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第二十三話 『約束の丘』 9. 決別

 


「何がやりたかったんだろうな」

 司令室別室で桔平がタバコの煙を吐き出す。

「ここは禁煙よ」

「あ、いけね。つい」あさみにたしなめられ、慌てて携帯灰皿へタバコを押しつける。「てか、たまにゃ見ないふりとかしてくれてもいいのによ。疲れてんだから。ここんとこ、ろくろく寝てやしねえ」

 ジロリと睨めつけられ、桔平の心が後退した。

「……な~んちってさ」

 あさみが窓の外の暗い海を眺める。

 それはいつもどおりの静粛であるが、何もないがゆえの不気味さすらともなって映った。

「充分でしょう」

「んあ?」

「今回のプログラムのダメージははかりしれないわ。その証拠に、何も実害がないのに、私達はぐっすりと眠ることすらできなかった。こりごりよ」

 疲労の色が色濃く浮き上がるまなざしを夜空へ差し向ける。

 あさみだけではない。桔平も同様だった。スコクスの発動中、安眠など与えてもらえなかったのだから。

 結局はスコクスはダミーだけのプログラムであり、関係者達はただ振り回されるばかりだった。

 だがその恐ろしさを桔平達はまざまざと思い知ったのである。

 あるかもしれないという不確定なブラフは、人々の思考を混乱させ、あらゆる機能をストップさせる。避難命令を一度出すだけで大量の命令系統が作用し、信じ難いほどの人の流れが生まれるのだ。これが毎日のように、しかも連続して起きれば、恐怖と不信感で安眠もなくなり、確実にダメージとストレスが蓄積していくのは誰の目にも明らかだった。

「こんなことがずっと続けば、イラッとしてばっかで、今に仲間割れとかも起きただろうな」

「そうね」ふ、と桔平を見つめ、あさみがおもしろそうに微笑む。「嘘、噂、流布、プロパガンダ、情報操作、かけ引き。みな人類が作り出したものだけど、スコクスは知っててやったのかしらね。皮肉みたいに」

「政治家みてえな野郎だな」

「あなたも得意そうじゃない。そういう、かけ引き」

「……ふざけんじゃないって」

 楽しそうに笑い、また海へと視線を投げかけたあさみを、桔平はぼんやりと眺めていた。

「でも、どうして急に帰っちゃったのかしらね。これからだったんじゃないの」

「はん?」辟易しながら息を吐き出し、桔平が横を向いて小指を耳の穴に突き立てた。「また試されたんだよ」

「?」

「俺達がどんな反応をみせるか、探ってやがったんだ。どこに出てもガーディアンで駆けつけられることがわかったから、とんでもねえ遠くにいきやがった。それをケイゴのアイデアでクリアしたら、今度はテレポートときたもんだ。だが、それすら俺達は何とか間に合わせちまった。これ以上は無駄だと思ったんじゃないのか?」

「優しいわね。私なら、同時に複数のフラグを立てるけれど」

「そっちのが楽だ」

 ふふん、と鼻で笑うあさみを軽くかわして、桔平が小指の先をふっと吹き飛ばした。

「はなから不可能だってわかってる方が、かえって腹が決まりやすい。どうせすべてに対応できないんだからな。開き直って真ん中に居座ってりゃ、あとは本物見つけてそっから向かうだけだ。スコクスの本当の恐ろしさは、無理をすればなんとかなっちまうところにある。すべてに手が届くから、間に合いそうだから、無理を承知で向かい合わなければならない。開き直ることもできないまま、わかっていても削られていくのに甘んじるしかない」

「なるほどね。いかにもあなたがやりそうな手口だわ」

「ふざけろ」

 ふん、とあさみが彼方の闇へと視線を投げかける。

 大あくびをかまし、桔平が席を立った。

「それにしても、あのバカ野郎」

「遊佐君」

「おお、そのバカだ」こともなげに目線を流してくるあさみに対し、口をへの字に曲げて桔平が睨みつける。「ふざけたことしやがって。シャレんなってねえぞ」

「だったみたいね」

「木場がげっそりしてやがったぞ。せっかくかわいがってやってたのに、俺の信頼、あっさり裏切りやがって。後でたっぷりお灸すえてやらねえとな」

「見逃してあげたら。弟子なんでしょ」

「はん?」不快そうに眉をゆがめる。「どうやって見逃せってんだ。笑って許されることかどうか、おまえだってわかってんだろうが。らしくねえこと言ってんな」

「そう?」

「あたりまえだ。何言ってやがるか」

「あなたと思考パターンが似ているから、彼の行動も理解できるんじゃないかと思ったんだけど」

「……」意味ありげなあさみの微笑みから逃げ出すように顔をそむける。「タバコ吸ってくる」

「いってらっしゃい」

 ドアを閉めかけ、訝しげな様子で桔平が顔を向けた。

「本当に明日休んでいいんだな」

「ええ。見逃してあげる」

「やふ~い! ……ん? 見逃す?」

「ええ。欠勤扱いになるけど見ないふりしてあげます。私も疲れていますから」

「いや、それってただの無断欠勤……」

 首を傾げながら桔平が部屋を後にする。

 入れ違いにノックの音がして、ケイゴが姿を現した。

「進藤司令、お話があります」


 時はすでに深夜の刻へと染まり始めていた。

 二十四時間態勢のメガルでは、どの時間帯であっても光と音が途切れることはない。

 しかし一際大きく、一際明るいそれらは、そこにおいても異質な存在感を主張していた。

 ケイゴの持ち込んだ輸送機のエンジン音である。

 そのまばゆいばかりの燃焼は、今すぐ離陸してもおかしくないほどだった。

 そこから距離を隔てた暗闇の中で、小さな声の交錯が聞こえ始める。

 引き込もうとしている者と踏みとどまろうとしている者の問答のようだった。

「さあ、来るんだ」

 ケイゴがとり憑かれたような表情で細い腕を引っ張る。

 その腕の持ち主は抗うことすら無駄なほどの力の差を知りながら、懸命に抵抗を続けていた。

「いやだ、放して……」

 涙でくしゃくしゃになった顔で、雅がケイゴから身体を引き離そうとする。

 が、力強いケイゴの前では、抵抗もむなしく引きずられていくのみだった。

 一時間以上も感応スティックを握りしめていたため、ケイゴの疲労は限界に近かった。

 それでも異様にギラついたまなざしで雅を見据え、力づくでここまで引っ張ってきたのである。

「さあ、雅。一緒に行こう」

「いや!」

「……。おまえはこんなところにいちゃいけない。一緒に来るんだ」

「いやだ!」

「雅……。!」

 ふいに何者かに突き飛ばされ、ケイゴがコンクリートの地面に転がる。

 黒い空を見上げると、薄明かりのもと、口もとをぎゅっと結んだ光輔が雅を抱えているのが見えた。

「光ちゃん!」

 泣きながら雅が光輔にしがみつく。

 その細い身体を強く抱きしめながら、光輔は悲しそうなまなざしをケイゴへと差し向けた

「何やってんだよ、ケイちゃん。どうしちゃったんだよ」

 歯噛みしながらケイゴが立ち上がる。ふらつく両足を地面へ突き立て、哀れむようなまなざしで雅へと手を伸ばした。

「おまえは引っ込んでいろ」

「ケイちゃん!」

「やだ!」

 ケイゴが雅の肩に手をかける。

 それを引き剥がすべく、万力のような腕力が立ちふさがった。

 礼也だった。

「嫌がってんだろうがよ。離せっての」

「礼也……」

 腕を振り払い、ケイゴと礼也が向かい合う。

 止めることのできないマッチアップを前に、光輔は震える雅を抱きしめて見守ることしかできなかった。

 肩で息をしていたケイゴが幾分落ち着きを取り戻す。

 三人を見渡し、それが自分にとって相容れぬものだということを強く知った。

「俺は今からこの国を出る。俺の任務は終わった」

 淡々と告げるケイゴに礼也が眉をゆがめてみせる。

「それがどうした。とっとと帰りゃいいじゃねえか」

「雅も連れて行く。その許可はとった」

「んだ!」

 雅の身体がビクリと反応する。

 あっ気にとられていた礼也が、心から不愉快そうにケイゴを睨みつけ、不満を叩きつけた。

「誰の許可をとったって? こいつのか! こいつ本人のオッケーとったのか!」

「おまえには関係ない」

「関係ねえこたねえ。んなことだったら、許可は出せねえな」

「おまえに何の権限がある」

「俺の権限じゃねえ。こいつの意志だ」

 くいと親指を差し向ける。

 礼也の後方では、雅が子供のように泣きじゃくっていた。

「ったくよ、局長が妙なことこきやがるから、おかしいとは思ったんだって。もうサヨナラはすんだのかとかよ。結局こんなことだったのかって。なあ、光輔」

 それに答えるかわりに、雅を抱きしめた光輔がケイゴを真剣なまなざしで見据える。

 ふいに礼也の口もとから笑みが消えた。

「てめえの勝手にゃ、させねえぞ」

 すううう、と深呼吸し、ケイゴが礼也と向き直る。

 呼吸を整え、戦いに備えた顔になった。

「だったら、力ずくでも連れていくぞ」

「力ずくでも阻止してやるって」

「おまえが俺に勝てると思っているのか」

「いつの話してんだ、てめえは」

 かくして譲れない二人の大ゲンカが始まった。

 ボクシングに蹴り技を取り入れた礼也に対し、あくまでも受けからの返し技でケイゴが応戦する。

 大振りの礼也を着実にいなし、小刻みに当てていくケイゴだったが、疲労の度合いと、絶妙にクリーンヒットをかわす礼也によって、しだいにケイゴが押され始めていた。

「どうした。ふらふらじゃねえか」

 戦意を喪失したかのようにガードを解いたケイゴに、礼也が近づいていく。

 その一瞬後、ケイゴの肩をつかもうと手をかけた礼也の両目が、カッと見開かれた。

「!」

 礼也の身体がくの字に折れ曲がっていた。

 身をすり合わせるほどの接近を相手に許し、そのわずかな間合いでケイゴが必殺の拳を礼也のみぞおちに叩き込んだのだ。

「ぐあ……」

 崩れ落ちる礼也の姿を目の当たりにし、悲痛な泣き声をもらしていた雅が顔をゆがめる。

 光輔も同様だった。

 息を荒げ、ケイゴがごくりと生唾を飲み込む。しかし、その目は勝利への確信ではなく、絶望の色さえ宿していたのだった。

「危ね……」

 礼也がケイゴから自分の身体を引き剥がす。するとケイゴのワンインチ・パンチを受け止めた左の手のひらが真っ赤に腫れ上がっていた。

 撃ち込まれる瞬間左手を差し入れ、身体をくの字に折って衝撃をかわしたのである。

 無論、その手ごたえのなさを痛感していたのは、誰よりも放ったケイゴだった。

「おーいて。この野郎、左手、オシャカになっちまったじゃねえか!」

 力任せに右フックを見舞われ、ケイゴの身体が吹き飛ぶ。そのままぴくりとも動かなくなった。

 ぜえぜえと腰を折り、礼也がケイゴへと近寄っていった。

「ったくよ。んなコンディションで俺に勝てるかってーの」

 差し出された手をケイゴがつかもうとする。

 礼也に立たせてもらい、口の傷をさすっていたケイゴが、おもむろに血を吐きつけた。

「ぐあっ!」

 両目にケイゴの血を浴び、礼也が視界を失う。

 それから足払いをまともにくらい、礼也は背中から地面へ叩きつけられていった。

「てめ、汚ねえぞ……」ダメージが大きく、立ち上がることができなくなる。「くそったれ!」

 そんな礼也にまるで振り返ることもなく、ケイゴはふらつく足取りで雅へと近づいていった。

「雅、行こう……」

 光輔の腕の中で怯える雅に手を伸ばす。

「りょうちゃんの時は何もできなかった。これ以上、同じ過ちは繰り返させない。おまえは俺が守る」

 淀んだまなざしで見つめるものは、目の前の雅や光輔ではないように思われた。

「わかるだろ。こいつらじゃ、りょうちゃんのかわりにはなれない。おまえは俺が守る。それがおまえとの約束だ。おまえは……!」

 ふいに口をつむぎ、目を見開いたまま、ケイゴが立ちつくす。

 そこに夕季が立ちはだかっていた。

「誰も陵太郎さんのかわりなんて求めていない。みんな自分の力で前へ進もうとしているから」

「そこをどけ」

 夕季を見ようともせず、ただ雅の姿を追い求め、ケイゴが手を伸ばす。

「どけ、夕季」

 夕季の脳裏に、過去の二人の想い出がフィードバックし続けていた。

『おまえは俺が守る』

 少年の日のケイゴが笑う。

『おまえのそばにはいつも俺がいるからな』

 ひたすら眩しいその笑顔が、もう振り返ることもない苦しそうな今の姿に重なった。

『もし俺が間違いそうになったら、おまえが俺を止めてくれ……』

 二人だけの丘での、果たされない約束だった。

 夕季が唇を噛みしめる。

『……さよなら』

 そう心の中で呟き、夕季はケイゴの腕をとってそっと背中から倒した。

 ケイゴが手を伸ばしながら力つきる。

 それは果てなく広がる空に飛び交う、無数の蛍をつかもうとしているようにも見えた。






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