今日は『にっかつロマンポルノの日』(ほんとらしいですよ)
にっかつロマンポルノ、とは?
かなりむかし、
団地妻シリーズでその路線を決定した
名作輩出のポルノ映画。
名作名監督輩出の理由は
低予算で、とりあえず裸だけ出しとけばいいや
と言う会社の方針の中で
頭使って、何とかいじくりまわしてでも
伝えたかったメッセージがあったりしたかららしい
音楽は畑中葉子さん「後ろから前からどうぞ」です。
どうぞ。
後ろから前からどうぞ
いつでも抱きしめていいのって
「変な」後ろから前から、でなくて
(街角でクリスマスの日
前から抱きしめるふたりの男女)
(後ろから肩越し手を回し
抱いてもらってるベンチに腰掛けてる少女)
こんなイメージなのかな、とおもってきいてみると、
多分、
今日1日
『後ろから前からどうぞ』
『後ろから前からどうぞ』
『後ろから前からどうぞ』
『いつでも抱きしめていてね』
みたいなフレーズが
頭の中から離れないと予測ができる
ちょっと、いいの?これ、放送して、いいのね?
って感じの歌だった
「カナダからの手紙」って
アイドル歌手やってたときから
わずか2年後らしいから
その淫靡さたるや、うたう姿みてるだけで、
ほんとに抱きしめたくなっただろうなぁ?
どんなストーリーだったんだろうなぁ
想像するに
文学的なストーリーの中に
エロシーンが物語の必然ででてくるみたいな
そんな作品なのかな
これもホントの想像だけど
男性機能失った男がそれを気に病んで
妻や恋人を他の男に抱いてもらうとか、
(文学てきでしょ?)
団地妻シリーズでは、
シリーズっていうくらい
人気のシチュエーションなわけだから
団地の中で
そんな商売してる人妻がいるとか
団地の、
みんなに愛され
みんなを愛するとか言う文学は
さすがにきついと思うので
やっぱりお金の話になるんですかねえ
(その文学性たるや、ってなもんですが)
(ちなみに、以上ふたつのシチュエーションは
ただの私の妄想であり、
真実の「にっかつロマンポルノ」シリーズとは
なんら関わりございませんので、あしからず。)
でもエロはエロだけで
いいんじゃないかと思うけど
映画にするにはやはり
文学に逃げなくちゃいけなかったのかな
でも文学文学言われたら
あんまり見たくもなくなるけど
あ、てか、
監督が、エロを撮りたいわけじゃなく
食べていくために、エロを撮ってて
だから、もともと撮りたかった文学を
その映画のなかにねじこんだのかな?
なら、尚更ややこしそうだね。
そういえば森鴎外さんの
おそらく青春小説に
おそらく昔のヰ(い)が
タイトルに入った小説があって
それが少し色っぽい話だったって
聞いた記憶もあるけど
読んでないんでわからない
ちゃんと調べて文字にしろよってはなしだが
いや、でも読んだこともない作品だし
あやふやな方が
リアリティーがあるかなぁと思って
わざとなんですけど
まぁ嘘ですけど
あと谷崎潤一郎さんとか
「痴人の愛」でした?
これも読んでないからわからないけど
エロい人の話ですよね、たしか?
痴人て、痴女とかそういう意味のことだよね?
むかしは、
文学とエロって、切り離せなかった、
のかなぁ?
いま、文学とエロは、
切り離せているのかどうかは知りません。
そこを避けて通った文学は
本当の意味で人を描けてないと
いうことになるんですかねぇ?
しりませんけど。
そんなことよりにっかつロマンポルノ話ですよ。
なぜ、隆盛を誇った、
(んでしょ?)その作品群が
恐竜が絶滅するように消えてなくなっちゃったのか
おそらく
私の乏しい知識をフル動員させて考えるに
いわゆる家庭用ビデオでAVなるものを
閲覧できるようになったから。
見たいのは絶対.
個室で個人で、でしょうしね、その手の話は。
そんな絶滅直後の
画期てきな個室エロ黎明期があり、
まあ、それも
それも今や1人に1台パソコンを持って
その手のサイトが
雨後の筍のように
日々乱立している今に比べたら
かわいいもんではあったのでしょうけど。
いや、そうじゃなくて。
だから、今日が日活ロマンポルノ日だと言う話。
それだけ言われたら
もう覚えたから、もういいですって?
でも、頭の中で
今日一日、繰り返しはしないでしょう?
あの、なんとも放送禁止直前の
こころもからだも蕩けさせる歌のようには
ね?
まぁ、そりゃ、そうでしょうけど。