僕らの惣菜パン戦争2
さあ、始まりました。第258回惣菜パン争奪戦。チャイムは開戦の狼煙、ゴングである。
先月発売の数年越しの新作エロゲもうっかり買ってしまった主人公亀沢は授業終了の号令が終わらないうちに全財産300円ちょっとの入った財布を握りしめ自分の机すらも巻き込むような全力のロケットスタートを決めるのである。廊下にばら撒かれるプリントに割く注意など微塵もなく、ただ己の欲を満たすために走るまさに獣、獣と化しているのであった。
前回購買の窓の破損と廊下を走り回ったことをこってり絞られた過去は頭の中から抹消し、今日も優雅な昼食と午後のエネルギーのために爆走する金欠主人公亀沢本日のお目当てはそう、メロンカツパンである。お値段またもや財布にやさしい100円。カラッとジューシーに揚げた大振りメロンをもちもち米粉パンに挟んだ一品で、ソースが決め手だそうだがどう読んでもおいしそうな気がしないのは気のせいだろうか。
「うるせえ!!」
味覚の狂った金欠主人公亀沢は地の文を黙らせ走る。購買まで残り数十メートル、ほとんど目の前である。いつもはこのあたりで既に購買にいるであろう天敵藤野の対策を考え始めるのだが、本日天敵藤野のクラス4時限目担当はチャイムが鳴っても授業を続ける時間オーバー授業、通称残業をさせることで有名な竹田先生なのできっと彼女は自分より早く購買へ来ることはおそらくできない。つまり今日こそ自分が女王藤野を倒し、惣菜パン争奪戦王者を奪取するときが来たのだ。邪魔者は誰もいない。自分が王者になる日がきたのだ。
勝利が約束されていることを確信した亀沢は喜びの中購買前の渡り廊下にさしかかった。
そのときである。
「ちょっと待ちな!!」
胸に鈍い衝撃が走り身体が後ろへと飛んだ。渡り廊下に足を踏み入れることは叶わず尻もちをついた亀沢は自分の前に誰かが立っている気配を感じた。見上げるとスカート、スカートからはみ出すスパッツ、筋肉が程よくついた足が見える。
「お嬢の邪魔は私が許さないよ」
この男勝りなしゃべり方、低く芯のある声。顔を見ずともそれがだれであるか亀沢はわかっていた。
「瀬良か…」
女王藤野、その親衛隊(自称)の瀬良である。運動部エースとして活躍するのも頷けるような活発そうな容姿だ。彼女もまた惣菜パン争奪戦にて戦う戦友であったが、ある日突然参戦し女王の座に君臨した女王藤野の魅力にあっさりのまれてしまい、今では親衛隊として、藤野のサポートを勝手にしているのである。女王の魅力にのまれてこのような姿になった戦友は数多く、これも藤野が女王に足る強みであった。
「おうともさ。さあて、お嬢が来るまでここで待ってもらおうか」
親衛隊瀬良は両手をおおきく広げ、通せんぼの格好を取った。押し通ろうものなら力尽くで止めるという意思表示であろう。万年帰宅部亀沢に数々の運動部にエースとして召喚されるスポーツマンの壁を強行突破する力などあるはずもなく、無抵抗に尻もちをついたままでいることしかできなかった。藤野のクラスの残業は長引くとしても10分が精々だろう。ここでその10分を稼がれ藤野は亀沢にかち合うことなく購買のパンを買い占めてしまうのだ。あともう少しなのに、勝利は約束されていたはずなのに。勝利の女神の気まぐれに遊ばれる主人公亀沢は唇をかみしめ己の無力さを痛感していたその時、瀬良と同じクラスの女生徒が亀沢たちの前を通り過ぎようとしているのを視認した。
「はっ!」
チャンスである。亀沢は頭の中で現在の状況の整理をし新たな策略を構築した。そしてしゃべったこともない女生徒に話しかけるシチュエーションをわずか0.2秒で何パターンも演算、そしてリハーサルし、好きな女の子に振られて以来戦友たち以外の女生徒と話さないと心に決めたその禁を破って女生徒に叫んだ。
「あ、あー!瀬良さん調子悪いらしいから保健室につれていってあげてくれないかなあ!!」
亀沢決死の叫びを聞いて女生徒は振り返った。そう、女子特有の性質「調子悪そうな奴が居たら駆けよっちゃう」を逆手に取った策である。瀬良といえども駆け寄ってきた女子を無下にすることなど到底できるものではないだろう。駆け寄った女生徒を盾に亀沢は渡り廊下へ踏み出し購買へ駆け込める。この壮絶な戦争に勝利するためである。亀沢は守り続けた禁を破ることすら厭わなかった。
「瀬良さん、大丈夫?」
手ごたえは上々である。女生徒は瀬良に駆け寄り心配そうに背中をさすり、注意の逸れた親衛隊瀬良は広げていた両手を下ろしわたわたと女生徒に自分の体調に異常がないことを説明した。瀬良の横にはすり抜けられるスペースが空いている。この機を逃してはこの激しい闘争で自らの勝利を導くことはできないと亀沢は知っていた。残りの体力を総動員し、運動部エースも驚かんばかりの速さで瀬良の隣を駆け抜けた。
「くそっ…」
悔しさに顔が歪む瀬良を見ながら策士亀沢は渡り廊下を一気に走り抜け購買へ駆け込もうとした。
刹那
見覚えのある軽くウェーブした色の薄い金髪が視界の端に視認した。あんな髪色の生徒はこの学校で一人しか該当しない。亀沢はそれが誰かはわかってはいたが歩みを止めることはしなかった。できなかった。歩みを止めればその瞬間に惣菜パン争奪戦の敗者となるのだ。
亀沢は起こりうるであろう未来の不幸を予想しながらも約束された勝利のため、唯一の安息の地、購買に足を踏み入れようとした。しかしそれは左腕をしっかりつかまれて阻まれてしまう。時が来てしまった。不幸が決定した瞬間。そして大量の冷や汗。振り返ればそこには男子一人を足止めできる体力もあるはずない小柄な、フランス人形を思わせる容姿の天敵、女王藤野が千切れんばかりに亀沢の左腕を握りしめ佇んでいた。
伏せられた彼女の顔を見ればこの後来る展開は過去何度も亀沢が経験し、苦悩したものとなるのは必然であった。
「藤野のパンだよ?」
完璧な上目遣い、日本人離れしていて整った顔。そして甘く幼さを感じさせる声。これだ、これである。数多の戦友たちを彼女の下僕に変えたその技を、残酷にも瀬良との戦闘で疲れ果てた挑戦者亀沢に使ってきたのである。
次の瞬間には左腕を軸に購買の窓の方へ投げられており、太陽の眩しさを瞼に透かした時、主人公亀沢は再び自分が敗者になったことを悟った。雲一つない澄み切った青空、光を反射し回るコイン、ガラスの破片。自分が購買の窓を突き破り、空を飛んでいることを理解するにはそれを見れば十分だった。彼は、負けたのである。
第258回惣菜パン争奪戦敗退。連敗記録更新。亀沢の次の活躍に期待しよう。