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第十七話 『花・前編』 8. 狂った計画



 武道場におなじみの二人の姿があった。いつもどおりの練習風景。

 だがドラグノフは、常ならぬ気迫をその日の夕季から感じ取っていた。

 それまでの夕季より明らかに技に切れがあり、無駄がない。それはマスター・ドラグノフが袂を引き締めなければならないほどだった。

 組み手の応酬の末、ドラグノフが夕季の背後を取る。

「まだまだだな、ユウキ。……」

 片腕を極め、その無防備な背中を静かに見つめながら息をのんだ。

 夕季の呟きがドラグノフの心を現実へと引き戻させるまで。

「マーシャが何故花を育て続けるのかわかりますか」

 にやりと笑うドラグノフ。

「私を揺さぶろうとしているのか。残念ながら、答えはすでに出ている」

「あなたに受け取ってほしいからです」

「!」

 当然、ドラグノフの表情は夕季には見えていない。だがその変化を知るように夕季はたたみかけてきた。

「マーシャはあなたのことを愛しています。それを表に出せないのは、あなたがマーシャに愛されることを拒絶しているせいです」

「……」

 一瞬の気のゆるみをつき、夕季が体勢を入れ替える。すかさず背後を取ろうとしたが、ドラグノフが強引に抜け出し、二人は正面から向かい合う状態で静止した。

 がっかりし、小さく口を尖らせる夕季。

「……もう少しだったのに」

「私の心を揺さぶるとはたいしたものだ」安心したように、ふっと笑った。「残念ながら、詰めが甘かったようだがな」

「そうですね。でも、今言ったことは事実です」

 かっ、と見開かれるドラグノフの両眼。

 それから夕季は涼しげなまなざしでドラグノフをつつみ込むように続けた。

「マーシャが傷のある花を摘み取ってしまう理由は、一番素敵な花をあなたへ手渡したいからなんです。自分の手で、大好きなあなたへ」

「!」

「マーシャはすべて知っています。父親のことも、あなたのことも。ただあなたを受け入れるきっかけがないだけなんです。彼女も苦しんでいます。今のあなたと同じように……。気づいていますよね。……ここで彼女が見ていたのは、私じゃない」

「……」

 ゴクリと唾を飲み込むドラグノフ。

 黙って見つめ合う二人の間に、緊張感にも似た空気が流れていた。

「夕季」

 大沼の声に振り返る二人。

 まるで呪縛から逃れ出たような顔つきでもあった。

「柊さんが探していたぞ。集合がかかっていたんじゃないのか」

「あ、うん……」

 ドラグノフへ一礼し、夕季が道場を後にする。

 ちらとドラグノフを一瞥し、大沼もそれに続いた。

「訓練とはいえ、すごい殺気ですね。さすがマスターだ」顔も向けずに大沼がぼそりと告げる。「またご享受願います」

「ああ……。……君は」

 大沼が振り返った。その表情には微塵も乱れがない。

「……いや、何でもない」

「失礼します」

 去って行く大沼の姿を見届け、ドラグノフが顎の下の汗を手の甲で拭った。


 報告書の束をポンと投げ出し、桔平が光輔らを見渡す。ふん、と鼻息を荒げた。

「ヴォヴァルだ」

 ブリーフィング・ルームに光輔ら竜王のオビディエンサーと桔平、あさみ、腕組みをしながら壁際で直立する木場の姿があった。

「ヴォヴァル?」

 不機嫌そうな礼也に、同じく不機嫌そうな桔平が答える。

「カウンターの予想じゃ一週間てとこか。まだ確定は出てないが、二、三日前になりゃピンポイントでくっきりしてくんだろ。てめえら、今日からどっか行く時は必ず連絡しろよ。三日前からはメガルにお泊りだから、そのつもりでいろ」

「ふざけんなって」光輔へと振り返った。「なあ、光輔」

「おまえはもともとメガルに住んでんじゃん……」

「これは命令だ。学校へはこっちから連絡しとく。体育も部活も見学だからな」

「俺、体育コースなんすけど……」

「眠てえこと言ってんなって」礼也が鼻をほじりながら大あくびをかます。「んなの、てきとーでいいだろ」

「黙れ、金髪!」

「おおっ!」勢い余り、親指が深く突き刺さる。「おおおっ!」

「なんだ、まっキンキンにしやがって。外人にでもなりたいのか! ナニ人だ!」

「いや、あのな……」

「いいか、約束破ったら市内のパン屋に圧力かけて、一年間メロンパン売ってもらえねえようにしてやるから覚えとけ」

「はあ! ふざけんな、オッサン!」

「やかましい! いつまでもごちゃごちゃ言ってやがると、てめえのお気に入りの店にメガルが十億円投資して、ネクタイしてかなきゃ出入りできねえような超高級店に改装してやるぞ! バターロール一個六千円、メロンパンはなんと二万円だ!」

「二万っ! そいつぁあ、横暴だろ! なあ、光輔! 夕季!」

「いや、俺は別に」

「あたしも別に」

「んだあ、てめーら! 恥を知れ!」

「恥?……」

「このタイミングで来たか……」報告書を食い入るように読み漁る夕季へ、木場がちらと目をやった。「当然のことだが、明日のプレゼンは中止だな」

 夕季の耳がぴくりと反応する。

「仕方がないわね。それどころじゃなくなったから」

 あさみを受け、桔平が腕組みをして嘆息した。

「せっかく部品もすべて組み上がって、テストもすんだとこだってのによ」

「すでにすべてキャンセルずみよ。遠方からの来賓にはトラブルがあった旨を告げて、今日中にメガルから出て行ってもらう段取りになっています。プログラムの発動はメガル全体でも最優先事項だから、ロシア支部も納得するでしょうし」

「でもな、明日ギリギリで綾っぺが来れそうだったてのにな」

「何!」

「ほんとに、桔平さん?」光輔が夕季へ顔を向ける。「聞いてた?」

 口を尖らせ、夕季が首を振った。

「サプライズのつもりだったんだろうけど、やっちゃったな、綾さん」

「おお。ま、仕方ねえわな……」

「仕方ねえですむ問題かっての。ざけんな! ったくよ、ヴォヴァルだかメバルだか知らねえが、はた迷惑だろ、実際! 今度いつ来れるのか、わかんねえってのによ。発動すんなら来月にしとけって、ハゲ!」

「……おまえのイカりの基準はメロンパンと綾ッペだけなのか?」

「他に何があるってんだ!」

「なんのてらいもねえな……」

「ヴォヴァルって、どんな奴なの?」電話帳のような報告書を閉じ、夕季が桔平の顔を見据える。「この報告書じゃ何もわからない」

「おまえ、もう読んじまったのか……」あぜんと夕季を見つめ返す。「俺は理解するのに半日かかったってのによ。しかも難しい漢字ばっかだもんで、しの坊にカナふってもらってだな……」

「フォラスの時とは明らかに反応が違うわね」

 桔平をさて置いて、全員があさみに注目する。

「その報告書は建前上のものよ。わざとわかりにくくぼかして記載してあるの。公の報告書には記載できないことの方が多いから仕方がないのよ」

「何! いっしょけんめー読んだのに! 甲とか乙とか任意のなんとかが被なんとかにとか、んだこの、古文みてえな……」

「大切なことはおいおい説明していくから、そのつもりでいて頂戴」

 その後を木場が受けた。

「アスモデウスのような実体獣に近い相手かもしれんな。ならばまたガーディアンの力が必要になる。おまえ達の体は自分だけのものではないことをよく自覚しておけ」

「あまりプレッシャーはかけない方がいいんじゃないかしら、木場主任」

「……まあ、だな」

 ぼうぜんと大人達のやりとりを眺めていた礼也が、けっ、と顔をしかめる。

「ヴォヴァルだかフォラスだか、聞いたことねえのばっかだな。もっとこうよ、ルシファーとかサタンとかメジャー級の名前の奴は来ねえのか? 一発で全部カタがつくようなよ」

 桔平があきれ顔で礼也を見やる。

「そんなビッグネームが来てみろ。鼻毛一本で世界が滅ぶぞ」

「いや、あんたが滅べよ」

「おい、間違ってんだろ、いろいろ……」

 光輔らを退席させ、桔平が木場に念を押した。

「今日から奴らに特Sの警護をつけろ。いいか、絶対気取られんじゃねえぞ」

「わかっている」重々しく頷き、桔平を眺める。「学校の方は大丈夫なのか」

「ちゃんと言い含めてある」ふん、と息をついた。「あいつら、先生や職員の中にメガルの訓練受けた奴がいるって知ったらびっくりするだろうな。今じゃ、駅員やコンビニの店員なんかにも交じってやがるみたいだしな」

「俺ならば誰も信じられなくなるだろうな。いっそのこと、彼らに打ち明けた方がいいんじゃないのか?」

「んなことしたらストレスたまってしょうがねえだろ。囚人と同じだ」

「それもそうだな」

「何も監視役ばっかってわけでもねえがな。実際、そういった連中のおかげで避難やらが円滑に処理できてる面は大きい。ま、交じってんのがそればっかだとは限らねえけどな」

「……」

「マスター・ドラグノフは?」

 何気ない問いかけに二人が振り返る。

 あさみが表情もなく二人を眺めていた。

「少し早いけれど、帰ってもらう?」

「……。仕方ねえな」

「……」木場が真顔になる。「夕季が淋しがるな」

「まあな。でもいい機会だったのかもしれねえ」つらそうに眉を寄せ、桔平が深く息を吐き出した。「どのみち、あいつにとっては酷な結果になってただろうからな……」


 暗闇に浮かび上がる真夜中の突堤に、二つの怪しげな影があった。

 打ち寄せる波を静かに見下ろすドラグノフの背後から、マカロフが忍び寄る。

「予定が変わった。世界中の要人もろとも、オビィディエンサーを抹殺する計画はもはや不可能だろう。カウンターが反応している間は、訓練中も彼らのまわりに尋常ならぬ護衛がつく。我々の行動の一つ一つに制約が課せられたと言っても過言ではない」

「……」

「もっともシンプルな形で計画を実行する以外、選択の余地がなくなった。できるか?」

「……もし、しなければどうなる」顔も向けずに押し出すようにドラグノフが声を絞り出す。「計画が頓挫すれば目的は果たされず、報酬もない。違うか?」

「そのとおりだ」マカロフが重々しく頷く。「そして計画の成否を問わず、君には消えてもらわなければならない。我々の裏切り者として」

「わかっている。それが約束だ」

「もう一つ懸念がある」

「なんだ」

「日本側はすべて知っているようだ」

「……」

「反対派に取り込まれた君が、プレゼンテーションの最中に事故に見せかけオビディエンサー達を殺そうとしていることも、それを反対派のせいに仕立て上げるべく、我々が仕組んだこともな。すべてを知り、その上で我々を泳がせている。ならば、このタイミングでプログラムの発動を公表したことも合点がいく。彼らは君を英雄として迎え入れ、あくまでも英雄のままロシアへ送り返すつもりだ。我々主流派との上辺だけの円滑な関係を維持するために。信じがたいことだが、我々の中にもスパイは存在する」

「それも承知だったのではないのか」

「?」

「そのために私を引き入れた。私ならば彼らが受け入れない理由がないからだ」

「……。そのとおりだ、ドラグノフ。君の裏切りはありえない。それが君が積み重ねてきた功績によるものだからだ。君を否定すれば、メガルの中で多くの人間を敵にまわすことになるだろう。だからこそ、君の裏切りには価値がある」

「そして誰もが予想し得る筋書きに、誰も逆らうことができない」

 マカロフが頷いた。

「そのとおりだ、ドラグノフ」

「ここには柊の他にも注意しなければならない人物が多い。まるで国中からそういった人間達が、ここへと集められたかのようだ」

「だからこその君だ。君でなければ、このミッションを成功へ導くことは……」

「私に与えられた結末を誰も変えることはできない。それが君達の歪んだ誠意をちらつかせる策略だとしてもだ」

 マカロフの言葉を遮り、黒く淀んだ海面をドラグノフが睨みつける。

「私自身にも……」






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