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メィルティア王国ストーリー  作者: 三田弾正
ソロモン海戦史
3/4

第一話 王女の艦隊

当面は一話だけです。

西暦1942年 昭和17年10月2日


■大日本帝国 信託統治領 南洋諸島 トラック島


友邦大英帝国領ソロモン諸島に侵攻してきたアメリカ軍を撃破する為、8月8日の第一次ソロモン海戦において、ガダルカナル島沖で戦った第八艦隊への増援として、9月27日、第十戦隊の高速戦艦比叡、霧島が入港してきた。両艦は金剛級高速戦艦の2、4番艦であり姉妹艦であった。


更に10月2日トラック島に全く見たことない艦隊が入港してきた。

巡洋戦艦1、空母1、重巡4、軽巡1、駆逐艦8という小規模艦隊では有ったが、この艦隊の軍艦旗は帝国海軍の旭日旗でも英国海軍のホワイト・エンサインでも無く、赤字に青の×印が入った旗であった。


その艦隊は、巡洋戦艦ローセンレリア、装甲空母プリセス・ヴェアトリス、重巡洋艦サルトー、オラン、メルシャリス、ヴェルンヴェン、軽巡洋艦ストネジャウ、駆逐艦アーセン、ドレッド、ブルガン、イトラスロ、インテレルア、クインズル、オバウア、ソファツと油槽艦アマニダニ、給兵艦オタニムス、工作艦アスロックスの各艦であった。


艦隊は、メィルティア王国から遙々インド洋を越えて同盟国大日本帝国への増援として遣わされたものであった。


「殿下、全艦指定のブイに係留終了致しました」

「御苦労様、あれが大和ね」

「左様でございますな」


「6万4千トンか、彼処まで小型化してバイタルパートを短くしたんだろうけど、非装甲部からの浸水したら、危ないんじゃないかしらね」

「どうでしょうか」


「まあ、只此処に停泊しているだけじゃ、関係ないけどね」

「殿下、向こうでその様な事を」

「判ってるわよ」


そう話しながら、20歳ほどの殿下と呼ばれる女性海軍中将は昼間艦橋からエレベーターを使い降りて行った。その後内火艇で大日本帝国連合艦隊旗艦大和へと向かっていった。






1939年9月1日に始まった第二次世界大戦はヒトラー率いるナチスドイツを中心とする枢軸国と大英帝国を中心とする連合国との戦いで有った。日本は日英同盟に基づき同年9月17日に対独宣戦布告を行い、派欧艦隊を編成し同年12月8日に天皇陛下御臨席の中、横須賀軍港より艦隊が英国へと旅立った。


その頃アメリカでは1940年の大統領選挙前に最有力候補で現職のフランクリン・デラノ・ルーズベルトの国民には戦争はしないと言いながら、実際には戦争をするためにドイツや日本に対して挑発行為を繰り返した事、政治顧問とオフレコで話した、“国民に戦争はしない、貴方方のお子さん達を戦場に送ることはしない”という演説が真っ赤な嘘だと激白した音声がラジオで流れた結果、一大スキャンダルに発展した挙げ句、追い打ちを掛けるように重度の持病の事も暴露されてしまい、支持率を大いに下げ、大統領選に破れてしまった。


その結果、大統領選はダークホースでヘンリー・フォードなどが押す。ドイツ贔屓で英国嫌いのチャールズ・リンドバークが当選するという大事件が起こり、アメリカとイギリスの関係は冷淡化していったのである。


そして、1940年11月にリンドバーク大統領が誕生すると、ドイツに対しての宥和政策が始まった。その後1941年6月22日にドイツの対ソ開戦に因って、英国がソ連に援助を始めると、反共主義者であるリンドバーク大統領は英国を名指しで批判した。


同年8月27日、リンドバーク大統領がテキサス州ダラスにおいてアメリカ共産党員により狙撃され重傷を負う事件が起こると、FBI長官ジョン・エドガー・フーヴァー により以前から調べあげられていた、政府内に巣くうソビエト共産党細胞が一斉に検挙され始めた。所謂レッドパージである。


驚くべき事に、その逮捕者の中には、前大統領ルーズベルトの商務長官ハリー・ホプキンスや、政府高官の多くが含まれており、政府の発表は全米中で驚愕を持って受け入れられた。


更にスターリンの行っている、強制収容所の実態や粛正の凄まじさが、知られると一気に世論は反ソへと傾いたのである。その為ソ連を攻撃するドイツに喝采が、ソ連を援助する英国に非難が続出したのであった。


1941年10月2日、病床の身でリンドバーク大統領はワシントンで民衆の前に姿を現し、ソ連の非道と英国の見識の無さ批判し、ドイツに対して武器や資源の貸し付け法案を議会に提出すると宣言した。その演説に多くの市民が賛成の雄叫びを上げ、世論に後押しされた状態で二週間後にはレンドリース法案として成立したのである。


1941年12月7日デンマーク海峡を航行中のレンドリース船団中のオイルタンカー、テキサコ・テウーゾンが突然魚雷攻撃で撃沈された、その日は靄で視界はやや不良であったが、護衛の駆逐艦ワードがレーダーで魚雷を発射したと思われる船が急速に潜航するのを発見し追いかけ回し警告爆雷攻撃を行った。


しかしワードに対しても魚雷攻撃してきたため、やむを得ず撃沈し、その潜水艦から浮遊してきた遺物に、英国海軍旗が発見されたために、アメリカは英国に抗議と賠償を請求をしたが、英国側からは、その様な潜水艦が存在しないと拒否されたために世論が激高。それに引きずられる形で12月10日、英国に最後通牒が発せられた。


実際その時その海域には英国海軍の潜水艦は存在しなかった、では攻撃した潜水艦はいったい何処の誰であったのであろうか?


堂々めぐりの中、英国からのそれ以上の連絡は無く、12月12日正式にアメリカはイギリスに宣戦を布告し、同時に日本、ソ連にも宣戦を布告した。こうして第二次世界大戦は全世界規模の戦いへと成っていった。

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