第二十三話 『約束の丘』 7. ケイゴの才能
医務室のベッドの中で、雅はその身体を休めていた。
点滴を施された状態で、安らかな寝息を立てている。
新たなる発動の知らせはまだ雅の耳には届いておらず、ぎりぎりまで休息を与えようという桔平らの配慮がなされていた。
加えてもう一つの理由。
それを持ち込んだ本人、遊佐京吾は、心配そうな面持ちで雅の寝顔を見守っていた。
普段の軽薄さのかけらも見られない真剣なまなざしでケイゴが振り返ると、医務室の入り口には同じ顔の桔平が立っていた。
「様子はどうだ」
桔平の問いかけにケイゴがわずかに表情を揺らす。
「落ち着いていますよ」憂うような視線を雅へ差し向けた。「できればこのまま眠らせておいてあげたいですけれどね」
「それはこっちも同感だ。だがそういうわけにもいかない」
「わかってますよ」少しだけ笑みをもらす。「プログラムの殲滅はメガルの最優先事項ですからね。だから俺の進言も通った」
「……」
「これ以上、奴らの勝手にはさせませんよ」そう口にし、ケイゴはまた表情の消えたまなざしで雅へ注目した。「もう、何も渡すわけにはいかない」
その決意みなぎる横顔を、桔平は表情もなく眺め続けるだけだった。
通算二十二回目の発動予測地点は、ロシアと日本の境界線の、ほぼ目と鼻の先だった。
発動時間を逆算し、航空機以外では到達困難なその場所へ向かうため、夕季らオビディエンサー達が格納庫の外へ出た。
疲弊しきった顔を上げ、三人がライトの眩しさに目を細める。
そこでは三機の竜王が固定ピットごと見慣れない輸送機に積み込まれていくところだった。
メガ・テクノロジーが開発した、新型超音速VTOL輸送機。
ケイゴがアメリカから持ち込んだものだった。
表情も変えずに眺める三人の中で、夕季が少しだけ眉を寄せる。
足音に三人が振り返ると、そこにはパイロット・スーツを着込み、普段の本人からは到底想像もつかない真剣なまなざしで前だけを見据えるケイゴの姿があった。
「ケイちゃん……」思わず声をもらしたのは光輔だった。「かっこいいな」
するとケイゴがぴたりと足を止める。
それからふいに普段の柔らかな表情に戻り、おどけた笑顔を向けてきた。
「だろ? 自分でもサマになってるなって思うよ。鏡の前で見とれちゃって、思わずつっこんじゃったよ。なんでやねん、って」
「なんでやねん?」
「ははは」
「でもさ、ケイちゃん」
話を切りかえた光輔へ、ケイゴが、ん、という顔を向ける。
「あの輸送機、ほんとはまだ実戦で使っちゃ駄目なんだろ?」
「そうだって。試験用だろうが」礼也が便乗してきた。「ぶっ壊したら、綾さんにぶっ殺されるぞ。俺的にはザマみろバンザイってところだが」
「使えるかどうかなんて、実際に使ってみなきゃわからないだろ。使ってみて初めて気づくことだってあるはずだし」こともなげにいなす。「俺達が作っているのは安全な場所で鑑賞するためのおもちゃじゃない。プログラムに対抗するための、実戦兵器なんだ。それを試すのに、これ以上の機会はないだろ。それを言ったら、綾さんも、ぜひ、って言いながら、ふんごーふんごー鼻息荒げてたよ」
「あ、そうなんだ……」
「ちっ!」
おもしろくなさそうにそっぽを向いた礼也を眺め、ケイゴが小さく笑う。
そこへ夕季の声が重なってきた。
「ケイゴさん。あたし、自分で飛んでいく」
途端にケイゴの顔から表情が抜けていく。
「この機体より、空竜王の方が速い。あたしが先に探りに行く。ケイゴさん達は現地より手前で待機していて、反応があってから向かってくれればいい」
「駄目だ。勝手な真似は許さない」
冷たく突き放すようなケイゴの口調に、夕季が一瞬口ごもる。唇を結び直し、もう一度まなざしをぶつけた。
「これから何度こういう状況になるかもわからない。少しでもパイロットの体力を温存するためにも、最小限の行動に抑えるべきだと思う」
「おまえなら、永久に飛び続けても消耗しないとでも言うのか」
「……そういうわけじゃ」
「だったら俺の言うことに従え。勝手な真似はするな」
「でも」
「わからないのか。一人のわがままが多くの人間の迷惑につながるんだ」
「……」
ケイゴが眉間に力を込める。それは正面に立つ者を睨みつける時の表情だった。
「おまえだけの問題じゃない。おまえ一人の行動がすべてに波及してくる。おまえの疲労、焦り、ミスが、すべて後を受ける人間へと引きずられるんだ。おまえや礼也達ならまだ何とかなる。だが雅のことを考えろ。そんな余裕のない状況を受け止められるほど、あいつは強くない。せめてあいつのためにも、おまえ達は万全のコンディションでいるべきだ。そのために俺はこの役を買って出た。あいつのことが心配ならば、おまえもそれくらい考えろ」
「……」
「……ケイちゃん」見るに見かねて光輔が間に入ってきた。「何も夕季だって、そういうつもりで言ったんじゃないと思うよ。こいつにだってこいつなりの考えがあって……」
「わかった」
夕季の声に全員が振り返る。
その真剣な表情を目の当たりにしても、ケイゴは眉一つ動かすことはなかった。
「あたしもみやちゃんのことが心配だから。勝手なこと言ってごめんなさい」
まばたきもせずに二人が見つめ合う。
おろおろとうろたえる光輔の横で、礼也がどうでもよさげにあくびをかました。
やがて夕季から顔をそむけ、ケイゴが搭乗口へと足をかけた。
「わかればいい。……悪かったな、夕季」
「……あたしも」
その二つの誠意は、同じ場所で交わることはなかった。
ケイゴの操縦する輸送機の後部席で光輔らは出撃の時を待っていた。
操縦席と貨物スペースの中間にあるその待機室には、二十名以上が着座できる空間があり、オビディエンサーの三人に加え、メンテナンス・クルーの人員達も同席していた。
見知った顔のクルーらと談笑する光輔とは対照的に、空席を占拠して爆睡を決め込む礼也。
その近くで夕季は、高速で流れ続ける雲のかけらをひたすら目で追い続けていた。
紙コップが差し向けられ、夕季が顔を向ける。
そこには笑いながら自分のコーヒーをすする光輔の姿があった。
「カフェオレ。うまいよ」
「……ありがとう」
両手で受け取り、夕季がコップの中を見つめる。いれたてのそれはまだ湯気がほかほかと立っており、カフェオレのかぐわしい匂いが鼻腔を刺激した。
光輔が、ははっ、と繕い笑いをする。
「これ、インスタントじゃないんだぜ。いくら新型の試作機だって、どこにこだわってんだって話だよな、綾さんも」
ケイゴの持ち込んだ試作機は今後のメガルの主力輸送機になると噂されていた。ステルス素材に覆われた機体は、サイズもシルエットも従来のものと同等でありながら、計算しつくさされたエアフローにより、最高速度で音速の二倍以上を叩き出し、翼に内蔵された薄型ティルトローターにより垂直離着陸も可能だった。翼内にローターを組み込む構造上、燃料スペースは限られてしまうが、ローターとターボファンの駆動の一部を高密度バッテリーで補う試みに成功したため、信じ難いほどの低燃費と燃焼効率を具現化していた。まさにハイブリット・キャリアと呼ぶにふさわしい出来で、増加タンクを付けたままでの音速巡航と、一万キロメートルにも及ぶ航続距離をも実現していたのである。加えて、高い運動性能と内蔵された重武装により、パイロットの腕しだいでは現行の戦闘機と互角に渡り合うことも可能だった。
翼に大きなプロペラを持ち、のんびりとホバリングをする鈍重なイメージの機体を眺めていた対戦相手は、いざ戦闘となった時、そのペイロードを無視した軽快な機動と力強い垂直上昇を目の当たりにして、絶望的な気分に見舞われることだろう。
今まで自分達が追い求めてきた戦闘機の理想とは何だったのかを悔やみながら。
それが伏見綾音が、使用者の生の声を取り入れてコンセプトを立ち上げた、竜王専用運用機の全貌だった。
「本気じゃないよ」
光輔の声に夕季の心が呼び戻される。
「ケイちゃん、本気であんなこと言ったんじゃないよ」
光輔は相変わらずの表情で夕季に注目していた。
「……わかってる」
「ならいいけどさ」ややばつが悪そうに光輔が目線をそらして続ける。「心配なんだよ、きっとさ。でもさ、何もできないはがゆさっていうか、イライラっていうか、わかるだろ、そういうのツライって」
「……。そうだね」
夕季が小さく微笑んだのを認め、光輔が安心したように、ははっ、と笑った。
それから夕季は目を伏せ、ズズ、とカフェオレをすすった。
「な、うまいだろ」
「!」カッと目を見開き、光輔に真顔を向けた。「う!」
「なんだよ、う、って……」
「……。綾さんの味がする」
「え! ……そうなんだ」
「おい、光輔、俺にも綾さんオーレよこせ」
二人が顔を向けると、寝起きで仏頂面の礼也が睨みつけていた。
「ああ、ちょっと待ってて。……綾さんオーレって」
「あとメロンパンな」
「それはさすがに……」
「あれ、あるじゃねえか! さすが綾さんだって!」
「……マジで」
「どうなってやがんだ!」
休憩スペースで難しい表情で唸り、桔平が書類とにらめっこする。
そこへ紙コップを両手に持ち、薄笑みをたたえたあさみが現れた。
かたわらへ置かれた飲料水に目をやり、桔平が横目で隣へ腰かけたあさみを見やる。
「サンキュ」
「何見てるの」
目線を合わせたまま一度だけため息をもらし、桔平が手にした報告書を差し出した。
「先週の模擬戦の結果だ」
「遊佐君の」
「ああ」
表情も変えずに受け取り、あさみがぱらぱらと目をとおし始める。しばらくそれを眺め、ある部分で初めて眉を揺らした。
「航空自衛隊のパイロットって、世界でもトップクラスなんでしょ」
「ああ。アメリカ軍も一目置くくらいの猛者ぞろいだ」紙コップを手に取り、ぐびりと流し込む。「う!」
「う?」
「これは……」紙コップを頭上にかざし、驚愕のまなざしを向けた。
それをおもしろそうに眺め、あさみが意味ありげな笑みを浮かべた。
「綾オーレよ」
「綾オーレ?」
「そう。遊佐君からの差し入れ。綾の作るカフェオレのテイストをとことん追求した自信作だそうよ。あなたのは通常より三倍砂糖多めの桔平カスタムですって」
「マジか……」ゴクリと唾を飲み込み、畏怖の表情になる。「お袋が作った、やっすいインスタントコーヒーと同じ味だ」
「怒るわよ、綾」
「むうう……」
ふっと小さく笑い、ふいにあさみが真顔になる。
「すごいわね、彼。そのトップレベルを相手に、一歩もひけをとってない。本格的に飛び始めてから、まだ一年足らずなんでしょ」
「ああ」一口飲んでは、コップの中身を真顔で確認する。何度もちびちびと味を確認しながら、桔平が腑に落ちない様子で首を傾げた。「非凡かそうでないかと言うなら……」
「間違いなく、天才ね」
「……。こういうのは、努力や経験だけじゃなんともならない、センスってのがある。世が世なら、エースパイロットになれたかもな」
「平常心でさえいられればね」
ガラス張りの通路から臨む海岸線に視線を差し向け、声のトーンを落としてそれを口にした。
じろりと桔平があさみを見やる。その意味ありげに笑った横顔を見つめ、ぐびりとコーヒーを飲み干した。
「……うめえな、これ」