第二十四話 『勇者の決断』 4. 対決、古閑姉妹
それからエスは忍の剛腕の前に凡打の山を築いていった。かろうじて大沼がシングルヒットを放っただけである。
「すごいな」
大沼が感嘆の声をもらす。
毒気を抜かれた表情で黒崎が振り返った。
「完全にモモこすってまスからね……」
巡って五回。
三回目の打席を迎え、むん、と口を結び、光輔がバットを睨みつけた。
一球目から腰をかがめ、光輔がバントを試みる。
「しゃっ!」
忍の目がキラリと光った。
「もらった! サード!」
「ちょっ、おまっ!」
絵に描いたような桔平のお手玉によって、内野安打が成立した。
「桔平さん……」
じろりと睨めつける忍から目をそむけ、桔平が光輔に毒のビームを放った。
「てめ、遊びでやってんのにバントなんかしやがって、せけーぞ! なあ、しの坊」
「……」
「……」
「大沼さん以外はパーフェクトだったのに」
「あ、まあその~……」
「よし!」歓喜の表情で大沼が振り向くと、仏頂面の黒崎が目に映った。「何、複雑そうな顔してるんだ」
「……いえ」
「……」仏頂面の木場も目に映った。「……何、複雑そうな顔してるんですか?」
「……いや」
複雑そうな面持ちで、木場と黒崎が顔を見合わせた。
「バントだもんな」
「バントスからね」
「……」
「誰でもできるよな」
「できるスね」
「だったらやれって」
「へ!」
「……ス……」
そして夕季の打席となった。
真剣な顔つきでバットをかまえる夕季に対して、忍も真剣なまなざしを返す。
「ごめんね、夕季。真剣勝負だから」
「わかってる」
「嫌なお姉ちゃんでゴメン。でも負けられないの」
「大丈夫。あたしも家族だとか思ってないから、今は」
「恨まないでね」
「覚悟してるからいい」
「もしものことがあっても……」
「早くやれって!」痺れを切らした桔平が、ようやく二人の間に割り込んでいった。「なんだ、もしものことって! 何やらかすつもりだ、てめえら!」
「冗談ですよ」忍が、ははは、と笑って誤魔化した。「すいません、つい調子にのって盛り上がってしまいました」
「……」
口をへの字に曲げる夕季を、駒田が真顔で見上げた。
「……。おまえ、素だったのか?」
「……。そんなわけないじゃない……」ぽっ、と顔を赤らめた。「……今のなしだから」
「いや、別にいいけどな……」
仕切り直され、桔平が騒音モードに突入する。
「いけ、しの坊! そんな奴ぶっつぶせ!」
それに夕季がカチンとくる。両目と口を鋭角につり上げ、桔平にバットを向けた。
「何! てめえ、予告ホームランか! 生意気な!」
大沼と黒崎が気の抜けた顔を並べる。
「……いや、予告殺人だろ」
「……予告殺人スね、あれは」
木場だけがヒートアップしていた。
「よし、夕季、もう一本ホームランだ! 打て! 俺の分まで打て!」
「あんたも打て」
「……」
「……」
「……。小声で何か言ったか、大沼」
「いえ、何も」
「……」
「上等だ、きやがれ! つるつるぺったんこー!」唐突に桔平が邪悪な笑みを浮かべ出した。「名づけて、悪口で動揺を誘う作戦!」
「……はは」忍が、全部ばらしちゃったじゃん、という顔を向けた。
「さあこい、つるんぺったん! どうだ、悪口が気になって集中できまい!」
「あの……」どうしたらいいのかわからない、という顔を光輔が泳がせる。「絶対余計なことしたと思うんすけど、あの人」
「まあな」南沢が同じ顔で夕季に注目した。「あいつの闘争心と集中力が、確実に何割かはアップされたようだな」
「怒りもですけど……」
「まあな……」
「お姉ちゃん、そこのうるさいの黙らせて。邪魔だから」
「夕季!」
「なんだか、うっとおしい。哀れだし」
「なんだ、てめえ、その言い草は!」ぽっぽー、と桔平が噴火する。「哀れって、おまえ、そんなこと言われたらせつねえじゃねえか!」
「あ、鼻毛が一本出てる」
「何!」くわと目を見開く。「どこだ! どれだ! これか! いて! いてっ! いててて! おい、しの坊、とれた?」
「桔平さん、黙っててください。集中できません!」
「だってさ、しの坊。あいつ、ひでえよな?」
「もういいです。邪魔ですから」
「おまえまでそんなこと、もう……」
一塁ベースで光輔と南沢が残念そうな顔を向け合う。
「完全に夕季のペースですね……」
「反対に術中にはまっているな……」
「いて! いてっ! いててて……。おい、礼也、とれた?」
「知らねえって!」
再度仕切り直し。
鼻をひくひくうごめかせる桔平を除き、全員がプレーに集中していた。
脅威のウインドミルが夕季目がけて撃ち込まれる。
胸もとをえぐるように浮き上がる白き弾丸を、体勢を崩しながらも夕季が袈裟切りの要領で叩きつけた。
ガキン、という刀の折れたような音が響き渡ると同時に、桔平がダッシュする。
「よし! 今度こそもらった!」
「桔平さん、危ない!」
「何言ってやがる。危ねえことあるか、こんなモン!」
ミサイルのような強烈なゴロが、荒れた地面でイレギュラーバウンドし、桔平目がけて襲いかかっていった。
「と思ったら予想以上に速えなっ!」
腰を落とし捕球体勢に移行していたため、ハプニングへの対応が遅れる。真下から突き上げるアッパーカットが桔平の顎を直撃し、屈強な伊達男を一撃でノックアウトした。
青空を見上げるように仰向けに倒れ込む柊桔平。無念の面持ちで静かに目を閉じた。
「……あとは、頼む……」
打球がフェアウェイラインの外側を転々とそれていく間に、俊足を活かし、光輔が一気にホームへ生還した。
道端で車に轢かれたカエルよろしく、無様にひっくり返った桔平へと駆け寄るナインを尻目に、二塁ベース上で夕季が拳を小さく持ち上げた。
木場と黒崎と大沼、絶句。
「……今あいつ、ガッツポーズしなかったか」
「……俺にもそう見えたス」
「俺は何も見てませんから……」
六回表、試合はついに最終局面を迎える。
エスの二点リードで始まった最終回のメックの攻撃は、黒崎の自滅から押し出しで一点を加え九対八。なおもワンアウトでランナーをすべての塁に置く、一打逆転の場面だった。
バッターは恐怖の六番打者、忍。ここまで初回の二点タイムリーを始め、二本の本塁打を含む三安打五打点の活躍で、前打席ではセンター方向へ場外弾を撃ち込んでいる。
ちなみに本日のホームランは他には、同じく三安打の夕季の放ったものだけで、すべて古閑姉妹の独占状態だった。
猛打賞は大沼も含め、その三人のみである。
「外野、バックだ!」
木場からの指示を受け、外野陣が深くポジションを決め込む。
この回から、私用で抜けた主審の代わりに、赤ら顔の鳳がリザーブで入っていた。
「おし、やれ」大きく両手を広げる。「あ~み~ま~! ……うぷっ……」
駒田と南沢が思わず顔を見合わせた。
「大丈夫か、オッサン」
「へべれけみたいだけど」
「こら、黒崎、タマ二つも持ってんじゃねえ! キン○マじゃねえんだから。おろろろ、三つになった……」
「大丈夫じゃねえな……」
「へべれけもいいとこだな……」
左のバッターボックスからマウンドのピッチャーを片手で制し、忍がザシザシと足場を固める。口もとへ手を当て、右手一本でバットを数回振ってみせた。イメージはすでにできあがっているようだった。
「すみません、木場さん」
顔も向けず、ぼそりと忍が告げる。それから口もとだけニヤリとさせた。
「打ちごろなんですよね、クロさんのタマ」
「……」
「こら、忍! 女がキン○マとか言ってんじゃねえ! 黒崎のキン○マ打つとか、おまえは!」
「言ってませんて……」
黒崎の力のないストレートに忍が簡単にバットを合わせる。ここまですべてフルスイングの忍は、それも当然のように振り抜いてみせた。
「やばっ!」
ライト方向へ痛烈なライナー。
奇しくもその落下地点には、夕季がどんぴしゃの位置取りで立ちつくしていた。
「よけろ、夕季!」
走り寄りながら思わず叫ぶ、センター大沼。
夕季のこの試合での守備は、エラーこそないものの外野へ飛んできた打球を追いかけ、追いつき、センターの大沼へパスするだけだった。フライすら捕球したことがないのに、ましてや忍の殺人的なライナーを捕り損ねれば大怪我しかねない。危険を冒さず安全策をとるのが最善と言えた。ちなみに光輔は落球二回を含む三エラーである。
そんな大沼の気持ちも解さず、二人の駄目キャプテンが声を荒げる。
「捕れ!」木場が目をつり上げた。「死んでも捕れ!」
桔平がベンチから飛び出す。
「ふがふがふがふがぁ!(捕れるわけねえ!)」
「夕季!」
大沼の懸命の呼びかけにも、夕季はその場から一歩も動くことはない。
そこで大沼は見た。
心を静めた夕季の神経が、極限まで研ぎ澄まされていくのを。
「……」
大沼の眼前で、まばたきもせずに夕季が左手のグラブを差し上げる。顔のわずか横に固定されたその小さなネットの中に、猛烈な勢いの弾丸が吸い寄せられるように収まっていった。
華麗な夕季のワンハンドキャッチに心を奪われ、礼也がくわえていたメロンパンをぽろりと落とす。
「あの野郎、身体能力と反射神経で経験値クリヤしやがった……」
飛び出していた三塁ランナーが慌てて塁へ戻り、タッチアップを試みる。
それに気づき、一瞬、礼也同様に心を鷲づかみにされて、立ちつくしていた大沼が我に返った。
「貸せ、夕季」
目力を込めたまま、夕季が大沼へトスする。
すると大沼は全身を大きく躍動させ、ホーム目がけてレイザービームを撃ち放った。
今度は夕季が心を奪われる番だった。
タイミング的には悠々セーフの状況だった。
しかし無駄のない流れるようなフォームから放たれた白球は、奇跡の弾道を描きながら、ホームで待ち受ける木場のミットの中へすっぽり収まったのである。
木場がランナーへタッチする。
微妙な交錯に、ランナーと木場が同時に主審へと振り返った。
主審の鳳へ。
「どっちだ、アウトか、セーフか!」
「アウトだ!」
「いや、セーフだ!」
「……。……」鳳がしかめ面になる。「……。……ァウ~フ……」
その場にいた全員が一斉に眉を寄せた。
「……あう~ふ?」
「……どっちだ。アウトなのか」
「いや、セーフだろ」
「いや……」
「……」木場らをじろりと睨めつけ、改めて鳳が言い切った。「だから、ッァウ~フ…… だ」
「だからどっちだ!」
「うい~……」
「うい~、じゃねえ!」
「よし、ゲームセットだ」
木場が紅潮した顔でガッツポーズをしてみせた。
当然不服顔の桔平がベンチから飛び出して来た。
「ふらへんら! せーふら、はやふふひりふへ!(ふざけんな! セーフだ、早く守備につけ!)」
「何! 貴様! 審判のジャッジが不服だと言うのか!」
「ひはまほほ!(貴様こそ!)」
「で、結局どっちなんだって……」表情もなく二人を眺め、礼也が呟く。ふあああ、とあくびをした。「なんかしらけちまったな。終わりでいいって」
「何!」
「はに!」
乱闘の前に、終結を受け入れる空気が場内に蔓延し、そこにいた全員が帰りじたくを始める。
ぽかんと佇む桔平と木場をちらと見やり、バッグを抱えた礼也がどうでもよさげに突き放した。
「後はあんたら二人でやれって。もうどうでもいいから。俺ら焼肉食いにいくって」
「……」
「へふええ……(せつねえ……)」
「てめ、やるじゃねえか」夕季へ目をやり、疑わしげに礼也。「さてはメロンパンでも食ってきやがったな」
「あんなもの食べてない」
「んだと、ゴラ!」
「まあ、こんなところだな」大沼が夕季と光輔へ振り返った。「よく頑張ったな、二人とも。お疲れ様」
「ん、うん……」夕季が顎を引いて大沼を眺める。「お疲れ様」
「あ、いえ」光輔も大沼へ笑い返した。「お疲れ様です」
満足そうに笑い、大沼が片づけをするメンバーを見渡した。
不服そうな桔平と木場の様子が目に映る。
「若干消化不良の人間もいるみたいだが、おおむねみんな満足みたいだな」
「そうすね」光輔も周囲を見まわす。「結構楽しかったし、あの人達以外はそんな勝負とかにこだわる……」
そこへ悔しそうに打ち震える忍の姿が飛び込んできた。
「……しぃちゃん、悔しそうだね」
「……仕方ないな。あいつが初回から投げていれば、確実に向こうの勝利だったろうし……」
光輔が夕季へ目配せした。
「謝った方がいいかも」
「どうして」
「捕っちゃったから」
「……」夕季が口をへの字に結んでみせた。「お姉ちゃん、そんなこと根に持つような人じゃない……」
「夕季」
忍に呼ばれ、夕季が振り返る。
「帰り、バッティング・センターに寄ってくよ。なんか、納得できない」夕季をグッと睨みつける。「ナイスキヤッチ!」
「……」
「光ちゃんもつき合って」
「へええ……」恨めしそうに夕季の顔を眺めた。
「……。何」
「……。何も。……ナイスキャッチだって。あんなこわい顔で」
「……。……一緒につき合って」
「……いいけど」
中途半端な結果にも渋々ながら了承し、木場と桔平も打ち上げの会場へ向かおうとする。
その時、桔平のホットラインが激しく反応した。
『早く戻って来て』あさみだった。『たった今、デカラビアの発動を確認したから』
「!」