〔4〕
昼間の月は、はがれ落ちた鱗の片鱗のようで見苦しい。
夜になればなお、自ら輝くことも叶わず太陽の情けで暗闇に存在を誇示する姿が、醜く浅ましいとさえ思う。
西日を避けるため事務所のブラインドを閉じ、大貫直人はデスクに向き直った。
嫌っているはずの白い月を、日に一度は確認せずにいられないのは皮肉なものだ。
それは、紛れもなく偽善に満ちた己の姿であるのに。
「社長、田村さんがいらっしゃいました」
控えめなノックと共に、女性社員が田村の来訪を伝えに来た。
「そうか……すまないが、これから私は田村と出かけてくる。帰りは何時になるかわからないから、後は頼むよ」
大貫は笑顔で応え、事務室の片隅をパネルで仕切った来客用スペースに向かった。
田村は革張りのソファから立ち上がり、険しい表情で大貫と対峙する。
「用件は察しているよ……場所を、変えよう」
「ああ、そうだな」
二人は連れだってビル裏手に続く非常階段を下りた。
通用口を出て従業員用駐車場を左手に回ると、備品の管理やクルーザーの簡単な整備に利用している二階建ガレージがある。大貫はリモコンで電動シャッターを開け、田村と中に入って電気をつけた。
「殺風景なところで悪いな。だが、ここなら誰かの邪魔が入ることはないだろう、リモコンがなければ入れないからな」
シャッターを閉じ、大貫は中にある従業員用自動販売機で冷たいコーヒーを二つ買うと、一つを田村に渡して自分の缶の口を切った。
しかし田村は大貫から目を逸らさず、手の指が白くなるほど強く缶を握りしめている。
「直人、おまえが……そうなのか? おまえが江里香ちゃんを……」
「違う、と言えば信じるか?」
田村は何も答えない。
背を向けて大貫は、缶を工具棚に置いた。
「由起夫、おまえはきっと信じると言うだろう。例え間違っているとわかっていても、俺の言うことを信じるとね。笑えるじゃないか。俺はとうの昔に、おまえを信じることを止めてしまったのに」
「どういう……ことだ?」
「いつまでも親友だと思い込んでいたのは、おまえだけなんだよ!」
声を荒げ、大貫は田村に向き直った。
「煩わしいんだよ、その親切の押し付けが。確かにおまえは、俺にとって初めて友人と呼べる存在だった。引き籠もりがちでフィギュアモデルや模型ばかり作っていた俺を外に連れだし、多くの友人を紹介し、明るく快活な人間にした。だが、それを俺が本当に望んでいたと思うのか? おまえは、一人の根暗な男を救った気になっていただろう。しかし俺が、たった一人の友人を失いたくないばかりに無理をして、自分を偽っていたのだとしたら? ……それでも、おまえが居てくれればそれで良かった。いつかは、本当の俺を解ってくれると思っていた」
「俺の所為……なのか?」
大貫は、声を立てて笑った。甲高い笑い声が、ガレージの広い空間にこだまする。
「何が、可笑しいんだ?」
「自分の所為にすれば満足か? おまえはいつもそうだな。自分の所為にして、謝ればいいと思っているんだ。傷つけた側は謝罪することで自己解決し、全てを終わったことにする。だが傷ついた者は、それでお終いには出来ないんだよ。所詮おまえを信じた俺が、愚かだったのさ!」
大貫の憤りが、田村に理解出来るとは思わなかった。
しかし一度口にしてしまった積年の思いは、止まらない。
呆然とした顔で聞いていた田村は、大きく息を継ぎ大貫を見据えた。
「いったい俺が、何をした? おまえを、いつ裏切った? 教えてくれ直人、おまえは……」
まだ、信じようとするのか?
田村の、その信頼が、どれほど重くのし掛かり大貫を苦しめたか知っているのか?
大きく裏切りたかった。
傷つけてしまいたかった。
「そうさ江里香を殺したのは、私だ」
まるで冷水を浴びせられたかのように、田村の全身が硬直した。しかし、必死に自我を保っている。
「江里香ちゃんを、姪として愛していたんじゃないのか?」
無言で大貫は、田村を見つめた。
石膏像のように渇いた、生気のない眼で。
愛、友情、信頼。
もはや、感情論は意味を成さない。
「……おまえは俺に、早く結婚して幸せになれと言った。愛する人を見つけろと。そして自分はさっさと相手を見つけ、これが幸せの形だとばかりに押しつけようとした。その時はまだ、おまえの幸せを俺も願っていた。親友として、祝福しようとした。だが姉さんの最初の結婚が、俺を引き離す為におまえが意見した所為だと知ったときから、少しずつ信頼を失っていった」
田村の顔色が変わるのを、大貫は見逃さなかった。
「姉さんと榊原が離婚の話し合いをしていたとき、榊原を責めた俺におまえは言ったな? いつまでも自分の姉に執着するのはおかしいと。その時俺は、おまえは味方ではなかったと思い知ったんだよ」
「直人……」
「おまえの幸せの形が、俺の幸せの形だと何故言える? 理解しようと思わず信じて受け入れろと遼に言ったのは誰だ? おまえは偽善者なのさ……それがわかったとき、俺は俺の幸せの形を自分で手に入れることにしたんだ」
大貫は、自嘲の笑みを浮かべた。
「ミス叢雲だった頃の、姉の姿をね」
田村に言葉はなかった。
大貫を追いつめたのが他でもない自分だったと知った今、いったい何が言えるのだろう。
それでもまだ、一縷の望みをかけたのか大貫に語りかける。
「頼む直人……自首してくれ、俺もついていく。成田智子に近づいたのは、あの石膏像を人目に付く所に置きたかったからじゃないのか? 学園に死体の入った石膏像を送ったのも、誰かに気付いて欲しかったからだろう?」
大貫は一瞬、表情をくもらせた。
「せっかくの芸術作品が、暗い倉庫の中で埃を被っていることが、厭だった。まさか、あれが壊れて死体が発見されるとは思わなかったがね。それも遼が見つけてしまうとは……とんだ誤算だった。その所為で彼女から問いつめられ、手に掛けてしまうことになった。刑事と遼達が訪ねてきたときは、さすがに観念したが、私を疑ってきたのではないと知り面白かったな。自分の二面性を演じるのは……」
「本当に、そうなのか? 本心では、救いを求めていたんじゃないのか? 俺が遼に言った言葉に偽りはない。いつも俺は、これで良いのかと自問していた。おまえに何をしてやれるかと。誤解があったなら、何故早く言ってくれなかった? そうすれば……」
「救えると? つくづくおめでたいヤツだな。もう、たくさんだ!」
大貫はそう言い放つと、自分と田村の間にあった工具棚を引き倒した。
金属製の工具や、廃棄予定の細かいクルーザーのパーツが田村の頭上に降り注ぐ。
「直人っ!」
身を庇い、床に臥せた田村を尻目に大貫は、シャッターの向こうに消えた。




