第二十四話 『勇者の決断』 3. すさまじい活躍
「夕季、無理するな。当てるだけでいいからな」
大沼の激励に、バッターボックスへ向かう夕季がこくりと頷く。
「結構速そうだからな。ヘルメットを被れよ」
「うん」
そんな気遣いすら台無しにする両キャプテン。
「打て、必ず打て。黒崎へつなげ、夕季!」
「……」無視。
「礼也、軽くひねってやれ。あいつはルールも知らねえドシロートだ」
夕季がギロリと桔平を睨みつけた。
マウンド上で礼也が、チッと舌打ちする。
「ナメた格好しやがって」
パーカー、ハーフパンツ、スニーカー、ヘルメットの夕季に対して、礼也は全身某有名スポーツメーカー製の高機能ウェアで完全武装だった。
マウンドとバッターボックスでの睨み合いが続く。
「へっ、てめえにゃ、チリほども容赦しねえ。泣いて謝って土下座しろって!」
綺麗なフォームのウインドミルから速球が放たれる。
礼也のフルバーストだった。
ズバンと音を立てミットへ吸い込まれる豪速球を見送る夕季。
二球目は空振りをした。
「おいおい、ちびっちゃったんじゃねえのか!」下品な野次を飛ばす柊副局長。嫌らしい表情で、後方を守る忍へ振り返った。「おい、しの坊。あいつ、替えパン持ってきたか? あっはっは!」
「……あ、はは……」
ただ笑うしかない忍を鼻でせせら笑い、桔平が礼也へ真剣なまなざしを差し向ける。
「礼也、日頃の恨みだ。一気にぶっつぶしてやれ!」
「おうよ! 日頃の恨みだって!」
「……」
にやにやと小馬鹿にしたような笑みを浮かべる二人を、夕季が思い切り睨みつけた。
「速いだろ。手加減させるか?」
やれやれ、と言わんばかりにキャッチャーの駒田が笑いかける。
それに対し夕季は、顔も向けずにバットを長く持ちかえた。
「遅すぎて、タイミングが合わない」
「……」
「邪魔」
挑発するようにヘルメットを放り捨てる夕季に、礼也の感情が、カチン、と音を立てて弾けた。邪悪な笑みでぎゅっとボールを握りしめる。
「へっ、関係ねえって! おまえは、俺の敵だあ~!」どす黒い殺気を眉間から噴き上げ、ぶん、と腕を振り回した。「くらえ、笑撃のメロンパンワー!」
風を切り裂き、猛スピードでミットの真ん中目がけて白球が突き進む。
それを夕季のフルスイングが見事ジャストミートした。
「げ!」気を抜いていた桔平を強襲した痛烈なゴロは、グラブを弾き、てんてんとレフト前まで転がっていったのだった。
メック蒼白。
エスのベンチも静まり返っていた。
「……すごいスイングだな」
大沼の呟きを光輔が受ける。
「あいつ、握力五十キロあるんすよ」頬を押さえ、思い返すごとくに自嘲気味にうつむいた。「スナップとかリストも申し分ないっす……」
「……」
「何やってんだ、今の捕れただろうが! このへなちょんぱが!」
「うっせーよ! あんな打球捕れるか!」
ベンチウォーマー鳳のブーイングに、真っ向から立ち向かう桔平。難しい顔で一塁ベースの夕季を睨めつけた。
「野郎、なんだ、あのシャープなスイングは。三味線弾いてやがったのか……」
「あの娘、昨日バッティングセンターで特訓したんですよ」
近寄って来た忍へ、桔平が顔を向ける。
「二百球くらい打ったと思いますけど、それだけ振ってもマメ一つできないくらい滑らかなスイングでした。最後の方は百二十キロのコーナーでホームラン連発してましたし。ギャラリーがすごかったんですよ」
「すごかったんですよ、じゃねえ! 早く言えっての!」
桔平の癇癪もものともせず、忍が自慢げに胸を張ってみせた。
「ルールブックも丸暗記していました」
「……だから、言えっての」
「すごいな、おまえ」
ファーストを守る南沢が驚嘆のまなざしを向ける。
それすら耳に届かない様子で、夕季は桔平を睨みつけていた。
「ぶっつぶしてやる」
「……」
正気に戻った木場が再びヒートし始めた。
「よし、続け、真吾!」
「しゃス!」
気合満タンの黒崎は、あっさり三球三振に倒れUターンしてきた。
気まずい空気を引きずる黒崎の前に、仁王立ちの木場が立ち塞がる。
「……ス、と」
「貴様、グラウンド百周だ!」
「ええ!」
続く二番、三番の活躍で、無事夕季がホームへ生還する。
チームメイトの温かい祝福につつまれる夕季を尻目に、木場が二度目の打席に闘志を燃やした。
「うがあっ!」
結果はまたもや三球三振だった。
これっぽちの惜しい場面すらなく。
何も言わず、ぶすっとした顔のまま平然とベンチへ戻る木場。
それを横から黒崎がうかがい見た。
その恨めしげな表情に木場が気づく。
「……。……。……よし、つかんだぞ! 次は必ずホームランを打つ!」
「……もし打てなかったらどうスか? 俺は特に……」
「……グラウンド二百周する」
「……」黒崎のこめかみを汗が伝い落ちた。
「黒崎さんの百周は取り消してもらえないみたいすね」
黒崎が情けない顔を光輔に向けた。
「みたいスねえ……」
攻守交替。
ベンチへ引き上げたメックチームを待ち受けていたのは、赤ダルマ鳳のすっかりでき上がった姿だった。
酒をくらい、ベンチの上で、ぶごー、と寝入ってしまっている。
「おい、あんた……」
桔平にこづかれ、鳳が眠そうな顔を向けた。
「……う~ん」
「う~ん、じゃねえだろ……」
すでにへべれけだった。
「おい、あんた」
「あーみーまー!」
「あのな……」
「ゆーやーゆー!」
「てめ、いい加減にしろ!」
ついに桔平火山が噴火した。
「怒っちゃや~よ~……」
三回裏、光輔がまたもや三振に倒れ、再び夕季がバッターボックスへと向かう。
礼也の瞳がリベンジに燃え上がった。
「てめえにゃ、もう打たせねえぞ」
同じく桔平。
「礼也、こっちに打たせろ。今度は絶対さばいてやる!」
「だから、打たせねって!」
笑撃のファースト・ブリットを見送る夕季。
駒田がピッチャーへ送球する前に、夕季が待ったをかけた。
「そのボール、破れてる」
途端に言いがかりをつけ始める桔平と礼也。
「おいおい、言いがかりつけてんじゃねえぞ!」
「イッパツまぐれで打ったぐらいで、調子コイて言いがかってんじゃねえって!」
「……」
駒田がボールを確認する。
夕季の言ったとおり、古めのボールはひび割れていた。
戦慄する駒田を尻目に、礼也の闘志がメラメラと燃え上がった。
「死ね! 夕季! 抹殺のメロンパ――」
交換したボールの初級をフルスイング。
打球は桔平のはるか頭上を飛び越え、本日二本目のホームランとなった。
沈黙の両ベンチ。
ちなみに一本目は直前の回に忍が放った、目の覚めるようなソロホーマーだった。
「姉妹揃って凄まじいな」
「あいつ、動体視力すごいから、球が止まって見えるんじゃないすか」
ぼそりと呟いた光輔へ大沼が顔を向ける。
「そんなにすごいのか」
「ええ」重々しく頷く光輔。「手で払ったつもりが、飛んでるハエ捕まえちゃって、自分がビックリしてましたよ」
「……。あとはタイミング次第、というところか」
祝福の雨あられの中、夕季がベンチへ戻る。
木場の前で立ち止まり、その仏頂面をじろりと見やった。
「あんなに遅いボールなら、打ててもたいしたことないかも」ぶすりと突き刺す。「ちょっとタイミングも合ってなかったし」
「……」真っ赤に憤慨する木場は、しかし何も言えようはずもなかった。
光輔と大沼がぼう然と夕季を眺める。
「……なんだか攻撃モードに入ったみたいです」
「……そうか」
ぐむむむ、と口惜しがる木場。
が、すぐさま強制的にクールダウンを行い、穏やかな表情で夕季へ頭を下げてみせた。
「……。スマン。俺が間違っていた」
「……」
のけぞる大沼と光輔。
「攻撃対象にされたと思って咄嗟に謝ったようだな。これ以上被害を拡大させないための好判断だ。さすが隊長といったところだな」
「ええ、まあ。……でも」光輔が顔をそむける。「なんか、情けないすね」
「……まあ、そうだな……」大沼も顔をそむけた。「あの人は結果を出す人間には弱いからな……」
「頑張ってくれ。期待している……」木場が口惜しそうに顔をそむける。今にも血を吐かんばかりの苦悶の表情で。「く……」
「……まぐれなのに期待されても困る」すると夕季も、申し訳なさそうに顔をそむけた。「ちょっと調子にのってた。ごめんなさい……」
「く、お、お、お……」
マウンド上でがっくりと崩れ落ちる礼也を気遣い、駒田が近寄っていく。
「……ぜってえあのバットがおかしいって。実は百キロくらいあんじゃねえのか。あの野郎、ズルしやがったな……」
「それを軽々と振るあいつはさらに凄いよな」
ショックの度合いが大きく、続投不可能とみなされた。
そして三番手。
ついに真打ちが登場する。
元女子剣道部大将兼ソフトボール部主将、古閑忍だった。
本格的な投球術を駆使し、礼也より速い球をバシバシとミットに突き刺す。
それはまさしく弾道と呼ぶにふさわしい破壊力で、後続をきっちりと押さえてみせた。
「すげえ、しぃちゃん……」
「お姉ちゃん、昨日遅くまで投げ込んでたから」ベンチへ戻る忍を、夕季が畏怖するように眺める。「……タオル丸めたのを壁に立てたマットレスにぶつけてて、うるさいって隣の人に怒られた」
「……」
四回裏、木場雄一、三度目の打席。生死決する背水の覚悟で臨む。両眼に炎を宿し、もはや捨てるものなし。
その迫力にさすがの忍も背筋に冷たいものを感じ取った。
「こい、忍!」
戦士の咆哮。
そして、注目の第一球。
ズバン!
目の覚めるような剛速球に木場が青ざめる。先までの気迫は跡形もなく、訴えるようなまなざしで忍を見つめた。
真顔で目をそらす忍。
三球目。完全に振り遅れの三振で、木場がバッターボックスから追い出された。
「……」
恨めしげに忍を見やる木場に、今度は困ったように忍が顔をそむけた。
「……勝負は勝負ですから」
「……」
ベンチにどっかと腰を下ろし、沈痛な面持ちでふさぎ込む木場の肩へ優しく手をかけたのは黒崎だった。
ちろっと木場が目を向ける。
「……。わかっている。二百周だな」
しかし黒崎はわずかにも木場を責めようともせず、笑顔さえ向けて見せたのだった。
「そんなのいいじゃないスか」
「真吾……」
「そっすよ。一生懸命にやったんですから」
黒崎と同じ表情で光輔が木場を温かく見守っていた。
「光輔……」
「一度もヒット打ってないのはこの三人だけだな」
大沼の心ない一言がすべてを台なしにする。
「大沼!」
「ひどいっスよ!」キッとなる黒崎。
「そうっすよ。ひどいっすよ」キッとなる光輔。
唇を震わせ、涙ぐむ木場を待ち受けていたのは、とどめの一撃だった。
「とりあえず俺は当ててますからね。三連続三振は隊長と光輔君だけっス」
「俺まだ二回しか三振してないっすよ! 一球もかすらない木場さんと一緒にしないでくださいよ!」
「……」硬直の木場。
「……ス……」
「……あれえ~」