、そうだろうな。
初級悪魔では、この魔法は魔法陣を描いて、さらに転送先の設定補助に設定先を象徴する小道具を設置してようやく発動できる、それほどに魔力を消費する魔法だ。
彼らは、術式発動のためにも少しだって魔力を使いたくないだろう。
だが、この俺が簡単に引くはずがない。
引けるはずがない。
「それはこちらのセリフだ」
俺が戦う意志を示すと同時に、この中で一番魔力量の多い女悪魔の指先から、赤い熱線が放たれる。
それを見たフィリアが鎖から抜けようと、髪を紅く輝かせて暴れているが、全く抜け出せる気配はない。
熱線は俺の胸、ちょうど心臓の位置を貫く。
それと同時に、一斉に悪魔が魔法を放つ。
普通は最初の一撃で死ぬから、オーバーキル甚だしい攻撃だ。
位置がずれてて生きている可能性を考慮しても、やはりこれだけの攻撃はオーバーキルだ。
まあ、俺にとっては大したことはないが。
全ての攻撃をこの身で受ける。
小さな爆風と煙で、周りは見えない。
だが、悪魔たちは倒したと確信しているようだ。
浅はかだなぁ、確認もせずにそう思いこむなんて。
完全に油断し、余所見をしている悪魔がいるな。
まずはお前だ。
本来なら、リーダーであろう女悪魔から狙うべきだが、別の悪魔を狙う。
リーダーが最も情報を持っているからな。
敵の情報がほしいなら、リーダーを追い詰めて口を割らせるのが手っ取り早い。
煙から飛び出して、余所見をしている悪魔の胸に手を当てる。
あらかじめ仕込んでいた技を叩き込む。
これが受け継がれし暗技、
暗技流水制・滅慟!!!
撃ち込まれた悪魔の内側から、泣き叫ぶような嫌な音が発せられ、その悪魔の背が破裂する。
撃ち込まれた力は、ちょうど背中の一点で強め合い、その力の胎動が、喉を震わせ叫びにも似た音を発させる。
なぜ暗技にこんな、暗殺に向かない技があるのかは分からないが、壁を壊すことにも相手を殺すことにも使える、かなり便利な技だ。
悪魔たちはこの光景を見て、何を思っただろうか?
悪魔たちは飛び出した俺に遅れて気付く。
次の瞬間には、悪魔が叫びを上げて絶命する。
悪魔たちは驚きすぎて声を発することもできないようだ。
その光景をただただ呆然と見つめている。
フィリアも口を小さく開けて、ただただ唖然としている。
「どうした?もう終わりか?」
鬼門には時間制限があることだし、挑発してさっさと我に返ってもらうとするか。
襲ってきてくれた方がやりやすい。
「馬鹿にするな!」
その言葉に反応して、一体の剣を持った悪魔が、俺に一直線に向かってきて、固く握られた細身の剣を勢いよく振り下ろす。
おそらくはフィリアの剣だろう。
たしかあんな感じだった。
普段使っていないのだろう。
慣れていない獲物を実戦投入なんて、こいつはバカなのかな?
素人相手なら通じるだろうが、こんなところに乗り込んでくる相手に通じるかよ。
「返してもらうぞ」
剣を握る腕を蹴り上げ、悪魔の手からすっぽ抜けた剣の柄を握る。
鬼門の握力と腕力で無理に振るい、正面の悪魔を斬る。
「なんてやつだ……このままじゃ勝てねぇ!おいお前!何か組織から言われてねーのか!!!」
「言われてるわけねーだろ!こんな状況想定してねーよ!」
仲間割れか。
非合理的だ。
今の状況でそんなことをしても、俺を倒すことなんてできないというのにな。
「あんたを信じた俺たちが馬鹿だったよ!ヤローども!一気に掛かれば倒せるはずだ!いくぞおおおおおお!!!」
指示待ち悪魔どもが一斉に動き出す。
ようやくか。
最初に悪魔たちの不安を煽っておいて正解だった。
ようやくそれが爆発してくれた感じだ。
出力を抑えた甲斐があった。
迫り来る悪魔とその場で魔法を放つ悪魔、それなりに連携はとれている。
だが、それで覆せる実力差じゃない。
俺は魔法の間をすり抜け、正面から迫る悪魔を斬り裂き、包囲を脱する。
まずは後方組から倒すのが定石か。
鬼門単体ではここまで精密な動作はできなかったところだが、暗技と併用しているから力の制御が効く。
これなら、いけるな。
剣を握りしめる手に、先ほど振るった感触が残っている。
調整は終了した。
さて、俺自身は剣術を習ってなどおらず、普通なら剣を扱うことはできないが、俺はすでに何度か見ている
フィリア、お前の剣、借りるぜ。
俺の身体は加速する。
フィリアほど速くはないが、それでも初級悪魔では反応できないほどの速さは出ている。
そして、目にも止まらぬ速さに負けない流れるような剣技で、悪魔たちを斬り捨てる。
フィリアが目を見張っている。
それもそうだろう。
俺が使っているのはフィリアの剣技なのだから。
暗技使いは動きを見て真似ることができるのだ。
オリジナルには及ばないが、ここの悪魔程度なら倒すのに申し分ない。
次々と悪魔を殺していく。
「ひ、引けえ!これ以上やっても無駄死「遅えよ」
叫ぶ悪魔を斬り伏せる。
今更勝てないと知ったところでもう遅い。
俺がここに来た時点で、尻尾を巻いて逃げ出すのが正解だったんだ。
「くっ、何なんだよ!この化け物は!」
化け物か……
よく言われるよ。
勝てないと悟った女悪魔が、他の悪魔は使えないと自分で辺りに解決札がないかキョロキョロと探し出す。
やがて一点を見つめて頭を止める。
「動くな!動いたら殺す!」
女悪魔がフィリアに指を向ける。
「無駄なことはやめておけ。お前には殺せない」
わざわざ生け捕りにしてるんだ、組織からそう言われているのだろう。
結局俺が指摘した通りだ。
逃げようと背を向けた悪魔から斬っていくが、女悪魔はフィリアを殺せない。
俺に全て見透かされていて、女悪魔は床にへたり込む。
絶望に満ちたいい表情だ。
女悪魔以外の悪魔全てを片付け、剣を床に置く。
「まさしく、八方塞がりというやつだな」
「……テメェに、何が分かる」
表情を見れば分かるさ。
顔面蒼白でこの世の終わりを見ているかのような目をしていれば、今お前が絶望していることぐらいはな。
「殺るなら殺れよ」
「俺がお前を殺そうが殺すまいが、お前は殺される。違うか?」
「……お前、何者だよ?」
何者だろうな。
何度絶望を味わっても、それだけがいまいち判然としない。
自分がどういう存在でとか、どんなやつでとか、そういうことなら話せるが、何者かなんて問われれば、それは極めて答えづらい問いかけだ。
正しく答えるのならば、何者にもなれなかった者、だろうか?
しかし、そんなに馬鹿正直に答えてやる義理もない。
だから、その質問を受けた時、俺は自分をこう名乗ることにしている。
「俺は騎士だ」
弱さを隠すため鎧を纏い、力を誇示するため剣を握る。
俺は騎士道なんてものは知らないし、どうでもいいとさえ思っている。
騎士の本質なんてものは、鎧を纏って剣を握るだけのただの一般人であり、俺はそんな虚構でしかないと語る。
「騎士だと?はっ!……それなら、助けてって言えば助けてくれんのかよ。テメェに縋れば、私の家族は助けてくれんのかよ!なあ!!!」
家族、か。
何となく見えてきたぞ。
「お前は、人質に取られた家族の為に、今こうしているのか」
「だったらどうした!」
「それは、単なる自己満足だ」
「っ!?」
こいつもそれは分かっているようだ。
それを敵である俺に指摘されるとは思ってなかったようだが。
「何をしたって家族は解放されない。お前の全ての行動は、ただ執行猶予を伸ばしているだけにすぎない」
「分かってる……そんなことは、言われなくても分かってんだよ!!!」
「だったらなぜ、こんなことをしている?」
逆らえるわけがないのだと、分かっていても訊ねる。
「従うしかないんだよ!従えば、命の保証はしてくれるんだ!勝ち目のない戦いを挑むより、よっぽど建設的だ!」
「そう言って自分を正当化しても、現実が変わることはない。そもそも、お前はその勝ち目のない戦いを今こうして挑んでいる」
悪魔は歯ぎしりして、しかし、俺の言葉に反論はしない。
組織がどういうものかを分かっていて、それでも従うしかない、か。
「お前は、提示された希望に縋りついているだけだ」
自分でも分かっているはずだ。
こいつが死んでも、家族の内1人が解放され、その1人も家族を人質に取られ、従わされる。
最後の一人になるまで利用され続けるんだ。
「ああ。その通りだよ。だけどな、仕方なかったんだよ。私には、希望に縋ることしか出来なかったんだ」
そうだろうな。
希望に縋ってしまうから、初級悪魔なんだ。
それは、組織の希望にも沿わない形だっただろうな。
まあ、組織はそれも織り込み済みだったのだろうと思うけども。
恐怖で縛るより恩義で縛る方がが、使う側としては扱い易く協力的で連携も取りやすい。
ともあれ、
「お前が大事に抱えてた希望も、いよいよ終わりを迎えたってわけだ」
「いいや、まだだ。諦めるには、まだ早い!」
悪魔は震える膝を押さえ、やっとの思いで立ち上がる。
「まだ、倒せないと決まったわけじゃねぇ!」
「その希望、欠片も残さず破壊してやろう」
「いくぞ!!!」
「さあ、絶望を知れ」
俺に助けを求めないんだな。
俺はあえて騎士だと名乗った。
悪魔が相手だろうと見逃すことは多々ある。
死んだことにして逃がすこともできるが、それを俺があえて口にすることはない。
そして悪魔が勢いよく走り出す。
俺も姿勢を低くして、悪魔へと駆け出した。
そうして俺たちが交差する。
ならば俺が教えてやろう。
希望など、心を蝕む病魔であると!
決着は一瞬で着く。
悪魔の拳は俺の首のすぐ横を通る。
俺の腕は悪魔の腹部を貫いている。
「やはり脆いな。そして、無意味な死だ」
女悪魔が悔しそうに歯を軋ませる。
「やはり何も守れなかったな」
即死しない場所を貫いてやった。
さて、最期に自分に下されていた命令の意味を教えてやろう。
家族は救えたのだと、そのチャンスを自らが不意にしたのだと、教えてやろう。
自らが歩んだ人生の終着点は、失敗の元に最悪の結果へと繋がったのだと、教えてやろう。
せめて、自分がただの傀儡ではなかったのだと、教えてやろう。
「お前が弱いから家族は守れなかった。命じられるがままに命を奪い、そして自分さえも守れず、今度は家族を生け贄に捧げる」
「うるせぇ」
「お前が負けたから、また1人家族が犠牲になる」
「うるせぇよ……」
「お前が強ければ、家族はみんな笑顔で、一緒に暮らせていただろうに」
「うるせぇって言ってんだろ!そんなのはわかってんだよ!私が一番、わかってんだよぅ……」
自分の選択が間違いだったと突きつけられたところで、人質にとられては、命令されては仕方がなかったと、そう逃げてしまう。
ならば逃げの選択肢自体を潰してやればいい。
「逃げ出せばよかったんだ。お前が、家族をおいて。そうすれば最悪の結果は避けることができた。お前ごときに重要な情報など与えないし、与えられる重要な役割は生け贄以外に存在しないのだから、わざわざ逃げ出したお前ごときに捜索の人員を割くなんて、そんな非合理的なことはしない」
言い訳を潰せば女悪魔は目を見開いて、込み上げてきた血を口から吐き捨てながら、涙を流した。
全員が死ぬ未来、自分が生きて、助けにいけたかもしれない未来、そう想像を膨らませれば、自分がいかに間違っていたかを嫌でも痛感させられる。
だから女悪魔は反論の言葉を失った。
そして、今度は自身を責め始める。
虚な目だ。
ぽっかりと空いた風穴から、とめどなく溢れる血に意識を引き戻されて、女悪魔はその時ようやく気がついた。
「そうだったのか。そういう、ことだったのか……」
そういうことだよ。
死に際、女悪魔の爆発的に増え続ける魔力を感じ取り、俺はあまりにも遅かったと感想を抱いた。
女悪魔も俺の意図に気が付いたらしい。
「ゴフッ……やっぱ、強いな。勝てねぇや。あんた、博識だな……」
女悪魔は自重気味に笑う。
いまさら中級悪魔へと進化していた女悪魔だったが、迫り来る絶対的な死の未来には逆らえない。
「なあ、あんたにもっと早くに出会っていれば、私の未来も、変わっていたのかな?」
自分が助かる未来を夢想して、女悪魔は遠い目をしている。
家族がいて、自分がいて、組織から離れて一緒に暮らす、そんなビジョンでも思い浮かべているのだろう。
「なあ、あんたに一つ、頼みたいことがあるんだが、どうか、頼まれちゃぁ…くれないか?」
その言葉を聞いて俺は頷き、意識がぼんやりと遠くなり始めた女悪魔の言葉の続きを待つ。
「戦の悪魔王を、倒し、て……ほしい…………」
言い終わると悪魔の意識が完全に途絶えた。
悪魔の身体を床に寝かせる。
いつかは倒すさ、約束しよう。
戦の悪魔王の名前を聞いて、様々な思考が頭を巡ったが、俺はそれを頭の片隅に追いやり、拘束されたフィリアへと歩き出した。
悪魔たちは倒した。
鬼門が閉じかかって、ついに痛みが全身を駆け巡る。
悪魔を倒してからでよかった。
皮膚に亀裂が入り、体のあちこちから血液が噴き出す。
しかしまだ倒れるわけにはいかない。
重い身体を叱咤して、言うことを聞かせる。
急に左足に激痛が走った。
くそっ、左足の骨にヒビが入ったな。
筋肉も切れて足に力が入らない。
動け、動け、動け動け、動け動け動け。
重い足を引きずるようにして、なんとかフィリアのもとへとたどり着く。
くそっ、鬼門の反動がッ!
これだからフルで使うのは嫌なんだッ!
最後なんて反動が出始めてまともに体が動かせないくせに、最終的に受ける反動ばかりが大きくなる。
今すぐ眠ってしまいたいほどの倦怠感が押し寄せてきて、歯を噛み締めてなんとか睡魔に抗う。
こうなることは分かっていた。
完全に鬼門が切れる前でよかった。
最後の力を振り絞り、なんとかフィリアを縛る鎖に手をかける。
力で壊すことはできないな。
どうやら、この鎖は魔法で強度が上げてあるようだ。
どうりでフィリアが抜け出せないわけだ。
「広人、その傷」
「大丈夫だ」
この魔法は上級魔法だな。
ここにいた悪魔たちでは魔力が足りなかっただろうに、いったいどうやって?
そんな疑問が生まれたが、すぐに俺は目の前の鎖に意識を戻す。
まだ発動を維持するための魔力が鎖に残ってる。
これなら簡単に壊せる。
残った魔力で発動するように、魔法術式を書き換える。
そしてあっさりと、鎖はガチャンと音を立てて砕け落ちる。
それと同時に鬼門が完全に閉じて、体が動かせなくなった。
「広人!」
膝が体重を支えられなくなり、ガクンと垂直に体が下がる。
そしてバランスが崩れた俺の体は、背中から地面に吸い込まれるように倒れていく。
フィリアが腕を伸ばして、俺の体を支える。
「待ってて!すぐに病院に!」
「ダメだ。病院はダメだ」
フィリアは痛々しく表情を歪めながら、俺の目をじーっと見つめてくる。
なんとか安心させたいが、残念ながら言葉が思いつかない。
というかこの状況で安心させる言葉ってあるのかよ。
「大丈夫だ。俺は死なない」
そんなこと言っても信用できないよなぁ。
だから俺はフィリアの目を信じることにした。
フィリアが俺の目を見つめるのと同じように、俺もフィリアの目をまっすぐ見つめる。
視線だけの懇願だが、どうやら俺の思いが伝わってくれたらしい。
フィリアはしばらく悩んだ末に、溜め息をついて了承してくれる。
「家まで頼む」
「分かったわ」
フィリアは、俺を壁にもたれさせ、床に座らせる。
剣を使っていた悪魔の背から鞘を取り、俺が床に置いた剣を収めて俺に背負わせると、フィリアは俺を背負い、髪を紅に輝かせて、レッドゾーンを駆け抜ける。
相変わらず速いな。
「どうして捕まったんだ?」
体はクソ怠いし、少しの揺れでも全身に激痛が伴い頭が回らないが、一応答え合わせしておくか。
「人質を取られたのよ。年端もいかない女の子を」
まあ、そうだろうな。
「捕まっても抜け出せると思ってたんだけど、まさか上級悪魔がいるなんて。軽率だったわ」
「上級悪魔がいても、多少の人質くらいどうにかできそうなものだが、ともあれ、反省しているならそれでいい」
しかし、これだけ入念に準備していたというのに、なぜ最後は初級悪魔に任を任せたのだろうか?
あるいは、失敗まで込みの作戦なのか?
いや、ゼラが何かしたと考えるのが妥当か?
或いはゼラが予期していない何かが起きていたのか?
「それで?あなたはどうやって、私が捕まったことを知ったの?」
隠す必要はないか。
「悪魔王ゼラスターの部下を名乗る悪魔が、わざわざ伝えに来てくれたんだ」
「ゼラ………」
あまり驚いていないんだな。
やはり、俺と悪魔がフィリアの家の近くで会っていた時、それに気付いていたんだろう。
俺と奏未は気配を隠していなかったしな。
あの時覗いていたっぽいし、もう一人いたことも分かってはいるのだろう。
それが、悪魔だったと仮定すれば、俺に悪魔がフィリアのことを伝えにきたことは至極当然のことと紐付けができるだろう。
ともあれ、そんな予想をして詮索されても何も出てこない潔白な俺は、繋がりを肯定する言葉を続ける。
「お前、有名人なんだな」
「残念ながら」
ふむ、今回の件はゼラと戦の悪魔王との対立構造の中の出来事であることは間違いないわけだが、となると彼が言っていた新人類とは……
俺はすぐ近くにあるフィリアの横顔を見て、その表情に翳りを見出すと、少し悲しくなって目を伏せる。
新人類、か……
また一つ結論が出た。
痛みでうまく働かない頭だが、置かれた現状が単純なものだから想像容易い。
他所ごとを並行して考えられるだけの余裕もある。
「あ、そこの角を右ね」
俺に道案内されながら、フィリアは日の沈みかけた町を走る。
そして長く伸びた影に比例するかのように、フィリアは心をより沈ませ、より一層表情を翳らせていた。