〔8〕
「秋本が見たのは、おそらく二人目の犠牲者、山本葉月だと思う」
そう言ってから少し咳払いをしたアキラの声は、まだ擦れていた。
「当時、演劇部の部長だった彼女は長く美しい黒髪の持ち主で、ミス叢雲といわれていたそうだ」
叢雲学園の演劇部は、代々女子学生が部長を務める習わしになっていた。
規律を決めたのは男子校が晴れて共学になった年の理事長で、ハリウッドスターや宝塚スターに憧憬を抱く人物だったらしい。
演劇部創立条件だった規律は現在も慣習として受け継がれ、美しく聡明で長い黒髪を持ち長身である事という宝塚並みの厳しい条件を満たした者だけが、その座に就くことが出来るのだ。
しかし女子学生の総数自体が少ない学園では、到底無理な相談である。部長に相応しい女子学生が入部しない場合は部長不在のまま、実質副部長の肩書きを持つ男子学生が責任者となっていた。
それでも栄えあるミス叢雲になりたいばかりに入学する女子学生も時にはいて、現部長の倉持美沙都も、そのうちの一人らしい。
「その三年生の山本葉月と並んで当時、ミス叢雲と称される女子学生が二人いたんだ。一年生の乾陽子と、秋本の姉である二年生の榊原江里香」
落ち着きを取り戻し、遼はアキラに詰め寄った。
「僕の見た女性が何故、山本葉月さんだと思うんですか?」
犯人を知りたいという漠然とした気持ちが、なんとしても突き止めたいという決意に変わっていた。再び肩に置かれた手に気付いて遼が顔を上げると、物言いたげな視線と共に優樹はそっと、その手を離す。
「乾陽子の場合、崖から落ちるところを学園の生徒に目撃されていて、直ぐにボートや漁船を持つ人たちと警察が総出で捜索したんだ。しかし見つかったのは一週間後、漁船の網に絡まって引き上げられた……。遺体には絞殺の後があって、警察の調査では村雲神社の境内で殺され崖下に落とされたと推察されている。山本葉月の場合は部活の後に行方不明になり、学園から出た様子のないことから警察は校内が犯行現場との見方をしていた。もう一部の教師しか知らないが……この倉庫で遺留品が見つかって、殺害現場と断定されたらしいんだよ。遺体はやはり海上で発見され、一人目と同じように首を絞められた痕があったそうだが、直接の死因は薬物だそうだ。使われた薬品名は、公表されていない」
アキラは部屋から出るように三人を促し、電気を消した。
「君等を騙すつもりはなかったんだけどねぇ……犯人に繋がる手掛かりが掴めるかもしれないと思って、秋本には悪いことをした。改めて謝るよ」
「……いいんです、もう。先輩の言うとおり、僕も犯人が知りたい。そのために、この能力が役に立つなら、かえって嬉しいくらいです」
遼の言葉に、アキラは微笑んだ。
「なんだか逞しくなったなぁ、秋本。少し前のおまえなら、そうは言わなかったと思うが……篠宮は、どうだ? 一緒に犯人を捜そうと思わないか?」
「俺は……わかりません」
通路の壁に両手をついて俯いた優樹は、強気で強引な、いつもの様子とは明らかに違っていた。
やり場の無い感情と迷いが、その背中から伝わってくる。
何を言えばいいのか、遼は言葉を探した。
これまで避け続けてきた内面の対立。
地下倉庫に来る前、部室で言い争った言葉が今になって遼の胸に重くのし掛かる。
どんな言葉を掛けたとしても、都合の良い響きにしか思えなかった。
「とりあえず、ここを出ようか」
遼と優樹を見守っていたアキラが、小さく溜息をついて踵を返した。
「優樹、僕は……」
君に助けてもらいたいと、迷いながらも言いかけた遼は優樹の背に差し出した手を反射的に戻した。
何か、青白い光のようなものが優樹のまわりを取り巻いているのが、遼には見えた。
それはまるで生き物のように姿を変え、いまにも優樹の身体を扉の奥に引きずり込もうとしている。
「優樹!」
怯えたような遼の叫びに、驚いて優樹は振り返った。
その瞬間、青白い光は霞のように消えてなくなる。
「何だよ、急に大声出して」
「あ、うん……何でもない。あのさ、今更だけど君も力を貸してくれないかな、と思って」
優樹は少し、意外そうな顔で遼を見つめた。
「何だ、そんなことか。お前に頼まれて俺が、嫌だというわけないだろ?」
そう答えて、優しく笑った優樹に遼の胸が痛む。
アキラがそっと遼の背を押し、出口へと促した。
地下倉庫から階段を上りステージ下の控えの間に戻ると、演劇部員達は既に帰り支度を始めていた。
「今日はもう上がりなのか?」
アキラが藤堂の姿を見つけて声をかけた。
「雨が結構、激しくなってきましたから。これ以上、風が出てくると裏から帰れなくなりますからね」
学園の裏から岸壁沿いにバス通りに出る石段は、湾の形が幸いしてあまり強い風を受けることはなかった。しかし事故を心配する学園側に裏門を閉められる前に外に出ないと、バス通りに出るため海岸沿いの道を一キロ近く歩かなくてはならないのだ。
それを見越して女子学生は早めに帰るか迎えに来てもらう者がほとんどだが、男子学生は寮に駆け込む者も多かった。
「おまえはどうするんだ? もう帰るのか?」
演劇部副部長としての責任から、いつも最後まで残っている藤堂にアキラが心配そうに尋ねる。
「帰れなくなったら、アキラさんの部屋に泊めてください」
笑顔で答えた藤堂にアキラは手で応じてから、先に外に出た三人の後を急ぎ足で追いかけてきた。
藤堂の言葉通り、体育館を出ると暗い闇の中から渦を巻くような風にあおられて、叩きつけるような激しい雨が降っていた。
「こりゃ酷いなぁ。裏門はもう閉められたんじゃないか? 俺、親父に迎えを頼むわ」
佐野は肩をすくめると、携帯電話を取り出した。
「優樹も、おじさんに迎えに来てもらった方がいいんじゃないか?」
遼の言葉に優樹は首を振る。
「大丈夫だ、このぐらいならバイクで帰るさ。あまり酷いようなら降りて歩くから心配いらないよ」
じゃあな、と、手を挙げて優樹は雨の中に走り出した。鞄は教室に置いたまま、駐輪場に向かうつもりなのだろう。
後ろ姿を見送る遼の頬に、雨が当たる。
過ぎ去ってしまった夏の名残をいつまでも追いかけてきた此の地が、確実に移り変わろうとするような冷たい雨だった。
「沈まない……太陽なんだ」
「うん?」
家と連絡が取れてその場を後にした佐野を見送っていたアキラが、呟くような遼の小さな声に振り向く。
「篠宮のことか? なかなか、うまいこと言うねぇ……」
そう言ってから、全身が雨で濡れた遼の腕を掴み庇の下に引っ張り込んだ。
「おい風邪ひくぞ、鞄は部室か? 宿題なら寮のやつに教科書借りればいいんだから早いとこ帰ろうぜ」
だが遼に、アキラの声は届いていなかった。
両腕を雨の中に差し出し、伸ばした手の先の闇を見つめる。
「僕は……優樹の創り出す陰から出ることが出来ない」
「おまえ、馬鹿だなぁ」
呆れたような口調でアキラは言い捨てると遼の前に立ち、その手を掴んで下に降ろした。瞬く間にアキラの髪とシャツが雨に濡れる。
「沈まない太陽が、羨ましいか? それがどういう事か、考えたことがあるのか? いい加減、被害者意識を捨てて、少しヤツの立場で物を見てみろよ」
えっ、と、遼は顔を上げた。
「自分が、ヤツにとって必要なんだと考えてみたことはないのか?」
思いもかけない言葉だった。
「そんなはず、ない……だって優樹は……」
諦めたようにアキラは、大きく溜息をついた。
「解らなければ、いいさ。さあ早く寮に帰って風呂にでも入ろうぜ、すっかり冷えちまったからな。どうやら今夜は、お客さんが多そうだ」
体育館の出口では、数人の演劇部員が恨めしそうに空を見上げている。
裏門を閉鎖すると校内放送が入ったのは、つい今しがただった。




