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 瞬間、ごふっと口ごもる。あわてて口元を覆うが声になった言葉は戻らない。

 何が起こったの……? わたくし、もしかして、失敗しちゃった……?

 かぁぁぁっと顔が熱くなる。口元を押さえる手がぷるぷると震える。いや、震えているのは唇か、それとも、体なのか。

「……」

 目の前で、彼がわずかに目を見開いてわたくしを見下ろしている。あの笑顔のポーカーフェイスを崩して……。呆然と目を見開いて……!

 どどどどどうしよう……! 結婚してくだされって……結婚してくだされってなに……?! えっと、何だっけ、なんて言うんだっけ!!

 パニックに陥ったわたくしと、呆然としたエドガー様の目が合う。

 そんな、わたくしをまじまじと見つめないでください……!!

 あああああっ、えっと、わたくしと結婚してくだされ……くだされ……えっと……くだされ……

「ば!!」

「……ば?」

 ばってなにーー!!!!

 だって、だって、「結婚してくだされば」って言えば良いって思って、だからばって……ばって…………エドガー様がひどい困惑顔でわたくしを見下ろしている。

 そんな目でわたくしを見ないでぇぇぇぇ!!

 自分の発した言葉のバカさ加減が押し寄せてきて、顔が一瞬で熱くなって、それから一瞬でざあっと体中から熱が奪われるようにざぁっと冷えた。

 わたくしの、ばかばかばかばかばかぁぁぁ!! もう、死にたい………!!!!

 じわっと目元が熱くなる。目の前がゆがむ。ぼやけた彼がわたくしの前で直立不動でたっている。

「ご、ごめんなさいぃぃぃ!!!!」


 きびすを返したわたくしは令嬢にあるまじき全速力で、庭の小道を駆け抜ける。

 もう死んでしまいたい、消えてなくなりたい、もうわたくしのバカ、わたくしなんて死んじゃえ! やっと、やっと、つかめた機会だったのに。かっこよく、彼に大人の女性らしく振る舞って見せて、名前だけでも隣にいられるようになりたくて……。彼の隣にいたくて……。

 なのに全部、わたくしが、ダメにした……。

 ボロボロと涙がこぼれる。

 全部、台無し……。

 すんと鼻をすすり、小道を歩く。たいまつの明かりがぼんやりと辺りを照らしているから、迷いなく歩くのには問題はない。


 この庭には、小さな隠れ家がある。

 いたずら全盛期の頃に庭師のおじさんに教えてもらった、とっておきの隠れ家が。

 小道の脇に作られた子供の背丈ほどしかない小さなアーチ。散策の楽しみに作られたアーチの向こうに箱庭のようなかわいらしい花壇がある。その花壇の奥の垣根がそこだけ切り取られた絵画のような小さな特別空間を作りあげている。本来は見て楽しんでそのまま過ぎてゆくだけの場所。

 でもわたくしは知っている。そのアーチをくぐり、箱庭の奥に行かなければ見つけられないわずかな垣根の隙間をすり抜けると、そこに小さなベンチがあることを。

 それは箱庭の中からでないと見えない、小さな仕掛け。植木に囲まれた小さな隠れ家は、大人二人座ればぎゅうぎゅう満員になるぐらいの狭さだ。


 一見ただの飾りにしか見えない緑のアーチを、わたくしは身を小さくして、ドレスをがさがさと周りにぶち当てながらくぐりぬけると、秘密のベンチに腰を下ろした。

 小さな、小さな、わたくしだけの、ひとりぼっちの空間。その狭さがわたくしをほんの少し落ち着かせる。

 もう、このままここで忘れ去られて消えてしまいたい。

 グスグスと目をこすりながらベンチの上で膝を抱える。

 寒い。そしてことさらにおしりが冷たい。

 わたくしは、こんなところでなにをしているのかしら。

 そう思うと、惨めで更に涙がぶわっと溢れた。

 離れた広間から、人々のざわめく音が届いてくる。パーティー会場のある方角はこうこうとしていて、温かそうに見える。比べて、ここはなんて寒々しいんだろう。

 ぽろぽろと溢れる涙をぬぐいながら、自分のバカさ加減に泣けてくる。情けなくて、彼もきっとひどく呆れたに違いがないと思うと、涙は止まらなくなった。

「……うっ、ぐすっ………………うぅ……っ」

 自分のすすり泣く音と、時々風が揺らす葉のこすれる音が耳をくすぐる。

 どのくらいそうしていただろう。がさがさと、枝や葉のこすれる音が間近でした。

 自分以外にも、こんなところを散歩する人がいるんだ。

 見つかるわけにはいかない。

 わたくしは息を潜めて、ベンチの上で身を小さくする。人が過ぎてゆくのを待った。

 なのに。


「……見つけた」

 低い声がした。すぐそばの、上の方からその声は振ってきた。

 膝を抱えてうつむけていた顔を、まさかと思いつつ、ゆるゆると上げる。

「……っ」

 ひゅっと息を飲んだ。

 エドガー様がいる。箱庭の中に立って、わたくしを見下ろしている。

「よく、ここを知っていたね」

 微笑んだ彼が、ひょいとかがむと体を小さくしてわたくしの向かい側にある小さなベンチに滑り込んできて腰を下ろす。

 小さな緑の小部屋は、大柄な彼が腰を下ろすと、あっという間に窮屈になる。膝が触れてしまうほど。吐息が直ぐそばで聞こえてしまうほど。体のぬくもりが伝わってきそうなほど。

「……探したよ」

 エドガー様が来たことで、わたくしは抱え込んでいた膝を、こっそりと下ろし、姿勢を整える。でも、うつむいたままの顔は上げられるはずもなく。だって、近すぎる。きっと今、わたくしの顔はぐちゃぐちゃだ。それ以前に、彼は、今一番に会いたくない人だ。

 ふわっと、膝に何かがかけられる。

 顔を上げると彼がさっきまで着ていた上着をわたくしに掛けてくれていた。

「シェルマ殿」

「……はい」

「ば、……のあとは」

 え。それを、今、聞いちゃうの………?


 まさか続きを求められるとは思わなかった。その為に探されるとも。

 そのことに驚いて、涙が引っ込んだ。

「君が走り去って、そのままなかったことにしようかとも考えた。逃げたからには君もそれを望んでいるだろう、と。……だが。君の「結婚してくだされ」「……ば!」がどうしても頭から離れなくて、広間に戻った後も君のことが浮かんで、そういえば君は何も羽織らずにかけていったと思いだした。そしたらいてもたってもいられなくてね。……で、見つけたからには、ついでに聞いてしまおうかと」

 に、逃げるに逃げられない。なぜわたくしはこの密室のような空間に逃げ込んでしまったのだろう。今立ち上がったとしても、彼はそれを許してくれないだろう。そんな気がする。

 どうしよう、頭が働かない。どうしたら良いのかわからない。

 再びどうしようもない混乱が起こる。

「シェルマ殿……」

 エドガー様がもう一度わたしを呼ぶ。

「はぃ!」

 ……声が裏返った……。

 もうやだ……今すぐ消えてしまいたい。


 沈黙が辛い。うまく返したいのに、頭が働かない。

 どうしよう。なんと言ったら良いのかわからなくなってる。わたくしは、なんと答えたら良いのだろう。

 ……あれ? そういえば、それ以前に、わたくしは、この方に何を言おうとしていたのだったかしら。

 あれ? あんなに練習したのに、あの練習した言葉が一言たりとも思いだせない。

 だって、もう、私は二度と言うことないと思って、そんな言おうとしてたことなんて、すっきりさっぱり飛んでいた。それでなくてもエドガー様が目の前にいてパニックになっているのに、一度考えの外に行ってしまったことなんて、思いだそうたってこんなに混乱してたら思いだせない。

 わたくし、知ってますわ、この感覚。こういう頭が真っ白になった時、言いたかったことを思いだせるのはずっと時間が経ってから。そう。取り返しが付かないぐらい後になって、必要がなくなった後になってから思いだすことを。

「続きを教えてくれないか?」

「つ、つづ、き……」

 追い打ちをかけられて更に焦りがつのる。

 この状況には覚えがある。父に叱られた時、うまい言い訳が思いつかず、さんざん叱られた後になってから「こう言えば良かった」って気がつくあのパターンと一緒だ。後になって、なんであんなに簡単なことがわからなかったのって、自分の首を絞めたくなる、あの感じだ。


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