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 それから数ヶ月は経っただろうか。

 俺は相変わらずモテないし、胸踊る出会いもないままに日々の仕事に追われていた。


 圭の方も、同様に仕事は忙しいものの今回は珍しい社内恋愛のパターンだからかお互いの職務に理解はあるようで、葦原さんと上手くやっていっているようだった。


 ……と、言うのも圭の顔と仕事ぶりを見てたら良く分かる。


「佐竹さん〜ごめん、部長の席の電球切れたみたいだから変えるの手伝って〜」

「ほいほいほい! 任したって〜ちょちょいのちょいや」

「佐竹君、書庫に書類持っていくんだけど」

「あーあーそんな綺麗なおててに無理させたらアカン! 僕持っていくさかい扉開けたって〜」

「佐竹さん! 今日のお昼、新しく出来た一階のカフェに行こうと思うんだけど一緒にどう?」

「奢りならええで〜……ってウソやウソ! キョウくんも行くなら行くで〜僕ハーレム主人公ちゃうからな」


 葦原さんとの取り決めでもあるのか、圭は「彼女が経理課にいる」と言う事を誰にも話していないようだった。

 前にも増して陽気で弁達になった圭がモテないはずもなく、隣で見てる限り一時間に一回は女性社員からの協力要請という名のお誘いを受けていた。


 俺は女性の気持ちを理解してるわけじゃない、経験した事ないのだから当然ではあるが……

 だが、そんな俺でも分かるくらいに。

 間近で見ていたら嫉妬の炎にその身焼き尽くされそうだと、圭の彼女に、葦原さんに同情の念を抱き始めていた。


□■■□


 ある朝、俺はいつもと同じ朝六時に会社に着いた。

 社員専用駐車場のいつもの場所に車を停め、いつもの自販機でブラックコーヒーを買うと、ガソリンを補給するように気だるい体に流し込む。


 ――そこまではいつもと変わらない朝だったのだが、この日は展開が少し違っていた。


 扉を開けようと鍵穴に鍵を差し込み回すと、空回りした様子で気の抜けた音が返ってくる。

 誰かが既に出社していたらしい。

 廊下の蛍光灯、その眩い光が“サブなんとか効果”が出始める前の重たい瞳に刺すような挨拶を返していた。


 恥ずかしい話だが、別にうちの会社は名だたる“ブラック企業”ではなく……端的にいえばうちの部署だけがブラックである。

 上司が旧体質依存であったり職務の振り分けの問題があったり……理由は色々あるが、特筆したところで改善するわけでもないのだから割愛させていただく。


 それより俺が言いたいのは。

 そんな会社であるのだから、ブラック部署の俺を差し置いてそれより早く出社する人物は……同じ部署の人間であろうと言う分かりきった結論なのだ。


 俺の読み通り、経理課のフロアや給湯室、書庫や秘書課のフロアが続く廊下の奥の方は未だ薄闇が支配している。

 その代わりに確たる存在感を示す営業課のオフィス――俺のデスクがあるフロアには明々と眩い世界が広がっていた。


「おはようございま……あれ?」


 入り口に一番近い俺の席は、扉をくぐるとすぐに視界に飛び込んでくる。

 誰が出社しているのかなんて推測するだけ無駄だと、とりあえず挨拶と共にフロアに足を踏み入れた俺の目に飛び込んで来たのは、意外な人物だった。


「――葦原さん、どうしたんですか?」


 俺の目に飛び込んできた光景は、あまりにも鮮烈なもので、心臓を鷲掴みにされたかのように跳ね上がる心音を彼女に気付かせないように、息を吐き声を掛けた。


 圭の席、俺の隣の席にうな垂れるように座っていた葦原さんはぱっちりとした瞳から大粒の涙を溢れさせ、淡雪のような白肌を伝った雫ははち切れんばかりの柔らかな房の谷間に吸い込まれていく。


 俺の声に気付いたらしく、葦原さんは慌てて涙をシャツの裾で拭うと圭の席を立ち、端正な顔に儚い笑顔を作って見せた。


「な、何でもないです……って、確か貴方は」

「あ、覚えててくれたのか……そうだよ、同期の」

「逢瀬川さん!」


 経理課に用事なんてほとんどない俺にとって、圭のスマートフォン越しに見て以来の葦原さんは少し痩せたように見えた。

 懐かしそうに笑う彼女の瞳はほんのりと赤が走っていて……もしかしてずっとこうして泣いていたのだろうか?

 いや、きっと余計なお世話だ。


 ――人の恋路への口出しは野暮ってもんよ。

 夫婦喧嘩にゃ犬も食わぬ――


 どこかで聞いた事のあるべらんめえな台詞が脳内を駆け巡った。


 だが――


「圭と何かあったんですか?」


 気が付いたら、その一言が口をついて溢れてしまっていた。


 葦原さんは大きな瞳を更に丸くして俺を見上げている。

 圭の口から俺の話題を出してもらった事もあったはずなのだから、俺が二人の恋仲を知っていて当然なはず。

 圭は社内で一番、俺と仲が良いのは周知の事実のはずだと。


 葦原さんの声なき声に精一杯言い訳するように、俺は脳内で喋り続け自分を律した。


 ――しばらく沈黙が続いただろうか。


 デジタル仕様の電波時計が機械的な電子音でキリのいい時間を告げた頃。

 葦原さんはもう一度、ぽってりと膨らんだピンク色の唇に笑みを湛えた。


「圭さんには、内緒にしてて……私がここで泣いてた事。お願い」


 質問への答えではなかったけどもそれ以上聞くべきではないと察した。

 こう言う時に限って気の利いた台詞は浮かばない。

 ……こう言う時に格好いい事を言えたら、少しは人生も違ったのかもしれないと悔やみつつ、俺は頷いて見せた。


「ねぇ、逢瀬川さん」


 少し気持ちが落ち着いたのか、葦原さんは静かなフロアに可憐な声を落とす。


 もし、彼女が可憐なその声で俺の名前を呼びながら喘いでくれたらそれだけで果ててしまいそうだとか……下衆な想像をしてしまった自分を恥ずかしく思いつつも平静を装い相槌を返す。


 葦原さんが続けた言葉。

 それは下衆な俺の頭の中を覗いているかのようにタイムリーで、俺はまたも心臓を鷲掴みにされたのだった。

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