レッドゾーン
「悪いな、休日に呼び出して」
「気にするな。元は俺の仕事だ」
俺は今、八田月と奏未と3人でカフェに来ている。
奏未は来なくても良かったが、八田月と会うと言うと、行くと言って聞かなかった。
カフェにしようと言われたから来てみたが、やはり雰囲気が合わないな。
おしゃれなカフェで、周りは女性客ばかりで、少ない男性客はカップルだと一目で分かる。
肩身が狭いなぁ……
「しかし、どうしてカフェに?」
重要かもしれない情報を扱うのに、カフェという空間は向いてないだろう。
何か用事でもあったのだろうか?
そんなバカな。
カフェに用事ってなんだよ。
答えるつもりはなしか。
「1人を除いて誰にも見つかってなかったんだろ?」
最後に会った悪魔以外には見つかっていないはずだ。
「多分な」
しかし、自信があるわけではない。
可能性が少しでも存在する以上、それを疑ってしまう。
それだけ慎重になる必要はあるだろう。
「なら大丈夫だろ。そもそも、お前に気付かれずに見ていたとすれば、どこで会おうと変わらない」
確かにその通りだ。
逆に、こうした人目の多いところの方が動き辛いのは、あるかもしれないな。
「さて、本題に入ろうか」
八田月がそう言ったので、俺はポケットからUSBメモリを取り出す。
八田月はそれを見て、薄っすらと笑う。
これにいったいどんな情報が入っているというのか。
「何だ?こいつが気になるのか?」
当たり前だ。
あんな場所で、あんな状況でこれ見よがしに渡されて、気にならないはずがないだろう。
朝早くから奏未に安全性のチェックがてら中身を調べてもらったが、ウイルスが入ってないことが分かったぐらいで、厳重過ぎるロックのせいで、一切覗くことができなかった。
それほど厳重に守られた情報だ。
「安心しろ。分かり次第教えてやるから」
そいつは有り難い。
他の人なら簡単に閲覧できる情報も、俺の階級が紫の最下層だから、開示できないことがほとんどなんだ。
まあ、他の入手方法もあるけど……
ともあれ、俺は情報弱者なんだ。
「ところで、あの悪魔(?)は何なんだ?」
八田月のことを狼と呼んでいた。
だからあいつは八田月の知り合いだと思っているんだが、この様子だと八田月もあいつを知っているのだろう。
答える気はなし、か。
なぜ正体を隠すんだ?
……気にするだけ無駄だな。
「まあいいさ。お前が答えたくないなら、それでいい」
「敵じゃないとだけ言っておく」
そりゃそうだろう。
八田月はあれを、信用しているようだし。
それに八田月のこの目、俺が勝手に答えに辿り着くと信じて疑っていない目だな。
まあ、当たりはついている。
「で、なんでカフェに?」
そして忘れた頃にもう一回訊ねてみる。
しつこく訊いてやろうという強い意思を込めて熱い視線を送ること数秒、八田月は照れて顔を逸らして答える。
「た、たまには二人でカフェに行きたかった、んだ」
二人……
俺と並んで席に座る奏未さんに視線だけ向けると、やってやったぜと満足顔だ。
「また今度二人でこようか」
「なっ!」
「あ、ああ。またこよう」
「んななッ!」
嬉しそうに頷いた八田月に、俺も相好を崩すのだった。
「お兄ちゃん」
「ああ」
奏未が何かに気付いたようだ。
俺たちは席を立つ。
八田月も気付いているようだが、特別何もせずにコーヒーを飲みながら、俺たちを静かに静かに見送った。
「こんなところで何をしてるんだ?」
こんな白昼堂々出歩いているとは思わず、俺と奏未は瞠目する。
「この人が、昨日言っていた人?」
奏未には昨日の内に共有していた。
そして先ほどの八田月との会話も思い出しながら、奏未はひっそりと巫女の力を高めていく。
「ああ。間違いない」
昨日とは姿形が違うが同じ魔力を発する死者が、街路樹にもたれかかっている。
ここはフィリアの家の近くだ。
八田月に呼び出されたカフェだから、八田月はこの付近にこいつがいることを知っていて、俺たちが接触するように仕向けたな。
しかし、なるほどな。
ここなら、フィリアが出て来た際に、すぐに気付くことができるだろう。
漏れ出る瘴気はどうしてもあるが、これなら普通の人間では気付けない。
魔力も含めてうまく隠しているな。
「流石だな。俺に気付けるやつなんて、この世界にそうはいない」
気付いたのは奏未だ。
俺では、近くを通りがからなければ、気付くことはできなかった。
おそらく、フィリアも気付いていないのだろう。
奏未がずっとフィリアの家を凝視しているのが気がかりだが。
「魔力を持つ死者ってことは、昨日のってことでいいんだよな?」
やっぱりと奏未は視線を死者に向け直す。
そうだと分かったからといって、神性を緩めることも強めることもしない。
「死者の体だが、これでも悪魔だ。と言っても、説得力は皆無だろうな」
それも予想はついてた。
「しかし、魔力を感知できるとは、恐るべき力だな」
量は大雑把にしか分からないがな。
「それは体質か?それとも暗技か?」
この口振りだと、俺が暗技使いだと分かってやがるな。
一瞬驚きかけたが、よくよく思い返すと親父のことを知っていたのだから知っていてもおかしくはないと一人で納得する。
しかし暗技の名前をこんな場所で口にするとは。
暗技、それは決して表に出て来ることのない、閉じられた暗殺技術。
一応国家機密なんだが?
国家機密どころか国連のブラックリスト入りしてるクソやばい技術なんだが?
「その、暗技?ってのは?」
とりあえず一回すっとぼけてみる。
「とぼけても無駄だ。昨日もらったからな」
石飛ばす時に使ったな、そういえば。
というか、あれだけで暗技だと分かったのか?
隠し事はできなそうだ。
「お兄ちゃん。この人、多分危険」
「ああ。だが、八田月が信じてるんだ。きっと敵にはならないだろ」
八田月なしにも、こいつを信じる理由はある。
「親父とも関わりがある」
「なお危険!」
奏未の親父嫌いが発動して敵愾心を向けられるかわいそうな悪魔さん。
文句なら親父に言ってくれ。
親父もとばっちりで嫌われているだけだけども。
ともあれ、こいつの人間を見る目は、悪魔が元来人に向けるものとは違う。
敬意と、慈愛に満ちたものを向けている。
ということは、
「お前、人間が好きなのか?」
という推論に至る。
悪魔に向かって何を言ってるんだ、俺は。
「寛容なのだ」
そして真面目に答える悪魔。
「俺は悪魔も人間も、あらゆる生き物を認める。あらゆる生を尊重し、あらゆる死を尊重する」
だから死者の身体ばかりを使うのか?
死者には、生も死もないから。
尊重しない者の体なら、最悪壊れても構わないと。
まあ俺は死者だけは存在を許せないから、ぞんざいに扱うことに全く憤りを覚えないどころか、さっさと殲滅してくれとまで思うのだが。
「俺の友は悪魔だが、人間の女と“契”を結んだ。ならば俺は祝福し、尊重しなければならない」
悪魔の友が“契”を人間とだと?
それってやはり……
悪魔の言葉に嘘は感じられない。
ということは、やはり親父とは親しい間柄であることは間違いないのだ。
「話を戻すぞ。お前はここで何をしている?」
「上手く逸らしたと思ったんだが、流石に気付くか」
気になる話で気を逸らす、常套手段だな。
つか、ほんとに気になる話だな。
今度時間がある時にでも話してくれないかな?
「いいから話せ」
「せっかちだな。ユスティリアの監視だよ」
フィリアの監視?
八田月が守れと言っていたが、あいつにはそうしなければいけない何かがあるってことだろうか?狙われるような何かがあるってことだろうか?
「奴らに渡す訳にはいかないんでね」
奴ら?渡す?
いったいどういうことだ?
「お前は帰っていい。何かあったら報告する」
何かあったらって、何かあるかもしれないってことだろ?
なんだか心配になる言葉だな。
「俺は表だって動けない。協力を頼む形になってすまない」
もし報告をもらう側だとして、もしそうだとすれば協力してもらってるの、俺のような気がするのだが……
そして、表だって動けないのは俺もなんだが……
「あなたたちは何者?」
奏未はこいつが何かしらの組織に所属していると踏んでいるようだ。
確かに、そこをはっきりさせなければ、味方である組織を攻撃してしまうかもしれない。
聞いておくべきだな。
まあ、親父の関係者ってところから大方の予想はついているのだが。
「正体は明かすなと言われているんだがな。何も教えないのでは、信用できようはずもないか」
その悪魔は、他者に伝わらないように、喉の動きのみで話す。
『ゼラ』
暗技が使えなければ読み取れない言葉だった。
俺は驚愕し目を見開く。
この悪魔に嘘はなかった。
奏未にも伝えると、やはり驚きを隠せない。
それは、俺たちを完全に信用させるのに十分すぎる言葉だ。
だが、むしろどうしてそいつが動いているのかを考える必要があるな。
俺は親父が勝手に人集めて行動しているとばかり思っていた。
たしかにこれは狩人の仕事じゃないわな。
まさか、“悪魔王”が関与しているとは。
これは大事になりそうだ。
「肝心なのは最初だけだ。乗り越えさえすれば、あとは我々が釘を打っておく」
こいつは優れた悪魔なのだろう。
別人の体を使っていながら、歴戦の猛者としての威厳を感じさせる佇まいである。
だから、フィリアに何かあっても見逃さず、俺がまだ間に合うタイミングで報告してくれることだろう。
そう思うがやはり不安は拭えない。
俺は“ゼラ”と直接関わりがあるわけではない。
だから、俺は俺で信用できる筋に協力を仰いでおくことにする。
つまり、と奏未に視線を向ける。
俺は俺で奏未の目の力を借りる。
俺が最も信頼を置く奏未に、大抵のことならこなせる万能な奏未に。
「一応見ておいてくれ」
どっちをとは言わないし、奏未が何を見ようとフィリアのことで報告をさせることはしない。
見ていてもらうのだ。
見届けてもらうのだ。
俺たちの去り際、フィリアの家の2階のカーテンが少し揺れたような気がした。
結局俺はフィリアを見張る悪魔に何もせず、家に帰り着いた。
「“ゼラ”、か」
「なんだかすごい名前が出てきたね」
「ああ。まさかそんな大物が動いていたとはな」
ゼラ、悪魔王ゼラスター、4体存在する悪魔王の一体。
悪魔王の中で唯一、人間に味方する悪魔王であり、戒の名を冠する悪魔。
「戒の悪魔王が出てきたとなると、敵もそれだけ大きな組織だってことだろう」
そして、あそこまで強力な悪魔を仕向けるということは、そこまでして守らなければならないほどの何かが、フィリアにあるということだ。
「大丈夫だよ、お兄ちゃん。いざとなったら、あたしの切り札で…」
黙ったまま奏未を睨み付ける。
俺は今、かなり険しい表情をしているだろう。
「ごめん」
分かればいい。
奏未の切り札は命を削る、まさしく切り札だ。
そんなものを使ってほしくない。
というより、そんなものを使わせるくらいなら俺が隠している力を使う。
「いざとなったら俺がなんとかする。だからお前が使う必要はない」
どうしても使わないといけない、そんな時は、許可が出されてしまうだろうけど。
「うん…」
俺はふとあの悪魔から聞いたワードが思い浮かんだ。
“新人類”そのことを、奏未に聞いてしまうべきだろうか?
俺個人としては気になるが、フィリアが言わないということは、知られたくないことなんだろう。
奏未なら知っているかもしれないが、やっぱりフィリアの口から直接聞きたい。
何かを言おうとしたことが奏未に伝わってしまっているので、俺はふと目に入った机の上の通帳の話題へと切り替えた。
「奏未、通帳のことは任せる。パスワードの解析、なるべく急いでくれ」
少し足りない情報から自分で考えてみる。
おそらくは、新人類ってのが、フィリアが狙われていることに関係しているのだろう。
一体何が狙ってる?
なんで狙ってる?
そもそも、なぜこのタイミングで動き出したんだ?
死者たちの行動の意図は?
すべてに意味があるはずで、それが全く見えてこない。
例えば、新人類というものが、フィリアを指した言葉なのかどうか、もしフィリアが新人類なら、狙われるわけは?
何もかもが不明である。
推測できる情報も少ないが、少なくともフィリアが使う力は、一般的に能力と呼ばれる部類の力ではなくて、俺が持つ体質とも違うものだと思われる。
それが新人類とどう関係しているのか、そこまでは推察できないが、あの体質が狙われていることは推察できる。
それが例えば、俺や奏未ような巫女の家系である、とか、そういった場合は狙われるリスクが高い。
もしかするとフィリアも……
……………
………
…
っと、もうこんな時間か。
ずっと夢花に世話になってるのは悪いし、奏未も帰って来た。
久々に俺が作るか。
俺が晩御飯の支度を始めようと台所に迎えば、すでに台所には奏未が調理をする姿があった。
出遅れたか。
結局、長い時間をかけて考えた結果、何一つとして進展はなかった。
通学路をぼーっと歩く。
ああ、考えるのって面倒くせぇ。
それでも考えてかなきゃ生きていけないのが人って生き物だ。
生きるのに必死な人たちも世の中には存在するが、日本においてそういう人はかなり少ない。
だからこそ、生きるのが当たり前に享受できるなら生き方を考えるべきだというのが俺の考えである。
だから俺は気がつけば物思いに耽っている。
これが俺の日常の風景だ。
普段は奏未が高校の隣にある中学校に通っているので一緒に登校するのだがな。
奏未は、日直とかで早くに出て行ってしまったので、今日も1人で登校だ。
そんな感じで始まった1日。
のんびりまったり学校で過ごし(寝ていただけとも言う)、ごくごく平凡な1日を過ごす。
どうして授業中ってあんなに眠くなるんだろうな?
今日に関しては午後の備えの意味もあって休んでいた意味合いが強いのだが、教師たちからは小言を言われたよ。
気を付けますと生返事かえしてやった。
さて、奏未は、夕飯の買い物に行ってから帰るので、眠くて仕方ながなく家に直帰する俺とはまた別に帰宅することに。
日溜とは学校前でさよならし、夢花とフィリアとも分かれると、いよいよ考えることもなくなったこともあって眠気がピークに到達していた。
さっさと帰って仮眠をとろう。
リビングのソファーで眠っていると、ゆさゆさと体をゆすられて奏未に起こされる。
「ん、どうした?ふあぁ〜晩飯はお前が作るって……」
寝ぼけていたが、すぐに目が覚めた。
奏未の表情がいつになく険しい。
外にはあの悪魔がいる。
すぐに靴を履き家を飛び出ると、その悪魔はちょうど扉の前いた。
「何かあったようだな」
「ああ。少しまずいことになった。北のレッドゾーンだ。そこに向かえ。誘拐された」
レッドゾーンだと⁉︎
先の大戦で悪魔に占拠された地域、レッドゾーン。
この町の北部のってことは、また随分とでかい魚が釣れたな。
そのレッドゾーンは、大戦中に悪魔王によって占拠された場所だ。
それも、現在も人間と敵対している悪魔王、戦の悪魔王だ。
今そこには悪魔王はいないが……
しかし、悪魔王の領地であることに違いはない。
強力な悪魔がいるはずだ。
「なんでそんなところに?なんでお前は止めなかった!?」
「表立って動けないと言っただろう?」
くそっ!
ここで話してる暇なんてない!
「敵の意図は掴めてる。お前も行けば、奴らの考えが読めるはずだ」
目的なんざどうでもいい。
それよりも、今から行って間に合うのか⁈
不安と焦りが思考を鈍らせる。
八田月に頼まれたのにこの体たらく、とてもじゃないが顔向けできない。
何をされるか分かったものじゃないから、とにかく考えるよりも先に体が動き出していた。
とにかく、今は走るしかねえ!!!
地面が砕けるほどに力を込めて、直線距離で向かうために屋根の上を駆け抜ける。
あの力があって、どうして捕まったのか。
決まっている。
罠に嵌められたのだ、そうでなければあいつなら逃げ切れるだろう。
転送術式を使われたら手遅れだ。
最速で行くしかない!
俺は一段階目の力を解放して、フィリア救出へと向かうのだった。