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5.長い夜

 その日はデメテルの家で一泊する事になった。

 ディンはフォンス入りを急行しようとしていたが、夜中の方が警備が厳重だ、との猿爺の言葉に断念したようだ。

 それならばとデメテルが人数分の毛布を用意してくれた。

 リキュールとテンパレンス以外は居間で雑魚寝という事になったが、野宿が続いていた俺達にこの申し出はうれしい。

 山菜料理満載の夕食の後、リキュール、アスキー、ディン、最後に俺、と順番に、庭にあった小さな露天風呂を借りた。なんでもこの家、小さいが天然の露天風呂が湧き出ているのを見つけた事でわざわざ鬱蒼とした山の木々を切り開いてまでこの位置に建てたのだとか。決して広くはないが、ひんやりとした緑と土の匂いの入り混じった空気の中、旅で疲れきった体にじんわりと沁みゆく温かさ。十分に心地の良い贅沢な時間だった。

 生き返った気持ちでリビングに戻ると、味わいのある木目のテーブルに聖職師の衣を脱いだ軽装のディンの姿が、隣接したダイニングにコットン製のベージュのワンピースに身を包んだデメテルの姿があった。


「他の奴等はもう寝たのか?」


 時刻は二十二時。早寝遅起のリキュール達(いや、テンパレンスは早起きだが)はともかく、アスキー達やエンペラー、それに猿爺の姿も見えない。

 声をかけると、夜だというのにサングラスをかけたままのディンはちらりとこちらを見て、一言。


「付近にはいるだろう」

「……まさか、みんな外に出てった訳?」

「さぁ? どうだろうね」


 デメテルがトレーにマグカップを三つ乗せて姿を見せた。


「王子サマは外で寝るそうだけど」


 ディンの前と空いている席に湯気立つカップを置くと、自分もカップを手に腰掛ける。

 風呂から出た後、礼を述べ、外で寝ると告げたアスキーは、デスと共に姿を消したらしい。

 カップの置かれた空席に腰を下ろしつつ、曖昧に相槌を打った。

 まぁ、だろうな。

 先に風呂を出ていたら、俺だってそうしていただろう。


「あんたたち、犬猿の仲ってやつかい?」


 口の端を上げ、からかうような表情で俺の返答を待つデメテル。

 ディンは無言で正面を向いたままカップに口をつけて……なぜか僅かに渋い顔をした。


「……そんなかわいいもんじゃないよ」


 俺達が共有しているのは、こんな穏やかな場所で気軽に口に出来るような過去ではない。どう答えればいいか。視線を彷徨わせてから結局曖昧な返答を口にする。カップをテーブルに置いたデメテルは軽いため息をついて木製の椅子の背もたれに凭れた。


「そんなんじゃこれから困るんじゃないかい? 一緒に旅をしているんだろう」

「困るっていうか、まぁ……」


 居心地は悪いな、互いに。

 ……っていうか。国を愛した者と国を滅ぼした者が同じ空間に居て、良くなる訳がないだろう。


「場の空気を悪くしてるのは確実。リキュールがずっと心配してるんだ」

「わかっているのにあんたは改善しないつもりかい」

「…………」


 どことなく楽しげにみえるデメテルの追及の顔を、弱ったなぁと見返しながらカップの中の白い飲み物をすする。

 …………げ。甘っ。


「……何コレ。牛乳?」

「何って、ただのホットミルクだよ。寝る前にはこれが一番だろ」

「いや、それにしちゃこれ、相当甘くてねっとりして……」

「気づいたかい。特製ブレンドさ」

「…………何入れたの」

「えーっと。砂糖に蜂蜜に水あめに生クリーム、キャラメルにきなこに……」


 指折り数えつつ次々とあがる甘味調味料のパレードに、胃の底から問答無用でせり上がってくる何かを感じた。

 横に座るディンの横顔も心なしか青ざめている気がする。


「…………甘けりゃいいってもんじゃ……」

「文句。あるのかい?」


 頬杖をついて「ん?」って笑顔で俺を見る。

 穏やかな微笑みの奥に般若の目を見た俺は、力の限り首を横に振った。

 デメテルは満足そうに「そうかい」と頷いた後、


「残したら肉団子にするよ」


 一際低音で、世界最大級の五寸釘を鼓膜にぶっ刺した。

 ……なにげに人生最大のピンチ到来である。

 カップに残っていた大量の『異様に甘い液体』を一気に……あまり味わわないように呑みこんでいると、声のトーンを戻したデメテルが自分のカップを飲み干しながら問いかけた。


「あんたは王子サマが嫌いかい?」


 訊かれて自分の中を探る。

 嫌う理由は無い。


「そもそも嫌いになれる程知らないよ。アスキーの事なんて」

「確かに。殺気は一方的だったからね。だから思ったのさ」


 デメテルは空になったカップを手にしたまま、まっすぐに俺を見た。


「あんた。王子サマに何か引け目があるのかい」

「……あいつには、悪いと思ってるよ」

「なら、それを口にしたのかい?」

「………………え」

「悪い事をしたんなら謝る。基本だろ」

「………………謝って済む話じゃ……」

「取り返しのつかない事なら尚更だね。謝罪は絶対に必要だ」

「……………………」

「あんたは悪いと思っているんだろう? なのになんで、頭を下げないんだい?」


 謝罪……。

 なんでしてないんだっけ?

 そうそう、アスキーが殺しに来たんだ。

 いつか誰かが殺しに来るとも思っていた。

 だから俺は、殺される事イコール謝罪だって思った。

 罪をおかした俺が何を口にしたって、言い訳になると思ったから。

 だから、アスキーに殺されなくちゃと思った。

 ……でも、幾度となく奴と対峙してきた過去で、俺はまだ殺される訳にはいかなかった。

 なぜなら……、


「…………ディン」

「なんだ」

「俺、俺さ。最初あんたに会った時――クレイドゥルでも言ったけど。用があって探してたんだ、あんたの事」

「…………」

「俺の親父があんたを探せって。そう言ってたんだ。だから、今まで……」


 生きてきたんだ。

 それが義務だったから。

 死んでしまった親父の願いを成す前に死ぬ事はできないと思った。

 手紙を渡し――親父との約束を果たしたら、アスキーや、他のカルブンクルスの……生き残った人間に殺されようと。そう決めていた。

 今、ディンは目の前にいる。

 手紙も、失くさないようにリュックの底にしまっている。

 すぐに渡せるはずなのに、渡せないのはなんでだろうと思っていた。

 思っていただけで、考えなかった。考えないようにしていた。

 渡せないんじゃない、俺は。

 渡したくないんだ。


「今まで俺、あんたのこと言い訳にして生きてたんだ」


 衝撃だった。

 いつからだろう。そんな風に思っていたのは。

 最悪だ。言い訳してまで、生きたがっていただなんて。

 どの面下げてそんな事を……。


「……手紙を。あんたに渡すように、親父に言われて」

「…………」

「っつうか俺、とってくるわ。ちょっとここで待ってて……」

「いいのかい? それで」


 椅子を引いて立ち上がり、踵を返した直後に背後から、遮るようにデメテルの声が響いた。

 足を止める魔力があった。


「……いいもなにも、そうするのが正しいだろ」


 それだけ言うのが、今は精一杯だった。振り返らずに口にすると、そのままの勢いでリビングを出た。




 ――// SIDE-Em //――


「どういう事だい? あいつの父親って……」

『アストワルドの親父は義父だ』


 デメテルの言葉に、エビルと入れ違うように入ってきたエンペラーが答える。

 視線を向けられたディンは無言のままエンペラーを見返した。代わりに茶化すような視線と声を返すのはデメテルだ。


「立ち聞きとは趣味が悪くなったねエンペラー」

『おまえに言われたくない』


 テーブルの上のカップをげんなりとした表情で見下ろすエンペラー。

 そのままポツリと呟いた。


『あいつは本当の父親だって。信じてるけどな』

「…………」


 しばらく無言で、それぞれの方向に視線を留める一同を、夜の空気が穏やかに包む。


 「……なるほどねぇ」


 静寂を破ったのはデメテルだった。


「その義父って奴は、知っていたんだろう」

「何をだ」

「あんたが死んじまってる事をさ」


 「だろ?」と問われて、腕を組んだエンペラーは視線を宙に彷徨わせながら口を開いた。


『だろうな。田舎の聖堂とは言え、元聖職師だったんだ。なのに死んだこのヤローを探しだして手紙を渡してくれ、だなんて……俺様も最初は疑問だった』

「確かに。不可解な願いだね」

『でも、エビルと旅する内に俺様でも気づいた。言葉の裏の……真意って奴にな。持たされた手紙はディン用じゃなくエビル用だったんだ』

「心配だったんだねぇ……生を選ぶかどうかが」

『死んだ人間を探したって見つかる訳がない。ディンは聖職師で、しかも大聖堂に殺されたようなもんだ。んでもってこいつはデメテル(あんた)同様、聖堂にとっちゃトップシークレット……世界(ディエース)の禁忌に触れているからな。こいつが死んだという事実が公になる事は絶対にない。適格者で聖堂に近寄れない――聖堂を調べられないエビルが世界中を探し回ったところで事実は伏せられ、ディンなんて人間は一生見つからない。……でも、アストワルドの親父は、それでよかったんだ。どういう理由でも生きていてほしかったんだろう。たとえ願い(それ)がエビルをより苦しめる(もの)になったとしても』

「いやいやでも生きてたら、その内に何かが変化するかもしれないからねぇ……事実。あたしがそうだし」


 苦笑いで頭を振るデメテル。ディンとエンペラーがそろってそちらを見遣る。


『おまえら……あの後、どうしてたんだ?』

「どうしてたもこうしてたも。この通りさ。こちとら今じゃ大聖堂に背いた反逆者せいしょくし――いわばお尋ね者だからね。なつかしの故郷フォンスに戻った後はさっさと荷物をまとめて爺と仲良くとんずらこいたよ。果てに始めた隠居生活は最初は不便なもんだった。まぁ、忙しいくらいが丁度よかったのかもしれないけどね」


 ちらりとディンを見返すデメテル。


「戦友と、それから親友も同時に亡くしちまったからさ。お祭り男のアンタもとこぞに飛ばされちまったし。さすがに旅の後しばらくは気が抜けてた。亡くしたはずの戦友がまだ生きている事はハーミットから聞いちゃいたけどさ。まさかこうしてまたアンタ達と顔を合わせるなんて思っちゃいなかったよ。……その息子にもね」

「……………………」


 カップに視線を落とすディン。湯気はもう立ち上ってはいなかった。が、カップはまだ、ほんのりと暖かい。


「どうやら親がいなくてもいい子に育ったみたいだね。さすがに不安定だけど」

『ま、俺様がみっちり教育してやったからな当然だ』


 両手に腰を当てて踏ん反り返るエンペラーをジト目で見上げるデメテル。


「それが心配だったんだよ」

『んだと?』


 懐かしさを感じさせるエンペラーの反応にかかかと笑ってから、デメテルはエビルの消えた戸口に視線を向けた。


「ずっとあの子には会いたいとは思ってたんだ。……親の方は姿も中身も様変わりしちまったけどさ」

「…………」

『俺様もヨウィスでこいつに会った時にはさすがにびびった。死んだと思っていたのが生きてた事もそうだが、何よりおまえは俺様といた時のおまえとはまるで別人だ。そりゃ驚いたさ。エビルの手助けに入れなかった程だ』


 エンペラーは、ヨウィス聖堂で交わしたホイールオブフォーチュンとの会話を思い起こす。

 運命の輪の空間からエビルたちが帰った後、一人残ったエンペラーは奴を問い詰めていた。


――さっきさ。ディンの野郎がフールと戦う前におまえのところに来たっつったよな? ホイールオブフォーチュン。

――ええそうです。

――負ける未来を告げたのか。

――ええ。

――…………負ける気満々だったってのかよ? ……だから!

――いいえ。彼は勝つ気でしたよ最期まで。……そして、今も。

――…………は?

――エンペラー。貴方は一つ勘違いをしている。続いているんです、彼の戦いは。今この時も。


 エンペラーに"付属品"をつけただけでは勝敗は覆らない。切り札はディン自身なのだと。あの時彼は楽しそうに告げた。

 どうやらまたディンと二人で自分を嵌める気らしい。悪趣味な奴らめ。今度は一体何を企んでいるのやら……、


「今のあんたより、エビルの方が昔のあんたに近いね。……そりゃあの子にも似てるけどさ」


 デメテルの声にエンペラーは現実に返る。ディンの眉間に皺が寄り、片方の眉が下がってしまっている。サングラスの隙間から除くと片方の目だけを細めていた。すっかり陰険になってしまった男の変わらぬ癖に気づいてエンペラーは少し愉快な気分になる。


『昔のおまえのままだったら、すぐ実父だってバレてただろうな』

「…………」


 突然、僅かに瞳を見開いたデメテルの白い手がすっと伸びた。ディンのサングラスを外そうとして、途中でディンの手に遮られる。


「……白髪になったのはともかく、その白眼。死人の証っていうけど、あんた、本当に……」

「あぁ。心臓は止まったままだ」


 肯定するディンに、一瞬デメテルの黒瞳に哀の色が滲む。


「……こうして、顔見せて話しているのにねぇ……。あの子は愚者に憑かれた後、大聖堂から動けなかったが……大丈夫なのかい?」

「これは実の体じゃない。魔力で複写し意識を移したものだ」

「未だ封印の器の中って訳かい……。だから大聖堂が暢気に構えているんだね」

「そうでもない。少なくとも私は今回、フォンスには入らないつもりだ」

「危ないのかい。ハーミットもそう言っていたけど……心配だね、あの子達」

『ま、エビルには俺様がついてるしな、街の中がどんな状況であれ、心配いらねぇって』


 根拠のない自信を抱いて胸を張るエンペラーにデメテルは深いため息を返した。


「だから、それが心配なんだよ」

『だからなんなんだよその目は俺様に対して失礼だろ。……まぁ、本当は俺様だけで十分なんだけどよ、今回はテンパレンスやデスだっているじゃねーか。だから……って。おいディン』

「なんだ」

『おまえの正体、デスはともかく、テンパレンスはさすがに気づいてるんだろうな』

「ヨウィスを発つ前に、姫と共にホイールオブフォーチュンと私を訪ねてきた」

『あの時か。……気になっていたんだが、姫さんはおまえたちに何を訊いたんだ? あの後、国を発つ事を決断したんだろ』

「何も訊かなかった」


 さらりと告げる無表情のディンに目を点にするエンペラー。


『は?』

「姫は俺の手を握っただけだ」

『…………そりゃあ』

「テンパレンスの適格者は人の心を読む。訊くよりも早いってことかい?」

「顔に出したつもりはないが僅かに躊躇を見せたんだろう。俺を見上げて姫は読まないと言った。それに、俺の体は魔力で練り上げたものだ。読めたか定かじゃない」

「死人で幻。まるで幽霊のあんたの手に触れて、何を感じたんだろうねぇ……」


 ため息交じりに吐いたデメテルの問いに、それぞれが思案する。

 かつての自分達と同じ様に。若い適格者達が歩むであろう過酷な未来に思いを馳せた。

 彼らの長い夜は、こうして静かに更けていった。




 ――// TO RETURN //――




 荷物を置かせてもらっている狭い部屋へ立ち寄る。

 手紙を出そうと、リュックを開けてごそごそやっていると、どこからともなくテンパレンスの声が聞こえてきた。


『ですが、リキュ……』

「いいの。もう決めたの」


 庭の方から小さな物音とともにリキュールの声が聞こえてそちらを向いた。

 僅かに風を感じる。

 部屋の窓が少し開いていて、声も夜風もそこから漏れているようだった。

 隙間から覗くと、庭をずんずん暗い森に向かって歩いていくリキュールの背をテンパレンスが追いかけている。


「あいつ……こんな時間に森に入る気か……!?」


 彼女のアルカナ、テンパレンスは、戦闘に適したアルカナではない。彼女等だけで夜行性の猛獣が活発化する夜の森を歩くのは危険だ。

 急いで部屋を出て、玄関へ向かった。



「リキュール! テンパレンス!」


 デメテルの家を出てから二、三分。すぐに小さな背中を見つけて声を上げる。

 リキュールとテンパレンスはそれぞれの表情で振り返った。

 リキュールは驚きの表情で、テンパレンスはやっと来たかという顔で俺を見下ろす。

 さすがに感知能力に長けたテンパレンスは追ってくる俺の気配に気づいていたようだ。


「こんな夜更けに危ないじゃないか、一体どこへ行く気だよ?」

「アスキーを探しに行くの」

「アスキーを?」


 頷くとリキュールは再び森の中へ入っていく。


「テンパレンスにアスキーが外に出てったって聞いたの。彼、外で寝るつもりなんでしょう? テンパレンスに訊いたらこの先にある湖の近くにいるっていうから」


 リキュールの言葉を受け、困った様子で俺を見るテンパレンス。……テンパレンスが止めても聞かなかったって事か。

 頷いてみせると、慌ててリキュールを追いかけた。


「だからってこんな真夜中にテンパレンスと二人じゃ危ないだろ」

「だいじょぶ。テンパレンスが危険を察知してくれるし、それにわたし、こう見えて結構身軽なんだから」

「知ってるけどさ。それでもクレイドゥルを出てから何度も危ない目に遭ってきただろ。忘れた訳じゃないよな?」

「それはそうだけど……それはアスキーも同じでしょ? お家の中で休んだ方が安全だと思うの」

「あいつなら野宿慣れしてるし。デスもいるから大丈夫だって」

「エビルは心配じゃないの?」

「リキュールの方が心配だって話」

「わたしなら……」

「大丈夫じゃない。帰ろう。奴に話したいことがあるんなら明日でもいいだろ?」

「話したいこと、寝たら忘れちゃうかも。今思ってる事全部伝えられないのは嫌」

「言いたいこと、メモしとけばいいじゃないか」

「でも……」


 俺はリキュールの腕をとって強引に止めた。

 月明かりも届かない暗い森の中。リキュールは闇に染まった強い瞳に僅かに抗議の色を乗せて振り返る。


「俺がエンペラーと一緒についていってもいいんだけどさ。あいつは嫌がるだろ。でもだからってリキュール達二人だけで行かせる訳には行かないよ」

「エビル……」

「ここはヨウィスの森じゃないんだ。もっと獰猛で凶悪な猛獣がウヨウヨしてる。だから……」

「…………」


 突然、リキュールがくるりと俺に向き直った。


「ねぇ、エビルはアスキーと話しようと思わないの?」

「……俺が? 何を話そうっていうんだ?」

「いろいろ。エンペラーや、わたしと話すみたいに」

「リキュールも知ってるよな? あいつが俺を嫌ってる……っつうか、憎んでるの」

「エビルは?」

「……何?」

「エビルは嫌い? アスキーと話すのは嫌?」

「……俺は別に。嫌う理由もないし。あいつが俺の事を許せないのは当然だと思う」

「なら、話そうよ。だってなんか、こんなのおかしい」

「リキュール」

「一緒に旅をしているんだから、一緒にいようよ。ご飯の時も寝る時も危険な場所も一緒に」

「言いたい事はわかるけど……俺が話しかけた所であいつは嫌がるさ。過去が変わらないように、それは変わらないよ」


 俺の言葉に落胆した様子で項垂れるリキュール。

 うつむいたまま、ぽつりと呟いた。


「エビルは逃げてるよ」

「え?」


 小さくてよく聞き取れない。声を上げるとリキュールは、むすっとした顔を上げる。


「エビルは聴き訳がいい……いい子の振りしてるだけだ。全部アスキーのせいにして、怠けてるよ、伝える事」

「伝えること?」

「口にしてくれなくちゃ、わからないよ。エビルの事。エビルの事情。きっと……アスキーも」

「あいつは別に知りたがってないよ」

「………………」


 俺の言葉に、ますます頬を膨らまかしたリキュール。


「事実を知らないで怒りんぼうだなんて……このままじゃアスキーがかわいそうだよ」


 言うと、リキュールは俺の横を通り過ぎた。


「リキュール!」


 名を呼んでも返事もしない。

 リキュールはそのままデメテルの家の方向へ早歩きで去っていく。


『お手数おかけしました。エビル・アストワルド』


 珍しく、リキュールのそばを離れこの場に留まったテンパレンスが、俺の隣でしおらしく頭を下げた。


「それはいいんだけどさ……怒らせちゃったかな……」


 ため息交じりに呟きつつ後頭部を掻く。


『リキュは知らないのです』


 テンパレンスは彼女の背を見つめていった。


『世界には、どうにもならない事もあるという事。……けれど』

「…………」

『リキュはこのまま……、ずっと、まっすぐなままでいいと思います』


 慈愛に満ちた青の眼差し。


「……ああ。そうだな」


 テンパレンスの視線を追い、僅かに見えるリキュールの後姿を見送る。

 と、先ほど彼女が口にした言葉が脳裏を掠めた。


『口にしてくれなくちゃ、わからないよ。エビルの事。エビルの事情。きっと……アスキーも』


 ……だけどリキュール。

 それは、言い訳とどう違うんだ?

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