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第二十三話 『約束の丘』 10. 約束の丘

 


 翌日、休日を返上した仏頂面の桔平があさみにくってかかるのを、忍とショーンはハラハラしながら見守っていた。

「どういうことだ、てめえ。なんで許可した」

 ドン、と机を叩き詰め寄る桔平にも、まるで表情も変えずにあさみがマグカップの綾音オレに口をつける。

「許可なんてしてないわよ。私は、目をつぶります、と言っただけ。疲れていたから」

「何だと! なんだ、そりゃ。ふざけんのもいい加減にしやがれ!」

「ふざけてなんていないわ。それが彼女自身の意志だと思ったから」

「はあ!」

「あなた、いつも言ってたじゃない。嫌ならいつでも辞めていいって。あんな目にあって、嫌だと思わない方がおかしいわ。だからそう理解したんだけれど」

「本人から確認とったのか!」

「遊佐君はそう言ってたわね」

「そんなことで、おまえ!」

「あと半年くらいスコクスが粘ってくれていたら、樹神さん、どうなってたのかしらね」

「……」

 勢いを押し止められた桔平をちらと見やり、あさみが冷たいまなざしを窓の外へと差し向ける。

 それは眺める海岸線と同じく、まるで奥行きの見通せぬ表情だった。

「このままここで彼女が忙殺されてしまったとしたなら、結局私達にとって取り返しのつかない損失になったでしょうね。私達の都合だけのせいなのにね。それとも、彼の選んだ手段以外で、彼女を救う方法があなたにはあったの? ないわよね。私には何も思いつかない。彼女が確実に消耗していくのを眺めながら、それでも無理を続けさせることしか、私達には選択肢はない。口ではもっともらしく心配していても、結局逃げる自由すら与えないでしょうね。まるでプログラムとグルみたい。ここで本当に彼女のことを考えていたのは、遊佐君達だけだったんじゃない?」

 ばっさりと切り捨てられ、桔平の戦意が完全に消滅する。

 それを眺め、あさみがおもしろそうに笑ってみせた。

「したがって今回の件については、すべて不問とします。まだ何か?」

「……俺にもそれ飲ませろ」

「どうぞ」


 その夜、忍と夕季のアパートで、ケイゴの追い出し会が行われることとなった。

「どうしてケイちゃんって、お兄ちゃんって呼ばれたがってたの」

 ケイゴの隣に座り、おもしろそうに雅が問いかける。

「ん?」ビールの缶を口につけたままで、ケイゴは目線を雅へと向けた。「他に兄弟がいなかったからな、なんとなく、うらやましかったんだろうな。りょうちゃんですら、おまえにお兄ちゃんって呼ばれてたし」

「だってお兄ちゃんは本当のお兄ちゃんだからねえ」

「いや、だから、それがうらやましかったんだってば」

「結局誰も呼んでくれなかったね」

「呼んでくれなかったな」

「あまりにもケイちゃんだったからね」

「ん~、よくわかんないな、それ」

「でも、女の子にしか言ってなかったよね」

「そりゃそうだろ」グビリと飲みつつ、キラリ瞳を輝かせる。「男にお兄ちゃんって呼ばれても嬉しくもなんともない」

「ねえ、やっぱり、ケイちゃんってバカだよね」

「おまえさ……」

「キモッ」

「キモ!」

 まるで昨夜のことなど何もなかったかのように、雅もケイゴもすっかり元どおりだった。

 仏頂面で酎ハイの缶に手をかけようとする礼也を忍が制止する。

 それを横目で眺め、苦笑いしながらおそるおそる光輔が申し出た。

「ねえ、ケイちゃん。そういえば俺には何もないの?」

「ん?」

「ほら、飛行機の中。カフェオレとかメロンパンとかさ。綾さんなら、きっとさ、何かあるかなって思ったんだけど……」

「いや、あったぞ」缶ビールをグビリと流し込み、ケイゴが涼しげに笑う。「確か、好きな時におまえがラーメン食べられるようにって、コンロと即席ラーメン一袋入れとけって綾さんが言ってたような」

「……それって飛行機の中で俺が作るんだよね」

「機体が揺れるたびに、おでんコントみたいになるな。あちちちっ!」

「ちょっと、あのさ……。もうそんな感じにはなってたけどさ」

 客間では陽気な笑い声が、いつまでも木霊し続けていた。


 宴もたけなわの頃合いで、夕季が視線を差し向ける。

 するとケイゴは電話の真っ最中だった。

「……ええ、やっぱり、無理でした。綾さんの言ってたとおりです。諦めますよ、とりあえずは」自分を見つめている夕季に気づき、ちらと見やる。「あ、それから、今回のことは、全部綾さんの指示でやったことにしておきましたから。……」

 突如として顔をしかめたケイゴが、耳を押さえ、受話器を遠ざける。

 通話を終えてから、バツが悪そうに笑ってみせた。

「ははっ、綾さんに怒鳴られた。もう帰って来るなってさ」それから真っ直ぐに夕季を見つめた。「口ではいつもああなんだけど、あの人、淋しんぼだからな。やっぱついててやんないとな。あ、そうだ、マーシャがおまえに会いたがってたぞ」

「……マーシャが」

「ドラさんも心配してた。おまえ、あの人の命の恩人なんだってな。おまえがいなかったら今の自分達はなかったとか、方々で言いまくってたぞ。あの人公認の後継者らしいし、おかげでおまえは、あっちじゃちょっとした有名人だ。すごいな。あんな人にそこまで言わせるなんて」ふいに表情を曇らせる。「今回の件で俺に関節技かけまくるって怒ってるらしいけどな……」

「……」

「おまえも雅も、いつまでも昔のままじゃないってことだな。ま、おまえがいれば安心かもな」

 夕季が目を細める。

 わかっていた。すべて。

『綾さんのこと頼んだぞ』

 かつてそう言って陵太郎にアメリカへ送り出されたケイゴ。

 その時ケイゴは次のように答えたのである。

『りょうちゃんも、雅のこと頼むよ』

 不可思議な顔を向ける陵太郎に、ははっ、と笑いかける。

『そんなの当たり前だろう。妹なんだから』

『でもりょうちゃん、頼りないからな』

『おまえら、何故同じことを言う。俺がそんなに頼りないのか……』

『まあね』

『まあね!』

『ははっ。でもホント頼むよ』それから涼しげに笑った。『それだけが心配だから』

 そこに淋しそうにたたずむ夕季がいることすら、まるで気にもとめない様子で。


 夕季が片付けに奔走する。

 ふと閉まりきっていなかった引出しに目が止まり、閉めようと中を確認したところ、奥の方に線香花火の束を見つけた。

 手つかずのものが二束。

 それを手に取り、しげしげと眺めつつ、通りかかる忍を呼び止めた。

「お姉ちゃん、これもらってもいい」

 何くわぬ様子で忍が振り返る。

「いいけど、去年のだから、しけってるかもしれないよ」

 不思議そうに見つめる忍も目に入らず、夕季は懐かしいものを見るようにそれを眺めていた。


 会が終わり、みなが帰るのを見届けてから、夕季は一人歩道の隅へしゃがみ込んだ。

 ポケットから取り出した線香花火を見つめる表情は、街路灯の暗い明かりのせいもあり、どこか淋しそうでもあった。

 着火ライターで火を点けると、何かを懐かしむようにその小さな炎を見つめ始めた。

 ふと人の気配がして顔を向ける。

 いつの間にか、ケイゴが横へ並んで腰を下ろしていた。

 じっと見つめる夕季にも特別なリアクションをとることなく、当たり前のように笑顔のまま、花火を手に取るケイゴ。

「昔よくやったよな、これ」夕季を眺め、にんまりと笑う。「競争するか? 夕季」

「……」

「カフェオレうまかったろ。おまえが好きだって聞いて、入れといてもらったんだ。いろんな豆をブレンドして、試行錯誤の末に昔宿舎で飲んでたインスタントの味に近づけたんだぜ。再現率九十九パーって言ったら、買った方が早いだろって綾さんにバカにされたけど」

 夕季からの反応はない。

 それが戸惑いであることを知ってか知らずか、ケイゴは線香花火の小さな光に照らされながら、静かに口を開いた。

「言い忘れたことがあった」

「……」

「体には気をつけろよ。おまえらは大事な俺の妹分なんだから」振り向いて、嬉しそうに笑う。「あっちは危なっかしくて、おまえみたいに安心して見てられないけどな」

 夕季の中に懐かしい感情が蘇りつつあった。

 がやがやと雑音ごと引き連れて。

 いつの間にか雅達も引き帰して来ていた。

「あ~、線香花火。あたしもやる」一本を手に取り、雅がケイゴに笑いかける。「ケイちゃん、競争しよ」

 それに対するケイゴの反応は素っ気無いものだった。

「駄目だ。今、夕季と競争してるんだから」

「いけず~」

「いけず?」

 隣では礼也と光輔の耳障りな声が響き渡った。

「バカ野郎、俺もやるって! 勝負だ、死ね、光輔!」

「こんなもんで死にたくないよ……」

「死ね、光ちゃん!」

「いや、だからね……、あちっ、あちち!」

「あ、ゴメン」

「あやまる前にその火をどっかやって!」

「おでんコントみたいだって」

「まあ、ほんとにねえ」

「……おまえらって」

 ケイゴがおもしろそうに笑う。

 忍も加わり、大線香花火大会が夜の道端を照らし出していた。

「あー、くそ、落ちたって!」

「あ~、あたしも落ちますた!」

「手を動かしすぎだってば、おまえら」

「静かにしてよ。近所迷惑だから」

 落ち着きのない二人を、光輔と忍があきれたように眺める。

「なんでてめえら、そんな微動だにしねえ!」

「やめてよ、落ちちゃうじゃんか!」

「るっせえ!」

「ああー!」

「線香花火くらい静かにできないの?」

 その光景を眺めながら、ケイゴは楽しそうに笑っていた。

 夕季はといえば、心を揺らすことなく、線香花火のはかなげな炎を静かに見つめ続けていた。


           *


「ん?」

 丘の上で夕季に呼びかけられたような気がして、ケイゴが顔を向ける。

 そこには拳を握りしめ、睨みつけるように凝視する、小さな夕季の顔があった。

「どうした。何か言ったか?」

 ぐっと顎を引き、さらに眉間の皺を積み重ねる。

「お、お……」

「?」

「おに、お、お、……おにっ!」

「鬼?……」

 泣きそうな顔を夕季が伏せる。

 夕季のチャレンジはそこで幕を閉じた。

 もじもじうじうじとうごめき続ける夕季の様子を眺め、ケイゴが、ははっと笑ってみせた。

 満天の星空の下、楽しそうに、本当の自分の妹を見守るように。

 その涼しげなまなざしに、夕季の視線が吸い込まれていく。

 光またたく眼下の川のせせらぎに揺られ、やがて夕季が少しだけ嬉しそうに笑った。

 お兄ちゃん、と、心の中で呟きながら。






                                     了

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