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消えない言葉

 水檻が弾ける。

 実の意図するところではなかったようで、警戒するように多くの水を宙空に待機させて構えている。

 俺は実ににんまりと笑って見せる。

 視線だけで俺の顔を見てから、すぐに視線を戻した実は、構えていた腕をおろして、溜め息をこぼして俺に笑いかける。

「だから言っただろ?」

「本当に何かあったみたいだね」

 まだ完全に立ち直れているわけではないが、前を向いている。

 今はそれでいい。

 ほんの少しの気概があれば、それで。

 何もかもを奪われ続けて、自害する人たちを何人も見てきた。

 だからここは、

「おかえり、愛里香」

 かけるべき言葉は、それ以外にありえない。

「あなたが帰る場所になった覚えはないけど、でも、ただいま。それと、ありがとう。私たちの時間をくれて」

 音凱は死んだ。

 俺は音凱に助けると言った。

 だが、音凱との約束は、愛里香を助ける、ということだった。

 実際異常性同士がぶつかれば、どちらが優先されるかは当人たちにも分からない。

 だが、なんとなく俺は結果を察していた。

 そしておそらく、音凱も自分がどうなるかを、察していた。

 だから彼は、姉を助けてほしいと俺に願っていた。

 音凱のことは確かに助けられなかった。

 だからといって、俺は音凱の意思を尊重するつもりでことに望んでいたからこそ、そのことについて謝る気は沸かなかった。

 そもそも、この場面で謝るのは違うとも思う。

 だからなんと答えるべきか言葉が浮かばず、どうにも詰まってしまう。

「体の調子はどうだ?なんともないか?」

 だから、そのことを避けるように別の話題をふる。

 異常性がなくなって、体に変化が起こっていないか。

 なかなか重要な質問だ。

 愛里香はしばらく自分の体に意識を向けてから、俺を見上げてお腹に両手を当てる。

「お腹が空いたくらいね……」

 愛里香は「さっきまではなんともなかったんだけどな〜」と話しながら、実際に「くぅぅ〜」とお腹が主張するのを恥ずかしそうにする。

「これまでとは違うか?」

 これまでというのは、Object影響下にあった頃の愛里香は、音凱の体しか口に含まなかったのだ。

 それは、彼女の体が食べ物を受けつかなかったのもあるが、一番はその他のものを食べ物として認識していなかったことにある。

「そうね……久しぶりにオムライスが食べたいわ」

 愛里香が俺に笑いかける。

 俺が何を心配していたのか分かっている顔だ。

 気を使っているわけではないな。

「悪いな、今は用意できない。水で我慢してくれ」

 魔法で生み出した水を、愛里香の口に運んでやる。

 しばらくはそれで腹の足しにしてくれ。

 後でたらふく食わせてやるからさ。

 後で、後でだ……

 いよいよ本当に気を引き締めなければならないと、俺はこれまで放っていなかった殺気を爆発させているティナと頷き合う。

 これでなんらかの意思疎通ができた(特に何か伝えたかったわけでもなくなんとなく頷いただけ)。

「みんな、退がってろ」

 俺が向かった方向とは逆の方へとみんなが集まっていく。

 愛里香を中心に集まったみんなを振り返らず、俺はティナの隣で身構える。

 俺たちの視線の先には、未だに戦闘を続ける狩人と蛍斎がいる。

 これは二人に対する警戒ではない。

「俺も加勢しよう」

 俺の隣にどういう原理か発光している狩人が並ぶ。

 ティナの攻撃に耐えていたのだから、中々に頼りになる申し出だ。

「助かる」

「なに、これは彼女への罪滅ぼし、礼はいらない」

 はてさて、ティナがどうなるのか……

 不安は多いが、遭遇してしまったから、やるしかないよな。

 三段開門のままで、そして鬼の力を噴出させて、精一杯のプレッシャーを与えられるよつに待ち構える。

 そうして待つこと、木々の隙間からそいつがついに顔を出した。

 そしてこれまで決して止まることのなかった蛍斎と狩人の戦いも止まる。

 瞬間、蛍斎の体が伸びてきた黒い蛇のような何かに、飲み込まれて消えてしまった。

「いったい何が……」

 実の問いに答える者はいなかった。

 その明らかな()()を前に、言葉は消える。

 天地を揺るがすほどの異常。

 それはこの世のあらゆる怪奇を集めて煮詰めたような異常。

 エルドラドを所持していたため、かろうじて言葉を紡ぐことができた実だったが、その問いに対して答えを持つ者たちは全員、もれなく言葉を奪われていた。


 ゴリゴリバリバリむしゃむしゃと、骨をも砕く咀嚼音が夜の静寂を破る。

「おやおやこれはみなさま、お揃いで。攻め込んだ吸血鬼のみなさまはどちらでしょうか?あれらを食べるために来たのですがね?」

 探しものが見つからず困っていたと肩をすくめるその人物こそ、俺が最も警戒していた人物であるミクサ博士だ。

 ティナにとっては因縁の相手だな。

 想像以上に禍々しい力を得ていたようで、どうにも畏怖する感情が揺さぶられてならないが、どうやらそれはあれの異常性によるものだろう。

 ミクサの腕が元に戻る。

 それでもなお、残り続けるこの悪寒。

 ミクサの異常性、それは鬼やら吸血鬼やら悪魔やらが、よく語られている物語の中で発揮される、人間からの畏怖の念を呼び起こすものなのだろう。

 手をぐっぱしてみるが、やはり身体機能には問題ない。

 俺は鬼門を開いているし、半分悪魔だから動けそうだ。

 ティナも動きには支障がなさそう。

 しかし、狩人は剣を握る手に力が入らないのか、剣がするりと抜け落ちる。

 神性を持っているようだが、本質的に俺たちのようにはなし得ないということなのか。

「お答えいただけないとは、とても悲しいことです。ああ、そういえば、私は魔が強くなりすぎて、異常性を獲得していたのでした。これはうっかり」

「明らかに悪役だけど、一応聞いておこう。あなたは何者だ?」

「ふむ。自らが置かれている状況もわからないとは、これは恐れ入りました。しかし、驚かされたのは先ほどの彼です。なぜ一度食べたはずの者が生きていたのでしょうかねぇ?」

「なるほど。お前は俺が倒すべき敵だってことだな!」

 絶望的に金髪の似合わない顔立ちの狩人が、声高々に敵宣言をして夜の闇に一筋の光の軌跡を残すように疾駆する。

 これが彼の全力だろうか?

 速く鋭く、研ぎ澄まされたその動きは、誰もが理想の動きとしてイメージするような、武術ではないかっこいいだけの出鱈目な動きでありながら、見事にそれを忠実に、そして無茶に再現している。

 その無茶な動きは、本来の人間の体であれば負荷に耐えきれず、内臓がひっくり返るような感覚や、関節が外れた時のような不快感を覚えているはずである。

 しかしそれを涼しい顔でこなして、燃え盛る剣を振りかざす。

「燃やし尽くせ!」

 ミクサはそれをそのままその身で受け止める。

 激しく燃える刀身、それをミクサ博士はゆっくりとした動きで掴み狩人を振り払おうとする。

「くっ、この……ッ!ホーリーエンド!」

 剣に触れていれば直撃は免れない。

 剣が炎を緩めずに、あるいはそれさえ飲み込むようにして、巨大な光の奔流を作り出す。

 ミクサ博士はそれに抗えない。

 その姿形が光に飲まれると、一切視認できなくなる。

 その光は一過性のものだ。

 通り雨のようにミクサ博士を濯ごうととして、しかし過ぎて見れば無傷でそこにいる。

「自称勇者、ですか。その程度、躱せなくとも問題ありませんね」

 狩人は焦ったように後退するが、間に合わず黒い何かに飲み込まれる。

 生き物のように口を広げたそいつは、うねうねと水の中を泳ぐように、空気を掻いて俺たちに狙いを定める。

 しかし俺たちに迫る前に、内側から弾け飛んだ。

「この程度、どうということもないな」

 それはミクサ博士への意趣返しのつもりなのだろう。

 ニッと笑ってマントをはためかせた狩人が、剣をミクサ博士に向けて高らかに叫ぶ。

「こっからは本気で行かせてもらうぞ!」

 俺もティナも、いい加減異常性に対してレジストできたから、もう普通に会話できるのだが、一旦このまま様子をみておくとしよう。

 下手に踏み込んでティナを食われるわけにもいかないしな。

「セイクリッドパワーライズ!ジャイアントウォールクロス!ライトニングムーブメント!エターナルイデオロジックノート!」

「いかにも勇者であると見える服装に、謎の文字、仮にルーン文字とでも呼ぶとして、が刻まれた西洋風の剣、さぞかし強そうな呪文の詠唱」

 今の狩人の様相を、順番に言葉として挙げていくミクサ博士。

 それは全てこの後のやりとりのために、わざわざ取り上げたものである。

「趣味の悪い」

 俺は思わず言葉を漏らす。

 ミクサ博士の背後から伸びた影が、今作り出したばかりの狩人の自慢の鎧をいとも容易く貫き、苦しませて遊ぶためか、あえて剣を持つ腕を跳ね飛ばして即死させないようにして言葉を紡ぐ。

「残念無駄でした」

 気味の悪い笑顔だ。

 勇者っぽいその狩人は、自分の惨状を目の当たりにする。

「え…………?」

 たっぷりと時間をかけていたように見えたのは、この緊張感の中で一瞬が幾重にも引き伸ばされているからなのか、、、

「な、な、な、俺の、俺の腕がああああああああ!!」

 大きな球体が無数に連なった先、球体から鉤爪のように伸びる針が、肩を貫き引き戻されて空中で待機し照準を合わせている。

「耳障りですね。顎も落としますか」

 容赦のない言葉を浴びせられ、怯えたようにびくりと肩を震わせた。

 強い力を持って、今までは常に奪う側でいられたのだろうな。

 そんな狩人だったが、実に脆い。

 助ける気も沸かず、そもそも敵対していた存在なのだから、助けてやる義理もない。

 (さそり)の毒針のようなそれが再び動きだそうとした時、狩人は完全に戦意を喪失して痛みに嗚咽を漏らしながら許しを請うていた。

 そして尻尾は容赦なく放たれて——————

「残念無駄でした」

 発光する斬撃と血の大鎌がそれを斬り飛ばした。

「やはり防ぎますか、吸血鬼のお姫様?」

 にこやかに語るミクサ博士は、瞬きの時間さえ余らせる瞬間移動にも等しい俺たちの速度を目の当たりにしながら、余裕の表情でむしろ楽しそうにしている。

 俺の剣にも目もくれず、その視線はティナに釘付けになっている。

 やはり、興味はティナに向けられるよな。

 分かっていたことだが、やはりティナはそれで萎縮気味である。

 獰猛な虎が如く鋭い殺気を放ちながらも、その背中は借りて来た猫のよう。

「いや、おかしいですね。どうしてあなたは言葉を話せるのですか?」

 自分の異常性が効いてないことに、ようやく気がついたか。

 俺は不敵に笑って見せるが、そういえば鬼門の認識阻害が通用するんだったな、こいつ。

 それじゃあ俺の表情読み取れないわ。

「攻略済みデース」

「ああ。お前には少しの恐れも抱かないな。()()()()()()()()()()()()()()()

 ここらで一つ心的優位を取りにいこうと、その異常性の正体を言い当てる。

「おや?どうして私の異常性の対策を知っているのでしょうか?」

 一瞬だが、ミクサ博士の目が丸くなったのを確認した。

 ティナはそれだけの余裕がなかったようだが、暗技使いであればまず見逃すことがないようなやらかしだ。

 しかしすぐにミクサ博士の表情には余裕が戻る。

 だからどうしたと言わんばかりの笑みをたたえて、俺の視線に対して対抗意識を燃やす。

 やはり変わらない。

 成長がない。

 人間以外の力に固執して、自分を別の何かに作り変えようとしていても、中身はまるで変化がない。

 その足りないものを継ぎ足ししようとしていながら、本当に足りないものを理解していないところが、致命的なまでに変化がない。

 だが、そうは言ってもあれは武力だけは成長している。

 それこそ、俺やティナでもまずいくらいに力をつけている。

 (むすび)で早々に決着をつけるべきか?

 可能なら隠したい技ではある。

 今回は本殿の人間の息がかかっている人物の派遣ではなく、別の誰かが派遣されているはずだ。

 だから知られるのはよろしくない。

 俺が悩んでいる間にも、事態は深刻な方へと向かっていく。

「くそっ!くそっ!レストレーション!」

 狩人の唱えた呪文によって、なくなったはずのその腕はみるみるうちに元通りに復元されていく。

 彼が唱えた呪文の意味そのままの効力か。

 だが、それでも失われた血は回復しないようで、気分が優れないようだ。

「まだまだ、俺は、こんなやつに、こんなところで、負けられないんだ!」

 いったい何が彼をそこまで駆り立てるのか、正義感なんてものじゃないだろうなとは思うが、その見当が俺にはつかない。

 彼がとてもではないが合理的に動いているとは思えないからだ。

「少し緩んだか?それなら……」

 油断なく剣を構える神性を使う狩人が機を窺っているのを、ミクサ博士は知っていてあえて油断を見せる。

「おやおや、治ってしまいましたか。せっかく不意を突いたというのに、次も同じようにされてしまうのでは、一撃で仕留める他ないではありませんか」

 大仰な仕草で誘発を誘っているのは見え透いていて、流石にそれでは突っ込んではいかない。

 しかし、ミクサ博士は巧妙だ。

 俺はただじっと、その時が来るのを待っていた。

 そして狩人たちは情報がなく、ジリ貧はこちら側だと判断したのか、我慢ができなかった。

「二人がかりで行くぞ」

「ああ」

「セイクリッドオーバーフォース」

 今度はミクサ博士の両腕が溶け、黒い何かが巨大な牙をギラギラと輝かせるいくつもの凶悪な口を作り出して、前方の狩人たちに照準を合わせる。

 俺もティナも間に入ることはもうしない。

 流石に二度目はない。

 俺は二人に注意が向かっている隙に、こっそりとティナの隣に並んで、怯えを孕んだ拳に触れる。

 視線だけのやりとりで、どれだけ不安を取り除けるのかが問題だったが、ティナの瞳に光が戻ったのを確かに確認した。

「これが勇者の一撃だ!」

「見せよう。これが奇跡」

 勇者は剣先を腰より低く、後ろに構えて光を集める。

 そして神性に身体を蝕まれている狩人が、神性を最大限活用した一撃を繰り出すために少し体を浮かび上がらせて、逆にこちらは神性が内側に吸い込まれて閉じ込められた。

 ミクサ博士と戦っていない博士二人の方が、先にミクサ博士が何をしようとしているのかに気付いたようだ。

 だが、今更声をかけたってもう間に合わないし、彼らに声が届くような状況ではない。

 考えうる限り最悪の滑り出しだと思う。

 ただでさえ登場だけでテンポを取られているのに、その上風が向こうに吹き始めたら、結構大変なことになる。

 結構戦いに影響するんだよ、そういう空気って。

 俺もティナも()()()()

 二人の狩人は曲線を描いてそれぞれ別々の方向から攻め立てる。

 速さも制御も超一流、しかしそれでも敗北は決していたわけだ。

 伸びた腕、数多の口、夥しく繰り返される悲鳴の数々、俺たちじゃなければ身体がすくみそのまま食い殺されていたことだろう。

 明らかに危険なそれは避けて、二人はそれぞれ必殺の構えをとる。

 違う。

 違うんだ。

 ()()()()()()()()()()

「Alainisming」

「うおおおおおおお!!!」

 体に擬態したそれに、二人の決死の一撃がぶつかる。

 それは抵抗なく弾ける。

 水風船に針を刺すように、鋭く触れれば内側からの外向きの力で勝手に破れて弾けるように消えた。

 本来ならミクサ博士の体が抵抗になり重なり合うはずがなかった二人だったが、ミクサ博士は一才の淀みも感じさせず精巧に作り上げた自らを破裂させることで一切の抵抗を残さず、そこに奇しくもタイミングがピッタリ合ってしまったことで、そしてこれまた奇しくも挟撃する形となったことで、二人の攻撃は歯止めが効かないままミクサ博士がいた場所を通り抜けて、それぞれに向かいそしてーーーー


 だから最悪の結果になる。

 これ以上ないほどに見事に刺し違えた二人。

 勇者を自称していた狩人は跡形もなく消し飛んで、もう一人の狩人も、体が正中線でバッサリとわかれて後ろに倒れ込んだ。

 その光景に誰もが息を飲む。

 それはこうなることが分かっていた俺やティナもだ。

 それぞれ意味合いは違えど、その結果に瞠目せざるをえなかった。

 まさしく完全に狩人二人の流れを制御していたその手腕、おそらくは闘技を使えるのだと推測する。

 そうして驚いた俺とは対照的に、ティナは弾けた擬態の方を見つめている。

 意外だ。

 意外にも冷静でい続けるティナの横顔を盗み見て、自分の心配が杞憂であったことを悟る。

 何ができるのかを理解して、状況から相手の動きを直感的に予測するティナの戦い方が、そのまま現れている。

 ミクサ博士から伸びていたそれも、内側から弾けたようにしてなくなる。

 これこそが俺たちが動けなかったわけである。

 奴の本体は、どこだ?

 それが、分からないんだ。

 流れを操り何かをしようとしていたのは分かっていた。

 そして、意識を擬態の方へと向けさせることで、自身の存在をうまく隠した。

 その奇襲が通じるのが初見の一発のみであることは、相手も理解していることだろう。

 そして、ティナがいる以上逃げられず、ティナが欲しいから逃げたくない。

 故に、潜伏していてもどこかでは動き出さなくてはならない。

「見つけたデス」

 ティナが呟くのと同時に地面から無数の首が突き出てくる。

 それらはその首にいくつも備え付けた大きな口を開けて、実たちめがけて襲いかかる。

 そして実たちの立つ地面も盛り上がり、真下からも口が襲い来る。

 俺はイリヤを振るう。

 地面の方はこれで解決、かと思えば、その首がなくなったことで、地面が消失しみんなが落下していく。

 そしてその無防備なところを、各首が狙う。

 首はピーター博士が迎撃した。

 そして、他の皆をティナが血で腰を縛り引っ張り上げる。

 俺は一瞬のティナの気の移り変わりを見逃していなかった。

 実たちが立っていたすぐ側まで音も立てずに移動して、少し浮き上がった状態から、場所を見計らって両足でスタンプする。

 滅慟するには土の地面は力が分散しすぎるため、今回は暗技ではなくシンプル身体能力だ。

 だが、三段開門は伊達ではない。

 地面にヒビが入るどころか、地面がそれだけで大きく抉れて、窪んだ端からヒビが生えて山のように土が盛り上がる。

 噴火したかのように土が噴き出てくるのはそうそう見られない現象だろう。

 さておき、一瞬くぐもった悲鳴が聞こえてきたような気がしたが、すぐに気を取り直してスタンプの準備をすると、地中を掘り進めていたのか、すぐに別の場所から地上へと上がってくる。

「くっ、先ほどの方々とは違いますね。冷静で弁えている。非常にやりづらい」

 潰れた蛇のような両腕を、元の人間の形に変えると、何事もなかったように元通りになる。

 傷を負ってもこれじゃあ、つくづく面倒だと嘆息する。

 やりづらい。

 みんなを庇いながら戦うには、相手の異常性が厄介すぎる。

 あの蛇のような何かは、気配が異常に薄い。

 存在感を消せるのは、やはりあいつがあらゆる生物、種族から特性を吸収しているからだろう。

 人を化かすことを得意とするいわゆる妖の類の力、これが誠に厄介極まるところで、そして吸血鬼の特性も合わせて備えているはずだから、それも厳しいところがある。

 近づければ勝てると言えるほど甘い相手ではないのだ。

 はてさて、どうしたものか……

 そうして俺が頭を悩ませていると、ミクサ博士は怪しく微笑んだ。

 不気味に感じた俺だったが、突如沸いた寒気に思わず振り返る。

 振り返った先には、自分の両肩を抱いて苦しそうに唸るエンデ博士の姿があった。

 体がボコボコと膨れ出し、背中から巨大なコウモリの翼が生えて、額の中央少し右寄りのところから一本の立派な角が突き出す。

 歯が鋭く牙が伸びて、その口からは冷気を吐き出す。

 エンデ博士に起こった事象がどういうものなのか、俺の時とは違うがすぐに連想できた。

 吸血鬼の眷属化か!

「ティナ!そいつをーー」

「大丈夫だ!あなたはそちらを!」

 慌てて対応に当たろうとした俺だったが、それをピーター博士が呼び止める。

 大丈夫だと言う彼の瞳には底知れない使命感が宿っていた。

「ッ…………。分かった」

 迷いはあったが、一呼吸おいてそう判断する。

「あ、がああ、ぐがあああ……」

 悲鳴のような声にならない声だが、彼の発した最後の声が、もっと聞き取りづらい声を聞き続けてきたピーター博士が、聞き取れないはずはなかった。

「確かに受け取った。あなたのことは、やはり性格に難ありという評価は覆らないが、優秀で高潔な部下であったと思っている。だからこそ、刺し違えてでも止めると約束しよう」

「先輩」

「ああ」

 大幅な戦力ダウン、明らかに不利な状況に見えるが、見えるだけだ。

 蛍斎の瞬殺や二人のロイヤルクラス狩人を手玉に取るなど、どれほど強キャラ感を出しても、すでに一度倒している相手だ。

 分かってるな、ティナ。

 お前はあれを、あの時は今ほど禍々しくはなかったが、一度倒しているんだ。

 今回も頼りにしているぞ。

 ティナはそのことについて全く触れない。

 なぜあいつが吸血鬼の力を狙っていたのか、どうしてティナのことを知っていたのか、どうして鬼の力を使えるのか、知っているのは俺とティナしかいない。

 ティナは話したがらないから、だからあいつを倒して完全に記憶に蓋をしてしまうんだ。

 今度こそ、成し遂げる。

 そうして再び向き直り、時間稼ぎという名の答え合わせを始める。


「どうしました?固まって、怖気付きましたか?」

「まさか。紛い物風情に怖気付くかよ」

 眉がひくつくのがはっきりと分かった。

 この程度の挑発でとは思うが、この程度で感情を隠せないほどに焦りがあるのだろう。

 時間的なリミットでもあるのだろうか?

 思い当たるのが一つ。

 奴にとっては介入は必至だった。

 しかし介入したはいいものの、俺たちが異常性を克服してしまったことや、思いのほか強く撤退や無視して目的達成をしたいと考えたものの、そうすることもできない状況にあると。

 それだけティナや俺の機動力を危険視してくれている。

 そして一度攻撃を防いだことや、その時にも煽っていたことが効いているのか。

 そして見えない攻撃を防いだり、位置を特定して攻撃したりと、今やつは自らが圧倒的に不利な相手を前にしていると思っていることだろう。

 ここまでが俺の予想だが、しかし表情を隠し取り繕ったミクサ博士は俺がその焦りを見抜いていることに気付いているのか。

 表情には余裕の笑みを張り付けて、なんとか取り繕って見せているが、内心穏やかではなさそうだ。

 とはいえ、すでに二人やられている。

 向こうは目的達成困難であるが、あくまでも不利なのはこっち。

 向こうの手札も分からず、足手纏いもいる。

 ピーター博士も加勢できない。

 ならば引き延ばすしかないよな。

「で、あれは眷属化か?」

「吸血鬼について詳しいであろうことは、吸血鬼のお姫様と一緒にいたのでわかっていましたので、今更隠し立てでも仕方がありませんね。その通りですよ」

 おそらく彼は元には戻せないだろう。

 理性がなくなっているし、体も変質させられている。

 ひどい眷属化だ。

 人間的な部分を破壊して、命令に従うだけにさせられている。

 眷属化というよりかは隷属化だな。

「吸血鬼を食べるために来たと言っていたが、目的はそれだけじゃないだろ?そもそも、吸血鬼の力は取り込めているようだし」

 俺は嘘を見抜ける。

 そもそも狙いは吸血鬼ではない。

 吸血鬼狙いなら奴はここから逃げることを最優先に考えていたはずなんだ。

 しかしそうしていないように見えるのは、あいつがよほどの演技派でなければ、別のここでしか達成できない目的があるからだ。

「…………」

「だんまりか?」

「いえいえ、感心して思わず固まってしまっただけですよ。ええ、そうですとも。私は吸血鬼のことなどどうでもよかったのです」

「目的はこの施設のObjectにある、と」

「へぇ、化け物のくせに頭が回りますね」

 施設の戦力を削ぐために、吸血鬼のヘイトを向かうように仕向けたわけだ。

 別に誰にでも思いつくことだし、敵の言葉を信じてロクな調査もせずに突貫して来た吸血鬼共が愚かだったことは明白だが、それにしても奴の立ち回りも上手い。

 見事に研究所襲撃まで行わせて、尚且つ狩人との戦闘まで発生させた。

 それでこちら側の戦力が減らなかったことと、自身が介入するタイミングを見誤ったところが失敗か。

 或いは、今になるまで出てこられない理由があるのか?

「出るタイミングだけミスったのかと思ったが、そうか……出てこなかったのは、音凱の異常性への警戒、ということか」

「一番の懸念点をあなたが解消してくれた、まではよかったのですがね。まさかこれほどとは。誤算でしたよ」

「これから敗北し殺されるんだ。失敗だったな」

「何をおっしゃるかと思えば、私が敗北する?殺される?御冗談を。私に敗北はありえませんよ。あなた方が使う力、吸血鬼と鬼の力を兼ね備え、尚且つ他の生物の特徴さえも取り入れている。負ける要素が見当たらない」

「紛い物がどうして敵うと?鬼の力だって、以前から引き出せてる分は変わらないように見えるぞ。以前戦ったのは四年前だったか、あの時から全く進歩がない」

「四年前……そうですか。あなたはあの時の鬼ですか。不足分を他の特性で補って、混ざり合った完全オリジナルになった私を、あろうことか紛い物などとは、見る目のないことです」

 いかに自分が変わったか、それを強調しようとしてやめる。

 口車に乗ってしまっては、情報を明け渡すだけになってしまうことに気付き踏み止まったか。

「しかしあなたもしつこいですね。私が一族郎党皆殺しにしたからですか?」

 俺の一族郎党と言われても、父方は知らないし、母方は元気すぎて内乱が起こっていたんだが…………とりあえず顔をしかめておくか。

 ぴくりと眉を反応させて、少し唇を尖らせてみる。

 するとそれで気分をよくして、ミクサ博士は俺に答え合わせをしてほしいのか、或いは挑発しているのか、自分のしでかした救いようがないエピソードを語り出した。

「経緯が気になるでしょう?あなたが第四研究所につれ攫われてすぐに、私はかの里に催眠ガスを散布して鬼たちを眠らせ、すぐにラボへと運びました。人里から離れてひっそりと暮らしていたようですが、残念でした!私が全ての鬼たちを攫い、そして彼ら全員を研究の末に取り込みました!もう誰一人として生きてなどいませんよ」

 挑発的な発言に、虫唾が走るという言葉を体感する。

 俺の身に起こったことではない。

 ではないが、聞いていて非常に不愉快だ。

「ただの人間だった頃では考えられないほどの力を手に入れましたよ!ああ、力って素晴らしい!これで私も、奪う側だ」

「なぜ?」

 あまりに不快で思わず訊ねてしまった。

「なぜ力を手にしたのか、と?決まっているではありませんか。我々人間は生まれながらに他者から奪って生きていくことが強いられている生き物です。私も奪われました。友を、家族を、恋人を。しかしそれは仕方がないことなのです。なぜならば人は、奪い合う生き物だから!これはそう、私なりの復讐なのです。復讐し復讐される。人はその連鎖の中に、始めから身を置いているのだから、これもまた復讐なのです。私から奪った彼らへの復讐。私から搾取し続けて来た特権階級への復讐。多くの命を奪い続ける悪魔への復讐。同じく悪魔側について人と対立していた鬼への復讐。同様な立場をとった吸血鬼への復讐。私を利用するだけ利用して捨てた同業者への復讐。私の全ては復讐なのです!」

 熱く語る姿を見るティナの目が非常に冷めていて、俺は思わず笑ってしまいそうになった。

 その力説を、くだらないと一蹴してしまいそうな気概もなにもない無関心がそこにあった。

 だから俺もしょうもないことだと、嘆息して毒を吐く。

「へぇ」

 興味なさそうな一言。

 これがミクサ博士にとって一番残酷な答えである。

 別に暴言を吐かなくとも、毒は吐けるのだ。

 最もシンプルに相手を否定するとても頭の悪いやり方、それは話を聞かないことだ。

 内容に触れずに無視することこそが、極限まで簡略化された暴言であると俺は思う。

 そして、最低で低俗、自身の狭量さと理解のなさを露呈する厚顔無恥な行い。

 しかし、俺はこの場においてのみ、それは非常に大きな意味を持った否定となると思った。

 すなわち、鬼と思われている俺はさほど人間のことなど恨んでいないし、吸血鬼であるティナも俺の反応に習って同じく無関心を装っているため恨みなどないように映るだろう。

 まあ、吸血鬼は先の大戦において、人間に味方する立場と敵対する立場の二つがあったため、分断された彼らの内部闘争がほとんどだったと聞くから、そこで言う連鎖の中に組み込まれるかと言われれば、甚だ疑問は残るところで、故にティナの行動にどれだけの効果があったのかは考えものだが。

 ともあれ、そう、俺たちはこの場で矛盾を作り出したのだ。

 思わずミクサ博士はたじろいで、そこへすかさず俺たちは畳み掛けるように疑問符を浮かべた表情や仕草をする。

 言から自信が失われた。

 自分の正しさに嫌疑を向けた。

 ほんの少しのそれだが、正しさが歪めば冷静さを失う。

「なんですか、なんですかその目は!あなたたちだって同じでしょう!私たち人間を敵視している。生まれながらにそうすることを定められているはずだ!なのに、どうしてそんなにも私を、悪者であるように見つめるのですか!」

 感情的に訴えたところで、どれほど怒りを俺たちに向けたところで、それが正当な要求でなければたじろぐ必要などない。

「襲って来たから」

 簡潔にそれだけ言葉にした。

 さぞかし悔しいのか、瞳孔が開き瞳が揺れ動く。

 襲って来たから悪者でしょ、なんて簡潔な答えは、誰も答えようとしない。

 何かと理由をつけて悪者は作り上げられるものだ。

 その人物の背景まで取り上げられることも多々ある。

 しかしそのシンプルさこそ、真理に他ならないだろう。

 そしてそれは、あまりにも簡素で文字数に開きがありすぎる。

 奴も言われずとも理解しているはずだ。

 どちらの言葉が道徳的倫理的に正しいかくらいは。

 そして、道徳的倫理的に間違っているとされることをしている側が、悪とされるのが世の常である。

 つまりは、その簡潔すぎる真理こそを端的に発することで、自身の台詞をその間違った行いの長ったらしい言い訳へと変貌させてやったわけだ。

 とてもではないが理性的である状態とは言えなくなる。

 ミクサ博士は口を開いて何かを言葉にしようとしたが、結局そこから音が発せられることはなかった。

 やがて悔しそうに歯噛みすると、ボソリと小さく呟いた。

「それでも、私は……」

 その後に続く言葉は分かる。

 分かるぞ。

 だが、何をしたところでお前は俺たちに勝てない。

 目を血走らせてミクサ博士は力を解放する。

 蠍の尾が増えていく。

 一本、また一本と、確実に殺そうと毒液が滲み出ている図太い針をぎらつかせて。

 “だってただの毒針だろ?”

 “だから、そんな自分を強いように見せたところで、勝てやしないさ。”

 そんなことを思いながら、俺はふとおかしな空気の流れに気がついた。

 ああ、ようやく。

 そう思って、きっとミクサ博士の発言を()()()()()()()()聞いていたであろうあいつが、怒りをこさえて蘇る。

 遅いぞお前。

 俺たちは元々、ミクサ博士のような者と対峙するために立ち上がったんだから。

 早々に退場など認めやしないし、お前も認められないだろ?

 だから……

「3対1だ」

 ミクサ博士の尻尾の一つが、みしりと軋む音を響かせたかと思えば、万力で雑巾でも絞るように捻り潰され、引きちぎられて粘っこい体液が糸を引く。

「くっ、あなたはッ……!」

「学習した方がいいぜ。俺は死なない」

 殺したはずの人物が、全裸で再生を果たしていることに目を見張るミクサ博士。

 時間稼ぎした訳がこれだ。

 あんな程度で殺されるはずがないんだよ、あいつには。

 あいつ、そう、あの蛍斎が。

 そしてーーーー

「いや、4対1だ」

 ーーーー続けてそんな声が響いた後に、白く発行する人型実体により尻尾の先、鉤爪状の器官を閃光が撃ち抜いた。

「悪いが、Alainism(アラニズム)使用中は死なないのだ」

 神性をパリパリと電流が散るように振り撒いている狩人が、何食わぬ顔で合流を果たす。

「頼りなくてすまない」

「いいや、とても頼りになるよ」

 彼の体が放置されていた場所を見れば、元の体はそのままだった。

 もう、元の体は終わったのだろうな。

 そしてもう、あまり時間も残されていない。

「ようやく、彼女の門出だ。昔から知る身として、その門出を邪魔させるわけにはいかない」

「ああ。同意だ」

「次から次へと!」

 ミクサ博士がとうとうキメラ化した全力を出そうとする。

 それに呼応するかのように、早々に死んでたアホも黒く刺々しい鎧を纏っていく。

 そうして、ナラカとAlainism使用者と鬼門三段開門と吸血鬼とキメラとが一堂に介しての、4対1の戦いが始まった。

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