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絶望の源泉(4)

 感情が体を支配するとは何を意味しているのか。

 それは感情が理性を、法を、道徳を、超越してそれらに反した行いさえも平然と行えてしまうようになるということ。

 全ての感情がそうというわけではないが、少なくとも当時の俺は、仲間の死を目前にして無法の世界に足を踏み入れた。

 どれだけ不気味でも命令には従わなければならないようで、ガシャガシャと煩わしい機械音が近付いてきた。

「さて、捕獲を頼むよ。Object-716には脅威となる異常性は存在しないのでね」

『わかったぜ、博士』

 機械の中から声が聞こえてきた。

 しかしそんなことはどうでもよかった。

 たとえそれをこれから壊すとしても、人を殺すことになるとしても、どうでもよかった。

 たとえそれで警察に捕まろうとも構わない。

 俺の未来だってどうでもいい。

 友を殺されたのだ、それで黙っていることなんてできない。

 今更どれだけ怒ったところで彼らが生き返るわけじゃないが、死んだことは仕方ないなんて済ませることはできない。

 腕が伸びて俺を捕まえようとする。

 逆に俺がその腕を両手で挟む。

『お?何をする気だ?博士、こいつに危険性はないんだよな?』

「そのはずだね。でも少し変だ。目が紅く光っているのが気になるね。でも、別の性質を持ってるなら、すでに逃れようとしてるはずだからね」

 俺という人間が音を立てて崩れていくのが聞こえた。

 いや、これも俺の一面なのか。

 ある側面ではぶっ飛んでいて、ある側面では落ち着き払っている。

『博士が言うなら間違いないな』

 手を広げてさらに伸ばそうとするが、それはピクリとも動かない。

『なんだなんだ?電池切れか?』

「……まずいね。ちょっと君、今すぐObject-552を持ってきなさい」

 紅い視界の中、白衣が連れていた男が一人、どこかへ移動しようとしていた。

 それを逃げようとしているとみた俺は、まずそいつから殺すことにした。

 手に持ったそれをそのまま持っていこうとする。

 しかしそれが何かとくっついていて動かせなかったので、それが接続しているものを足で押さえ、引きちぎって外す。

 不思議なことに、手の中の鉄塊からは何か熱い液体が噴き出していた。

 しかしそれが何かは分からない。

『ぁ、ぁぁ……あああああ゛あ゛あ゛あ゛!!!』

 壁の向こうに動いたものがいたから、出口からではなく壁を蹴破って、手の中の重たいものを叩きつける。

 中から何か飛び出していったが、それよりハエを潰せたかどうかだ。

「……」

 逃した。

 しかしなぜだか向かった場所が分かる。

 だから追わずにここで殺せるだけ、殺す。

 他に三人ほどいたから先にそっちだ。

 特殊部隊を思わせるような服装のそれを、俺は焦点の定まらない目で視界に捉える。

『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!』

 何やら耳障りな音が響いてきた。

 突如として体が壁に叩きつけられて、それをした何かに目を向ける。

「うるせえなぁ……!」

 立ち上がり足を踏み込むと、そこにはまだ熱を保った何かがあった。

 その感触に不快になりながら下を向くと、それが撃ち抜かれて死んだ誰かだったことに気がつく。

 俺が仲間の死体を踏みつけるなんて、そんな……

「ち、違う、そんな、つもりじゃあ……」

 よろけて後退し壁に背をぶつける。

 殺された時よりずっと痛い。

 頭の中がガンガンする。

 視界はさらに揺れて、腹の底から全身を震わせて咆哮する。

「ああ、違うんだ……俺はそんなつもりじゃあ……ぜ、全部、あいつらのせいなんだ。ごめん。ごめんねぇ……!」

 止まらない涙、砕け散った情緒、定まらない視点、右腕が黒く染まっていた。

 溢れ出した力は、人格を破綻させて余りあるものだった。

「……殺してやる。殺してやる!殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺してやる!」

 そう叫ぶと、なぜか笑いがこみ上げてきた。

「あはっ!あはっ!あははははッ!!」

 気がつけば何かを握り潰していた。

 潰れていたのは人の頭。

 パワードスーツを着込んでいなかったがために、握り潰せるサイズだったんだ。

 掴めさえすれば潰せる、それだけの腕力があった。

「あはは!死んじゃった!死んじゃったよ!あは!あはは!アハ!アハハハハハハ!!!」

 それを握ったまま高笑いした。

 気が済むまで笑うと、今度は手に持っているものがなんだったのかを忘れた。

「え?何コレ?汚っ」

 適当に放り投げる。

 それはもう、人の頭だと分からないほどにぐちゃぐちゃにして、そもそも人だったことまで忘れて。

 俺が首を180度回して後ろで腰が引けているそいつに目を向ける。

 次の標的にしたのだ。

 口角を上げて口を広げて目を見開いて。

 瞬きの瞬間に背後に回り頭を左右から掴んだ。

 足を踏みつけ地面に固定し、頭を力任せに引っこ抜く。

 ーーブチブチブチィ!!!

 綺麗に首だけ取れることはなかった。

 肉を引きちぎったのだから、肩あたりの無駄な皮がくっついていて、不格好な生首になってしまった。

「ハハハ!そこの兵士とお揃いだ!アッハハハハハ!」

 それを言った俺には、そこで倒れている兵士になぜ頭がないのか、自分で潰しておいて分かっていなかった。

「アハハ!次はどちらにしようかな!」

 楽しみの一つとでも言わんばかりに殺しに享じていた。

 機械の化け物は邪魔なだけなので、先に殺してあげようかな?

『い、痛えよおおおお!博士!博士話が違うじゃねえか!』

「落ち着いて。麻酔弾に切り替えて。あれは眠らせることが有効だからね」

『腕!腕がああぁぁ!死ッ!死んじまうよ!俺このままじゃ、死んじまーー

 ーーブシャァッ!

 聞き苦しい音が途切れる。

 あれ?俺何かやっちゃった?

「アァ?」

 訳もわからずその手を見ると、そこには機械の一部があった。

 何かがずるりと中から落ちると、それが人の頭だとようやく認識する。

「アハッ♪壊れちゃった♪」

 後ろから大きな音がして、頭を背中側に倒すようにして振り向くと、さっきまで立っていたデカブツが倒れていた。

 それを確認すると、通常生活していく上では絶対に味わうことのないような快楽が、脳を支配し身体を高揚感で満たしていった。

「アアアアアア!!」

 奇声を上げ、反対になっていた視界を治すために、自分の首を腕で動かす。

 体の向きを正したわけじゃないので、当たり前に首がねじ切れてしまったが、快楽に満たされていた俺は、それにさえ気付くことがない。

 そうして視線の先に進もうとすると、おかしなことに遠ざかってしまった。

「アハ!アハハ!どうなってるんだ⁈イイナァ?俺を楽しませてくれるのか?なら、次は最ッッッッッッ高の山場だアハッアハハ!!」

 腕の付け根を、腿の付け根を、捻じ曲げ白服に向かっていった。

「なんてことだ……こんな、狂ってる……」

 明らかに狂っていた。

 子どもを捕まえて人体実験する奴よりも、ずっとずっと狂っていた。

 腕も足も曲がらない方向に曲がり、首は骨もへし折れているのでなぜそれが繋がったままでいるのか不思議な状態。

 据わった目、据わらない首、そんな有様で笑って、嗤う。


「お前も、殺してあげる」


 首が取れそうなほどに体を振り回して、そこにいる誰かに拳を投げる。

 腕ごと飛んでいって、しかしそれが何かに阻まれて、地面に落ちてしまう。

「アハッ!取れちゃったよ!アハハハハ!」

 もはや自分の損傷でさえ笑うようになる。

 ない手を額に当てようとして、それがないことに気付く。

 そこでようやく自分の体が普段とはまるで違うことになっていることに気付いた。

「なんだ?いつの間にこんなことになったんだァ?クハハハハハハ!!!何コレ何コレ?楽しい!楽しいナァ?楽しいのナァ?」

 そこにいる男に訊ねる。

「ひっ……!」

 そいつは尻餅をついて後退る。

「エェ?なんで逃げるの?楽しいよねェ?ネェ?」

「や、やめろ!来るなぁ……」

 必死に逃げようとしながら手をぶんぶんと振り回してしているから、俺はそれに歪んだ表情を真顔に戻す。

「は?楽しくない?何それ……楽しいって言えよおおおおオオオオ!!!」

 見えない何かを叩く。

 平手で、両手で、振りかぶって、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も……


          ………………………何度でも。


 そうして叩いている内にまた楽しくなってきて、途中からは嗤い声と共に叩き続ける音がした。

 その防壁は永遠に保つわけじゃない。

 だから博士は部屋の隅に移動し、頭を抱えて震えていた。

「博士!持ってきました!」

 何かの棒切れを持った何かが、白灯の下に現れた。

「で、でかした!それを今すぐ三回振るんだ!」

 それが先ほど博士が言っていたObject-552だと、俺が冷静なら気付いていただろう。

 しかしその時の俺は、俺が再定義した俺という人間からかけ離れていた。

 それを振っている間も、透明な壁の中の何かを壊そうと、両の掌が赤く腫れ上がっても叩き続けていた。

 その場で三度素振りをしたそれが向かってきた。

 冷静ならば落ち着いて対応を考えていただろう。

 しかし俺は暴走していて、だからそれが直撃した。

 首が、肩が、頭が、その剣にメキメキと、体が順に潰されていった時と同じ音を上げながら取り込まれていく。

「はぁ……はぁ……これで、もう安心……」

 足まで全部取り込まれていく。

 しかし血がパタパタと飛び散って、地面を真っ赤に染めていた。

 だから、安心していた障壁内の誰かを狙って、血から体を再生させた俺が掴みかかる。

「アハ!ようやく会えたネ♡」

 会いたかったねと笑って、まずは髪を引きちぎる。

 頭皮が同時に剥がれて、少し固い物が露出する。

 それを殴ってヒビをいれ、卵を割る時のように指でそこを押し込み外側へ広げるようにする。

 中身が顔を見せて、しかし殺して用済みのそれに何をするでもなく捨てる。

「アア……気持ちイイ……」

 余韻に酔いしれる。

「あ、あぁ……う、うぇぇぇぇぇ!!!」

 さっき何かで俺を擦り潰した誰かが、何かを口から吐き出している。

「アハッ♪」

 そんな様子も楽しく見ていた。

「はぁ……くそっ……」

 俺は、相変わらず首はあっちこっちに揺れているが、接続が元に戻った体で、重たい一歩を踏み出す。

「お、俺が、アレを、何とか?」

「ヒヒヒ♪アハハ♪ネェ?お前の中身には何が詰まっているの?教えてよ?ネェ?」

「く、くそっ!」

 また剣が振られて、それをフラフラな足取りの俺が身を翻して避けてしまう。

「アハッ♪」

 蹴られたらとっても痛いところを蹴り上げる。

 口から今度は赤い液体を噴き出して、そいつは立ったまま固まってしまった。

(はらわた)を引き摺り出して殺してあげる」

 すでに死んでいたのだが、それはまだ生きていると思い、へその穴を広げた。

 それは妙に固く、中からは歯車のようなものが落ちてきた。

 皮を剥いでいくと、歯車の一部が柔らかい人間の肉片になっている物も出てくる。

 そんな奇妙な状態に、俺は何がおかしいのか腹を抱えて笑った。

 ギギギッと機械的な音がして、再び剣が振り下ろされた。

 俺はそれにまた巻き込まれるが、当たり前に再生して、その歯車の剣を破壊する。

「ハハハッ!楽しいナァ!オイ!」

 腕を、肩を、頭を、破壊する。

 歯車が飛散する。

 臓物が零れ落ちる。

 歯車だった物は、剣が肉のような物に変わっていくと同時に、今何度も引き裂いてきた物と同様の質感に変わる。

 もう終わりか。

 物足りない、人をこれだけ殺しておいて、その程度の感想しか抱けなかった。

 このまま素っ裸でいるのもアレなので、白衣を剥ぎとり身に付けた。


 物足りなさに乗っ取られたかのように、その足を前へと進めていく。

 何かを求めて施設を彷徨う。

 何を求めているのだろうか?何になろうとしてるのだろうか?

 進んだ先には何があるだろう?進んだ先には誰がいるだろう?

 俺はなぜ進むのだろう?

 もしかしたら戻っているのかもしれない。

 この先には闇しかないのかもしれない。

 しかしたとえ破滅に続く道だとしても、俺は止まらず進むだろう。

 その時の俺は当然そうした。

 結果を知った今の俺もそうする。

 部屋から一番近い部屋。

 そこに誰かいるかもと扉を壊して侵入すると、そこにはいくつかのモニターと、机があった。

 モニターには俺が囚われていた実験部屋の様子が映し出されていた。

 机には紙が置かれていて、そこには国連の名前と日本国首相の名が連なられていた。

 ここに記されていることはそれらによって承認されているということ。

 俺はそれを手に取ると、頭から目を通していく。

『人類の総意として該当施設による以下の行為を認可します』

 それは許可証であった。

 それも政府が、国連が認めるという、圧倒的権力性を秘めた、世界でも最高峰であろう効力を持ったものだ。

『該当施設は原因不明の何かしらの特性を有する物質を探査し、発見次第収容、その異常性を調査してください。それが人間であろうとそれ以外であろうと、収容してください。また、それらは一様にObjectと再定義されます。基本的にはObjectの異常性の調査の後、それらの収容を続けてください』

 束ねられた文書を捲る。

『Objectの保存は最終的には対悪魔への兵器としての転用を目指しています。最悪この目的にそぐわない場合は破壊しても構いません。

 また、Objectに対して試行可能な実験は、それが収容から脱することがなければ何をしても構いません。

 Objectの管理体制は該当施設の判断に委ねます。

 収容対象を発見した際は、先に我々政府への報告をしてください。可能な限りの協力をいたします』

 権力者たちのほとんどが対悪魔を掲げている。

 そして大多数の人々は教育の中で、同様に対悪魔の感情を植え付けられる。

 いわば俺たちは、社会の空気が無意識の内に作り出した犠牲者だった。

 それを理解した時、俺はなぜか失望を感じた。

 いったい何に失望したのか、今の俺はそう思う。

 失望は期待がなければ生まれない。

 つまり俺は、人々に何かを期待していたということになる。

 しかしいったい何を期待することがあるのかと、そう思うことはやめられない。

 しかしなんとなく考えていたことは分かる。

 俺は人を恨みたくなかったのだろう。

 国連うんたらかんたらという名称はあの白衣が勝手に名乗っていて、実際は国連の許可も政府の許可も得られていない組織であると、そう思いたかったのだろう。

 しかし事実は違った。

 だから俺は、殺そうとしていた範囲を広げることにした。

 この施設にいたロクでもない連中だけから、こんな地獄を作り出した人間全体へと。

 何もかもがバカらしくなって、笑いと共に部屋を出る。

「アッハハ!楽しいだろうナァ……あの感触を、あの快感を!毎日だって味わえるのはサア!」

 その時の俺は、そんな情報を吉報だと思っていた。

 人を殺すことに快感を覚え、殺す理由を求めるようになっていた。

 だからかは分からないが、なんとなく施設のどこに人がいるのかが分かるようになった。

「アヒャヒャアヒャヒャ!見ィつけタ」


「来ましたか。皆さん、あれと正面から戦ってはいけません。眠らせてください」

 扉を破り入る。

 声は聞こえていたが、それでも正面から行くことにした。

 人間全てが滅びるのが先か、人間が俺を殺すのが先か。

 しかし俺は殺せないのだ、対応の仕方は限定されてくる。

 動けないように殺し続けるくらいしか方法はないだろう。

 しかしそう上手くはいかない。

「会いたかったヨナァ?俺もダ!殺したくてうずうずしてンダヨ!アア!また殺せるかと思うと、体のうずきが止まらネエ!」

 恍惚とそう語る俺に、問答無用で銃弾を浴びせてくる。

「やりました。これであれを収容できます」

 全て麻酔弾だろう。

 全身に浴びたから麻酔はすぐに体内に染み渡るが、不死身の肉体はそれを打ち消していく。

「そうか……そいつはよかったナァ?」

 平気な顔をして歩き出した俺に怯え、部屋の隅まで逃げて指示を出す白衣の女。

「催眠ガスです!あれを眠らせる時に使用され、有効だと証明されています!」

「「はっ!」」

 何人かが俺を抑えるために通常の弾丸を浴びせて、残りがマスクをしてガスの発射ノズルを構える。

 そうして放出された大量のガスは、俺の中へと吸い込まれていく。

 眠気が俺を襲い、ふらりと倒れてしまいそうになる。

「やった!」

 ダンッ!と踏みとどまり、それからガスから脱出する。

「そうか、やったか。よかったナァ?夢の中では収容できて!」

 いやらしく顔を近づけて、ずぶりと腹に刺した腕でそこをこねくり回す。

「あ、あぁぁ……」

 腹部の痛みに気がつくと、そいつが泣き叫び身を振り回し出す。

 しかしそれで痛みが増して、さらに激しく身を捩り、そしてさらに……とキリのないループに陥る。

 腸を引き抜き、倒れてきたそいつの頭を殴り、壁に叩きつける。

 悲鳴は心地よかったが、他にもまだ4人もここで殺せるのだから、たった一人に執着はしない。

「そんな……博士……」「なんて奴だ……」「ひどいッ……」「なんて残酷な殺し方しやがる……ッ!」

 そんな言葉を聞かされて笑わずにはいられない。

「なんで笑って……」「狂ってやがる……」

 そう言って銃をぶっ放す彼らだが、そう言われてはこちらは笑わざるを得ないのだ。

(オツム)足りてるカァ?」

 銃弾は最早足止めにもならない。

「テメェ等が先にやったことだろ?」

 それを教えてやる。

 銃からは弾丸がばら撒かれなくなり、弾切れを起こした彼らに俺の受けた痛みを与えてやることにした。

 一人は燃やし、一人は出現させた水で窒息させ、一人は全身に強力な電撃を流し、最後の一人は体の端から潰していく。

「キッヒッヒッ!クセになりそうダナァ!」


 どれだけの数殺してきただろう。

 そんなことも覚えられないほどに人を殺した。

 施設にいた人間は全て殺してしまった。

 百は越えていたはずなのに、それを全滅させたのだ。

 それでもまだ、足りない。

 俺たちがなぜこんな目に合わなければならなかったのか。

 それは人間のせいだ。

 何もかも、人間のせいだ。

 俺たちを化け物呼ばわりして、俺たちを悪魔に対抗する兵器だと呼んで、都合が悪くなったら知らんぷりして、そんなクズどもだ。

 俺たちがこれだけ苦しんだんだ。

 お前たちが苦しめたんだ。

 だったらお前等、覚悟はできてんだろうナァ?

 もう疲れ果てていたが、それでも止めることはできなかった。

 最上階から扉を破り外へ出る。

 周囲は一面木で埋め尽くされていた。

 不思議なことにそこには、待ち構えていたように立っている者がいた。

「なんだァ?自分から殺されに来てくれたのかァ?」

 そんな風に話しかけても、そこに立つ何者かは返事をしない。

 暗くて見えていなかった姿が、近づいたことで見えるようになってきた。

 その全体像が見えてくると、俺は目を見張りそのシルエットを凝視する。

 背は俺より少し高い程度で、体の形からして女性だった。

 施設内の人間ではないことは一目見て気付いていたが、人間を皆殺しにするつもりでいる俺は、手始めにこいつから殺そうとする。

 感知精度が衰えてきていたことは理解の上。

 何者かは知らないが殺害対象であることに違いはないはずだと、見つけたそいつにすぐに飛びついた。

「アハッ!アハッ!アハッ!殺ス!殺ス!殺ス!」

 そいつの額は固く、俺の拳が逆に砕けそうになる。

 しかし攻撃を止めることはできない。

「人間ガア!一人だって生かしてやらないぜエエエエ!どんな奴だろうと例外はネエ!全部!全部ぶっ壊してやる!そら!死ねよオラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」

 力任せの拳を何度も何度も打ち付けてやったが、まるで響いている様子はなかった。

 やはりその人は固く、攻撃を受けるだけ、防御をすることはなく、反撃をすることもなかった。

 元々力を使い果たしてきた俺が先に限界を迎えるのは当然のことだろう。

 そいつは動きを止めた俺に手を伸ばした。

 その手をはたいて遠ざける。

「クソッ……なんで壊れないんだよ……」

 激情が収まっていく。

 困惑が渦巻き落ち着いてきてしまったが、施設の記憶がそれを許さずすぐに激情が体を支配する。

「クソックソックソオオオオオオオオ!!!」

 そいつは何も言わずに再度拳を受ける。

 しかしさっきよりも重い一撃に、さすがに耐え切れずに地面に転がる。

 しかしすぐに腕で体を跳ね上げて、何ともなかったかのように体を起こす。

「はぁ…はぁ…人間……殺してやる!全部、テメェ等人間が作り出したんだ!アハッ!イイよナァ?殺してもヨオ!」

「いいや、ダメだ」

 初めてそいつが口を開く。

 発せられた言葉に眉間にシワを寄せると、そいつは俺の前に立ち、怯えの一切ない毅然とした態度で、俺の目を真っ直ぐ貫く。

「全部人間のせいだと言ったな?それは違う。お前たちが苦しい思いをしたのは、俺のせいだ」

「黙れ!何も知らないくせに!俺たちが苦しんだのはテメェのせい?何様のつもりだ?俺が苦しんだのもあいつらが死んだのも、人間なんて存在がいけないんだ!テメェが責任取れることじゃネェんだよ!」

「そうかもしれないな。だが、人間を全て殺したところで、死んだ者たちは帰ってこない」

「黙れエエエエエエエエェェェェ!!!

「俺は頼まれてきたんだ。お前を大切に思う人にな」

「フウゥゥゥ……ゥガアアアアァァァァ!!!」

 その叫びがどのように聞こえていたのかは分からないが、きっとその人にとっては悲しい表情をさせるような声だったのだろう。

「そんな目で!俺を見るナァ!」

 並の人間では即死してしまうほどに強烈な一撃、それをそいつは額で受けて、その場で踏みとどまる。

 そいつの長い髪が揺れる。

 額から流れ落ちた血が、月明かりにキラキラと怪しげに輝く。

「ヒロ君!」

 その声は俺には聞こえていなかった。

 俺に見えていたのは、目の前で俺の攻撃に耐え続ける少女だけだ。

「なぜだ!なぜ反撃してこない!」

 その時初めてそいつの姿形をじっくりと見据えた。

 全身を覆い尽くす毛、犬のように突き出た鼻、獣の如く鋭い牙。

 そいつは、俺たち側の人間だった。

「なんで……なんで……!」

 人間の被害者である存在、それを俺は、殺そうとした。

 その事実を認識すると、体の底から気持ち悪さが込み上げてくる。

「なんで、なんでなんでなんで!」

 その感覚が嫌で、湧き出したそれを外に出そうと、全身を掻きむしり体の表面を剥がしていく。

「アハ!違う!アハ!俺は!アハハハハ!そんなことがしたかったわけじゃ……アッハッハッハッハ!」

 どこから込み上げているのか分からず、内側にあるものを外に投げ捨てる。

「バカッ!何し出してんだ!」

 そいつは俺の腕を押さえて自傷行為を止めようとするが、そう簡単に止められるほど力は弱くはない。

 それに体内に手を突っ込んでいる都合上、引き抜くことも押し込むことも、左右にずらすことだってできない。

 だから動かせないように力で固める必要があるが、俺が動かそうとしているから力を込めるしかなく、俺が力を抜けば握られた臓物が引っ張られ、或いは押されて、どうしても傷つけられる。

 しかしどれだけ自傷しようが、俺は死ねない。

「なんでだよ……なんで俺は……」

 たくさんの感情が渦巻く中、大部分を占める怒りの感情が俺自身に向けられる。

 あいつらを死なせてしまったこと、友の死体を踏みつけてしまったこと、俺たち側にいるはずの人間を殺そうとしたこと。

 人間への怒り、そして今何より強くあるのは、俺自身への怒り。

「すまない。俺がもっと早く来ていればよかった。そうすれば、お前たちを助けられた」

 自分で自分を責め立てて、ずっと前から満身創痍だった。

 だから、もう感情の発露はない。

 もうそんな気力はどこにも残っていない。

「俺のところにも黒服が来ていたんだ。あの時それを怪しめば、もっと早く動き出せていた。他の誰かも、まとめて助けてやれただろう。無関係じゃない。放置した俺のせいだ。全部、全部、俺のせいだ」

 自分を責め続け自分を殺し続けようとする俺。

 そんな俺は、感情に囚われていた俺は、きっと誰かに責任を押し付けていたかった。

 子どもの肩には、仲間たちの命はあまりにも重たかった。

 そして今では数多の屍を築き上げ、それらの命も背負っている状態にある。

 そんな時、誰もが同じことを思うのではないだろうか?

『誰かに代わってほしい』

 なんて。

 俺だってそうだった。

 苦しくて、泣き出したくて、でもそれは、友をなす術なく殺されておいて、何もできずに負けを認めたことになってしまう。

 どうしてもそれだけはできなかった。

「お前のせいじゃない。全部俺の責任だ。だからもう殺さなくていい。お前はもう、苦しむ必要はないんだ」

 俺はその言葉に、ようやく怒り以外の感情が表に顔を出した。

「ゥゥあ……あぅ……」

 涙が溢れ出して止まらなくなる。

「俺を恨め。俺を呪え。今更助けに来た俺を、お前だけの恩人にしかなれなかった俺を」

「ヒロ君!」

 うずくまり泣きじゃくる俺に駆け寄ってくる声。

「ごめん…ごめんね……私に、戦う力がなかったから……」

 俺に抱きつき一緒になって泣く。

 夢花はひどくやつれた顔で、抱きついた俺に謝り続けていた。

 俺は血に汚れたこの手で夢花を汚すわけにはいかないと、触れるのを躊躇う。

 しかし夢花はこの手をとる。

 ごめんごめんと何度も謝って、俺の罪を自分も背負うとでも言うように。

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