エドガー・ライトマン失踪事件(5)
息を殺して観察する。
気づかれていない……はず?
クリスを置き去りにして銃の手を持つ人を追ってみれば、こんないかにもな場所へと辿り着いてしまった。
彼が死ぬ姿は思わず声をあげてしまいそうになったが、なんとか抑えて再び遠く離れた場所で身を屈め息を殺す。
こんな場所があの研究所の地下にあるとは思わなかった。
逃げなきゃ、そう思っていても足が進まない。
気づかれてしまいそうで怖い。
クリスを置いてきたのは正解だったわね。
あんな光景を見せればきっと発狂していただろう。
パタリと笑い声が止む。
ドクッドクッと脈打つ心臓の鼓動が今日は一段とうるさく感じられる。
身を潜め過ぎ去るのを待つ。
ふらふらとあたりを歩いて、すぐそばまで接近する。
ここで慌てて逃げ出してしまうと、逃げきれずに追いつかれ捕まってしまう。
逃げられないならじっとしているのが生存の可能性が最も高い。
臆病は自分の身を守るのにとても有効な手段だ。
「誰かの気配を感じましたが……気のせいでしたかね?」
足の向きを変えて去っていく男は、何やら重要そうなことを口にする。
「まあいいでしょう。あと少し、放っておけば完成します。さて、完成すればこの化け物共は用済みですね。この場所もいつバレるかわかりませんし、目眩しのために街中へ大放出するのが得策ですかねぇ」
(街中に大放出⁉︎一体倒すだけでもあれだけ苦労したのに、それをこの数、街中に放つつもりだなんて……)
すぐにでも戻ろう。
疾走する俺は襟首を掴まれ親父に止められてしまう。
こちとら急いでるのに。
「お前場所わからねぇだろ」
「知らないからあいつが行きそうな場所を手当たり次第だ」
と言っても、あいつと交わした会話の中から好みを想像しているだけだから、網羅できない場所も当然存在するが。
「あいつの場所を教える前に話がある」
少しもったいぶるような……いや、言い淀んでいるのか。
口をもごもごと、言葉にしたくないことを言葉にするようで、いつもの軽い調子はどこへやら、悔しそうに眉を寄せてはっきりと言葉にする。
「ウィルが死んだ」
なんとなくそんな気はしていた。
俺は大して深く関わったわけじゃないし、出会って数日で、ようやく心を開き始めたばかり、涙は流れなかった。
それ以上に悔しさが込み上げる。
きっとウィルは、俺たちを守ろうとして、何かに向かっていったんだと思う。
最後に向けた温かな目は、きっと俺を実の息子のように思ってくれていたからだろう。
そしてきっと、ルーツを信じると決めたんだ……なんてのは俺の願望だが、そんな風に考えると、あの時なら取り返しがついたんじゃないかなんてできもしない可能性を考えてしまう。
俺が心を開いた人たちはみんな死んでしまうのか?
魁人、安永、今度はウィル。
いずれは夢花や日溜も。
はっ……
こんなことばかり考えても無駄だというのに考えずにはいられないなんて……
(黙れよ俺。ルーツが危ねえって時に何考えてんだ。後ろはもう充分見たはずだろ。それともまた絶望なんてして足踏みするつもりか?)
その問いかけに足を踏み出す。
「そうだった。止まってる暇なんてなかった。だから鎧を纏ったんだろうが」
見せかけの強さだって構わない。
俺が欲しているのは、前に進む理由だ!
「絶望は人を育てる。お前も絶望の中で、自らを知ったということだな。だがまだだ。お前のハリボテは紛い物だと見てわかる。まだまだ足りねぇ」
俺に強くなってもらわないと困ると、親父は厳しい表情で告げる。
「絶望を知れ。無尽蔵に存在する自分を見つめろ。その時初めて、お前は何者かになれる」
何者でもない自分になれなんて言葉を聞く。
個性が、多様性が、なんて言葉はそこら中に転がっている。
しかし、そもそも何者かであることと個性や多様性を持つことはバッティングしないのだ。
それは親父を見ていれば分かる。
俺は親父の強さに憧れた。
ウィルだってきっと意地を見せようとしたのだろう。
二人はとっても強く、孤高に挑み続けていく。
きっと二人は自分が犠牲になればいいなんて考えていないんだ。
義務や使命感、そうしたものに駆られて。
「もうほとんど見えてんだろぉが!いったいいつまで寝ているつもりだ!」
しかし、鎧は纏った剣は持った。
これ以上いったいどうしろと言うのか。
「誇りを持て!ハリボテでもなんでも構わねえ!本気で何かしようってんなら、胸を張って叫んでみせろ!そうすりゃ勝手に力をくれる。お前のやることなすこと全部、無意味にゃしねえよ。お前自身がな」
ああ、そういうことか。
俺のすべきこと、それがようやく分かった。
俺は大嘘を吐こうとしていた。
力がなくても力があるんだって、自分はさながら騎士であると、そう他者に対し演じようと。
しかし親父はそれがハリボテだと一目で見抜いた。
そうだよな。
自分が自分を、本当は弱いんだ、なんて思っていたら、実際に強く見せることなんてできるはずがなかったんだ。
だから今度は胸を張って、自分自身さえも騙すように、笑って言ってやるんだ。
「俺は……騎士だ!」
言葉が力をくれる。
親父が頷き笑いかける。
「ルーツは天文台にいる。さ、行ってこい」
ようやく出られた。
少し離れた場所で、ようやく一息つく。
「あなたでしたか」
「⁉︎」
剣を抜き声の方へと向ける。
見つかっていた⁈
しかしだとしたらなぜ外で⁈
それとも、私が外に出たタイミングで気づいたとでも?
それだけの感知能力があるなら、近くにいて気づかないってことはないはずよね?
なら、泳がされていた、が正解ね。
「新人類、フィリア・ユスティリア。いやぁ、ほしいものですね、あなたの力」
「くっ……!」
「行きなさい、我が子らよ」
ドドドドと地響きが鳴る。
地面が割れて現れた怪物、遠くから走ってくる怪物、空を飛び現れた怪物、四方八方、完全に塞がれている。
地下で見た以上の怪物が、自分の目を疑いたくなるような光景が、私の目の前にはあった。
「まだまだいますよ。さて、それでは私はぼろぼろになったあなたが私の前に差し出されるのを待っているとしましょうか」
男が怪物で見えなくなると、怪物たちが一斉に吼える。
開戦の合図だ。
いつまで持ち堪えられるかな?
私がここで戦う限り市街地に向かうことはないだろう。
この数だ、誰かが気づいて避難は始めているはず。
よかった、クリスを置いてきて。
そして怪物の猛攻が私に押し寄せる。
天文台前の広場で、ルーツは空を見上げていた。
「よう」
何もかも失った、そんな喪失感漂わせるルーツは、俺の姿を見るなり小さく笑う。
鼻で笑ったような、肩で笑ったように、落胆と自重の混ざったような笑いだった。
「何しに来たんだい?」
どうせ何もかも知ってるんだろと、両手を広げて笑っている。
「バカにしに来たのかい?罵りに来たのかい?好きにするといい!僕は逃げも隠れもしないから!」
「聞きに来たんだ。真相をな。黒幕は、お前か?」
「違う、と言っても、信じてくれないだろう?」
「信じるさ」
値踏みするようにじっと、そしてルーツは嘘を吐く。
「僕が黒幕だ。僕が僕を量産し、化け物を作り出したんだ」
ふざけた様子はない。
こいつは真剣に嘘をついている。
なぜ真実を語らない?
何を庇っている?
「違うだろ。お前じゃない。お前は誰かによって作られたんだ」
ルーツが量産されていることなんて知らない。
おそらくそこまで俺が知っていると思ったのだろう。
それほどウィルの実力を高く評価していた。
しかしウィルは知らなかった。
ルーツはやらかした。
情報が明らかになってしまった。
そして嘘を吐いたことが分かれば、カマかけの材料は揃う。
「う……そうだよ。僕は作られた。作られたんだよ!あの化け物たちは僕の兄弟さ!僕もいずれそうなるんだ!どうだ!これで満足か!」
自虐的に叫ぶ。
「お前が、化け物になる?」
つまりどういうことだ?
「あの化け物たち全部、元々は人間だったってことか⁉︎」
「んなっ⁉︎まさか知らなかったのかい⁈」
そんな……馬鹿げてる。
人間をつくりさらにはそれを化け物にする、そんなのはあまりに非人道的すぎる。
誰が、なんのために……
「……知らなかったとしても、君はもう知ってしまった」
考え込んでいると、ルーツの悲しみ溢れる流れに当てられる。
「……僕を嫌いになっただろう?わかってるさ!こんな化け物、生まれてこなければよかったんだ!」
「おい、何を言ってーー
「黙れええええええええ!!!!!」
剣幕に圧される。
「そうさ!僕は化け物だ!生まれてきた意味も、この先生きる意味も、化け物として人を殺すためだ!誰だって怖いに決まってる!いつ化け物になるか分からない爆弾を抱えてるんだぞ!僕だって怖いんだ!そんな僕の気持ちなんて、君にはわからないだろおおお!」
「誰がいつそんなことーー
「うるさいうるさいうるさい!僕がどんな思いで過ごしてきたかわかるか!今か今かと怯え続けて、どれほど怖かったか想像できるのか⁉︎僕自身がウィルを殺してしまうかもしれない、父さんを殺してしまうかもしれない、その恐怖が、君にわかるのか⁉︎」
感情が爆発している。
この様子を見れば嫌でも分かる。
ルーツの抱えていた恐怖と、小さかった歪みが広がり壊れ廃れて化け物へと向かって行ってることが。
「うるせえよバカ」
「僕はーー
「だからうるせえって言ってんだよ」
今度は俺が遮る番だ。
「ごちゃごちゃごちゃごちゃと、ありもしない被害妄想で、勝手に傷ついて八つ当たりしてんじゃねぇ!俺がいつお前を化け物だと言った!お前がどれだけ悩んできたか?知らねえよそんなこと!会って一週間、そんなやつに聞くな!」
そんなルーツを励ますつもりなんてなく、慰めを言ってやるつもりもない。
「そもそも、俺が気にしてんのは誰が何のために化け物を作ったのかってことだ!お前が化け物だなんて俺がいつ気にした⁉︎」
どうだっていいってことはない。
ルーツがあんな化け物になるなんて、とてもじゃないが受け入れられない。
だからこそこんなところで揉めている場合じゃない。
そいつ見つけて化け物化を止める手段を聞き出す。
「さあ!最初の質問に答えてもらうぞ!黒幕は、誰だ?」
「……」
「なぜ庇う⁉︎答えろと言っているんだ‼︎どこで作られた⁉︎なんの目的で作られた⁉︎答えろ!!!」
俺は一貫して詳細を明らかにしようとしているだけだと、ルーツがようやく勘違いを自覚する。
その目はどうしてと問うていた。
なぜ化け物である自分を受け入れるのかと、問うているようだった。
受け入れてなどいない。
化け物となることを阻止しようと考えているやつが受け入れなんてできているものかよ。
「で、どこのどいつだ?」
その誤認はそのままにした方がスムーズに進む。
気付いていないフリして詰め寄る。
「……エドガー・ライトマン。研究所の地下で、その研究は行われているんだよ」
それを聞くやいなや天文台前の高い広場から飛び降りる。
「お、おい!」
エドガー・ライトマン。
初めて会った時感じた危機感は正しかった。
ルーツがつくられたと聞いた時から薄々は考えていた。
初めて会ったあの日、殺しておくのが正解だったなどと、誰が予想できようか。
いや、そんな正解など分かっていても選ばないが。
ウィルは知っていたのか?
いや、知っていたならルーツを疑うような言葉を俺に言わなかったはずだ。
だからきっと、ルーツを信じたくて、或いは疑いたくなくて、別の疑いがある人へと当たっていったのだ。
そして……
あの化け物のことを思えば、ライトマンはそれを手懐ける手段もしくは、あれを鎮圧するだけの手段を持っていると見た方がいい。
乗り込むのは危険。
うっせ。
危険は百も承知なんだよ!
化け物になり始めているのか、ルーツが俺の速度についてくる。
危険な橋へと全速力で突っ込んでいく。
「はぁ、はぁ……」
ま、まだ生きてる……
剣を持つ手が震えている。
体にガタがきている証拠ね。
マラソンで最初から最後まで全力疾走したってまだ走れるのに、今はもう限界を迎えている。
能力で動体視力を上げて、新人類の力も惜しみなく使っている。
それでも、一体だって倒せない……
こんなのがまだ何十体、下手したら百に届くのではないだろうか。
倒れてしまいたい。
もう疲れた、私は頑張ったよね?
それを肯定してくれる人はいない。
「あーあ……こんなことになるなら、もっとたくさんクリスと遊んでおけばよかったなー」
怪物たちは疲れることを知らない。
こんなことなら、日の当たる世界になんて出てくるんじゃなかった。
あの男は、生きたままの私が差し出されるのを待ってるらしい。
それなら、彼に利用されてしまうくらいならいっそ……
自分でするのはとっても怖いけど。
深呼吸して息を整える。
刃が喉元に触れる。
ふっと息を吐くと同時に、刃を首にめり込ませる。
「…………」
あれ?
剣がいつまで経っても首を貫くことがない。
「……?」
閉じていた目を開けると、刀身がバッサリと斬り落とされた愛刀の姿があった。
「な、何が?」
「自殺か?おもしれぇギャグだな。人間ってのは苦しくなると誰も救われねぇ自殺って手段に走る。苦しいから逃れようってのに、逃れるはずの対象がロストしてちゃあ意味がねぇよぉ」
黒い喜ぶ、兜はかぶらず翼を広げて、退屈そうに剣を握る。
「滑稽だよなぁ、人間って生き物は。悪魔にゃ理解できねぇわけだなぁ」
「あ、暗天の……王?」
最悪だ。
まさか悪魔に見つかるなんて。
それとも、あの男の仲間で、私が自殺を図るところまでお見通しで準備していたとか?
「わ、私をどうするつもり⁈」
暗天の王ならまだ望みはあるんじゃないか?
暗天の王は終戦の英雄だ。
人間と悪魔の戦争の中で協調を謳い、戒の悪魔王ゼラスターを説得した人物。
戦場での活躍も聞いている。
もしかしたら……
「なーに期待した目で見てやがるぅ?」
全身が恐怖に貫かれる。
一瞬にして空気を切り替えた。
あの化け物とは比べ物にならないほどの恐怖、不安。
そのあまりの大きさに、勝手に涙が溢れてしまう。
「こんなモンでなくたぁ、ガキだなぁ」
一挙手一投足が怖い。
ビクビクっと体が跳ねて、目をぎゅっと閉じる。
「おいガキ。何かを期待していいのは、仲間や絶対に裏切らないという確信を持てるやつだけだぁ。英雄と見て簡単に期待なんぞ寄せんなぁ」
薄っすらと目を開ければ、そこにはもう悪魔はおらず、あたり一帯にいた怪物たちは倒れて動かなくなっていた。
これが、暗天の王……
強いとか強くないとか、そんな次元じゃない。
これが格上同士の戦い……
完全に戦意を折られて、挫けたままお気に入りの剣を見る。
私の心と同じように斬り落とされた愛刀の無惨な姿。
暗天の王は言いたいのだろう、引っ込め、と。
剣がこれでは戦えないし、出直さないといけないわね。
出直す、ね……
はたして私に、そんな勇気が残っているのだろうか……?
「な、なんだいこれは?」
化け物たちは内から液体を漏らしながら倒れて動かなくなっていた。
死んでから体液が溢れ出たようだな。
「いったいだれが?」
戸惑いと恐怖がルーツを覆う。
自分も化け物になればこんな結末が待っているかもと思えば、その震えも理解できるけどな。
「親父の技だな。未来点、攻撃を未来に送る技だ。やっぱとんでもねぇな」
それでライトマンをぶった斬ってくれねぇかなとか思ったが、流石に息子であるルーツの前でそれを言うのは控える。
構わず研究所へ入り、ルーツの案内のもとその生産プラントへと入っていく。
百体に上るだろうかと思える化け物の死体を見たばかりだというのに、プラントにはまだまだ血気盛んな化け物共がわんさかと。
「とんでもねぇな」
「奥にいるはずだよ」
ライトマンとの対話、ルーツが一緒なら安全ってことはない。
トラウマを呼び起こすそいつに、何かを期待することはない。
実際これくらいでも警戒は足りない方だろう。
ここは敵の本拠地。
すでに侵入はばれているはず。
自分のところへ来いと言っているのか、或いはこのままある場所まで誘導しようというのか。
奥へと進んでいくと、ケースが小さなものに変わっていき、中には裸の人間が液体の中で浮かんでいた。
「これが僕らの生まれた場所。ホスピタルって呼ばれる機械だね」
人間クローン・遺伝子組み換え技術研究。
とんでもないタイトルの研究内容が、下の画面に表示されていた。
いったいどんな遺伝子と組み換えられているのか。
虫や草という線もある。
いまさら驚くな。
あんな化け物作り出しているんだ、研究内容だってはちゃめちゃで然るべきだ。
自分を落ち着けようと説得してみても、怒りに瞳が紅く染められていく。
ホスピタルの中の人間が、研究所の仲間たちと重なってしまったから。
俺たちの収容されていた研究所も同じ、化け物を集めて閉じ込めていたんだったな。
そう、化け物なら俺も同じ。
化け物を代表するつもりはないが、一言文句は言わせてもらう。
奥の部屋に入ると廊下があり、そこから二番目の扉を開けると、回転椅子に腰掛けたライトマンが笑顔で、歓迎しますと高らかに言い放つ。
「お前ーー
「君のおかげでいいデータが得られました。なので歓迎いたします!さあ、せいぜい踊ってくださいね?不死身のようですから、いい踊りを期待していますよ」
後ろと扉が壊されて、化け物が室内へと侵入してくる。
こんな狭い場所で……
瞳が紅く染まっていることを忘れて、ナイフに刻んだ包の術式を起動する。
この狭さ、思うように動けまいと一気に決めにかかる。
今度こそ、俺一人で倒す!




