〔5〕
岸壁を這うように造られた階段を、ようやく下りきった濱田を学園裏門で出迎えたのは所轄署の若い警官だった。
案内されて現場である美術室に入ると、姿を認めた意外な人物が挨拶の手を上げる。
「おう、濱田。久し振りだな」
「随分と大所帯で来たものですね。それも鍋島署長、自らですか?」
親しげな笑みを浮かべ、鍋島は濱田に歩み寄る。
「つい、自分で現場を見たくてなぁ……」
「……やはり、そうですか」
濱田には、直接捜査に関わりたいという鍋島の気持ちが汲み取れた。
県警の応援を頼む事件など無いに等しい一市三町一村を管轄区域に持つ一〇〇余名の警察署で、現在、鍋島は署長を勤めて三年になろうとしていた。
だが、千葉県警に在籍していた警部補時代、濱田の上に立ち捜査の陣頭指揮を執っていたのは他ならぬ鍋島であったのだ。
「ところで、そこの若いのは?」
鍋島が入り口を顎で指すと、所在なさそうに立っていた神崎が会釈した。
「相方の神崎ですよ、この事件は担当外ですが」
手招きに応じて神崎は鍋島に向かい合い、気さくな笑顔で差し出された手を、遠慮がちに握った。
「神崎です、よろしくお願いします」
背の高い、この若い刑事を観察するように鍋島が見つめると、居心地悪そうに目を逸らす。
「ああ、どこかで会った気がしたと思ったら……君は、この学園の生徒ではなかったかな?」
鍋島の言葉に、濱田は眉をひそめる。
「何だ、そうだったのか。それならそうと、何故早く言わなかったんだ?」
「……申し訳ありません」
不機嫌そうに詰め寄られて、神崎は慌てて謝罪した。
鍋島が覚えていたと言うことは、恐らく当事者として事情聴取された事があるのだろう。
同じく捜査に加わっていた濱田に覚えがなかったのは、それぞれ別の被害者の身辺調査をしていたためかもしれない。
神崎が、ふさぎ込んでいた理由がわかり濱田は苦笑した。
「それにしても署長、ここに署の半分くらいの人間が来てるんじゃないんですか? 余計なことを言うようですが、これほどの人数は……」
「うむ、そうだな。数人残して我々は引き上げるとしよう。署が空では、何かあったときに困るからね」
「わかりました。後で伺います」
鍋島は現場を管理するための警官を数名残し、その場を後にした。
鍋島を見送り、濱田は神崎に発見者である学生を呼んでくるように命じた。
連れてこられた二人の男子学生のうち一人は、いかにも運動部で体を鍛えていると思われる格好のよい体格だ。程良く日に焼けた褐色の肌と端整な顔立ち、意志の強そうな瞳の持ち主であった。
姿勢の良さと肝の据わった態度から、おそらくは武道、それも剣道をかなりやっていると一目でわかった。
警官を威嚇するかのような目は、もう一人の男子学生を守らんとするがためか?
その態度が裏目に出て濱田は、第一発見者は別の男子学生だと認識した。
前に立った学生から少し離れて、背の高さはそれほど変わらないが少し細身の学生が立っていた。
色白で不健康そうな高校生が、濱田は苦手だ。特に顔立ちが綺麗な男など、話しかけるのに気後れしてしまう。しかし彼は、濱田が心配するようなタイプとは少し違うようだ。
確かに女のような綺麗な顔立ちはしているが、その瞳からは男らしい気概が強く伝わっていた。
「長いこと待たせて、悪かったね。君が……篠宮君かい?」
第一発見者と目星をつけた少年に濱田が話しかけると、もう一人の少年が彼の前に進み出た。
「篠宮優樹は、俺です」
「うん? 報告では篠宮君がこの……」
死体と言いかけ、その生々しい表現がこの場にそぐわない気がして濱田は口ごもった。
「石膏像の……中の物を最初に見つけたと聞いているが本当かな? では、そのときの状況を、すまないがもう一度話してもらいたい」
「待ってください、最初に死体を見つけたのは僕です」
口を開こうとした優樹の前に、遼が進み出る。
「ああ、君が……秋本遼君か」
濱田は、最初の報告を書き留めた手帳に目を通した。
この名には、確か覚えがあった。
「違う、石膏像を割ったのは俺です!」
濱田の思ったとおり、篠宮優樹という少年は秋本遼を庇うつもりのようだ。
なおも言い張ろうとする優樹を手で制し、濱田は苦笑した。
「まあ、待ちたまえ。いいかね、何も君たちを容疑者扱いしてるわけじゃないんだよ。この死体が見つかった状況だけ話してくれればいいんだ。それじゃぁ……秋本君から話を聞こうか」
石膏像を見つけ、それを引っ張り出して床に落とすまでを遼は、途切れ途切れに話し始めた。
その間、優樹は落ち着かない様子で遼と濱田を交互に見る。
濱田には、優樹の様子の方が気になった。何か知られては困ることが、あるのか?
それは優樹と遼、どちらにとってだろう?
この年頃の子供にありがちな好奇心から、見慣れない物に手を出し誤って壊してしまった。そして、あるはずのないモノを見つけた事で不測の事態を招いたのだ。
しかし彼らの様子は、どこか不自然だった。
他に取り立てて隠さなくてはならない何かが、あるのだろうか?
もしや秋本遼は、十二年前の事件を知っているのかと濱田は考えた。だとしたら少し、面倒なことになりそうだった。
遼の話を聞き終わり濱田が腕時計を見ると、針は既に九時を回ろうとしている。
「すっかり遅くなってしまったな、ご両親も心配しているだろうから今日はもう家に帰っていいよ。まだ何度か話を聞くことになるかもしれんが……協力をしてくれるね? おかげで、十二年ぶりに犯人を捕まえられるかもしれないんだ。おい神崎、この子達を家まで送ってもらってくれ」
廊下で教師から話を聞いていた神崎が、濱田のところに駆け戻った。
「あの、篠宮君の保護者の方が迎えに来ているようですが……」
「保護者?」
「彼が下宿している家の主人で、ペンションを経営している田村という方です」
「ああ、『ゆりあらす』の御主人か! そうだな……田村さんに子供達を預けたら、明日の夕方くらいに、そちらに伺うと伝えておいてくれ」
「はい、わかりました」
神崎は、二人と連れだって廊下に出た。
さほど待たずして到着した鑑識の人間が、塵一つ逃すまいと舐めるように床に張り付き現場を調べている。だが石膏像の破片の他に、何が見つかるというのだろう。いくら念入りに探そうとも、徒労に終わることは目に見えていた。
石膏像と見つかった頭部を慎重に箱に収め、運びだそうとした若い鑑識の一人に濱田は声をかけた。
「早かったじゃないか」
彼は、にやりと笑い返す。
「親父さんに、ハッパをかけられました」
鑑識課の課長、井之川と濱田は懇意の中だ。
「イノさんに、よろしく言っといてくれ」
「わかってます、何としても手掛かりを見つけますよ」
謝する気持ちを握った拳に込めて、濱田は鑑識を見送った。




