〔4〕
千葉県警本部から現場に向かう車の中で、濱田は煙草に火をつけ少し窓を開けた。
高速を降りてから、九十九折りに連なる海岸沿いの道を走り暫く経つ。夏場は海を目当ての若者で真夜中まで賑わうこのあたりも、初秋のこの時期、すれ違う車の影もまばらだった。
窓の外から風に乗って運ばれてくる潮の薫りは、都会で普段感じている油の混じったようなそれと、まるで違う。
「潮のにおいがやっぱり違うなぁ、神崎」
聞こえているはずだが、ハンドルを握る若い刑事は何も答えない。
普段は口数が多く明るい性格の男で、現場まで長時間車で移動しなくてはならない時は、いつもそのおしゃべりに辟易とさせられた。しかし今回は、なぜか得意の推理を披露することも、犯人に対しての怒りをまくし立てることもしない。
確か以前、この辺の出身と聞いたことがあった。だとすれば当時、ちょうど高校生ぐらいだ。例の事件に、かなり強い衝撃を受けたとしても不思議はない。
まさか、それで刑事になったというわけではないだろうが……。
自分が捜査を担当することになって、気負っているのかもしれなかった。
「あと、十分ほどで現場に到着します」
ああ、と低く言葉を返して、濱田は事件に頭を切り換えた。
今から十二年前、房総半島はずれの小さな岬町で、三人の女子学生が一ヶ月の間に続けて行方不明になった。
ちょうど夏休み中の開放的な生活から窮屈な学校生活にもどって、馴染むことの出来ない生徒の家出がよくある時期である。捜索願を出された警察が、本気で捜すこともなかったらしい。
だが、一人目の女子学生の捜索願が出されて一週間後、事態は急変した。
波に弄ばれ、岩に叩き付けられ、彼女は見る影もない無惨な姿で長い黒髪を漁船の網に絡ませ引き上げられたのだ。
そして身体に括り付けられたコンクリートブロックが、明らかに何者かの手による殺人であると物語っていた。
二人目の捜索願が出されたとき、この女子学生が次の被害者になると予想できた者はまだいなかった。しかし彼女もまた、うち捨てられた人形のように波間に哀れな姿で浮かんでいるのを発見されたのだ。
何れも警察は、犯人に繋がる手がかりを何一つ、見つけることが出来なかった。
三人目の捜索願が出されたとき、最初から同一犯による連続殺人の可能性を考慮しての捜査が行われた。
だが警察の懸命な努力に関わらず、十二年の間彼女は見つかっていない。
当初から捜査に関わっていた濱田は、長い年月の間に担当の捜査官が一人二人と減っていくなかで、頑としてこの事件から外れることを拒み続けてきた。
いまや専任の担当刑事は濱田ただ一人となり、相方の神崎の仕事をサポートしながら地道に捜査を続けている状況だった。
見つかった頭部は、行方不明になっている女子学生のものに違いない。
連絡を受け、濱田は確信していた。
やっと犯人に、近づくことが出来る。
殺人事件は二人の被害者を出し犯人は逃走を続けているというのが大方の見方で、三人目の女子学生が事件の被害者だという証拠は今まで何もなかったのだ。
海中に投棄されずに、陸で見つかった三人目の遺体。
犯人は何のために三人の女子学生を殺したのか、その狂気の動機が垣間見えるかもしれない。
今度こそ、犯人の輪郭を描き、必ず捕まえてやる。
濱田は高ぶる感情を抑えきれずにいた。
車を走らすバス通りから海に向かって、地を這うように曲がりくねった低い松の林が続く。その間を縫って綺麗に敷かれた石畳の遊歩道が見えたところで、相棒の神崎刑事が車を止めた。
車を降りて、懐古趣味的なガス灯を模した街灯に明るく照らされた遊歩道を十分ほど歩く。すると突然、目の前が開け岸壁に激しく波が叩きつける音と強い潮の香が急に間近になった。
眼前に広がる暗い海。視界を遮る物が何も無い、岬の先端に出たのだ。
岩礁に突き出した形の岸壁先端には、申し訳程度に落下防止用の柵が回らせてあるが、飛び降りる気になれば何の役にも立たない程度の代物である。波打ち際には荒波に削られ鋭く切り立った岩が黒々と連なり、もしこの断崖から飛び降りようとするならば、身体を真二つに裂かれることを覚悟した者に他ならない。
海に向かった左手には、太平洋戦争時代、東京湾を監視する目的で造られたという小さな灯台と、この人気のない場所に似つかわしくない立派な社がある。
灯台の方は、うち捨てられ寂れていたが、社は潮に曝される場所にありながら綺麗に体裁を整えているところを見ると、きちんとした管理者がいるに違いなかった。
社の裏手からは、急な細い石段が海岸へと続いていた。
「日が暮れてからここを下りるのは、気が進まんのだがなぁ」
「濱田さんが、早い方から行こうと言ったんですよ」
確かに現場に早く到着するには、この道しかない。
若い学生や、まだ二十代の神崎ならともかく、既に五十をすぎている濱田にはキツい下り坂だ。手摺りに掴まっていても、眼下の波の音がどうにも気になって仕方がない。
月明かりで空が明るいのが、せめてもの救いだった。
「急がないと鑑識の車の方が、先に着いてしまいますよ」
気持ち、からかうような口調で言う神崎に濱田は少し気が楽になった。やはり相方にはいつもの調子でいてもらわないと、やりにくい。
鑑識の連中を乗せた車は、岬を大きく回って海岸沿いの国道を来るため二十分は余計に時間がかかるだろう。神崎の言うように、もたもた下りていたのでは意味がない。
覚悟を決めて一歩ずつ石段を踏み、なるべく視線は足下に置くようにした。
数十段降りたところで突然、前を行く神崎が立ち止まった。濱田は危うく背中を突き飛ばしそうになり、慌てて手摺りで身体を支える。
「濱田さん、叢雲学園です」
濱田が顔を上げると、黒く切り立つ岸壁を背後に月明かりに浮かび上がった白亜の要塞が、そこにあった。