07 ファフニール
VRMMOドラゴンファンタズムでは実年齢20歳以上のアカウントならばゲーム中で飲酒もできたし、酔っ払う感覚を味わうことができた。
未成年アカウントでも酒自体を飲むことは可能だが、味は自動的にジュース類に変換される。
そして、ドラゴンファンタズムのビーストマスターは「二日酔い」という状態とは無縁であった。
アビリティ、レジストポイズンの効果である。
睡眠中に発動し、翌朝になれば気分すっきり、さわやかな目覚めを提供する素晴らしいアビリティである。
サービス開始当初は、酒を飲む端からアビリティが発動してしまい全く酔うことができなかったが、一部ユーザーからの猛烈な抗議をうけ早々に修正パッチが当たったのは「運営の神対応リスト」にものっている出来事である。
ビーストマスターや他のレジストポイズンを所持しているジョブからすれば、「神対応」でもなんでもなく不具合修正なんだから当たり前だろうという声もあったが、それはそれ。
修正パッチが来る前に早く酔いたいからとキャラを作り直した猛者や、レジストポイズンを取得するレベル直前で冒険休業にはいったプレイヤーもいたそうだ。
そういうわけで。
今、寝起きの俺は頭痛に悩まされることもなく、頭スッキリな状態だ。
頭スッキリな状態で。
混乱していた。
どうやら俺は宿屋の一人部屋のベッドで眠っていたらしい。
酒場の最後の記憶がないから、誰かが運んでくれたのだろう。
エルでないことを願うのみである。
足装備のゲートルやトラウザ、腰ベルトも外されていて、インナー状態だった。自分で脱いだのか脱がされたのか。
エルでないことを願うのみである。
少し話が変わるように聞こえるかもしれないが。
鬼天竺鼠アッサムのドラゴンファンタズムでの肩書きは俺の契約獣である。
戦闘での削り役に、回復役に、偵察役に、果ては癒し役までにと大活躍の鬼天竺鼠であるが、そんな彼にはもうひとつ重要な役割があった。
野宿や昼寝のときは枕、宿屋のときは抱き枕という大役である。
しかし。
俺の腕の中でスヤスヤと寝息を立てて眠っていたのは愛すべき鬼天竺鼠ではなく、白藍の髪をした少女だった。
推定年齢六歳あたり。
薄紫色のスッモクから伸びる腕はすらりと細い。
もしかして、アッサムが青髪美少女にジョブチェンジした!?
真っ先に思いついたのはそんな突拍子もない展開である。
だが、昨日から俺の身に起こった出来事と並べれば、そこまで突出している話でもないだろう。
視線だけでメニュー画面を開き、アッサムの現状をチェックする。
「あいえええ? なんで?」
データではアッサムは昨日の夕方から召喚石の中で眠っていることになっていた。
「ん……」
思わず上げてしまった声に、少女がぐずるように身じろぎをして。
そのまぶたがぱちりと開いた。
綺麗な蒼色の瞳だった。
ブレードファフニールの柄に埋め込まれた宝玉みたいな。
ブレードファフニール……。
「………ファフニール?」
「おはよう、ケイスケ」
少女ははっきりとした声で挨拶をして、目をこすりながらベッドから降りた。
丈の短いワンピーススモックから伸びた脚も、腕と同じくすらりと細い。
大きく伸びをしてから、腰まで伸びた白藍の髪をかきあげ、振り向いた笑顔はとても無邪気だった。
「ファフって呼んで欲しいかな。ファフニールのファフね」
あまりに無邪気な笑顔で言われたので、諸々の是非はともかく、こちらもつられて口元がほころぶ。
「ケイスケ、起きとるかー? 朝飯行くぞー!」
さすがドワーフ。
どこまでもマイペースで、タイミングの良さだか悪さだかには定評がある種族だぜ。
俺調べ。
せめてノックをして欲しかったと扉の方へ目を向けると、そこには身支度を済ませたオウガとエルが立っていた。
目の前の状況に、オウガはまったく動じている気配がない。
問い詰められるのも困るが。これはこれでどうしたものかと悩む。
意外だったのはエルの反応だ。
驚くでも慌てるでも、怒るでもなく。
……えっと、どういうときに人はああなるんだっけな。
あぁ、畏敬の念に満ちた表情、だ。
守護六竜の神殿で見たことがある神官や巫女の顔だった。
ローブの裾を払い、部屋の中に入ってきたエルは片膝をついて頭をたれた。
白藍髪の少女に。
「北の果ての孤影、蒼竜ファフニールさまにおかれましては──」
あ、わかるんだ、やっぱり。
「リンドヴルムの巫女ね。かしこまらないで。わたしのことはファフと呼んで……えっと?」
「エルニミア・エル・イヴァスリールにございます。ファフニールさま」
「ファフだよ、エル。ケイスケにエルって呼ばれてたよね? わたしもエルって呼んでいいかな?」
なんだろう、この状況。
俺の短いながらの経験談から言うと、そろそろドワーフが何とかしてくれるはずだ。
「お前ら、そういうのは後にせんか? 飯を食いながらでもいい。朝食の時間が終わってしまうぞ」
よし、流石ドワーフ。
それでこそ俺の、俺たちのドワーフだ。
昨日俺のことを八竜不敬罪(意訳)とか言っていたけど、あんたも大概だぜ。
「わあ! ドワーフ、いい事を言うじゃない!」
だが、自称北の果ての孤影さまは、まったく気にしていないようだった。
トテトテと音がしそうな軽い足取りで食堂に向ったオウガを追いかける。
「ワシはオウガだ」
「オウガ、いい名前ね。わたしはファフ」
「嬢ちゃんもいい名前だな。ケイスケの……なんじゃ?」
「なんだろう……娘? 家族になってこいって言われた」
「ほう、そうか。あいつも子持ちじゃったか」
廊下から聞こえてくる会話になにやら不穏な単語が交じっていたような気がするが、大物だなドワーフ。
片膝をついたままのエルと目があったので、尋ねてみる。
「あれ、ほんとにファフニール?」
「私の感覚が間違っていなければ……とても澄んだ眩い竜気です」
呆然と開いたままのドアを見ていたエルは、はっと正気を取り戻し振り向いた。
「ケイスケ、私は急いで食堂に行きます。オウガが失礼なことを言ってしまわないうちに」
もう遅いんじゃないかなぁ、とは思ったものの、特に引き止めることもせず走り去るエルを見送る。
とりあえず着替えるか、とベッドから降りたときに、傍らの床に落ちているブレードファフニールが目に入った。
手を伸ばし、拾い上げる。
「……鞘だけだ」
宿屋の食堂は昨日の酒場と違いこじんまりとしていた。
他の人影はなく、大通り側のテーブルにオウガとエル、そして銀竜の巫女公認北の果ての孤影さまがいた。
「これがパンね。……少しパサパサするけど美味しい」
「スープに浸して食べるんだ。焼き立てのパンはもっと旨いぞ」
「食べてみたいかも?」
「ふむ。あとで主人に頼んでみるか。ワシのお勧めはアルフオータの『赤竜の竈』じゃな」
「へー! 赤竜が焼いてるの?」
なんだかすっかり馴染んでるな、オウガ。
ドワーフの横でパンの話に目を輝かせるドラゴン娘。
なんだこの絵面は。
「ファフ……ニールさま?」
「ファフ! どうしたの、エル?」
「は、はぁ……。いえ、はい」
こちらは距離感を掴みかねているようだ。
うん。これがきっと正しい反応なのだろう。
カウンター前に置かれた鍋からスープを取り、三人のテーブルに着く。
篭のパンに手を伸ばし、そのまま少し齧ってみた。
確かにパサパサだ。
「ケイスケ、いただきます言ってない」
白藍髪の少女が、口を尖らす。
え。あ、そうなの?
あれ? ユランスティアに「いただきます」なんて習慣あったっけ?
ドラゴンって意外と礼儀にうるさい?
オウガとエルもよく分かっていないようだった。
「スープに口をつける前にファフも口にしていたが、食前の言葉か?」
「……祈りの言葉でしょうか?」
ふむ?
「ケイスケがわたしと初めて単独で戦った日、猪と猫と鳥に言ってた。ご飯の前にはいただきますって」
少女の言葉に、在りし日の記憶が鮮明に蘇る。
千回を超えるファフニールとの戦い、全てをはっきりと記憶しているわけではないが、その日のことははっきりと覚えていた。
記念すべき日の出来事だ。
ファフニールに初めてソロ戦闘を挑んだ日。
1戦目は俺の作戦ミスでボロ負け。
事前に仕込んでおいた復活アイテムで立ち上がり、すぐさまリベンジをしようとしたが、同一キャラが同じドラゴンに戦いを挑めるのは一日一回の制限があった。
普通の冒険者たちなら、一度街に戻ってまた翌日以降に訪れるものだが、俺は蒼竜のねぐらに残り、その地で再び戦えるようになる時を待った。
大広間の中を歩き回って距離感を掴み、足場を確認する。
壁を背にする場合はどこが良いか、どこかに使えそうな段差はないだろうか。
アイテムを使うタイミングや、契約獣たちの立ち位置も実際に召喚して何度も試行した。
徹底的に作戦を練り直した。
その晩、途中の洞窟で吊り上げた一角氷魚を捌いて野営の準備をしてたときの。
立ち位置検討会に疲れた契約獣たちが、まだ焼けてない魚身を食べようとしたのを格闘しながら説教した記憶。
あの日、あの時間にファフニールの姿はなかったが、あの場所での出来事を見ていたのか。
「思い出したよ。お前……本当にファフニールなんだな」
「うん! ずっと見てたよ。ご飯の前には、待て、お座り、いただきます、なんだよね?」
ちょっと違う。
記憶としては会ってるけど、違う。
ついでに言うと、「猪や猫や鳥」ではなく、鬼天竺鼠に氷雪豹に翼蛇だ。
「ふむ。ケイスケと戦ったときの結果はどうだったんじゃ?」
ドワーフよ、それを聞くのか。
聞いちゃったか。
「瞬殺! わたしの勝ち! 次の日もわたしの勝ちだったよ!」
うん。まぁ、そうなんだけど。
結局ソロでファフニールに勝てるようになるまでは半年かかった。
お。確かにパサパサなパンでもスープに漬けると美味しいな。
「あの剣、ブレードファフニールって、お前だったの?」
別に話題を変えようとしているわけではない。
俺は俺で気になっていたことを聞いてみた。
「うん。ケイスケと共にありたいって父様に願ったらあの剣に魂を封じてくれた」
父様。
八竜の伝説でそういう血縁関係を聞いたことはないが……。
上位的存在かもと言われていた「祖竜」のことなのだろうか。
俺がこの世界に来るときに聞いたのはファフニールじゃなくて「祖竜」の声?
「ケイスケが早々と条件を満たしたから、人の姿を持つことができたの」
「条件?」
どれだ。どこで何のフラグを立てたんだ、俺。
首を傾げ腕を組む。
向かいの席のオウガは肩をすくめるだけだった。
そうだよな、心当たりないよな。
「あっ! もしかして……」
それまで距離感だかタイミングだかを図って、様子見に入っていたエルが声を上げる。
「愛する相手のことを心に思い描いて『会いたい』と口にする、ですか?」
よかった。スープを飲んでいる途中じゃなくて。
え。なに。
俺そんなことしたの?
愛する相手ってファフニールを?
腕を組んだまま首をさらに傾けて、昨日の記憶を手繰る。
「ほうよ」
ファフは口の中がパンでいっぱいなようだった。
俺は俺でいっぱいいっぱいだ。
だんだんと昨晩の記憶が思い出されてくる。
「神話、おとぎ話の類じゃ、エルフのな」
「勇者アルギュロスの力になりたいと銀竜の塔から身を投げ、その魂をドラゴンランスへと封じた巫女の伝説です」
「昨日の晩、ケイスケは、私のことを思い出しながら、す、好きだと口にして、くれた……から」
それまでの無邪気な態度とは一転して、視線を逸らし口ごもる。
顔が真っ赤ですよお嬢さん。
あなた赤竜じゃなくて、蒼竜ですよ。
確認のアイコンタクト。
コクコクと首を縦に振るエルフ。
『そうだな、うん、好きだった。あいつが、あの場所が』
『あぁ、また会いたいな……』
あー……あれか。あの流れか。
「そういえば酔いつぶれたお前を部屋に運んだ後も、ずっとファフニールの剣を抱きしめてたな」
髭をさすりながらそう言うドワーフの目が笑っている気がするが。今はおいておこう。
「ま、まぁ、私はずっと剣のままでも、ケイスケといっしょに旅ができるだけで満足だったけどね!」
台詞の後半になるに従い、立ち直って、ふんすと鼻息あらく薄い胸をはって身体を逸らすドラゴン。
あごをちょっと上げ、瞳を閉じて胸に手をあててる姿がエルっぽい。
なにこのかわいらしい生き物。
「わたしと一緒に世界を見て回りたいって言ったケイスケの言葉、一時たりとも忘れたことはないわ!」
「え?」
あ、と思ったが、一度口から出た声を飲み込むことはできなかった。
「……え?」
ドラゴン娘の蒼い瞳が不安げに揺れる。
あわてて再び記憶の検索に入るが、立て続けの混乱でうまく頭がまわらない。
「ケイスケは……おぼえて、ないの?」
ファフの声が震え、その目に涙がたまる。
記憶の掘り返しは後回しにしてでも、とにかく何かを言わなければ、そう焦れば焦るほど、言葉は何も出てこなかった。
「あー……」
「ケ、ケイスケの……」
ぎゅっと握られた拳と細い肩がふるふると震える。
「バカーっ!」
そう叫ぶと、ファフは脱兎の勢いで食堂を飛び出していった。




