第二十五話 『ドッグデイズ』 OP
その日、光輔らは授業を終えてから、楓の家へ遊びに来ていた。
夕季が犬好きだということを光輔が口走り、不快そうに顔をゆがめる礼也をさておき、楓が招待したのである。
光輔を睨みつけ、腕をつねる夕季の様子はどこかそわそわしているようにも見えた。
楓が住む仮設住宅へ足を踏み入れるや、犬小屋から一匹の白い中型犬が飛び出して来る。礼也の姿を認め、その犬、桐嶋ジョトラッシーは嬉しそうに抱きついてきた。
「バカ、やめろって」
二本足で立ち、前足で礼也の身体に寄りかかる。そして腰を落としたその顔をものすごい勢いでペロペロし始めた。
「わ、バカ、汚ねえ!」言葉と裏腹に礼也が嬉しそうな声をあげる。「このヤロ、恥ずかしげもなくでっかくなりやがってよ。ビビリのくせして。あはははは!」
不思議そうに眺める光輔へ振り返り、楓が満面の笑みを差し向けた。
「礼也君にすっかりなついちゃってるんだよ」
「へえ~。あいつ、あんま動物とかに好かれるタイプじゃないんだけどな」光輔が信じられないといった表情をしてみせた。「なんせ、あいつ自体が獣みたいなモンだからさ」
「あはは……」思わず苦笑いの楓。「前に危ないところを礼也君に助けてもらってね。それからジョト、彼のことを命の恩人だとでも思ってるみたい」
「恩人?……」
「ていうか、大好きなアニキってところかもね」
ジョトと戯れる礼也を、光輔がマジマジと眺める。その屈託のない笑顔は、自分達の知る普段の礼也とは別人のようだった。
「なんか信じられないな。な、夕季……」夕季へと振り返る光輔。すると微動だにせずにジョトと礼也の様子を見続ける夕季の姿が目に入った。「……羨ましそうだな」
カチン、と夕季が光輔を睨みつけた。
「……いや、そんなに触りたいなら、触ってくれば?」
夕季がぐっと顎を引く。
熱視線に焼かれ退いた光輔をちらと見てから、楓が夕季へ笑いかけた。
「古閑さんも遊んであげてよ。犬、好きなんでしょ?」
「……う」
「ジョト、喜ぶよ」
楓の笑顔に送り出され、夕季が素直に心を晒す。そして、やや緊張の面持ちでジョトへと近づいて行った。
「はは、ほんとは触りたくて仕方がないんだけどね。みんなが見てるから、照れちゃってるのかな」光輔が取り繕うように笑った。「あとさ、マイナス思考で、もし嫌われたらどうしようとかも考えちゃうみたいだね。特に礼也とかの前だと何言われるかわからないし」
それを受け、楓も同じ顔で笑ってみせた。
「大丈夫、犬好きの人なら。犬ってそういうのわかるみたいだから」
「だろうけどね、ははは」
ガルルルル!
唸り声に咄嗟に振り返る二人。
すると立ちすくむ夕季を睨みつけるように、ジョトが威嚇していた。
硬直する夕季へ、ポカンと礼也が目を向ける。
礼也を背にし、ジョトは外敵から彼を庇うがごとく唸り続けた。
「こら、ジョト!」
バウバウバウッ!
楓の呼びかけも何のその。大好きな兄貴をいじめる輩は俺が許さんとばかりに激しく咆哮をぶちかます。
距離を置くために、引き気味の光輔らへ、夕季が振り返った。
しごく悲しげな表情で。
その執拗に続く拒絶の暴力は、夕季の心を砕くのに必要充分だった。
「あ、夕季……」
「……」気の毒そうに眺める光輔に、夕季が悲しげな顔を差し向ける。「……帰る」
「待って、古閑さん!」
その日はとても暑かった。