蠢く者
「お兄ちゃーん!」
ダキッ
元気な声と同時に奏未が俺に抱きついてくる。
「お帰り。奏未」
そんな甘えたがりな妹を俺は優しく抱き返す。
奏未はこの炎天下でも相も変わらず、抱きついてきたかと思えば俺の胸に頬ずりしてくる。
汗臭くないよな?
そんな彼女や気になっている子を相手に思春期男子が考えそうな思考が頭をよぎるも、奏未が好きで好きでたまらない俺はそれをすんなりと受け入れる。
「俺は何を見せられてるんだ?」
公園からの帰り道、ちょうど帰ってきた奏未と会った。
「奏未、帰ってきたばかりで疲れてるだろ?晩飯は夢花と食ってくれ」
「お兄ちゃんは?」
フィリアが帰った後で、日溜にとある協力を要請された。
案の定八田月からの指示だったのだが、ともあれ俺は奏未に申し訳なさそうにしながらも、極力日溜に責任をなすりつけるように流れを誘導する。
「こいつに頼まれててな」
日溜を指差してそう言うと、奏未は恨みがましい目を向ける。
そんな顔も愛らしいな、などと常日頃から奏未が日溜や夢花に向けがちな表情を絶賛する。
ともあれ、ふざけてばかりもいられない。
昨日、日溜が“死者”を目撃したそうで、さすがに俺が手伝わざるを得ない。
本当は奏未が一番向いているが、合宿から帰ってきてすぐで、戦いに出向かせるわけにもいかない。
奏未の体力なら全く問題ないだろうけど。
「お兄ちゃん、あたしも手伝うよ」
死者がいるので、巫女である奏未に協力を仰ぐべきだろう。
やつらは殺せない。
日溜ではできて無力化までだ。
しかし、奏未は巫女なので死者を殺せる。
そして、俺には奏未と同じ血が流れている。
血の力は上手く扱えないが、この血をかければ不死属性は払拭できる。
まあ、寺や教会に運べば、浄化して簡単に殺せてしまうから、俺が必要というわけでもないが。
「合宿帰りとは思えない程元気だな、奏未ちゃんは」
合宿で暴れ足りなかったのだろう。
能力強化合宿、それは毎年全ての中学校で行われ、赤以上の階級のもの、つまり赤黒白の者たちが集まり、共同で己の能力を高めよう、というものだ。
七月に行われる能力の祭典、大観覧祭に向けて行われている。
俺には縁のない話だな。
「俺も行ったな〜。あの頃が懐かしいぜ〜」
日溜が腰に手を当てて空を見上げて回想に耽る。
「あの頃も暑かったぜ〜。でもさ、他校のやつらと一戦交えるのは、楽しかったなぁ〜」
「今日はしっかり休めよ?気付いてないだけで、疲れが溜まってるかもしれないからな」
「俺を無視するな!」
回想始まったら無視するよな?
それに、日溜と奏未なら当然可愛い妹である奏未の方を気にする。
「2人して“何を言ってるんだこいつ”って顔をするなよ!」
「「まあまあ」」
「それで宥められると思ってんじゃねーよ!」
その後、俺たちは一旦別れることに。
スマホを耳に当て、しばらく待つ。
数秒で電話が繋がり、相手の声が届く。
『おう、俺だ』
八田月は今日も仕事だ。
教師だからね、仕方ない。
「おう、八田月。今大丈夫か?」
『場所を移す。少し待ってろ』
こっちの仕事は教師とは別だからな。
八田月のやつ、面倒な仕事を掛け持ちしてよく体力持つな。
ちゃんと休めているのか不安になるのだが、目の下に隈一つないのだから、休めているのだろう。
そう思いたい。
『話していいぞ』
意外と早かったな。
職員室からすぐの応接室が空いていたのかな?
「死者が目撃されたらしいな?」
八田月から回ってきた仕事だ。
どこまで情報を掴んでいるのかは分からないが、詳しく聞いておかないとな。
『ああ。日溜から聞いていたか』
俺と日溜の仲で話さないはずがない。
まあ、俺が話していないことはたくさんあるが、さておき。
「何をすればいい?」
死者を倒すのか捕まえるのか、もしくは原因を見つけることが任務なのか?
日溜からは調査とだけ聞かされた。
それ以上のことは八田月に聞けと、そういうことだろう。
『今のところ被害は出ていない。とりあえずは行動目的や原因の調査だけでいい』
「りょーかい」
隠密行動は得意分野だ。
『気をつけろよ』
「当たり前だ。俺より日溜を心配しろよ」
本来人は簡単に死んでしまうからな。
特に死者相手では人は不利だ。
対悪魔ように訓練を積んだ狩人たちでさえ、死者相手の致死率は一割を超える。
『確かに、お前に限って死ぬなんてこと、あり得なかったな』
俺は死なない。
だから、心配するだけ無駄だ。
「まあ、日溜が死ぬなんてことも、よっぽどないだろうけどな」
あいつには、そこらの“黒”ぐらいなら簡単に倒せるほどのポテンシャルがある。
よっぽどの相手じゃない限り負けはない。
しかし、電話越しにもわかるほど、八田月は心配している。
大きな何かが後ろにいると、そう考えているのだろう。
ここ最近の悪魔の動向もあるし、関連がないとは思えないのだろう。
『ところで、お前はフィリアをどう思う?』
こんな質問をしてくるってことは、八田月も何も聞いてないのか?
それとも、生徒間の様子に探りを入れているのか。
「どうだろうな」
『とりあえずは、お前が守ってやれ』
うーん、どうやらフィリアのことについて何か聞かさているようだな。
本人からか他の手のものかはともかく。
本人の許可なく教えはしないだろうし、質問するだけ無駄だろうから、わざわざ訊ねることはしない。
「言われなくともやってやるさ」
近いうちに話してくれるだろう。
どうやらあいつは、隠し事が嫌いらしいからな。
そんな評価さえ八田月には伝えずに、切れた電話を耳から離して、フィリアの様子を思い返していた。
校門前で日溜と落ち合う。
ここに集合ってことは、目的地はそう遠くないのだろう。
歩くこと数分、薄暗い路地の前で日溜は止まる。
この先は行き止まりだ。
不自然な流れは感じちゃいるが、ご近所にこんなものがあっちゃおちおち寝ていられないな。
「昨日はここで見た。何をしたかは知らないが、地下への入り口が現れて、その中へ入って行ったぜ」
この不自然な流れは、地下から発せられたもの、もしくは地下への扉を開くための機構から発せられたものか。
俺にはここに異常なまでの瘴気溜まりができているのが見えている。
瘴気とは別に魔力を感じない以上、悪魔のための機構ではない。
主な利用者は、死者で間違いない。
ここにおいては悪魔は関与していない可能性が高い。
ともあれ、昨今の悪魔の活動の活性化に影響を受けている可能性は高い。
俺は何者かの接近に気付いて、日溜の表情を盗み見る。
「そろそろか」
そう呟いた日溜は、俺を抱えて足の下から鎖を積み上げながら上へ上へと上昇し、壁に触れて高さが固定される。
鎖は消滅して壁と体を固定する鎖だけが、揺れても音も立てずに残り続ける。
相変わらず便利な能力だ。
手足から触れる別の場所とを繋ぐ鎖を生み出す。
伸びるし質量も重量も自在、実体を消しておくこともできる。
そんな日溜ご自慢の能力で上手く暗闇に身を隠し、路地へと入って来た2体の死者をやり過ごす。
日溜は時間で測っていた。
つまり、何度か死者の行動を観察していたことになる。
時間通りにとられる行動、計画性が垣間見えているのだから、やはり何かあると考えるべきだ。
「日溜、今回は調査だけだ。見つからずに後をつけるぞ」
声を抑えて日溜に耳打ちする。
倒す気満々だった血の気の多い日溜は、少し落ち込んでいるがすぐに気を引き締める。
死者が中に入っていき、俺たちはゆっくりと降下する。
入り口は閉じてしまっているが、開け方は記憶した。
出てくる時が心配だが、それは出るときに考えればいいか。
壁に耳を当てて、安全を確認する。
よし。もう入ってもバレないだろう。
壁の下の小さな隙間に足を入れ少し上に上げると、カチッという音とともに、壁がずるずると下がっていき、地下への入り口が顔を見せる。
俺と日溜は中に入り、脱出用にスイッチを探す。
入り口はすぐに閉じてしまって、光がなくて探し辛い。
スイッチで扉を開けたのだから、当然出るときもスイッチであるはずだ。
壁の下の方を見ると、入るときと同じようなところがある。
試しに日溜がスイッチを押してみるが、反応はない。
「瘴気が扱えないと起動ができない仕組みだ」
「は?じゃあどうやってお前は起動したんだ?」
「周囲の瘴気を纏わせた」
「なにそれ、どうやってやるんだ?教えてほしいぜ」
「普通じゃできないよ。俺や奏未は特殊だからできるけど」
俺は仕掛けをじっと分析する。
やはり外と同じだな。
これなら問題なく動かせる。
出口の確認を終えたところで、俺が先導して静かに奥へ進む。
多少強引だが、これで日溜の追求を避けられる。
日溜が俺を追い抜いて拗ねたように足を早める。
俺はやれやれと肩をすくめて気配を殺して日溜を追いかける。
明かりが見えて足を止める。
不穏な流れを感じる。
恐る恐る中を覗く日溜。
日溜は口を手で塞ぎ、すぐに身体を引っ込める。
一瞬だが、日溜の流れが揺らいだ。
気付かれたな。
さっきの二人の死者の流れは感じない。
迫ってくるのは、おぞましい瘴気を放った何か。
こっちに注意が向いているので、移動するわけにはいかない。
一瞬でも気を逸らせれば。
「日溜、移動の準備をしろ」
音をほとんど発さずに、日溜にそう伝える。
日溜が頷くのを横目に、不気味な気配に注意を向ける。
一瞬を稼ぐ。その間に逃げる。
ここに来る途中に、小さな窪みがあったな。
一応2人とも入れる深さがあった。
そこに隠れてやり過ごせるか?
ホラーゲームかよ、とツッコミたくなる状況だな。
慎重に小石を拾い、腕の中に射出機構を組む。
腕の付け根から段階的に開放され、無理矢理に増幅させた力を小石に乗せて、射出!
不気味なそれは、一瞬だけ怯み、すぐに着弾地点に注意を向ける。
その一瞬の隙間を縫って、日溜は俺を抱えて移動する。
それを撃ち出したであろう人物を探すために視線を戻したそいつだが、しかしすでにそこに俺たちはいない。
日溜には上手く伝わっていなかったようで、今俺たちは天井に張り付いている。
不気味なそれは通路に顔を出すと、途端に瘴気が薄れ倒れてしまう。
「何だったんだ?」
日溜が不思議そうに首を傾げる。
天井では確実に見つかっていたから、九死に一生を得たってところか。
この狭い通路で、天井は隠れたことにならない。
今現在スパイダーマンのような体勢で張り付いていた俺たちだったが、廊下の天井にあからさまな出っ張りが暗い中でも確認できるだろう。
「そこの部屋はどんな様子だった?」
俺は降ろされながらそう尋ねる。
「自分で見てくれ」
日溜がそう言うので、俺はその部屋へと入る。
「こいつは……ひどいな…」
言葉が溢れる。
いくつもの死体が転がっている。
おそらくこれらは全てが死者だった。
すでに動かなくなっているから、全員が還ったのだと思われる。
この地下には何かいるのか?
俺たち以外の侵入者か、或いは仲間割れか。
「まさか、フィリアさんか?」
日溜が漏らした声。
俺はそれを絶対にありえないと確信していた。
「いや、悪魔だな」
そう言い切って部屋を見渡すと、小さな扉を見つける。
まだ先がある。
そこから、先程の瘴気より更に濃密な瘴気が放たれている。
そして、ほんのりと感じられる魔力。
隠れて様子を伺っていると、1人の男が出てくる。
「隠れているのはわかっている。出てこい」
勝ち目がない、そう瞬時に悟った俺達は、そいつの前にあっさりと姿を見せる。
「人間か」
日溜は鎖で身体を覆っている。
戦る気だな。
だがーー
「日溜、あっちにそのつもりはない。落ち着け」
日溜が能力を止めて、構えを解く。
殿でも勤めようとしてたのか?
まあ確かに、あの出口は日溜じゃあ開けられないけどさ。
俺が残って日溜が力任せにぶち破って逃げる方が、二人ともが生存する可能性は高いと思われる。
ともあれ、相手に戦う意思がないのだから、考えるだけ無駄なことだが。
「わかってくれてなによりだ」
死者の身体でありながら魔力を感じる。
なんなんだこいつは?
「そうだな。そうだよな。いきなりこんな不気味なやつが現れたら誰でも警戒するわな。その反応は正しい」
敵意が全く感じられない。
それどころか、俺のことを知っているように優しい顔つきで、俺は困惑しか覚えない。
「お前は……?」
悪魔なのか、死者なのか?
そんな疑問を口にするよりも先に、そいつが口を開いた。
「ロッカの子よ、これを」
俺が何を訊こうとしていたのか分かっていて、塞いだ感じだな。
いや、それならロッカの子よの一言は余計だ。
どうしてそこで親父の名前が出てくる?
日溜も親父の名前は知っているが、ここは俺にだけ伝えたいメッセージがあると見て間違いないだろう。
親父が昨日帰って来ていたのって、こいつが関係しているのではないだろうか?
そいつが何かを投げたので、それをキャッチし確認する。
それはUSBメモリだった。
「ここの情報も入れておいた。狼さんに渡しておいてくれ。それと…」
やっぱり関係していそうだ。
まばたきしている間に俺の横に来ていたそいつは、耳元で消え入るような声で囁く。
「ユスティリアの嬢ちゃんに聞いてみろ。“新人類”についてをな」
言うだけ言って、その死者は倒れた。
何かが死者の身体に入っていたようだ。
親父のことや、俺のことまで知っていた。
あれは悪魔で間違いない。
だがまだ親父の差し金だと決まったわけじゃない。
果たして信用してもいいものか……
そして、あいつが言っていた“新人類”とは一体……