第二十五話 『ドッグデイズ』 1. 桐嶋ジョトラッシー
夕刻、光輔や礼也は楓の弟達も交え、ジョトの散歩がてら近所の公園へとやってきていた。
切なそうに眉を寄せる夕季も連れて。
遅い時間帯もあってか人影はまばらで、周囲に他の犬や子供がいないことを確認し、楓がジョトの鎖をはずした。
楓の弟達と嬉しそうに公園内を駆け回るジョトは、何度も楓や礼也のそばへ来ては激しく尻尾を振ってみせた。
端から恨めしそうに眺める夕季へはわき目も振らずに。
光輔がすっと手を差し出す。
するとジョトは、ハッハッと息まいて近寄り、光輔に愛想を振りまいてきた。
すかさず隣にいた夕季に気がつき、体勢を低くする。
バウバウバウッ!
「駄目、吼えちゃ」ジョトを厳しくたしなめ、申し訳なさそうに楓が夕季を返り見た。「ごめんなさい、古閑さん」
「いえ……」
「わかんだって、こいつにもよ」
追い討ちをかけるがごとく、傷心の夕季へパイルを打ち込む礼也。
「やっぱりわかるんだ! 犬にも!」
便乗した光輔を夕季が思い切り睨みつけた。
「……ははは」
バウ、バウ、バウ!
「……」
「……。ほら」
「ほらって!……」ぷいとそっぽを向くその唇がひくひくと震えていた。「う、う……」
「今、うううって言わなかった?」
「うるさい! 死ねば!」
「死ねば?……」
一人ベンチへと向かった夕季を、礼也と光輔が不思議そうに眺める。
「すげえダメージ受けてやがんな。珍しく」
「あいつ、犬好きだからね。ショックなんだろうな」
「てめえが狂犬みてえなもんなのによ」
「……おまえが言っちゃ駄目だと思うよ」
「なんか哀れじゃねえか、あんな野郎でもよ……」ふっ、と涼しげに笑った。「おーい、夕季」
礼也に呼びかけられ、夕季が振り返る。
すると礼也はジョトへと顔を向け、呼びつけた。
「ジョトッ、来い」
尻尾を振りながら喜び勇んでジョトが走り寄って来る。それを抱きとめ、ペロペロ舐めてくるその頭を激しく撫でてみせた。
「うあ、きったねえな。しゃあ、しゃあ、しゃあ、しゃあ。きったねえって!」
夕季にニタリと笑いかける。
ぷちん、と糸が切れ、夕季は口をへの字に曲げ顔を真横へ向けてしまった。それはもう悔しそうに。
光輔のそばで礼也がガッツポーズをする。
「おし、勝った!」
「……ひど」
陽も落ちかかる頃、楓はベンチで夕季と並んで腰を下ろしていた。いまだ犬とともに戯れる輩の荷物番と、夕季の話し相手として。
「ジョトラッシーってどういう意味なんですか」
ダメージ癒えぬ夕季が、楽しそうに走り回る光輔らをチラ見しながら、淋しげにたずねる。
ジョトとボール遊びをする弟達を眺めながら、楓がおもしろそうに笑った。
「お父さんがつけたの。すごい血統なんだぞって言ってた。いろんな血が混ざってるから名犬の名前のいいとこどりで」
「それって……」
「要はすごくミックスってこと」
「……」
その時、ジョトが楓のそばへと近づいて来た。
咄嗟に身がまえる夕季。
が、ジョトは楓を通り抜け、夕季の前で動きを止めると、その足もとにおもちゃのボールを置いたのである。
「!」
何事かを訴えるように夕季の顔を見上げるジョトの様子に、楓がふふっと笑みをもらす。
「古閑さんに遊んでほしいみたい」
「……」
何事かを訴えるようなまなざしを夕季に向けられ、楓がやや引き気味の笑みをキープした。
「……大丈夫。誤解は解けたみたいだから」
「誤解……」
うながされるように夕季がプラスチックのボールを拾い上げる。ぎこちなく近くへ転がすと、すぐさまジョトが追いかけ、そしてまた夕季のもとへと駆け寄って来た。
夕季の足もとへボールを置き、求めるような表情をジョトが差し向けてくる。
「……」
眉間に皺を寄せ、夕季が再度ボールを拾い上げると、今度は先より遠くへ放った。
それを当たり前だと言わんばかりにジョトが追いかけ、くわえ、舞い戻る。
夕季はよだれにまみれたボールをまた拾い上げ、また同じふうに放り投げた。
表情は変わらない。だが今度は戻って来たジョトへおそるおそる手を伸ばすと、そのふさふさの頭を撫で撫でしてみた。
気持ちよさそうに、嬉しそうにジョトが目を閉じる。
少しだけ夕季の表情が和らいだようだった。
今度は自信を持ってボールを投げてみた。嬉しそうに飛び出して行くその背中をまばたきもせずに追いかけながら。
ボールを投げる。取って来る。頭を撫でる。
ボールを投げる。取って来る。頭を撫でる。
ボールを投げる。取って来る。頭を撫でる。
夕季とジョトは、何度も同じ行為を飽きもせずに淡々と繰り返していた。
「あれ、あいつ……」
芝生の上で楓の妹とプロレスごっこをしていた光輔がそれに気づき手を止めた。
「とう!」
「あてっ。そこ蹴っちゃ駄目だってば!」
楓の弟を逆さ吊りにしていた礼也も顔を向けた。
「んあ?」
「うあ~、やめろ~、降ろせ~!」
礼也と光輔が顔を見合わせる。
「なんか、楽しそうだな。淡々としてっけどよ」
「うわ~、死ぬ~、たずげで~」
「ああ、淡々としてるけどね。なんか、楽しそう」
「とう!」
「あてっ、また……。よし、俺も……」
「やめとけって」
寄って行こうとした光輔を礼也が制した。
「今行ったら、あのへんくつ、また照れてどっか行っちまうぞ」
「それもそうだな」
「とう!」
「あてっ、ちょっとさ……」
「し、死ぐう~……」
「おい、夕季」
洋一を片手で持ち上げながら、礼也が夕季に呼びかけた。
夕季がちらと振り返る。
「俺のバッグの中にコロッケパンが入ってっから、やっとけって」
「……。自分でやれば」
「メンドいだろ」憮然と言い放った夕季を不愉快そうに眺める。「んじゃもういいって」
すると夕季は何も言わずに礼也のバッグへ手をかけ、中からメロンパンを取り出した。
それをうまそうに食べるジョトを見つめる夕季の顔はしごく嬉しそうだった。
「おいこらてめえ! メロンパンは駄目だってのがあらかじめわかんねーか!」憤慨の礼也が洋一をぶんぶんと振り回す。「わざとか! ぜってーわざとだな!」
「死んだ……」
「とう!」
「あてっ! ……なんでキン蹴りばっかするの」
「おい、猫娘は」
メック・トルーパーの事務所で他の隊員らと談笑していた光輔が、桔平に振り返った。
「夕季ですか」
「おう」しかつめらしく腕を組み、腕時計へちらと目をやる。「ケーキ・バイキングへ行く約束してたんだけどよ、あいつ、まだ来てねえのか」
「さっきうろうろしてましたけど」
「うろうろ?」
光輔が去り、入れ替わるタイミングで夕季がやってきた。
「おう、おまえどこ行ってたんだ」
「大沼さんのところ」
「沼やん?」
「実家で犬飼ってるって言うから、写真見せてもらってた」
「はん? 沼やんちだとイメージ的に、ドーベルマンとかボクサーとかか?」
「プードル」
「プードル!」
「トゥルーピーって名前」
「ドゥルーピー?……」
やや引き気味の桔平を、夕季が見上げる。
「桔平さん、犬飼ったことある?」
桔平が、んあ? と顔を向けた。
「ねえな。猫ならあるけど」
「犬、好きじゃないの?」
「どっちかってえと猫だな」
「ふうん……」
心持ちがっかりしたふうに顔をそむけた夕季を、桔平が不思議そうに覗き込む。
「なんだ、やぶからぼうに」
「別に……。どうして猫なの」
「猫は媚びねえからな」
「ふうん……」
「おまえは犬派か」
「どっちかって言うと」
「なんで犬なんだ」
「猫はあまりなつかないけど犬はなつくから」
「……おまえが言うか」
「……」
その時たまたま通りかかった木場を、桔平が呼び止めた。
「おい、木場。おまえも犬より猫好きだったよな」
ジロリと顔を向ける木場に、夕季が注目する。
「当然だ」
そのドヤ顔に夕季がムッとなった。
「今飼ってたっけか」
「ああ、二匹な。こないだ礼也が拾ってきたやつだが……」ようやく夕季がじっと見ているのに気づいた。「なんだ、何か用か」
すると夕季がぷいと顔を背けて吐き捨てた。
「猫って顔じゃない」
「……」
苦笑いの桔平に、木場がガバチョと振り返る。
「おい、桔平。何故いきなり俺があんなことを言われなきゃならん」
「ま、わからんでもないがな」
「どういう意味だ!」
「名前、何てんだ?」
「パンダとメロンだ」
「メロン、パン……」ムッとしながら吐き捨てる木場に、桔平がおもしろそうに笑ってみせた。「今日おまえんとこ行っていい?」
「猫が目的か」
「おうよ」
「断る」
「いや、断るな……」
それまで二人のやりとりを口を曲げつつ眺めていた夕季が、ふいにムッとしながら背中を向けた。
「二人とも、綾さんに報告するから」
「な!」
「ちょっと待て! 落ち着け!」真顔で桔平が引きとめようとする。「なんで焦ってるのか自分でもよくわかんねえんだが!」
「……」
夕季がぷんすかと去った後で、やれやれといった様子で二人が顔を見合わせた。
「なんだったんだろうな、あれ……」
「知らん……」
何とはなしに、夕季の方からコミニュケーションをとってきたことが嬉しそうでもあった。
「まあ、俺は犬も好きだがな」
その木場の呟きに桔平が反応した。
「犬は嫌いだ。尻尾振って媚び売ってるか、吠えて噛みつく奴ばかりじゃねえか。まるで人間みたいだろ」
「別に媚びを売っているわけじゃない。おまえだって好きな人間には寄って行くし、嫌いな奴には食ってかかるだろうが」
「だからだ。自分を見ているようで胸糞悪くなってくる」
「そういうことか」
「いや、納得するんじゃねえ……」
「お姉ちゃん」
夕飯の支度中に夕季に呼びかけられ、忍が振り返る。
「ん」
「犬飼いたくない?」
「……。飼いたいの」
「!」忍にズバリと突かれ、軽いパニックに陥った。「……あたしに言われても」
「?」
「……なんだか暑くなってきたかも」