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私立叢雲学園怪奇事件簿【第一部 青龍編】  作者: 来栖らいか
【第二章 太陽と叢雲】
18/47

〔9〕

 翌日は、嘘のような快晴になった。

 紺碧の空は高く、雲ひとつない。昨日までの夏らしい湿り気のある風が、秋めいて軽く乾いた風に変わっていた。

 叢雲学園の白壁は昨夜の雨に洗われ、朝日を受けて輝いてみえる。

「よう、おはよう」

 教室に入る手前で、遼は優樹に呼び止められた。

「昨日は無事に帰られたの?」

「ん、ああ。なんとかな」

 みれば右手の肘に、包帯を巻いている。

「怪我、してるじゃないか」

「大したことないよ。リアが滑って横滑りに一回転したんだけど、持ち前の機敏さで下敷きにならずにすんだからな。ちょっと擦りむいただけさ」

 そう言いながら笑った優樹は、いつもと変わらないように思えた。眩しいほどの笑顔だ。

「じゃあ、また放課後に写真部で。剣道部の方に出てから行くから、遅くなるってアキラ先輩に伝えておいてくれよ」

「あっ……」

 遼は何かを言いかけた。が、言葉が見つからない。

 いつも真っ直ぐに相手の目を見て話す優樹が遼と目を合わせないまま、その場を後にする。遼の脳裏に昨夜のアキラの言葉がよみがえった。

 常に自信に満ち、自分の正義を疑うこと無い優樹が、誰かを必要とする事などあり得ないのではないだろうか? 

 口に出して、聞いてみたい。

 聞いて、その答えが自分の思っている事と違ったら?

 自分の中にある優樹が、壊れてしまいそうで怖かった。

 放課後になって遼は、事件の後、手を付けることが出来なかった文化祭用の作品を仕上げるため美術室に向かった。

 事件翌日は使用禁止になったが、既に普段の様相を取り戻し、文化祭に向けて部員達が自らの作品に取り組んでいる。

 周りの人間から異端の目で見られる事を避け、幼い頃から一人で絵を描いている事が多かった。画用紙に向かってさえいれば、他人からの干渉を受けないで済んだ。

 美術部は、そんな自分に向いている。デッサン画ならばなおのこと、自分の作品に向き合っていれば人と関わる必要がないのだ。

 期待したとおり、教室に入っても誰も遼に顔を向けない。もとより親しい友人が居るわけでもなく、いつもなら気にならないはずなのに妙に背中が寒かった。

 友人はいらないと思っていた、だがそれは、既に求めるものが手の中にあったからではないのか? 

「おう秋本、大変だったな」

 奥の作業机から、顧問の八街やちまたに神妙な顔で声を掛けられ遼は我に返った。

「……ご迷惑を、お掛けしました」

 八街は、気にするなという仕草で手を振る。

「まさか、こんな事になるとはなぁ……。それにしてもあの濱田とかいう刑事だが、しつこいの何のって同じ質問を繰り返し聞かれてね。正直、参ったよ」

 苦笑した八街も、どうやら警察に何度も事情聴取されていたらしい。

「先生は、何を聞かれたんですか?」

 遼はすぐに、神崎と名乗った若い刑事と一緒にいた体躯の良い五十代くらいの刑事を思い浮かべた。

 一見、刑事というより暴力団関係者といった風体で、短く刈り込んだ髪とダークカラーの上着、ノーネクタイの姿は締まりが悪かった。

 だが眼光の鋭さは、強く印象に残っている。

「うむ……あの石膏像が、いつから美術室にあったか聞かれたんだが覚えがなくってなぁ。俺は元々備品の管理には疎いし、どこに何があったか、すぐに忘れるだろう?」

 確かに八街には少しルーズなところがあり、夏休み前にも倉庫の鍵をなくして大騒ぎになったことがあった。そのおかげで、いつも成田に小言を言われているのだ。

「そう、そしたら成田先生がな、夏休み中に棚の石膏像に気が付いていたんだよ。だが倉庫に一人で片づけるのも大変だし、かといってあんな気持ちの悪いモノを、そのまま置いておくのも嫌だからと布を掛けたそうだ。おまえが布に気付いたのは、清掃中に誰かが箒でも引っかけて引きずったからだろうって」

 石膏像を、成田智子が一人で倉庫まで運ぶことはおそらく無理だ。

 美術教師である彼女は学園一小柄で、遼と並んでも三十センチは身長差がある。正確な年齢は知らないが、三十代半ばながら遠目に中学生に間違えられたこともあるぐらいだ。

 その成田が石膏像を両腕に抱えた姿を想像すると、つい可笑しくなって遼は口元を押さえた。

「八街先生、片づけてくれって頼まれなかったんですか?」

「それが、そのまま忘れていたと言うんだな」

「そう、ですか……」

 忘れていた? あの神経質な成田に限って、そんな事があるのだろうか? 

 するといきなり、横から美術部部長の三年生、来栖弘海くるす ひろみが話に割り込んできた。

「文化祭用の作品は仕上がったのか? 秋本」

「いえ、まだ……」

「さっさと仕上げてしまえよ、たかがデッサン画一枚くらい。別件で忙しいから、それどころじゃないか?」

 来栖は誰に対しても常に上から見下すような言い方をするが、遼に対しては特にきつかった。

 おそらく何度もモデルになって欲しいと頼まれているのに、遼が素気なく断り続けているためだろう。部長になってからは遼に対して、ちょっとした嫌がらせをすることが度々あった。

 優樹は彼に対して「気色が悪い、近づくだけで逆毛が立つ」と、ひどく毛嫌いしている。

「おまえの方はどうなんだ? 間に合うのか?」

 八街の言葉に、来栖は口元を歪めて笑みを浮かべた。

「モデルが本意でなくてね。秋本が引き受けてくれてたら、もっと仕事が捗っているんだけど」

 陰湿な性格の来栖を嫌う者は他にも多くいたが、何故かその美術作品に対する評価は高い。

 今回、来栖の制作するブロンズ像はまだ鋳型の型どりが終わったばかりで、モデルは一年生の男子生徒らしかった。

「卒業前に、是非おまえの頭部像を創ってみたいね……きっと榊原江里香そっくりに仕上がるんじゃないかな?」

 来栖の手が伸び、遼の髪にふれた。

「貴様、下らん事を言うと……!」

 許さんぞ、と、八街が叱咤するより早く遼は、激しくその手を払いのけた。

「へえっ、怒ったのか? 珍しいこともあるもんだな」

 遼が手を出すことなど思いも寄らなかったのだろう、来栖は少し驚いたように身を引いた。

「自分の世話は自分で見ろと、あのお節介な篠宮ママに言われたか? 良い傾向だね。まあ、モデルの件は考えておいてくれよな」

 来栖は嘲笑するように言い捨てて、自分の制作物の机に戻った。

「あいつの言うことは、気にするな。必要ならいつでも土・日に教室を開けてやるからな、いいようにやればいい」

「大丈夫です」

 微笑んだ遼に、気のいい八街は「そうか」と安堵の息をつくと、興味深そうにこちらを見ていた他の部員達に向かって、自分の仕事に戻れと大声で怒鳴った。

 八街の気持ちを有難く思いながら、遼は壁際からイーゼルを運びデッサン画を留める。

 しかし、その手は進まなかった。

 自分は確かに、少し変わったと思う。ただ諦めたように、笑って済ませることが少なくなった。

 いや、済ませられなくなったと言った方がいいかもしれない。

 関わりのない事件ならば、こうは変わらなかっただろうと改めて思う。

 窓から入る涼しい秋風が、優しい誰かの手のように頬を撫でた。揺れるカーテンのそばに、江里香が微笑みながら立っている気がした。

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