立ち塞がるもの
黒白凰帝、ね。
また随分と聞き覚えのある名だ。
想像通りの人物に、俺はたまらずフッと笑ってしまう。
「そいつはまた厄介な相手だな」
誤魔化すようにそう言って取り繕う。
「ご存知だったのですか⁉︎」
俺たちが交戦したことを知らないのか?
こいつは初級悪魔だから、組織から情報をもらってなかったのだろうか?
或いはその前に飛び出してきたのか。
「すでに一度交戦している」
「そんな……」
その事実に驚いたフロストだったが、よくよく考えれば俺たちは全員無事に帰ってきていると気付いて、あれれと首を傾げている。
「ちなみに、今そいつはフィリアを捕まえようとしているらしい」
「どうしてそんなことを……」
それ聞く?と顔で表現。
俺のツテで情報を入手したわけではないが。
八田月曰く、スパイが入り込んでいるらしいが、情報の入手手段なんて、調べて出てくる程度の情報以外はスパイが掴んでくるって相場は決まっている。
まあ、俺にはもう一つの情報入手経路があるのだが、それはともあれ、情報源など今はどうでもよくて、それを察してフロストが話を戻す。
「それでは……」
「当然、戦うことになるだろうな」
フロストは悲しそうに表情を曇らせるが、次の俺の一言で、曇りは晴れて瞳に期待の煌めきが灯る。
「任せておけ。俺があれを止めてやる」
俺が自信満々にそう言うものだから、フロストはそれに安心してか、思わずといった感じで笑っている。
「分かったな?」
リビング扉の向こうで聞き耳を立てている二人にも聞こえるように呼びかける。
急に大きな声を出したものだから、フロストが驚きビクッと肩を震わせる。
「うっ……」
「バレてたんだ……」
途中から二人が聞き耳を立てていたことを知らなかったフロストが固まっている。
聞き耳を立てていたことに対する罪悪感からか、二人が後ろめたそうな表情で扉を開ける。
奏未は俺に気付かれていることを予想していたようだが、フィリアはまさか気付かれているとはと驚きを隠せない。
「悪いな、フロスト。聞かれていることを知っていて、黙っていた」
俺は悪びれもせずに軽い謝罪をする。
「いえ、気にしないでください。もともとお二人にもお話しようと思っていましたので」
フロストがいいと言うのなら、それでいいのだろう。
吹っ切れた顔をしているから、本心であることがうかがえる。
本音だということが伝わるからこそ、二人の罪悪感も薄まるというもの。
さて、話を聞いた以上、これで殺して解決はできなくなったな。
普通に戦っていてはそもそも勝てるか怪しいが、俺の相手を殺しかねない切り札類が全て使えないとなると、なかなか難しいな。
まああの能力相手では、殺せるかどうか怪しいところではあるが。
今研究中のあの術式を完成させれれば殺さずも可能だが、果たして間に合うだろうか?
「話してくれてありがとな」
「こちらこそありがとうございます」
半ば強制的に話させたようなものだが、それでも吹っ切れた表情で礼を告げたフロストに、俺も根拠なく笑顔を向ける。
「さてと、俺は部屋に戻る。何かあれば呼んでくれ」
完成を急がなければな。
「うん。それじゃああたしはご飯を作っておくね」
いつも作ってもらってばかりで悪いね。
おかげで研究に取り組める。
奏未は唯一俺がなにをしているのか知っている。
切り札の開発をする俺に、奏未は期待してくれている。
奏未がフィリアは任せてと言う代わりにウインクして俺を送り出す。
俺はそのお言葉に甘えることにした。
部屋のドアがノックされる。
集中していて気付かなかった。
この流れ、フィリアか。
ペンを置き、走り書きした紙をまとめ、本を閉じる。
時計を見ると、あれから1時間は経過していた。
食事の用意ができた頃だろうか?
それで呼びに来たのかと思ったが、どうやらそうではないらしいことを、雰囲気から察する。
「広人、少しいい?」
そう訊ねられれば、断る理由はない。
引き出しに紙束を仕舞い込み、フィリアに返事を返す。
「開いてるぞ」
「失礼するわ」
そう言ってフィリアが入ってくる。
ここ数日暗い表情だったが、フロストに触発されて話す気になったか?
「適当にかけてくれ」
俺の部屋は結構広くて、たくさんの収納に部屋の中央に置かれたちゃぶ台、ベッドに複数の本棚と、おおよそ実家暮らしの学生の部屋とは思えない内装をしている。
フィリアはそんな俺の部屋に少し驚きながらも、流されるまま俺が座る正面に座る。
ちゃぶ台を挟んで向かい合う形だ。
なかなか話し出さないフィリアに、なるべくトゲを感じさせないように訊ねる。
「どうした?話があるんじゃないのか?」
俺から振った方がいいだろうか?
首を傾げて訊ねた俺に、フィリアは心の内に溜め込んでいた不安を、おずおずと吐露し始めた。
「広人は、怖くないの?死ぬかも、しれないのに」
口を開いたと思ったら、そんなことか。
「今更怖れることなどないな」
死など、恐れるものではない。
自分を知れば、そう思えるはずだがな。
俺は、絶望の中で自分を知った。
それから何度も自分を見つめ返して、その度に幾度となく自身の望みを再確認する。
そうして、絶対に譲れないラインが、自分の中に見えてきた。
絶対に失いたくないものが、自分の中に見えてきた。
そこに自分の命はなかった。
フィリアも絶望を味わったのなら、共感してくれると思ったのだがな。
「私は怖い。次は優日がいない。奏未ちゃんの力を共有できない。奏未ちゃんの力を借りてあの結果なのに、次また戦ったら……今度は広人が死ぬかもしれない」
俺の予想に反して、フィリアの回答は俺の身を案じたものだった。
俺は死ぬ、か。
フィリアは戦うことを怖れてはいないようだな。
自分が死ぬことを恐れてはいない。
フィリアは、失うことを怖れている。
とても、戦える状態ではないように思える。
「お前は、戦う覚悟ばかりが先走っているようだな。これまでは一人で戦ってきたのか?」
失うことは恐ろしい。
だから、一人で突っ走っていくのだ。
仲間と一緒に戦うことはたしかに頼もしいだろう。
しかし同時に怖いのだ。
仲間を失うリスクを抱えて戦うことが怖いのだ。
俺が死ぬことはないが、心構えとして言っておかなければならないな。
「怖いか?友人を失うことが。だがな、失う覚悟をしろ。その上で、戦う覚悟を決めろ。失わない覚悟をしているなら、そんなものは捨てちまえ」
フィリアは目を見張っている。
まさか俺に覚悟をとやかく言われるとは、思ってなかったのだろう。
しかし、あの日のこいつの泣きようは、守ろうとした者の泣き方だ。
それを俺は何度も見てきた。
彼らが壊れていく様を、俺は何度も見てきたんだ。
フィリアはその例に含まれないかもしれない。
だが、予防しておくに越したことはない。
だから、言わなくてはならない。
「お前は友を失った。だから失わない覚悟を決めた。それで?お前は一度失った。そんなお前に何が守れる?」
守れる時はあるかもしれない。
守れるものはあるかもしれない。
だが、何もかも守るなんてことはできないし、大切なものだって失うことはある。
どんな意思を持っていようと、失う時は失う。
フィリアはその綺麗な顔を、お菓子をねだる子どもが親にダメだと叱られたときのように歪める。
分かっているのだ。
こんなものは、自分のわがままなんだってことは。
「そもそも失礼な話だと思わないか?」
その質問にフィリアが小首をかしげたので、俺は少し怒れてきてしまう。
どうして自覚していないのかと、俺はそんな姿が許せない。
そりゃあ、ヒトとは利己的な生き物だ。
他者に利己性をぶつけて、自分にとって都合のいいように周囲を変えていくものだ。
しかし、しかしだ!
そうであったとしても、他者からもそれを同様に求められ、それに応えようとするのもまたヒトなのだ!
故に、自分ばかりを通そうとするのは失礼極まりない。
それこそ、周囲がフィリアを友と呼ぼうとしているのならことさらに。
「お前は確かに命懸けだろうさ。そして、俺たちも命をかけるわけだ。だから?どうして俺たちのことなんざ気にかけている?俺が死ぬかもしれない。で?どうしてその程度のことに気を揉んでいるんだ?」
「その程度って……!」
「気を揉むほどのことじゃないだろ。俺や奏未がお前のように悩んでいるように見えるか?」
とても薄情に聞こえるセリフだ。
「同じように命を張るお前の死を、恐れているように見えるか?夢花や日溜が、お前の死を恐れているように見えるか?」
俺と奏未だけじゃない。
夢花や日溜だって、そんな様子は見せていないだろうと例を挙げれば、彼らを巻き込んで薄情者だと言っているわけではない。
「そんなのはとっくに受け止めているんだ。俺たちが死ぬかもしれないなんてことは、とっくに。それはフロストだって同じだ。黒白凰帝に生きて帰って来てほしいと願いながら、同時に彼が死ぬかもしれないことを受け入れている。だから、俺たちに彼のことを話したんだ」
彼を止めてという言葉には、殺してという意味は含まれていなかっただろう。
しかし、殺されてしまう可能性なんて真っ先に考えていたはずだ。
黒白凰帝がたくさんの命を奪っているわけだから、反撃に遭って死なないとは限らない。
そして殺すことを受け入れるのであれば、殺されることも受け入れなければならない。
納得できるかどうかは別にしてな。
「いいか、俺たちがしているのはおままごとのごっこ遊びじゃない。殺し合いだ。相手にだって死んでほしくないと思う者はいる。それでも、俺たちは互いの命を奪い合うんだ。命を張れるだけ幸せだと思えよ。夢花も日溜も、命を張ることもできないんだ」
俺が二人をおろしたのは、単純に死んでしまうリスクが高かったからだが、二人はそれに従い俺たちの無事を祈って待っている。
そして、俺たちの敗北、すなわち死を覚悟もしている。
「命張れるお前がそんな程度のことで怯えてんなよ。一緒に戦う俺たちにも、そして帰りを待ってくれている夢花たちにも、なんなら黒白凰やフロストに対しても、失礼極まりないぞ」
守りたいなら守ればいい。
それを俺は否定しない。
仲間を失うことは確かに恐ろしいことだ。
それには俺も激しく同意する。
ともあれ、俺はフィリアに後悔してほしくはないんだ。
あの時ああしていればなんて、そんな最も不毛な後悔、それだけはしてほしくない。
「なんて、説教できる立場でもないんだよなぁ。俺は友を失っているし、その時覚悟なんかしていなかったから、後悔なんて生優しい言葉じゃ足りないくらいに絶望したものだ。しばらくは自分を見失って、さながら死者のようになっていたよ。……失わないことを目指すのはいいが、そこにこだわると絶望に呑まれることになるぞ。体験談だ」
だから、
「どう生きるか、その目標にするだけにしとけ」
「どう生きるか?」
「どう生きるか、だ」
生きていれば失うことはある。
自分じゃどうにもできないことだってある。
理不尽は振り払えないから。
俺やフィリアは特殊だ。
そういった理不尽が降り注ぎやすくもあるだろう。
そんな中で、自分がなにを為せるのか、それを考えることの方が肝要だ。
「そうね。たしかに失う覚悟は必要ね。特に、私の場合は。でも、できれば失いたくないわ」
それはそうだ。
「失う覚悟は守らないことじゃない。必死になって戦って、それでも守れなかった時、最後に自分の心を守ってくれるものだ」
「近いうちに失うことがある、とでも言いたげな言い方ね」
そんな言い方してただろうか?
「……まさかあなた、次の戦いで死ぬ気なの?」
なにを思ったのか、フィリアはそんな心配をし始める。
「俺は死なない」
そんなことをクソ真面目に告げる。
果たしてそれは説得力に欠けるもので、俺に死ぬ気がないことだけしか伝わらない。
「それを本気で言っているのは分かるわ。でも、話しているとそうとしか思えなくて」
俺が死ぬからその備え、とでも思われているのか。
戦いに死を覚悟して行くことはあるだろう。
だが、そんなのは誰もがしている極自然なことだろう。
「俺は死なない」
もう一度そう言えば、フィリアは話を聞かない子どもに言い聞かせるように、少しムッとして諭すように訊ねる。
「広人はどうして死なないって言い切れるの?」
まあ訊かれるだろうな。
そうかそうかと納得してくれればよかったんだが。
「どうしてだと思う?」
俺はその自信の根拠を、フィリアに話すつもりはなかった。
そもそも、日溜にだって話していないようなことだ。
だから誤魔化せないかと思ったが、フィリアは安心したいのだ。
だから俺を問い詰める。
「いいから教えて」
誤魔化せないか。
仕方ないな。
別に、絶対に話せないという訳ではないのだ。
これについては、減るのもでは……なくはないが、それでもフィリアは、これまで戦ってきた者たちや、俺を奇異の目で見ていた大人たちとは違うと信じている。
だから、今回だけは安心させてやる。
俺は決して死に急いでなどいないのだと、教えてやる。
「俺は死なない、じゃ伝わらないよな。言い方を変えよう。俺は不死身だ」
まったく、出会って間もないフィリアに話すことになるとは思ってなかったよ。
しかし、フィリアの理解が追いついてないようだ。
仕方のないことだ。
奏未も夢花も理解に苦しんでいたことだし、俺自身どうして死なないのか分からない。
すんなりと受け入れるのは八田月ぐらいのものだろう。
正直、俺もこの力の詳細は分からない。
確かなことは、俺は死なないということだ。
「傷の治りが早いのは、俺自身の体質によるものだ」
「待って、まったく分からないのだけど」
「頭の片隅にでも置いとけ」
俺が嘘を吐いてないことは分かってるはずだが、すぐには納得できないのも仕方ない。
「そろそろ不安は解消できたか?」
「できるわけないでしょ。どうして、自分にそれだけ自信が持てるの?」
「そりゃ持つだろ。覚悟なんて言葉で飾ったが、それは結局、自分の心を守る予防線だったり、自分の目標だったり、自分の意志に過ぎない。なら、それに自信を持てないでどうする」
最後に信じられるのは自分だけ。
よく言われる言葉だが、まさしくその通りだと思う。
自分を信じれず判断を躊躇したりすれば、それだけで命を落とすことだってあるのだから。
俺は落とさないけど。
「広人の言葉は難しいわ」
「大したことは話してないから、理解しようとしなくていいよ」
そう言って話を切り上げようとしたタイミングで、ちょうど奏未に呼ばれる。
奏未のやつ、多分俺たちの会話を覗き見ていたし聞いてもいたな。
フィリアには俺の言葉と向き合う時間が必要だったろうし、これ以上俺が話すこともないし、ちょうどいい。
「ほら、飯だぞ。話は済んだろ?さっさと行こうぜ」
俺はフィリアを食卓へ連れていき、強引に話を終わらせた。
「先生、少し訊きたいことが」
八田月先生は面倒くさそうな表情をしながらも、私の話を聞いてくれる。
「先生は、広人についてどう思いますか?」
「こいつはまたどういう意図があっての質問だ?自分の求めるところを鮮明にしてから質問してほしいな」
たしかにさっきの質問では答えづらいわね。
どう言ったらいいんだろう?
昨夜広人と話をして、広人のことが分からなくなった。
広人は何者なの?
どうしてあんなにも覚悟が決まっているの?
確かに広人には仲間がいて、だからこそ考え方も私とは違うんだと思う。
質問の意図をうまく言葉にできず、というより、それこそ広人という人間について知りたいという意味でのどうなのだから、それ以上に説明のしようがない。
「えっと……」
「あいつはあいつだ」
広人の秘密について、どう説明しようかと迷っていると、先生はもともと私の意図が掴めていたようで、あっさりと答えられる。
「あいつは、自分の意志に忠実なんだ。あいつは自分を騎士と言うが、それはあいつから見た“派世広人”という人物像だ。そして俺も、あいつをそうだと思っている」
騎士が広人の自分の思う人物像?
どういう意味だろう?
騎士は王に国に忠誠を誓い、民を守る為に戦う者だ。
それが広人から見た“広人”?
民主国家においておよそ聞くことのない単語ね。
広人からはナショナリズムも忠誠心も感じられない。
なにを言っているのかさっぱりね。
「それで、お前はどう思っているんだ?」
「私?」
「俺のはあくまで俺の所感でしかないし、お前はそれを理解してないようだからなぁ。結局最後はお前が思うところになるし。それに、俺に聞かれたところで、俺はあいつのいいことしか言わないぞ?俺はあいつの担任だからな」
先生からも厚い信頼を向けられている広人、先生が先生の捉える広人の人物像を語らないのは、きっと故意によるものだ。
広人の思う広人を先生の所感と言った。
それは私の判断に先生の意図を介入させないためだろう。
広人があそこで話を打ち切ったのもそうだが、この人たちは私に自分で考えろと言っているようだ。
しかし、そのための情報さえ満足に与えない。
広人の発言の背景が分からないことには、広人の意図した意味を噛み砕いて解釈できない。
ともあれ、それも織り込み済みのような気もする。
だから私は、一度先生の言葉を真摯に受け止めて考えてみる。
私の思う広人……
「俺の思う騎士とあいつの思う騎士が異なってるってこともありえるしな」
広人のことを話す八田月先生は、どこか誇らしげなところがある。
そういうこと?
うーん……
二人の関係もいまいちピンとこないけど、もし先生が広人に対してそうなら、広人に対する答えも出そうだ。
私の思う広人は、私の中で一つの疑問に折り合いがつく。
そしてそれなら、一度広人の言葉をそのまま受け止めてみようと思う。
「先生、ありがとうございました。何か掴めたような気がします」
「おう。もっと感謝しろ」
尊大な態度をとる先生。
これは照れ隠しだ。
先生は自らが教師であることを強調して話すことが多いが、それも照れ隠しで本当は、広人の力になりたいと考えているだけのようで。
今も広人の力になれたのではと思っているように感じられる。
「先生は広人のことが好きなんですね」
「な、なっなっなななな何を」
顔を真っ赤に染めて慌てる八田月先生は、広人のことを相当気に入っている様子。
そんな先生のおかげで決心がついた。
職員室の扉を後ろ手に閉じる。
私は、広人について知ってることしか知らない。
ならそれで、広人を考えるしかない。
私にとっての広人、どういう存在なんだろう?
少なくとも、彼が嘘を吐かないことだけは知っている。
私はそんな広人が味方であり続けることを期待している。
友達として、隣にいてくれるものだと期待している。
そうだ、彼は嘘を吐かない。
隠し事はしても、嘘は吐かない。
だから、広人はきっと不死身なんだ。
それを打ち明けてくれたのも、広人が私と真摯に向き合ってくれている証拠だろう。
それなら私も、広人の言葉に向き合わないといけない。
広人の言葉の意図なんて、考える必要なかったんだ。
広人は初めから、私に伝わる言葉だけで、自分の考えを伝えてくれていた。
真摯に向き合っていなかったのは私の方だ。
きっと私は、心のどこかで私たちは違うと、そう線引きして一歩引いて考えていたんだと思う。
広人にはそんな線引きはなかった。
だから私にあれだけの言葉を投げかけてくれた。
私はもう一度、昨夜の広人の言葉を思い出して、自分の考えを改めた。
「派世ぇ……まだ敵は襲ってこないのかよ?」
日溜は俺にもたれかかりながら、そんなことを訊いてくる。
なにがそんなに不満なのか。
おそらく、俺が日溜に構わないから、退屈なんだろうな。
「まだだよ。それと、暑いから離れろ」
日溜を引き剥がそうと体を押すが、これがなかなか離れようとしない。
俺はティナと奏未以外が抱きつくことを許していない。
特にこの季節、クソ暑いのにどうして抱きついてくれるかね。
「離れろって」
「いやー、これが最後になるかもしれないと思うと、離れられなくてな」
日溜のやつ、なんて寂しい笑顔を見せやがんだよ。
いや、演技上手いなこいつ。
それが演技であることはよく見れば分かる。
口角が笑いを堪えている時のそれだ。
「最後にならねーよ」
死なないし。
まあ日溜は俺が不死身だと知らないから、その意味が正確には伝わっていない。
とはいえ、こいつは俺が死ぬ可能性なんて微塵も考えちゃいない。
だというのに……
「どうしてそう言い切れるんだよ」
どうしてこんなにもだる絡みしてくるのか。
「お前、俺が死ぬとこなんて見たことあるか?」
「あったらお前はここにいないぜ」
たしかにその通りだ。
殺されても生き返る人物なんて、普通はいないわな。
俺は知らない。
「昼間からお熱いな」
「冷やかしなら帰れ!俺は今、派世と愛を囁き合って」
「ねーよ」
「じゃあ親睦を深め合って」
「ねーよ」
「じゃあ」
「じゃあってなんだよ。何してるのかぐらいはっきりさせとけよ」
「全部お前が否定してるだけだぜ」
「そりゃ事実と異なる供述だからな」
「お、その言い方、俺が悪いみたいに聞こえるな。印象操作だ!」
「違う。お前が嘘ついてるんだ。俺、まとわりつかれているだけ。だる絡みされているだけ」
「あー!だる絡みって言ったぜ!ちょっと待って、それ、ちくちく言葉じゃありませんか?」
そうこう話している間にもぎゅうぎゅうと体を押し付けてくる。
お前ほんとそういうとこだぞ。
これだから俺と日溜ができてるとかいう噂が流れるんだよ。
「お前たちは本当に仲がいいな」
「それはもう。新婚夫婦がドン引くくらいには仲がいいぜ」
仲が良いことは認めるが、そこまでの関係になった覚えはないな。
あとそれ、奏未の前で言ってみろよと思う。
「そんなことを言っている日溜優日におれから忠告」
そう言って注目を集めると、中木はある方向へと指を向ける。
中木が指差す方に日溜が顔を向ける。
俺もチラリと視線を向けて、そういえばこいつもいたなと心の中でお祈り。
日溜に視線を戻せば、その顔からは生気が抜けていく。
夢花がニコニコと笑ってこちらを見ている。
すっごいいい笑顔だ。
日溜は青ざめた表情で俺から離れて、中木の背に隠れる。
中木が小柄だから隠れられてないが。
まあ、俺から離れたのはのは正解だったな。
もう少しで夢花が爆発するところだった。
「ど、どうかしたのか?」
日溜が夢花の怒りが爆発していないことを確かめるために、おずおずとそれを訊ねた。
俺は夢花に親指を立てて感謝を送る。
夢花が複雑そうに笑って、ゆっくりとその怒りを飲み込んでいく。
「お前は向けられている好意に気付くべきだ」
俺があっけらかんとしているからか、中木が呆れがちにそう言うが、いったいなんのことだか。
「お前は何を言っているんだ?」
そう言ってボケたふりをする。
「好意に気付いてやれと言っているんだ」
「だから、お前は何を言っているんだ?」
我慢をしているのは夢花だけではないのだよ。
そんな意味深なことを思いながら、口にすれば今の関係が壊れることは分かりきっているため、思うだけに留めて、それを指摘した中木をかつて中木に見せた眼光で睨みつける。
圧力をかけてやると、中木は溜息をついて引っ付いた日溜を引き剥がし、席にもどる。
「あいつはお前を心配してくれているんだぜ?」
「余計なお世話だ」
「他人の恋路は気にするくせに」
「他人の恋路は面白い。自分の恋路はつまらない」
「お前なぁ」
仕方ないだろ。
昔いろいろとあったからな。
俺の対応は相手を思った結果だ。
俺たちの関係はそうしてなんとか体裁を保っているのだから。
「ほら、授業の時間だ。席に戻れよ」
八田月と一緒に、八田月のところに行っていたフィリアが戻ってくる。
何か言いたそうにしていた日溜も、渋々席に戻る。
何か言うにしても、俺たちには余計な一言でしかないことを察して、日溜は口を噤んで顔を伏せた。
そもそも、日溜には俺と夢花の関係に口を挟むだけの勇気がなければ、自身のことを棚上げして語れるほどの厚顔無恥でもないのだ。
先に授業が終わっていた奏未と、学校前で合流して帰路につく。
「フィリアさん、少し明るくなった?」
「そう思う?」
奏未も気付いたか。
フィリアは八田月と話して、何かが吹っ切れたように明るくなった。
八田月は立派に先生してるなぁ。
そんな風に感慨に浸ってみたが、普段の俺の扱いを思い出してその考えを訂正する。
しかし、今回の一件の後始末も任せてあるし、過労死しないか心配になるな。
八田月に負けないくらいに、俺も頑張らないとな。
「さて……奏未、備えろ」
呟きよりも小さく、ほぼ息遣いだけで言葉を伝達する。
奏未は俺の言葉を聞き逃さない、奏未の誇りにかけて、決して。
ともあれ、言われる前に奏未は気付いていたようだが。
すでに力を降ろしている。
しかし、気合いの入りようが違う。
さて、術式は間に合わなかったし、俺はどうしたものかね。
俺たちの前に、一人の青年と一体の悪魔が立ち塞がる。
さて、俺は立ち塞がった二人を見て、静かに心を奮い立たせる。
負けられるわけがない。
俺は二人を見て気付いてしまったのだ。
悪魔の方もかなりの強者だ。
纏っている空気が違うから、魔力が少なくてもそうであることは確かだ。
奏未とフィリアも強者であることは分かっているようだが、俺はもう一つのことに気付いた。
フィリアが気付かないのは、直接会ってはいないから、無理もない。
そもそも、俺がそのことに気付けたのは、俺が暗技使いだからだろう。
いやはや、ここまでお膳立てされて、負けられるわけがないだろう。
両肩にクソ重たいもんが乗っかっちまったが、あの術式の完成以外にも勝ち筋はある。
覚悟なんてものはとうに決まっている。
今回は以前のようにはいかない。
奏未と示し合わせて、俺と奏未がそれぞれの相手を見据える。
お前は俺が倒すと、それぞれに向けて啖呵を切るように、そして鋭く射抜いて自らに縫い止めるように。
さあ、勝負だ!
その心の声が伝わったかのように、二人の表情が険しくなっていく。
黒白凰帝、お前の真意、とくと見せてもらおうか!




