1.立ち往生
俺の名前はエビル・アストワルド。
マルティス大陸出身。アルカナ憑きの十六歳。金の髪はつい昨日の事。リキュこと、黒髪黒瞳のクレイドゥルの王女、リキュール・ヴァライエティ・クレイドゥルに「鬱陶しい」といわれて好き勝手に切られ、前よりもさらにザンバラになってしまった。
今はメルクリィ大陸の聖堂を目指して、リキュールのほかに、俺に憑いている精霊のキンピカ甲冑赤髪大男エンペラーと、エンペラーに対してだけ氷よりも冷たい言動を放つ白金の髪と碧眼を持つリキュールの精霊テンパレンス、それに聖職師の黒衣を着た白髪サングラスの大男ディンと共に旅をしている。
クレイドゥル国を出てちょうど一週間。俺達は、先行しているはずのアスキー・ボー・カルブンクルスとその精霊デスを追ってヨウィス大陸を南へ移動し、辿り着いた港でメルクリィ大陸に向かう客船に乗り込んだ。
聖職師であるディンの顔パスで検問を突破し、海も船も見るのは初めてだと散々はしゃぎまわるリキュールに毎日ヘトヘトになるまで船内探検に付き合わされた三日間を経て、船はついにメルクリィ大陸に上陸!
後は港町から出ている乗合馬車で、メルクリィ聖堂のあるメルクリィ一の首都フォンスへ一直線! ……の、はずだったんだけど。
フォンスの門前に出来ていた大規模な人だかりを前に不審に思った俺達を残し、威風堂々偵察に向かったディンが、やっぱり大股でこちらに戻ってきた。
「入れない!?」
『なんでまた!』
目を丸くして身を乗り出すと、俺の背後に立っていたエンペラーと体勢が見事にシンクロしてしまっていた。
対し、無表情で仁王立ちする黒衣の聖職師ディンは、
「国中でアルカナ狩りが行われているらしい」
と、渋い声で一言。
「アルカナ狩り?」
『どういう事ですか?』
リキュールとその後ろに控えていたテンパレンスも怪訝な面持ちでディンを見上げる。
「門前の集団の中にアスキーを見つけた。奴の話によると、二週間前、メルクリィ聖堂の聖職者がフォンス内でアルカナの反応を探知したらしい。適格者の逃走を防ぐために国は総ての門を閉鎖。出入りは禁じられているそうだ。奴も他の連中と同じくここ数日、門前で立ち往生している」
「大変じゃないか!」
『ぼっちゃん王子でも入れんのか? あいつガキンチョだが歴とした一国王じゃねぇか』
エンペラーの言う「ぼっちゃん王子」とはアスキーの事。奴は、十年前に消滅したマルティス大陸内にあった大国、カルブンクルスの王子だ。
十年前の事件で王が亡くなった事で、王家の血を引く唯一の生き残りである奴が王となった。
「奴は指示を仰ぐためにこちらの到着を待っていたらしい」
「っておい……っ」
『賢明な判断ですね。彼は亡国の王であると同時にアルカナの適格者です。そのような緊迫した状況下での悪目立ちは避けた方がいい』
「テンパレンスも! なんでそんなに冷静なんだよ?」
『私はいつもこうですが』
「エビルこそ。なんでそんなに慌てているの?」
きょとんとリキュールの平和な態度。全員、俺とはあきらかに温度が違う。
「なんでって、アルカナ狩りだぜ?」
「アルカナって、死なないんでしょ?」
ねぇ? とテンパレンスを見上げるリキュール。やっぱりわかっていなかったのか……。思わずうーむと唸ってしまう。彼女はアルカナ憑きだが、自国で守られずっと魔力封じの塔の中で生活していた。だからなのか、俺と同じ年なのにひどく世間に疎いところがある。
「そりゃ、アルカナはな? たとえ殺されたって別の適格者に移るだけだ。だけど憑かれてる人間はそうはいかないだろ? 殺されたらそれっきりじゃないか」
俺の言葉に、リキュールの顔がみるみる蒼白になる。
「…………アルカナ狩りって、殺されちゃうの?」
「ああ」
「アルカナが憑いてるってだけで……そんなに簡単に、人を殺しちゃうの?」
非難の色を秘めた大きな黒い瞳が、まっすぐに俺を見上げる。
「ああ」
受け止めて、息を吐きながら肯定した。
「そうだよ。クレイドゥルで暮らしてきたリキュールは知らないかもしれないけど。世界じゃよくある話だ」
「………………」
ショックを受けた様子で立ち尽くすこと数秒。
「大変! 助けなきゃ、テンパレンス……!」
長い黒髪が流れる。
血相を変えてリキュールが後ろに居る自身のアルカナを振り返った。
「だから、そう言ってるじゃないか、急いで……!」
『だから、どこへ行くんだ? おまえさんら』
リキュールと二人、魔力で半実体化させたエンペラーの太い両手に背後から頭をぐっと掴まれる。
「なにすんだよエンペラー!」
「どこへって当然……!」
『言いたいことはわかる。行きたいところもな。けど手段がない。エビル。おまえさん、前にフォンスに行った時に見ただろ。フォンスはクレィドゥル同様、高い塀で囲われた都市だ。おまけに塀にはご丁寧に対アルカナ用の結界まで仕込んどるもんだから破壊は愚か、よじ登る事すら出来ない。外に通じる門は全部で三つ。これが全て閉ざされていれば俺様達だって侵入どころか、街から出る事も出来ない。それこそ空でも飛んでいかない限りはな』
「う……っ」
そうだった。
一週間と少し前にクレイドゥルに入国するまで、エンペラーと二人、ディンを探して世界中をうろうろしていた俺。当然ここフォンスにも立ち寄った事があるのだが、その時は三門全て開かれていたし、警戒も緩かったので難なく入国する事ができた。
まぁ「悪魔の子」として聖堂や皇族に顔が割れている俺は普通に門を通過する訳にもいかず、クレイドゥルに入国した時同様、浮浪者のようなあの恰好に変装し、万一見つかった時のためにエンペラーと逃走経路を頭に叩き込んだ。結界が仕込んである高い壁も三門もちゃんと記憶していたはずなのに……どうも頭に血が上ると完全に機能を停止してしまう造りらしい、この頭。
「じゃ、じゃあどうすんだよ? まさかこのまま見過ごすって言うつもりじゃ……」
『俺様達はマジシャンに用があるんだぜ?』
マジシャンとは、メリクリィ大陸に憑く聖霊の名だ。ヨウィス大陸に憑くホイールオブフォーチュン同様、七つの大陸に憑く聖霊と呼ばれるモノは人々に神と崇められ各地の聖堂に祭られている。
が、ディンやエンペラー達の話じゃ聖霊は、人に憑く精霊――人々から忌み嫌われているエンペラー達と等しい存在なのだという。大陸に憑くか、人に憑くかの違いだけなのだそうだ。
『奴に会える聖堂はこの門の向こう。なら、俺様らは是が非でも中に入らにゃならん』
『正確には、目的はエビル・アストワルドに水の精霊ハングドマンを憑ける事。その資格を得るために最低でも彼だけはフォンスに入国しマジシャンに会う必要があります』
言葉足らずのエンペラーをいつものように一睨みした後、テンパレンスが補足してくれる。
俺達は今、エンペラーを強化する為、適格者である俺に四大精霊を憑けるべく聖堂巡りをしている。
ホイールオブフォーチュンの話じゃなんでも、エンペラーという精霊は特別で、適格者に四大精霊を憑ける事で自身の力を強化する事ができるのだという。
今現在も各地で暴れまわっているであろう、たくさんのフールの分身の大元、フール本体を叩くために。
フールとは、正――生の意思を持つエンペラー達とは違い、負――滅びの意思を持つ精霊で、己の分身を無尽蔵に生み、心の弱った人々に憑く事で世界を混沌の渦に陥れようとする諸悪の根源。これまで俺達アルカナの適格者は、各地に出現するフールの分身をその都度撃破してきた。……のだけれど。
ホイールオブフォーチュンの導き(?)により俺達はフール本体に挑む事を決意した。
大陸に憑く聖霊は強大な力を持ってはいるが、憑いている大陸を離れられない。フールに挑むのであれば、人に憑く精霊――その中でもエンペラーは最も適した精霊なのだとホイールオブフォーチュンは言った。
かつてエンペラーの前適格者は、エンペラーと共にフール本体に挑んで、大敗したらしい。
それは即ち、今のままじゃ俺達もフールには適わないという事。挑むのであれば、エンペラーの強化は必須だ。
「なら、どのみちフォンスには入らなきゃならない」
『ええ。今から大陸を渡り他の地の聖堂に向かうという手もありますが、それだと効率が悪いですし……何よりリキュが納得しないでしょう』
長い付き合いでリキュールの性質を熟知しているのか既にあきらめ顔のテンパレンス。彼女の視線を受け、リキュールが胸の前でこぶしを作って意気込んだ。
「このまま放っておいたら殺されちゃうんでしょ? 早く助けないと!」
リキュールの言葉に俺はしっかりと頷いて、それから背後を振り返った。
相変わらずたっぷりの威圧感と独特の雰囲気を放ちまくっている巨体の男が、俺達のやり取りを黒のサングラス越しに眺めている。
「デイン。あんた状況説明しただけでずっと黙ってるけど、意見はないのか」
「フールと戦う前であれば、フォンス入国が先になろうと後になろうと問題ない。お前達が選択する事だ」
「なら決まりだな。侵入するぞ」
『まぁ。聖職者がアルカナ狩りをした所で、そうやすやすと奴が捕まる事はないと思うのですが……』
テンパレンスがため息混じりに呟いた。
「知ってるのか? フォンスにいるアルカナがどんな奴なのか」
『知ってるもなにも……気配を探れば判ります』
そうだった。
アルカナに限らず、あらゆる生物の気配の探知はテンパレンスの十八番だ。
テンパレンスは遠くに見えるフォンスの立派な正門を仰いでいる。石膏のような彼女のすっとした顎のラインを見上げたまま、言葉を待った。
『濃厚なマジシャンの気配に混じっていくつかアルカナの気配が存在しますが……フォンス内のこの、世にも軽薄な気配はラヴァーズのものでしょう』
「ラヴァーズ?」
『あいつかぁ……』
俺が声を上げるのとエンペラーが懐かし気に空を仰ぐのとはほぼ同時だった。
「捕まる事はないって。すばしっこい奴なのか?」
『いいえ。ただ、奴の能力が特殊なので……国が閉鎖されている今も恐らく平然と街中を行き来しているものと思われます』
「はぁ?」
なんだそれ。
危機感ないっつか。
「ラヴァーズっていうアルカナの他にもアルカナが居るの?」
テンパレンスの言葉に、同じく切羽詰っていないことを感じたのか、気を取り直したリキュールが好奇心丸出しの声を上げた。
『ええ。町外れにもう一体気配を感知しました。後、希薄ですが、ハングドマンの気配もあります』
「探知できるのか?」
『居場所の特定には時間がかかるかもしれません』
『だったら、わざわざリスク犯してマジシャンの前に面出しせずともこのままハングドマンのトコに直行すればいいんじゃね? ジャッジメントだって自然にこいつに憑いたんだぜ?』
ジャッジメントとは、十年前にマルティス大陸で起きた事件の時に、俺に憑いた火の精霊の事だ。
「それではだめだ」
盛り上がりかけた一同を止めたのは腹の底から響くような低く渋い声。
「聖堂には必ず行く。それが、地の精霊の加護を得る為の最低条件だ」
少し離れた位置に立つディンが諌める。
「地の精霊? ハングドマンは水の精霊だろ? マルクリィ大陸には地の精霊もいるのか?」
『地の属性に該当するアルカナはいません。地とは土地、大陸を示す――故に、この星そのものではないかと考えられています』
テンパレンスが口をはさんだ。
「星そのもの?」
「そんなものを、どうやってエビルに憑けるの?」
『さぁ。それを存じているのは、彼だけではないでしょうか』
俺達の疑問を受け、澄んだ碧の瞳でディンを振り返る。テンパレンスの視線を追って俺達も再び視点をディンに移した。
『それならこれまでの彼の行動の理由が理解できます』
テンパレンスの意味ありげな視線にしかし、ディンは無言で受け流す。
「まただんまりか……。とにかく、聖堂巡りは絶対条件って事なんだな。って事は、意地でも七大陸回らないといけないんだな」
「長い旅になりそうだね」
俺よりも頭一つ分低い背丈のリキュールの視線を受け頷いてみせる。大きな黒い瞳は好奇心の光でキラキラと輝いていた。生まれてずっと小さな田舎国で暮らしていた彼女にとって旅はどんなものであれ嬉しい事なのだそうだ。
「エビルは、前にもフォンスへ行った事があるの?」
「あぁ……数年前にエンペラーと。ディンを探して」
「ディンさんを?」
「ああ……」
ディンを見つけだす事。それが、死んだ親父と交わした最後の約束だった。
未だ背中のリュックの奥にしまったままの、ディン宛ての親父の手紙を渡す為に。
リキュールに話そうと口を開いて…………言うのを躊躇った。
別に、一緒に行動しているからって、この子にそこまで説明しなくてもいい気がした。
「その、フォンス以外にもいろんな国に行ったよ。行ってない大陸はザートゥルニくらいじゃないかな」
「そうなんだ」
リキュールの大きな黒目がさらにきらきらと輝いた。
同じ年のはずのこの子は、子供のように考えている事がそのまま顔に出る。
今もそう。
すごぉい……って顔。
「別に、そんなすごい話でもないよ。状況がそうだっただけ。リキュールだって。生まれてずっとクレイドゥルから出たことなかったってのは、そういう状況だったからだろ?」
「リキュ、よくわかんない。でも自分の知らない事を知ってる人ってすごいって思うよ」
「………………」
本当に。
呆れる位にまっすぐな奴だな……。
…………。
言い訳めいてた……かな。
さっきの言葉も、リキュにっていうか、自分に言い聞かせていたような気がする。
特別な事じゃなく、普通なんだって。
……変に気にしてんのは俺の方かも。
『なんだよエビル。照れてんの?』
考えているとまたも、わざわざ半実体化させた太い右腕をずしっと頭の上に乗せてくるエンペラー。
ニヤニヤと物言いたげに身を屈めて俺の顔を覗き込んでくる。
「なんでだよ? 反省してただけだっての」
『……まぁたおまえは色気の無いことを……』
俺が腕を払いのけると、ため息と共にずるずると項垂れるエンペラー。
「? なんだよ?」
「変なエンペラー」
『……まったく世にも悪趣味な……』
エンペラーの変な反応に俺とリキュールが顔を見合わせていると、それを遠巻きに見ていたテンパレンスがそれはそれは深いため息をこぼした。
『ンじゃまぁ。乗り込むってことは決まってるけど、別に切羽詰ってる状況でもないって訳だが。どうやって乗り込むんだ? 聖職師先頭に突っ込むか?』
半目でディンを見やるエンペラー。
「そっか。ディンさんって聖職師だもんね。アルカナ憑きの私たちを連れていたって問題ないんだ」
二人の言葉に目からウロコ状態で手を叩く。
すっかり失念していたが、こんな厳ついナリしてディンは聖職師だ。
聖職師とは、世界ディエースの七大陸の各聖堂を統括するザートゥル二大聖堂の聖職者――その中でも修業を極め、各大陸の聖堂に派遣され指導を行う上位の聖職者の事を指す。聖霊より齎された奇跡の力を振るう彼らは、最も神(聖霊)に近い存在として世に知られている。聖職者にとっては憧れであり、目指す地位らしい。ディンの着用する黒衣は聖職師の証で、聖職者は一目見ただけで平伏す――というのはちょっと大袈裟か。でも実際ディンの力は相当なもので、油断をすればエンペラーだって手こずるであろうトンデモ人間だ。
確かにヨウィス聖堂でだって、正体がバレた俺を、その肩書きを持って堂々と擁護したのは奴で、その発言は容認された。
なら、バリアが張ってあって通れない……って問題は楽々クリアなのか。いや、それどころか。
「なんだ。悩む必要なんてなかったじゃん。バリアだろうが聖職者だろうがラヴァーズ保護だろうが、ディンが一言物申してゴリ押しすればそれで終わりじゃないか」
後頭部に両手をやりボヤくと、ディンは「いや」と声をあげる。
「ラヴァーズを保護するつもりはない」
「は?」
「どうして? だってディンさん、私たちの事は……」
「フールを倒す為に必要だからだ。ラヴァーズに用はない」
「そんな……」
絶句するリキュール。だが、それ以上言及する事はしなかった。
彼女ですら解っている。聖職者とアルカナ憑きの関係。彼らは、元来そういう存在なのだ。
とは言え、俺も……やっぱりどこかショックだった。親父の知り合いだからってどこか特別視していた。それに、こいつは初めて、俺の存在を容認してくれた人間なのだ。
だが。それは自分達の都合で俺達アルカナ憑きを利用しているだけにすぎないと。たった今ディンは俺達に言い放ったのだ。
「結局、ディンも他の聖職者と変わらないんだな」
俺の言葉に、無言のディン。否定も肯定もしない。その態度が、やけに苛立たせた。
……なんだって親父は、俺にこいつを探すように言ったのだろう。
「テンパレンス」
『なんでしょう。ディン』
「ハーミットの気配は辿れるか」
「ハーミットって……?」
リキュールが首を傾げる。その横で碧眼を閉じたテンパレンスが肯定した。
『問題ありません。フォンスから遠ざかりますが……』
「仕方が無い」
「なんだよ。ハーミットって」
問うと、ディンがこちらに視線を向けるより早く、隣にいたエンペラーがため息交じりにボヤいた。
『メルクリィ大陸に陣取っている偏屈爺さんだ』
「じいさん?」
「行くぞ」
声が聞こえてそちらを見ると、既に背中を向けて街道を行くディンの姿。
「って、どこ行くんだよ? フォンスとは別方向……!」
俺の声に、ぴたりと大股を止めたディン。
振り返らずに、ただ低い声を落とした。
「ハーミットに知恵を請う」